時代の正体〈329〉憲法学者・石川健治さん特別講座③ 緊急事態条項

先人の知恵結実54条

 東大教授で憲法学者の石川健治さん(54)による“特別講座”3回目のテーマは、戦後日本の緊急事態条項。石川さんは「日本国憲法には、日本が考えた立派な緊急事態条項が存在する」と語る。 

 -戦後の話を伺います。戦前の大日本帝国憲法には緊急勅令、戒厳、非常大権と三つの緊急事態条項がありましたが、戦後、日本国憲法が作られる過程でどうなったのでしょうか。

 「旧憲法にあった緊急事態条項は廃止しよう」という話になりました。日本側が「こういう装置を持っていたから、日本は戦争になだれ込んだのではないか」と危惧の念を持っていたのです。

 -連合国軍総司令部(GHQ)ではなく、日本側がそういった議論をしたのですか。

 そうです。敗戦で日本は米軍統治下に置かれましたが、最初は日本人が主導で憲法を改正しようとしました。東大で商法学者として活躍し、大正期に法制局長官も経験した松本烝治を委員長として、政府の下に「憲法問題調査委員会」が発足し、旧憲法をどう改正しようかと話し合った。その早い段階で「緊急事態条項は廃止しよう」という方向が決まっていたのです。そこでの憲法改正案の一つを毎日新聞が報じた結果、GHQが知り、保守的な内容に驚いたGHQが自ら草案を作ることになるのです。松本委員会は従来通りの天皇の存在を前提に、議論していましたからね。

 -日本側は三つ全てを廃止しようと?

 天皇の非常大権と戒厳大権は、廃止で一致しました。ただ、緊急事態が想定される以上、緊急命令の権限は形を変えて残すべきだと考えたのです。天皇が緊急勅令権を保持しているのを前提にした上での話ではあるのですが、議会が閉会中も開いている「常置委員会」を新設して、そこで緊急事態に対応する、というアイデアが出てきました。「参議院の緊急集会」の制度の原型です。

 

GHQとの折衝


 -ところが、途中で日本側の憲法草案を知ったGHQが草案を作ることになった、と。

 突如マッカーサー草案を手渡されて日本側には激震が走ります。しかも、そこには緊急事態条項がなかった。アメリカ人の発想では不文の緊急権を政府が持っているのは当然だったからです。日本側は折衝します。「何も書かないのはおかしい」「衆議院が解散された状態で、何か起きたらどうするんだ」と。その中で出てきたアイデアが「参議院の緊急集会」です。

 GHQの介入以降、天皇が象徴化され、緊急勅令の大権自体は憲法から消去されていました。しかし、日本側はもともと勅令の内容を「常置委員会」で決定することにしていましたから、閉会中に参院議員が集まって緊急事態に対応するという発想が自然に出てきた。衆参の会期は同一ですので、衆議院の解散と同時に参議院も閉会となりますが、参議院のメンバーは残っており、いつでも集まれるはずです。それが、すでに活字化されていた憲法草案に手書きで書き込まれた。日本国憲法54条(参議院の緊急集会)です。

 -つまり憲法にはもう「緊急事態条項」が入っているのですね。

 そうです。当時の腕利きの法制官僚が考えに考えて作った立派な緊急事態条項です。

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