第160回 かぎりなく、あなたのそばに(後編)

「絶対値に何種類もあるんですか?」とテトラちゃんが言うと、ミルカさんは「定義すればいい」と答えた。「数を作る」シーズンのクライマックス!
【お休みの予告】
結城浩です。いつもご愛読ありがとうございます。 おかげさまでこのWeb連載も今回で第160回を迎えることになりました! みなさまの応援に感謝します。

さて、たいへん恐れ入りますが、さらなるパワーアップをはかるため、 このWeb連載の更新を7月8日までお休みさせてください。

日程は以下の通りです。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

Web連載「数学ガールの秘密ノート」予定

・2016年6月10日(金)第160回更新
・2016年6月17日(金)お休み
・2016年6月24日(金)お休み
・2016年7月 1日(金)お休み
・2016年7月 8日(金)第161回更新
・(以後、毎週金曜日更新)
登場人物紹介
:数学が好きな高校生。
テトラちゃんの後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
ミルカさん:数学が好きな高校生。のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
リサ:自在にプログラミングを行う無口な女子。赤い髪の《コンピュータ少女》。
瑞谷先生:司書の先生。定時になると下校時間を宣言する。
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テトラちゃんのまとめ

いまは放課後。ここは高校の図書室。 テトラちゃんは、ミルカさんと《有理数の完備化》について話し合っていた(第159回の続き)。

ミルカ「そう。……ところで、ここまで考えてきたコーシー列による完備化を別の角度から眺めよう。まずは……」

テトラ「ちょ、ちょっとお待ちください。いったんここまでのお話を整理させてください」

ミルカ「ふむ」

テトラ「ミルカさんは、《有理数全体の集合》から《実数全体の集合》を構成するというお話をしてくださっていました」

「コーシー列による完備化だね」

テトラ「はい……そして、そのお話はこんなふうに進みました」

  • 《各項が有理数である数列全体の集合》というものを考えます。
  • その中で特に《コーシー列》という特別な数列に注目します。
  • 《コーシー列》は、収束する数列になるのですが、その収束先が有理数になるとは限りません。
  • ですから、あたしたちの手元には有理数しかなくても、《コーシー列》を使って有理数以外の数を指し示すことができます。
  • それによって無理数を作り、結果的に実数全体の集合を作れることになります。
  • 同じ数に収束する《コーシー列》は《同じ旗のもとに集う仲間》としてひとまとめに扱いたいです。
  • そのために、《コーシー列》の項ごとの《差》を表す数列を考え、その数列が$0$という有理数に収束するかどうかを調べます。
  • あとは、差が$0$に収束する《コーシー列》同士を同一視する同値関係を作り、それで《コーシー列》全体の集合を割ればできあがりです。
  • そこからは、実数の和や積などの計算を作っていく……

「そうだね。その流れの通りだと思うよ」

テトラ「差の数列を考えるところがおもしろいと思いました。同じ数に収束する数列を見つけるのに、差が$0$になる数列同士を仲間にするところです。同一視、ですね」

「そうだね。これで《コーシー列による完備化》ができた」

テトラ「完備化……どうしてこれを完備化というのでしょうか」

ミルカ「収束先の数までが、その集合の中に備わっているから。有理数では、コーシー列を使って有理数の《外》へ抜け出すことができてしまう。 しかし、完備化によって実数全体の集合を作ると、 コーシー列を使ってその集合の《外》へ抜け出すことはできない。 収束に関して閉じていることになる。正確には有理数のコーシー列の収束とは別に、 実数のコーシー列についての収束を検討する必要があるけれど」

テトラ「先ほども、そういうお話がありましたね(第159回参照)。抜け出せるかどうか」

別の完備化

ミルカ「さて、私がこれから考えたいのは、別の完備化だ」

「別の完備化?」

テトラ「完備化に何種類もあるんですか?」

ミルカ「そういう意味ではない。先ほどのテトラの《まとめ》に出てきた《重要な概念》を少し変えるのだ」

「《重要な概念》というのは、《コーシー列》のこと?」

ミルカ「《コーシー列》を定義するために必要になる《重要な概念》のこと。その《重要な概念》はまた、 《数列同士の差》を考えるときにも必要だ。 つまり、完備化を行うときには本質的な役割を果たすことになる。 さて、その《重要な概念》は何かな?

ミルカさんはそう言って、いたずらっぽく微笑んだ。

テトラ「《コーシー列》というと、$\XABS{a_m - a_n}$が$0$に収束する数列ですよね。《数列同士の差》というのは、$\XABS{a_n - b_n}$です」

「ミルカさん、もしかして、絶対値? 絶対値が《重要な概念》になるの?」

ミルカ「その通り。これから私たちは別の《絶対値》を考える。それを《$2$進絶対値》と呼ぶことにする」

テトラ「$2$進絶対値……」

$2$進絶対値

ミルカ「これから考えるのは、有理数の$2$進絶対値だ。ふだん私たちが使っている絶対値が《$0$からの距離》を表現しているように、 $2$進絶対値も数の《$0$からの距離》を表現していると見なすことができる」

テトラ「す、すみません。さっぱりわからないんですが……」

ミルカ「まだ何も説明していないのだから、わからないのは当然だ。わかったら驚きだよ、テトラ」

テトラ「は、はい」

ミルカ「まずは定義から。有理数の$2$進絶対値は以下のように定義される」

《有理数の$2$進絶対値》

$0$以外の有理数$x$を、 $$ x = 2^n \cdot \dfrac{b}{a} $$ と表現する。ここで、$n$は整数、$a,b$は奇数である。

このとき、$0$以外の有理数$x$の$2$進絶対値$\XABS{x}_2$を、 $$ \XABS{x}_2 = \dfrac{1}{2^n} $$ と定義する。

また、$0$の$2$進絶対値$\XABS{0}_2$を、 $$ \XABS{0}_2 = 0 $$ と定義する。

テトラ「……」

「……」

ミルカ「さて?」

テトラ「……すみません。やっぱりわかりません」

「違うよ。テトラちゃん。ここは考えどころだ。僕もさっぱり意味がわかってないけれど、ミルカさんから《定義が与えられた》んだから、僕たちがやることは決まっている」

テトラ「え……」

「もちろんそれは、《例を作る》ことだよ!」

テトラ「あ。そ、そうでした。《例示は理解の試金石》ですものね。例を作ろうともしないで、わからないなんて言っちゃだめですね……」

ミルカ「たとえば、クイズ。$\XABS{6}_2$を求めよ」

クイズ

有理数$6$の$2$進絶対値、 $$ \XABS{6}_2 $$ を求めよ。

「まずは、定義から、$$ 6 = 2^n \cdot \dfrac{b}{a} $$ を満たす整数$n$と奇数$a,b$を見つけないと」

テトラ「あ、分数ですから$a$は非$0$ですよね。ゼロ割になりますから」

「テトラちゃん、$a$は奇数だからもともと$0$は除外されているよ……」

テトラ「そうでした……」

「$6$は$2\times3$だから、こうかな?$$ 6 = 2^1 \cdot \dfrac{3}{1} $$ つまり、$n = 1, a = 1, b = 3$だね」

テトラ「ということは、$n$が$1$ですから、$2$進絶対値は、$$ \XABS{6}_2 = \dfrac{1}{2^1} = \dfrac{1}{2} = 0.5 $$ でしょうか」

ミルカ「それでいい。$0.5$でもいいし、$\dfrac{1}{2}$のままでもいい。とにかく、$\XABS{6}_2$がわかった」

クイズの答え

$$ \XABS{6}_2 = \dfrac12 $$

テトラ「あ、あれ……たった一個の例を考えただけなのに《難しくないかも》と思えてきました。不思議です!」

「そうだね。僕もそう思うよ。この調子でいくつか例を作ってみようよ。たとえば、$\XABS{20}_2$とか」

テトラ「$20$は、$2^2 \times 5$ですね。ということは、$$ 20 = 2^2 \cdot \dfrac{5}{1} $$ になって、$n = 2$です。ですから、 $$ \XABS{20}_2 = \dfrac{1}{2^2} = \dfrac{1}{4} $$ になります! ちょっとコツがわかってきました」

「そうだね。これって、$2$進絶対値を考えるときには$2^n$だけが効くんだ。$a,b$は関係がない。言い換えると、$2$進絶対値というのは《$2$で何回割ることができるか》を表しているのかも。 $2$で割ることができる回数が多いほど、$2$進絶対値は$0$に近づくね」

テトラ「そうですね! だって、$2^n\cdot\dfrac{b}{a}$から$\dfrac{1}{2^n}$を求めるわけですから」

$$ \XABS{2^n\cdot\dfrac{b}{a}}_2 = \dfrac{1}{2^n} $$

ミルカ「では、$2$で割り切れない$9$の$2$進絶対値はどうだろう」

「なるほど、$9$は奇数だから……簡単だよ。$2^0 = 1$を使えばいい。こうだね。$$ 9 = 2^0 \cdot \dfrac{9}{1} $$ だから、$2^0$の逆数が求める$2$進絶対値で、 $$ \XABS{9}_2 = \dfrac{1}{2^0} = \dfrac{1}{1} = 1 $$ になる」

テトラ「あれ、ということは、奇数の$2$進絶対値はいつでも$1$ですか?」

「そうなるね。負でもそうだね」

$$ \XABS{\pm 1}_2 = \XABS{\pm 3}_2 = \XABS{\pm 5}_2 = \cdots = 1 $$

テトラ「$2$進絶対値は等しくなることもあるんですね」

ミルカ「ふつうの絶対値でもそうだ。$\XABS{1} = \XABS{-1} = 1$」

テトラ「あ、確かに」

ミルカ「奇数の$2$進絶対値が必ず$1$になるのはわかった。それでは、偶数の$2$進絶対値はどうだろう」

「それは、$2$で何回割れるかによるよ。$2, 6, 10, 14$のように、$2 \times \text{奇数}$だったら、$2$進絶対値は$\dfrac12$だね」

$$ \begin{align*} \XABS{2}_2 & = \XABS{2\cdot\frac11}_2 = \frac12 \\ \XABS{6}_2 & = \XABS{2\cdot\frac31}_2 = \frac12 \\ \XABS{10}_2 & = \XABS{2\cdot\frac51}_2 = \frac12 \\ \XABS{14}_2 & = \XABS{2\cdot\frac71}_2 = \frac12 \\ &\vdots \\ \end{align*} $$

テトラ「ははあ、いまのは、$1,3,5,7\ldots$に$2$を掛けたものですね。だったら、$1,3,5,7,\ldots$に$2^2$を掛けたものの$2$進絶対値は$\dfrac1{2^2}$になるんですね」

$$ \begin{align*} \XABS{4}_2 & = \XABS{2^2\cdot\frac11}_2 = \frac1{2^2} \\ \XABS{12}_2 & = \XABS{2^2\cdot\frac31}_2 = \frac1{2^2} \\ \XABS{20}_2 & = \XABS{2^2\cdot\frac51}_2 = \frac1{2^2} \\ \XABS{28}_2 & = \XABS{2^2\cdot\frac71}_2 = \frac1{2^2} \\ &\vdots \\ \end{align*} $$

「そうだね。いくらでも繰り返せる。奇数に$2^3$を掛ける、奇数に$2^4$を掛ける……とね」

$$ \begin{align*} \XABS{8}_2 & = \XABS{2^3\cdot\frac11}_2 = \frac1{2^3} \\ \XABS{24}_2 & = \XABS{2^3\cdot\frac31}_2 = \frac1{2^3} \\ \XABS{40}_2 & = \XABS{2^3\cdot\frac51}_2 = \frac1{2^3} \\ \XABS{56}_2 & = \XABS{2^3\cdot\frac71}_2 = \frac1{2^3} \\ &\vdots \\ \end{align*} $$ $$ \begin{align*} \XABS{16}_2 & = \XABS{2^4\cdot\frac11}_2 = \frac1{2^4} \\ \XABS{48}_2 & = \XABS{2^4\cdot\frac31}_2 = \frac1{2^4} \\ \XABS{80}_2 & = \XABS{2^4\cdot\frac51}_2 = \frac1{2^4} \\ \XABS{112}_2 & = \XABS{2^4\cdot\frac71}_2 = \frac1{2^4} \\ &\vdots \\ \end{align*} $$

テトラ「あたし、$2$進絶対値さんと《お友達》になれそうです!」

ミルカ「そう? それなら、このクイズは?」

クイズ

$$ \XABS{0.2}_2 $$ を求めよ。

テトラ「$0.2$の$2$進絶対値?」

ミルカ「$0.2$も有理数だから」

「……」

テトラ「$0.2$は、$0.1$と$2$を掛けますよね……あれ?」

「これは《定義にかえれ》だね」

テトラ「定義にかえれ……ああ、わかりました。分数に直せばいいんですね!$$ 0.2 = \dfrac{2}{10} = \dfrac{1}{5} $$ ですから、 $$ 0.2 = 2^0 \cdot \dfrac{1}{5} $$ になります。 ということは、$2^0$の逆数で、 $$ \XABS{0.2}_2 = \dfrac{1}{2^0} = 1 $$ になります」

「へえ、$0.2$は$2$進絶対値としては、奇数と同じなんだね」

ミルカ「$0$と$0.2$の《$2$進距離》は、$0$と奇数との《$2$進距離》に等しいといえる」

「$2$進距離?」

ミルカ「有理数$x$の$2$進絶対値$\XABS{x}_2$が定義できたのだから、二つの有理数$x,y$に対して、 $$ \XABS{x - y}_2 $$ を《$2$進距離》と呼ぶのは自然なことだと思うが」

テトラ「な、なるほど……」

「なるほどね」

ミルカ「テトラと君がたくさんの有理数$x$について、$2$進絶対値$\XABS{x}_2$を計算してくれた。それはすなわち、$0$と$x$の$2$進距離を計算したことになる」

テトラ「せ、先輩方! あたし、ひらめきました。それって、図に描けます! $0$より遠い人もいますし、$0$に近い人もいます。人じゃなくて有理数ですけど。同心円の上にいるんですよ!」

ミルカ「同心円?」

$0$と$x$との$2$進距離の様子

テトラ「$0$からの$2$進距離を半径とする同心円を描きました!」

ミルカ「なるほど」

「なるほどね」

テトラ「こうやって描くと、$2$進距離がよくわかります。たとえば、奇数$1,3,5,7,9,\ldots$はみんな半径$1$のところに集まります、 $2,6,10,14,\ldots$は半径$\frac12$のところに集まります。 なんだか、ふだん会ってない同中同クラが集まったみたいに」

ミルカ「その比喩はよくわからないな」

リサ「ルーラー関数?」

「うわっ!」

テトラ「リサちゃん!」

リサ「《ちゃん》は不要」

ミルカ「リサも来てたのか」

リサはコンピュータが得意な後輩。 ざくざくにカットした赤い髪が目立つ彼女は、ミルカさんの親戚にあたる(『数学ガール/乱択アルゴリズム』参照)。

ミルカさんの一族は音もなく現れるのが好きなのか?

リサ「$\rho$が出てきそう」

ミルカ「出てくる」

テトラ「ルーラー関数?」

リサ「これ」

ルーラー関数$\rho(n)$


※$\rho$は「ロー」と読む。

「あっ、この図、ユーリが持ってたぞ。定規のようなルーラー関数(第108回 コンプリメント・コンプレックス(後編)参照)」

テトラ「ruler関数ですね。定規の目盛りのようです」

「そうか! $\rho(n)$を使えば、$2$進距離が表せる。$1$以上の整数$n$に対して、$$ \XABS{n}_2 = \dfrac{1}{2^{\rho(n) - 1}} $$ になるから! ルーラー関数のグラフで高いほど、$0$に近い数になるんだね」

テトラ「ええと? す、すみません。$1$から順番に$2$進距離を書いて調べます。しばしお待ちを!」

テトラ「……できました」

「楽しいな」

リサ「楽しい」

リサはそう言って離れた場所に席を移した。 彼女は真っ赤なコンピュータを開き、静かに作業を始める。

テトラ「《$2$進絶対値》や《$2$進距離》についてはだいぶわかってきました……ような気がしますけれど、ええと、ここから?」

「そうか、《重要な概念》を変えるんだった。《コーシー列》で、

  • $x$の《絶対値》を《$2$進絶対値》に置き換える。
  • $x$と$y$の《距離》を《$2$進距離》に置き換える。
そういうことだね?」

ミルカ「その通り」

有理数で$2$進距離を使ったコーシー列の定義

有理数の数列$\LL a_n \RR = a_0, a_1, a_2, \ldots$が、 次の性質を持つとき、この数列$\LL a_n \RR$をコーシー列という。

どんな(に小さな)有理数$\epsilon > 0$を選んだとしても、

$\epsilon$ごとに、(ある大きな)整数$N$を選んでやると、

$N$よりも大きなすべての$m,n$に対して、

$$ \XABS{a_m - a_n}_2 < \epsilon $$
を成り立たせることができる。

「たった一箇所、$$ \XABS{a_m - a_n} < \epsilon $$ を $$ \XABS{a_m - a_n}_2 < \epsilon $$ に変えただけだね。なるほど?」

ミルカ「それから、コーシー列同士の同値関係も決められる」

《コーシー列全体の集合》に同値関係$\sim_2$を入れる

《コーシー列全体の集合》に同値関係$\sim_2$を入れる。
コーシー列$\LL a_n \RR$と$\LL b_n \RR$のあいだに$\sim_2$という関係があることを、 $$ \LL a_n \RR \sim_2 \LL b_n \RR \Longleftrightarrow \lim_{n \to \infty} \XABS{a_n - b_n}_2 = 0 $$ で定義する。

ミルカ「$2$進絶対値と、$2$進距離を使って定義した《コーシー列》によって、有理数全体の集合を完備化することができる。 これを$\mathbb Q_2$と書く」

「そうか……距離の定義が変わったけれど、コーシー列がちゃんと定義されれば、ふつうのコーシー列と同じようにして有理数の完備化ができるということ?  $\mathbb Q_2$というのは、$\mathbb R$とはまったく違う《距離感》をもった数の集合になりそうだなあ……」

テトラ「ちょ、ちょっとお待ちください。あたしはまだ$2$進距離によるコーシー列のイメージが……わかりません」

ミルカ「テトラ?」

テトラ「あっ! そうでした! 違います! まずは例を作ります! $0$に収束するコーシー列の例!」

クイズ

$2$進距離を使ったコーシー列で、 $0$に収束する数列を作れ。

「なるほど……さっきのテトラちゃんの同心円があるとイメージしやすいね。$2$を掛ければ掛けるほど、同心円の中心に近づくから」

テトラ「そうですね。あたしも意外でした。たとえば、これは$0$に収束するコーシー列ですね」

クイズの答え(例)

$2$進距離を使ったコーシー列で、$0$に収束する数列の例。 $$ 1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, \ldots $$

ミルカ「それでいい。もちろん、適当に奇数を掛けた別の数列でも同じように$2$進距離で$0$に収束する」

テトラ「おもしろいですね……なんだか、$$ 1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, \ldots $$ という数列は収束するんじゃなくて、 正の無限大に発散するように見えるんですが、$0$に収束するなんて。$2$進距離のためですね」

《$2$でたくさん割れた方が$0$に近い》というのはおもしろい概念だなあ」

テトラ「おもしろいです」

ミルカ「この数列は$0$に収束した。もちろん、$2$進距離的な意味で」

$2$進距離で$0$に収束する数列 $$ 1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, \ldots $$

「そうだね」

ミルカ「だとしたら、各項から$1$を引いた数列は$-1$に収束してほしいはず」

$2$進距離で$-1$に収束してほしい数列(上の数列の各項から$1$を引いた数列) $$ 0, 1, 3, 7, 15, 31, 63, 127, \ldots $$

「ああ、そうだね。$2^k$という形の数列は$0$に収束したから、$2^k-1$という形の数列は$-1$に収束したいねえ」

テトラ「ちょっとお待ちください。そもそも、 $$ 0,1,3,7,15,31,63,127,\ldots $$ は収束するんですか? コーシー列になっているんですか?」

ミルカ「いい質問」

「そうか……」

クイズ

以下の数列は、$2$進距離を使ったコーシー列になっているか。 $$ 0, 1, 3, 7, 15, 31, 63, 127, \ldots $$

ミルカ「テトラの意見は?」

テトラ「はい。《定義にかえれ》で、コーシー列の定義に出てくる、 $$ \XABS{a_m - a_n}_2 $$ を考えればわかります! これが$0$に収束すれば! ……どうするかは、ちょっとまだ」

「ああ、行くねえ。収束するね。$a_m = 2^m - 1$で$a_n = 2^n-1$だから、$2^m$と$2^n$の小さい方でくくればいいんだ。$m < n$で考えると、 $$ \begin{align*} \XABS{a_m - a_n}_2 &= \XABS{(2^m - 1) - (2^n - 1)}_2 \\ &= \XABS{2^m(1 - 2^{n-m})}_2 \\ &= \dfrac{1}{2^m} \\ \end{align*} $$ になる。$\dfrac{1}{2^m}$は$0$に収束するから、$\XABS{a_m - a_n}_2$も$0$に収束する」

クイズの答え

以下の数列は、$2$進距離を使ったコーシー列になっている。 $$ 0, 1, 3, 7, 15, 31, 63, 127, \ldots $$

「コーシー列になっていることはわかった……けど、$-1$に収束するの、これ?」

テトラ「各項ともぜんぶ正なのに!? それなのに$-1$に収束?」

ミルカ「おもしろいのはここから。この数列を$2$進法で書いてみよう

$10$進法で書いた、$2$進距離で$-1$に収束してほしい数列 $$ 0, 1, 3, 7, 15, 31, 63, 127, \ldots $$
$2$進法で書いた、$2$進距離で$-1$に収束してほしい数列 $$ (0)_2, (1)_2, (11)_2, (111)_2, (1111)_2, (1111 1)_2, (1111 11)_2, (1111 111)_2, \ldots $$

「おお……全部に$1$が並ぶのか」

ミルカ「もう一度リサを召喚してみよう」

テトラ「召喚って……」

「ポケモンじゃないんだから」

リサは僕たちの方をちらっと見るが、無言でコンピュータに視線を戻した。

ミルカ「リサ! $2$進法で表記したときに$1$が$32$個並ぶ数は?」

リサはキーボードを叩きながら、こちらも見ずに即答する。

リサ「符号なしなら、$42$億$9496$万$7295$(咳)」

ミルカ「$32$ビット符号つきなら?」

リサ「$-1$」

「!」

テトラ「?」

ミルカ「もっとも、$32$ビットに制限する必要は何もない。極限として$(\cdots1111 1111)_2$のようなビットパターンを考えると、 確かにこれは、$-1$と呼ぶにふさわしい数になっている。 なぜなら、$(1)_2$を加えると無限の繰り上がりが起きて$(\cdots0000 0000)_2$になるように見えるからだ。$1$を加えて$0$になるなら$-1$の名にふさわしい」

「これ、以前やったね!!(第102回 冒険ビット(後編)参照)」

テトラ「??」

ミルカ「この数学的正当化を考えるのは楽しそうだ。さらに和の極限として考えてもいい。 $(\cdots1111 1111)_2$というビットパターンは、 $$ (1)_2 + (10)_2 + (100)_2 + (1000)_2 + (10000)_2 + \cdots = (\cdots1111 1111)_2 $$ のような級数に見える。$1$のビットを順番に立てていくから。 ところが奇妙なことに、これを$10$進法に戻すと…… $$ 1 + 2 + 4 + 8 + 16 + \cdots = -1 \qquad \text{(?)} $$ ……となる。つまり、 $$ \displaystyle\sum_{k=0}^{\infty} 2^{k} = -1 \qquad \text{(?)} $$ のように見える」

テトラ「これは……やっぱりおかしいですね」

「……」

ミルカ「ところが、等比級数の公式を考えよう。$$ \displaystyle\sum_{k=0}^{\infty} r^{k} = \dfrac{1}{1-r} $$ この公式は$-1 < r < 1$で使うものだ。 でもここに無理矢理に$r = 2$を入れると、 ちょうど、 $$ \displaystyle\sum_{k=0}^{\infty} 2^{k} = \dfrac{1}{1-2} = -1 \qquad \text{(?)} $$ になる」

「これ、等比級数を求めるテストでやっちゃいけない失敗だね……でも、$2$進距離とは整合するのか。うう……これは?」

テトラ「……??」

ミルカ「この現象の数学的正当化は、楽しい仕事だと思わない?」

瑞谷女史「下校時間です」

(第160回終わり、第161回へ続く)



参考文献

『プリンストン数学大全』
『数とは何か そしてまた何であったか』(足立恒雄)
『数論入門 (現代数学への入門)』(山本芳彦)
『数学の基礎(日評数学選書)』(島内剛一)
『数—体系と歴史』(足立恒雄)
The Art of Computer Programming, Volume 4A: Combinatorial Algorithms, Part 1』(Donald E. Knuth)
『数論1 Fermatの夢と類体論』(加藤和也+斎藤毅+黒川信重)



舞台裏の数学トーク!

「うーん……」

テトラ「先輩?」

「やっぱり、わかってないなあ。自分」

テトラ「先輩! そういうときには《例示は理解の試金石》ですよっ!」

「うん。そういうんじゃなくてね、《$2$で何回割れるか》という概念がなぜ重要なのかがわからないんだよ」

ミルカ「ふうん……」

テトラ「$2$進絶対値や$2$進距離のことですね?」

ミルカ「それなら、ポリヤの問いかけ《似た概念を知らないか》はどうだろう」

「似た概念? 《$2$で何回割れるか》に似た概念で、数学的に重要なものなんてあるかなあ……」

ミルカ「もちろんある。たとえば、こんな関数列を考えてみよう」

$$ \begin{align*} f_1(x) &= (x-2)^1 \\ f_2(x) &= (x-2)^2 \\ f_3(x) &= (x-2)^3 \\ f_4(x) &= (x-2)^4 \\ f_5(x) &= (x-2)^5 \\ &\vdots \end{align*} $$

「へえ?」

テトラ「$f_n(x)$は$n$次式、ということですね」

「こういうこと? $f_3(x) = (x-2)^3$だったら《$x-2$で$3$回割れる》ということ?」

ミルカ「そういうこと」

「でも、だからといって……」

ミルカ「$y = f_1(x)$のグラフは、$x - 2 = 0$で$x$軸と共有点を持つ。$y = f_2(x)$のグラフもまた、$x - 2 = 0$で$x$軸と共有点を持つ。しかし、単に共有点を持つだけではなく、 そこで接している。$n$が大きくなればなるほど、$y = f_n(x)$のグラフは$x$軸とより緊密に接することになる」

「なるほど? $n$回微分してもまだ共有点を持つ、みたいにね」

ミルカ「つまり、ある関数が$(x - 2)^n$という因数を持つかどうか、持つとしたら《$x-2$で何回割れるか》というのは、 その関数の《$x = 2$周辺の局所的な状況》を教えてくれる

「ほう?」

ミルカ「その類比を使えば、$2$進距離を考えるというのは、その有理数の《$2$周辺の局所的な状況》を教えてくれることが期待できそうだ」

テトラ「……!」

ミルカ「$2$進絶対値、$2$進距離、そして、有理数を完備化した$\mathbb Q_2$を考えた。ここで《$2$》を《素数$p$》に変える」

テトラ「《文字の導入による一般化》ですね!」

ミルカ「そうすると、まったく同じように、$p$進絶対値、$p$進距離、コーシー列、そして、有理数を完備化した$\mathbb Q_p$を考えることができる。 そしてこれらの概念は、整数論の研究に役立っているのだ。 《素数$p$周辺の局所的な状況》を教えてくれる重要な概念として」

リサ「下校時間」

ケイクス

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数学ガールの秘密ノート

結城浩

数学青春物語「数学ガール」の女子高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わってください。本シリーズはすでに何冊も書籍化されている人気連載です。 (毎週金曜日更新)

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コメント

taka99607250 先週の引きで何やるかはわかってたけど想像以上におもしろい話の進め方で流石ッス 約13時間前 replyretweetfavorite

shigezolo リサの一言が光ります!そして、PCでビット列を扱ってると、ストンと腑に落ちますね。面白い! 約17時間前 replyretweetfavorite

515hikaru これ私もとある人に教わりましたね。 約18時間前 replyretweetfavorite

sevenedges floatみたい。 約18時間前 replyretweetfavorite