|
|
|
- 2016年06月10日12:00 / カテゴリ:海外のまとめ
- 外国人「100年前(1916年)の様子が窺える画像を貼っていく」海外のまとめツイート
Comment by sverdrupian 4,631 ポイント関連記事
ドイツのプロパガンダマップ:連合国の植民地帝国
www.reddit.com/r/HistoryPorn
外国人「古今東西の各国の軍装を紹介していく」海外のまとめ
外国人「歴史上のアーティファクト画像を貼っていく」海外のまとめ
外国人「100年前(1915年)の様子が窺える画像を貼っていく」海外のまとめ
Comment by brooklynite 4,421 ポイント
ブラックフット族のインディアンの長が1916年に蓄音機に記録を残している様子。
Comment by daddaman1 348 ポイント
↑「白人がやってきて白人に土地を奪われた。白人はクソ」
Comment by mcclever 45 ポイント
↑なんか蓄音機が羽を背後に吹き飛ばしてるように見える。
Comment by Handicapreader 4,431 ポイント
1916年のストリートギャング
Comment by yudoit 2,738 ポイント
Autopedに乗る女性。1916年頃。
Comment by rusticpenn 41 ポイント
↑セグウェイ(1916年バージョン)
Comment by 10minAIDS 12 ポイント
↑それを描いた作品大好き。
Comment by ironpony 5 ポイント
↑それ乗り回してみたい・・・この写真は1918年バージョンのもの。
Comment by bennybenners 3,022 ポイント
フランスの塹壕でテリアが15分鼠狩りをした結果。第一次世界大戦中の1916年9月。
http://livedoor.blogimg.jp/drazuli/imgs/e/a/ea7c6b13.jpg
※微閲覧注意
Comment by Zugwat 3,444 ポイント
新車に乗る曾祖母。
アメリカ合衆国西部でも新車を所有するインディアン女性は多分曾祖母が初めてだった。
1916年4月7日
Comment by Zugwat[S] 276 ポイント
↑ちなみに曾祖母は免許証より自動車の入手の方が先だった。
そもそも免許証を持っていないことで罰金が課せられそうになるまで免許証を持つという事すら曾祖母の考えに無かった。
Comment by marquis_of_chaos 2,065 ポイント
パウル・フォン・ヒンデンブルクとエーリヒ・ルーデンドルフ
1916年頃
Comment by UglyPineapple 30 ポイント
↑この二人のことを話題にしてるダン・カーリンの「Blueprint for Armageddon V」を今聞いてる所なんだけど、これ聞くとこの二人の人物像がくっきり浮かんでくるよ。
パウル・ルートヴィヒ・ハンス・アントン・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク(Paul Ludwig Hans Anton von Beneckendorff und von Hindenburg、1847年10月2日 - 1934年8月2日)はドイツの軍人、政治家。ドイツ国(ヴァイマル共和政)第2代大統領(在任:1925年 - 1934年)。
第一次世界大戦のタンネンベルクの戦いにおいてドイツ軍を指揮してロシア軍に大勝利を収め、ドイツの国民的英雄となった。大戦後期には参謀本部総長を務めた。戦後、共和制となったドイツにおいて大統領に当選。アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権樹立への道を開いた。
パウル・フォン・ヒンデンブルク
エーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865年4月9日 - 1937年12月20日)は、ドイツの軍人、政治家である。
第一次世界大戦初期のタンネンベルクの戦いにおいて第8軍司令官パウル・フォン・ヒンデンブルクを補佐してドイツ軍を勝利に導いた。大戦中期から後期には参謀本部総長となったヒンデンブルクの下で参謀本部次長を務め、「ルーデンドルフ独裁」とも呼ばれる巨大な実権を握った。最終階級は歩兵大将。戦後はアドルフ・ヒトラーと結び、ミュンヘン一揆を起こした。
エーリヒ・ルーデンドルフ
Comment by blackjacksandhookers 3,262 ポイント
ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国軍に従軍していたユダヤ人がハヌカーを祝っている様子。
1916年の第一次世界大戦での東部戦線。
Comment by [deleted] 10 ポイント
↑ひょっとしたらこのユダヤ人たちが原因でドイツは第一次世界大戦に敗戦して、それで伍長が激怒したのかもね。
ハヌカー(英語: Chanukkah, Hanukah, Hanukkah, ヘブライ語: חנוכה Chanukkâh, イディッシュ語 chaniko, chanike ; ハニカともいう)とはユダヤ教の年中行事の一つで、マカバイ戦争(紀元前168年 - 紀元前141年)時のエルサレム神殿の奪回を記念する。アンティオコス4世エピファネスと異教徒によって汚された神殿の清めの祭りである。キスレーウ(ユダヤ暦の第9月)の25日から8日間祝う。
ハヌカー
Comment by marquis_of_chaos 3,164 ポイント
荒廃したソンムの塹壕の中を歩くフランス人兵士。
Comment by ludifex 18 ポイント
↑J・R・R・トールキンはこの戦闘で戦っていてそれが彼の「モルドール」や「死者の沼地」に対する見解に強い影響を及ぼしてる。
ソンムの戦い(ソンムのたたかい、Battle of the Somme)は、第一次世界大戦における最大の会戦である。1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開された。連合国側のイギリス軍・フランス軍が同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として開始し、最終的に両軍合わせて100万人以上の損害を出したが、連合国軍はわずかな土地を獲得したにとどまり、ドイツ側は被害を最少におさえた。
大戦初期のマルヌの戦いなどに比して武器の消費量や性能も飛躍的に向上し、軽機関銃も初登場した。また当時新兵器であった戦車が初めて投入された戦いでもある。
ソンムの戦い
第一次世界大戦にイギリス陸軍に入隊し、少尉としてランカシャー・フュージリアーズの第11大隊に所属した。部隊は1916年にフランスに転戦し、トールキンもソンムの戦いのあいだ、同年10月27日に塹壕熱を患うまで通信士官を務め、11月8日にイギリスへと帰国した。多くの親友同然だった人々も含めて、自軍兵士たちが激戦で次々と命を落した。
J・R・R・トールキン
Comment by Lolkac 3,086 ポイント
1916年、ワシントンで郵便箱を宣伝するアメリカ合衆国の郵便トラック
Comment by ehenning1537 2 ポイント
↑今では大半の家はドアに郵便受けがあるタイプになっているってのが皮肉的だな。
ソース:自分が住んでいる場所。
Comment by kinjala 1,792 ポイント
まるでベルギーの首相(Vasil Radoslavov)を叱りつけているかのようなヴィルヘルム2世。場所はニシュ。
1916/05/01
Comment by Lorkhi 160 ポイント
↑叱ってる?それがヴィルヘルム2世の普通のボディランゲージだったんだよ。
相手と一対一で話す時は身体を前方に傾ける癖があった。
俺達がその癖に慣れてないのはヴィルヘルム2世は写真を撮るときポーズをしていたから(棒のように立って障害のある腕を隠してた)
他の写真がこれ。
Comment by someonesopranos 2,498 ポイント
世界で初めての黒人パイロット。1916年。
彼の祖母はBornu(ナイジェリア)出身だった。オスマン帝国軍のパイロットのアフメト・アリ・チェリクテン
Comment by inpu 127 ポイント
↑オスマン帝国と航空機が同時期に存在してるってことを考えると凄く不思議な気分。
Comment by ndydl 26 ポイント
↑公式的には1922年まで存在していたから辛うじて、だな。
関連記事
「同時期に起きていると思わなかった歴史上の出来事を外国人が挙げていくスレ」海外の反応
「同時期に生きていると思わなかった歴史上の人物2人」海外の反応
アフメト・アリ・チェリクテン (Ahmet Ali Çelikten)[1][2][3] は、オスマン帝国およびトルコ共和国の軍人。海軍航空隊の操縦士。1917年11月にフランスのラファイエット飛行団 (Lafayette Flying Corps)に加わったアメリカ人ユージン・バラード (Eugene Bullard)とともに、航空史における最初のアフリカ系操縦士とされる。
アフメト・アリ・チェリクテン
Comment by chubachus 1,470 ポイント
1916年。ヴォージュ山脈。
塹壕の中でライフルやグレネードを持ってポーズを取るドイツ人兵士。
Comment by aeroalex 82 ポイント
↑当時は口髭が標準的なユニフォームだったのはまず間違いない。
Comment by skipperbob 8 ポイント
↑そこにいたままだったのならそいつらはラッキーだったな。戦争中かなり穏やかな場所だったから。
Comment by LostInTheJapan 2,154 ポイント
ラクダに乗るラクダ。西オーストラリア州。1916年12月。
Comment by xiaorobear 1,935 ポイント
ズボンを見せる参政権拡張論者。1916年。
Comment by marquis_of_chaos 1,782 ポイント
ケンタッキー州Anthostonの有色人種学校(Colored school)。撮影はLewis Hine。1916年。
Comment by Aear 61 ポイント
↑これ見て最初に思ったのが「はぁ?カラー写真じゃねーじゃん」って事だった。コーヒー飲んでこないと。
Comment by DrMarduk 31 ポイント
↑ストーブの通風孔を見てると初期の核兵器のような感じがしてくる。
Comment by SmellsLikeUpfoo 6 ポイント
↑「昔はこんな風だった板」でスレ立てしてこいよ。この写真はあの板に完璧に合いそう。
Comment by bamassippi 106 ポイント
カレッジフットボールの歴史上最も大差のついた試合の写真。
カンバーランド大学 0 vs ジョージア工科大学 222。1916/10/7
Comment by chubachus 1,407 ポイント
防空壕で休むフランス人海兵たち。猫を抱いてる兵士が一人。1916年、西部戦線。
Comment by GoldenAgeIsAMyth 2,546 ポイント
第一次世界大戦の小康状態中に即興パフォーマンスのためにギョッとする衣裳を着るロシア人兵士。
Comment by kit58 68 ポイント
↑それは四旬斎の最後の週の間に「Maslenitsa」を祝うために使われた伝統衣装(Ryazhenye)
https://en.wikipedia.org/wiki/Maslenitsa
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D1%8F%D0%B6%D0%B5%D0%BD%D1%8C%D0%B5
この伝統はキリスト教以前の異教の時代まで遡れるものでハロウィーンのようなもの。ギョッとするとも言えるだろうけど、悪い西の魔女の衣裳と同程度だよ。
四旬斎(しじゅんさい、英語: Great Lent)とは、キリスト教(正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、プロテスタント)において、復活祭を準備する期間。
正教会では大斎(おおものいみ)、カトリック教会・ルーテル教会では四旬節、聖公会では大斎節と呼ばれるのが一般的である。
四旬斎
Comment by MrFingersEU 86 ポイント
フォース湾のイギリスの巡洋戦艦(1916)
Comment by usernamemememe 1,852 ポイント
負傷した男性の隣で助けを呼ぶために吠える赤十字の犬。イギリスのどこか。1916年。
Comment by wildcard5 2 ポイント
↑犬「やった。人が来てくれた。この男性はすぐに助けが必要なんです」
男性「おい犬。何で吠えるのを止めるんだ。俺は写真が撮りたいってのに」
Comment by chubachus 1,030 ポイント
それぞれ違うタイプのガスマスクを着用するドイツ人兵士。第一次世界大戦初期。1916年頃。
Comment by ZugNachPankow 774 ポイント
「今では彼はこのゲームを理解した」社会主義者のカートゥーン(1916)
Comment by girafa 223 ポイント
「イントレランス」の舞台セット(1916)。初めて莫大な予算が投じられたスペクタクル映画。
Comment by no-joke 7 ポイント
↑イントレランスが好きなら「カビリア」を視聴してみるべき。
これはイントレランスの数年前に公開されたものだけどグリフィスの映画にかなり影響を与えていると言われてる。
その映画の舞台セットの写真がこれ。
『イントレランス』(英語: Intolerance)は、1916年に公開されたアメリカ映画である。モノクロ・サイレント。監督・脚本はD・W・グリフィス、主演はリリアン・ギッシュ。
いつの時代にも存在する不寛容(イントレランス)を描き、人間の心の狭さを糾弾した。この物語では4つの不寛容のエピソードが挿入されている。
本作は巨大なセットを作り、大量のエキストラを動員させるなど、前作『國民の創生』よりも高額の38万5000ドルの製作費を投じ、文字通りの超大作となったものの、興行的に大惨敗した。しかし、4つの物語を並行して描くという構成や、クロスカッティング、大胆なクローズアップ、カットバック、超ロングショットの遠景、移動撮影などの画期的な撮影技術を駆使して映画独自の表現を行い、アメリカ映画史上の古典的名作として映画史に刻まれている。
そんな本作は映画文法を作った作品として高い芸術的評価を受けているだけでなく、ソ連のモンタージュ理論を唱えた映画作家を始め、のちの映画界に多大な影響を与えた。
イントレランス
『カビリア』(原題・ Cabiria)は1914年にイタリアのジョヴァンニ・パストローネが脚本・監督した、モノクロ・サイレント映画。 舞台は第二次ポエニ戦争の時代のローマとカルタゴ、ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』をベースに、ギュスターヴ・フローベールの『サランボー』(1862)やエミリオ・サルガーリの『カルタゴは燃えている』(1908)を部分的に取り入れて、ガブリエーレ・ダンヌンツィオが脚色した。
カビリア
Comment by Truth_Truth_Lie 558 ポイント
前線から一人で戻ってくるカナダ人兵士
Comment by michaelconfoy 302 ポイント
ボストンのダウンタウン、Tremont Street(1916)
Comment by anarchisto 52 ポイント
ルーマニア、ブカレスト、Piața Palatului(1916)
Comment by rhombomere 248 ポイント
僕の曽祖父が1916年にティフアナで妻や子どもと一緒にバケーションをした時のもの。
Comment by michaelconfoy 119 ポイント
27歳のアドルフ・ヒトラーが描いた「1916年の西部戦線の光景」
関連記事
外国人「ヒトラーが青年期に描いた芸術作品を貼っていく」海外の反応
Comment by notbob1959 412 ポイント
1916年、ニューヨーク、マディソン・スクエア、フラットアイアン。
Comment by thisisharmless 1 ポイント
↑そこと大体同じ場所からの光景は今日ではこんな感じ
http://qq2q.biz/uogM
Comment by DingedCorners 1 ポイント
↑歩道のクオリティを見て結構驚いた。
フラットアイアンビルディング (Flatiron Building) は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区5番街にある、高層ビルである。
フラットアイアンビルは1902年に竣工し、現存するニューヨークのビルの中でも古い歴史を持つ。高さ87mの22階建てで、完成当時はニューヨークでも最も高い建築物のひとつだった。
フラットアイアンビルディング
Comment by Rocketpie 307 ポイント
王立海軍将校の曽祖父が写真に写るためにポーズをとっているところ(1916)
Comment by smithee2001 4 ポイント
↑クッソイケメンだな
Comment by Rocketpie[S] 1 ポイント
↑有難いことに僕はこの遺伝子を受け継いでる。
Comment by chubachus 333 ポイント
イゾンツォ戦線で攻撃に出るべく塹壕から出てくるオーストリア=ハンガリー帝国軍兵士。1916年。
第一次世界大戦におけるイタリア戦線の一連の戦い。イタリア王国軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍が衝突した。
イゾンツォの戦い
Comment by marquis_of_chaos 765 ポイント
英国犬が持つキットから包帯を取っているところ。1916年頃。
Comment by Joest23 2 ポイント
↑第一次世界大戦時代のガスマスクほんと好き。見た目が奇天烈極まりないし種類も豊富。
Comment by Ioimat 1 ポイント
↑これ暗い部屋でiPodで見たんだけど今夜は眠れそうにない・・・
Comment by 337601 90 ポイント
1916年の結婚式の写真。
Comment by chubachus 130 ポイント
フランスの地下壕で時間を過ごすドイツ人兵士。1916年頃。
Comment by usernamemememe 393 ポイント
ローリンソン将軍がソンムに送られる軍隊に訓示しているところ。1916/6/29
Comment by OttoTheDude 125 ポイント
第一次世界大戦。ガスマスクを着用したイギリスのサッカーチーム。1916年。
Comment by bessiemucho 297 ポイント
ベルギー、パッシェンデールの航空写真のビフォーアフター。1916-1917。
パッシェンデールの戦い(パッシェンデールのたたかい、英語: Battle of Passchendaele、第三次イーペル会戦とも)は、第一次世界大戦の西部戦線における主要な戦いの一つ。1917年7月末から同年11月まで続いた。戦闘はイギリス、ANZAC、カナダ、南アフリカからなる連合国軍対ドイツ軍の間で戦われた。
戦場となった地域の大部分は元は沼沢地であり、雨が無くともぬかるんでいた。イギリス軍による極めて大規模な準備砲撃はこの脆弱な地表を引き裂いてしまい、8月以降の大雨と相俟って当時発明されたばかりの戦車ですら通行不能な底無し沼を至る所に作り出し、無数の兵士を溺死させることになった。これに対しドイツ軍は良好に整備された塹壕と、連合国軍の準備砲撃にもよく耐える相互に連携したトーチカ群に拠って防衛戦を遂行できた。最終的にパッシェンデールはカナダ軍により占拠されたが、連合国軍の損害は約45万人に及んだ一方、ドイツ側の損害は26万人であった。
パッシェンデールの戦い
Comment by GunRunner_ 182 ポイント
1916年のイースター蜂起でダブリンの屋上にいるアイルランド市民軍の戦闘員
イースター蜂起(イースターほうき、英語:Easter Rising、アイルランド語:Éirí Amach na Cásca[1])は、1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起である。日本では復活祭蜂起とも呼ばれる。
この蜂起はイギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的でアイルランド共和主義者たちが引き起こしたものである。1798年の反乱以降にアイルランドで起きた最大の反乱であった。
イースター蜂起
Comment by RavinDaveR 82 ポイント
テネシー州メンフィスのPiggly Wiggly一号店。初のセルフサービス食料雑貨店。1916年オープン。写真は1918年のもの。
『セルフサービスの食料雑貨店というコンセプトは、アメリカ合衆国の起業家クラレンス・ソーンダースが創業した Piggly Wiggly が起源である。彼は1916年、テネシー州メンフィスに1号店をオープンした。ソーンダースは彼の店で導入したアイデアについて多数の特許を取得した。この店は大成功し、ソーンダースはフランチャイズ展開を始めた。』
アメリカのスーパーの誕生
Comment by APictureFromThisDay 226 ポイント
ジョージア工科大学がカンバーランド大学を222–0というアメリカの歴史でも大差で勝利を収めたカレッジフットボール試合のスコアボード。
Comment by KazCarpent 72 ポイント
第一次世界大戦の病院船「ブリタニック(タイタニックとほぼ同一)」1915-1916。
ブリタニック(HMHS Britannic, HMHSはHis Majesty Hospital Shipの略)は、イギリスの客船。オリンピックとタイタニックの姉妹船で、最後に竣工した。
20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフ社の会長が、ホワイト・スター・ライン社のブルース・イズメイ社長に3隻の大型客船の造船計画を発案したのが発端である(3隻まとめてオリンピッククラスと呼ばれていた)。
1914年に進水式を迎えたブリタニックは、第一次世界大戦勃発により竣工が翌年に延ばされた。竣工直後の1915年12月12日、イギリス海軍省の命により病院船として徴用された(この時、オリンピックも軍事物質輸送船として徴用される)。船体は純白に塗られ、船体には緑のラインと赤十字が描かれた。
ブリタニック (客船・2代)
Comment by KazCarpent 197 ポイント
ニューヨークシティでの戦艦アリゾナ(1916)
Comment by yg_bluig 2 ポイント
↑このサイトによるとそれはブルックリン造船所からの処女航海だってさ。
http://www.elvisinhawaii.com/1961_history.htm
Comment by chubachus 560 ポイント
パリ、エッフェル塔の第二プラットホームで対空マシンガンを使用するフランス人兵士。1916年。
Comment by i_post_gibberish 11 ポイント
↑これってツェッペリン対策?それともドイツは実際航空機を使ってパリを攻撃してたの?
Comment by chubachus[S] 11 ポイント
↑多分この戦争中はツェッペリンのことしか不安に思ってなかったと思う。
大戦初期に偵察機が小規模の爆撃をしていたことはあったけど、1917年にドイツがゴータという重爆撃機を導入するまでは一般的ではなかったし。
ゴータ G.IV(Gotha G.IV)は、ドイツ帝国のゴータ社によって製造された双発の重爆撃機。
第一次世界大戦中の1916年に初飛行しツェッペリン飛行船に代わり1917年にロンドンを初めて爆撃して以来ロンドン空襲に参加し、ロンドン市民を恐怖に陥れた。
ゴータ G.IV
Comment by KazCarpent 320 ポイント
25セントストアでの火事(ニューヨークシティ、6番街の18番通り、1916年4月)
Comment by Cyridius 126 ポイント
イースター蜂起後のダブリン、オコネルストリートの一部。1916年。
Comment by Victoriana92 324 ポイント
ニューヨークシティ、タイムズスクエアのHotel Astor。1916年頃。
Comment by michaelconfoy 16 ポイント
1916年、アメリカ合衆国でインディアンモーターサイクルに乗る男性と女性。
Comment by Timfromct 428 ポイント
1916年のイースター蜂起中に樽を積んだ後ろから構えるイギリス兵士。
Comment by WowDidYouSeeThis 221 ポイント
練習艦として使用されたアメリカ合衆国のフランクリン。ファラガット提督の旗艦。
Comment by cam- 38 ポイント
↑ニュージャージー州の郊外を悪い意味で真似たような感じが漂ってる。
Comment by WowDidYouSeeThis[S] 2 ポイント
↑ソース:http://www.shorpy.com/node/5843
航行されていたときはこんな感じだった。1864年の所をクリックして。
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Franklin
※関連画像
デヴィッド・グラスゴー・ファラガット(英: David Glasgow Farragut、1801年7月5日 - 1870年8月14日)は、アメリカ合衆国海軍の軍人である。アメリカ海軍では初の海軍少将、同中将、同大将に昇った。南北戦争のモービル湾の海戦で「機雷がなんだ。全速前進!」という命令を出したことで、大衆文化の中でも記憶されている。
デヴィッド・ファラガット
Comment by chubachus 113 ポイント
ドイツ軍のツェッペリン前方上部の防衛用マシンガンが設置されている場所に立つ乗組員二人。1916年頃。
ツェッペリン(独: Zeppelin)とは、20世紀初頭、フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵(通称Z伯)が開発した硬式飛行船の一種を指す。
ツェッペリンの設計した船体は非常に成功し、その結果「ツェッペリン」という語は慣用的にあらゆる硬式飛行船のことを指すようになった。硬式飛行船は外殻の支持構造をもつ飛行船であり、ガス圧で外形を維持する軟式飛行船と区別される。
ツェッペリン
Comment by Larrionda 10 ポイント
ポズナンの鉄道の駅。1916年。
ポズナンまたはポズナニ(Poznań・Pl-Poznań.ogg [ˈpɔznaɲ])は、ポーランド西部に位置する、ポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都である。
ポーランド分割後、プロイセン王国に管理され、1871年にはドイツ統一となりドイツ帝国となった。
ポズナン
Comment by giottomkd 47 ポイント
シェフィールドで機械と弾薬を引っ張る象。1916年。
シェフィールド (Sheffield) はイギリスのイングランド中部の工業都市である。
人口は520,700人(2005年)で、首都ロンドン、バーミンガム、リーズ、グラスゴーに次いで第5位。都市圏人口は約180万人にのぼる。
またシェフィールド大学は5人のノーベル賞受賞者を輩出している名門大学。特に理工系に強い。 蹴球クラブの発祥地といわれる。
シェフィールド
Comment by onlysame1 58 ポイント
ミシガン州デトロイトのポンチャートレインホテルとキャデラック広場。1916年頃。
Comment by Klimbim 72 ポイント
突撃前のロシア人兵士。1916年。
Comment by cookehMonstah 166 ポイント
ロシアのログボート。
Comment by goldenkola 41 ポイント
ハンガリー軍がパレスチナのシオンの山を行軍しているところ。1916年。
Comment by bessiemucho 67 ポイント
1916年8月ニューヨーク、ユニオン広場で失業者に対して直接的行動を取るべきだと演説するアナキストのエマ・ゴールドマン
エマ・ゴールドマン(英: Emma Goldman, 1869年6月27日 - 1940年5月14日)とは、リトアニア生まれで、アメリカで活動したアナキストでありフェミニスト。
ラディカルな解放思想やフェミニズムによる著作、発言などで知られる。15歳で姉とともにアメリカに渡った。後にロシア革命期の見聞を語ることになる。またイギリス滞在歴も長く、後年にはイギリスで自伝を執筆している。日本のフェミニスト、とりわけ伊藤野枝に大きな影響を与えた。
エマ・ゴールドマン
Comment by centralpost 31 ポイント
ニューサウスウェールズ州のパン屋の貨物自動車。1800個のパンを運ぶことが可能だった。1916/4/5
Comment by Harvo 43 ポイント
イングランド、バーミンガム、Oldbury Carriage Worksの第一次世界大戦の戦車工場。1916年。
Comment by michaelconfoy 25 ポイント
ワシントン、Keith's Theater近くの通りの様子。1916年。
Comment by saltnotsugar 34 ポイント
第一次世界大戦時のドイツ軍の偵察気球。フランス、エカンクール。1916年。
Comment by KazCarpent 78 ポイント
第一次世界大戦。フランス、サン=ラファエルに到着したAnnamese(ベトナム人)兵士。
当時フランスの植民地で「フランス領インドシナ」として知られていた。1916年頃。
Comment by lilyputin 34 ポイント
1916年にニューヨークシティのポロ・グラウンズでされた陸軍 vs 海軍の試合。
ポロ・グラウンズ(Polo Grounds)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市アッパー・マンハッタンにかつてあったスタジアム。
ポロ・グラウンズ
Comment by namraka 21 ポイント
ロンドンのMarylebone Grammar Schoolで徴兵された二人の男性が健康診断を受けているところ。1916年。
Comment by WowDidYouSeeThis 108 ポイント
ニューヨーク、ロチェスターの33番街のTheodore Woodsが作った1916年のスノーモービル。
Comment by kirbyfood 314 ポイント
アメリカ自然史博物館で展示するためにディプロドクスの前肢を組み立てている博物館職員。
Comment by brurino 25 ポイント
第十一次イゾンツォの戦いの前に写真撮影をするイタリア将校。1916/08/17。
第十一次イゾンツォの戦い(Eleventh Battle of the Isonzo)とは、第一次世界大戦中のイタリア戦線で、イタリアとオーストリアの間で発生した戦い。
10度目の攻勢から数ヵ月後、ルイージ・カドルナ参謀総長は戦争決着を望んで、イソンゾ戦線最大の攻勢計画を発動した。戦いにはこれは全軍の70%に相当する歩兵600大隊と5200門もの大戦力が投入され、トルミーノ占領を最終目標としていた。
戦いでオーストリア・ハンガリー軍は14万名の死傷者を出し、2万名が降伏した。もはやオーストリア・ハンガリー軍は戦線崩壊の瀬戸際に追い込まれており、再度の大攻勢に耐えられる状態には無かった。しかし対するイタリア側の損害も決して少なくはなく、直ぐに次の攻撃には移れなかった。また攻撃後の編成では第3軍は二つの軍団に分けて占領地に配置されていたが、これは戦線に致命的な弱点を残してしまっていた。
オーストリア・ハンガリー軍の危機にドイツ軍は第12次攻勢で遂に参戦し、この弱点を利用した新戦術によって戦況を大きく覆す事に成功する。
第十一次イゾンツォの戦い
Comment by 12-Volt 71 ポイント
ニューヨークシティ、マンハッタン、リトルシリアの住民に冷たい飲み物を提供するアラブ人の移民。
Comment by NMW 57 ポイント
移動型伝書鳩の鳩舎に改造されたB型ロンドンバス。フランス北部。1916年。
Comment by WowDidYouSeeThis 29 ポイント
参政権拡張論者のAlice BurkeとNell Richardsonが「Golden Flyer」に乗ってニューヨークから国を横断する旅行を始めるところ。
1916年4月6日
Comment by 12-Volt 60 ポイント
早稲田大学の学生。日本、東京、新宿。1916年。
Comment by culdigital 55 ポイント
アメリカとメキシコの国境で使用されるために送られた武装化モータートラック。1916年頃。
Comment by H79er 21 ポイント
学校で卓球をする中国の子供達。1916年。
Comment by Odyssa 81 ポイント
初期の心電図検査。
患者は電気信号を皮膚から機械に伝えるために手と左足を塩水につけている。
ロンドンのNational Heart Hospital。1916年。
Comment by huphelmeyer 19 ポイント
1916年にUボートに沈められたキュナードクルーズの「Franconia」のジムで運動する乗客。
サンドバッグや初期のサイクリングマシンなどが。
Comment by chubachus 77 ポイント
東部戦線で地下壕を作っている最中のドイツ人兵士。1916年頃。
Comment by Dokky 106 ポイント
チェスをするドイツ人捕虜。ケリュー。1916年10月。
Comment by texanwill 24 ポイント
St Louis Coliseumで開催された1916年の民主党全国大会
Comment by chubachus 15 ポイント
ドイツのツェッペリンLZ93のゴンドラ。乗員のためのパラシュートが外部に備え付けられてある。1916年頃。
Comment by KazCarpent 19 ポイント
第一次世界大戦。
ドイツのDFW C.V航空機(1916-1918。場所は不明)
Comment by KazCarpent 90 ポイント
第一次世界大戦。火炎放射器「Kleif Model 1916(ドイツ)」
※タイタニック内のジム(1912)
<募集>
柊りんのイラストを描いていただける方を募集しています。
稿料は希望額をお支払いいたします。
詳細は「こちら」から
<お願い>
コメント欄において記事内容と全く関係ない署名活動、政治活動をすることはお控え下さるようお願いいたします。
<記事について>
・このサイトではすぐ記事にするという事はせずしばらく時間が経って十分にコメントがたまってから記事にするようにしています
そのため速報性のようなものはなく、意図せず他サイトさんとネタが被る場合があります。
・記事が長すぎるという指摘を受けて以来注意するようにしていますが時々長くなりすぎることがあります。
<コメント欄の規制について>
コメント欄がライブドア側によって規制されています。
問題があると判定されたコメントは「このコメントは削除されました」と表示されます。
柊りんのイラスト一覧
柊りんのイラストのリクエスト
暇劇あぷろだ
柊りん&オコジョMMDモデルのダウンロードはこちらから
2012年に更新した記事まとめ
2013年に更新した記事まとめ
2014年に更新した記事まとめ
2015年に更新した記事まとめ
このサイトについて(アクセス禁止基準など)
翻訳担当:オコジョ
感想担当:柊りん
柊りんのイラストを描いていただける方を募集しています。
稿料は希望額をお支払いいたします。
詳細は「こちら」から
<お願い>
コメント欄において記事内容と全く関係ない署名活動、政治活動をすることはお控え下さるようお願いいたします。
<記事について>
・このサイトではすぐ記事にするという事はせずしばらく時間が経って十分にコメントがたまってから記事にするようにしています
そのため速報性のようなものはなく、意図せず他サイトさんとネタが被る場合があります。
・記事が長すぎるという指摘を受けて以来注意するようにしていますが時々長くなりすぎることがあります。
<コメント欄の規制について>
コメント欄がライブドア側によって規制されています。
問題があると判定されたコメントは「このコメントは削除されました」と表示されます。
柊りんのイラスト一覧
柊りんのイラストのリクエスト
暇劇あぷろだ
柊りん&オコジョMMDモデルのダウンロードはこちらから
2012年に更新した記事まとめ
2013年に更新した記事まとめ
2014年に更新した記事まとめ
2015年に更新した記事まとめ
このサイトについて(アクセス禁止基準など)
翻訳担当:オコジョ
感想担当:柊りん
なんとまあ
ttp://drazuli.com/upimg/file11020.jpg
集合写真とかでも、
おじいちゃんが群を抜いてイケメンやったからちょっと嬉しかったわ
なお遺伝はない模様
ttp://drazuli.com/upimg/file11021.JPG
映画化するんだっけ
ま た c i v か !
……え?違う?(すっとぼけ)
こっちの事かと思った、劇版アニメかw
ttp://drazuli.com/upimg/file11022.jpg
画像みて、歴代オコジョが飾られてるようにみえますた
これがなんかいいな!
Wikiの体操着の項目は、職場での閲覧注意。
「1915年当時の日本の様子が分かる貴重な彩色写真」
ttp://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/5225190.html
ttp://drazuli.com/upimg/file11023.jpg
2005年の日本シリーズで最も大差がついたスコア
まあ時期が時期だからねぇ
日本でも「1942年の日本の写真」ってテーマで集めたら戦争関係のが圧倒的に多くなるだろうし
WW1真っ只中の欧州なら似たような感じじゃないかな
(アメリカの写真は対照的に日常的なのが多いし)
ニューヨークのビルは現役みたいね。
※23
ttp://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/7209102.html
こういう記事があるよ
一般レベルで言えば明らかに上手い人だけど絵だけで食っていけるかと言われたら……みたいに、上手下手どっちの評価にもツッコミが入る感じの
電気がハイカラだった時代か。
※10
まあ、間違ってはいない。正しくもないが。
最後のNがИ("ろしあ"で変換)になってるのが時代というか。
まさにロシア革命の時代だし。映画の内容は知らんけど。
餌が何かって? ご想像の通りだと思うよ
こりゃ美大に落ちるわって感じだね
ボーイング社が1916年設立だそうだ
日本だと明治製菓の前身、東京菓子株式会社や
工画堂なんかが1916年らしい
ユトランド沖海戦終結(戦艦だけで28対16の艦隊決戦)
ヴェルダンの戦いの独軍攻勢限界、ヴォー要塞攻防戦(10ヶ月続いたヴェルダン戦全体では100万人死傷)
東部戦線にてロシア軍のブルシーロフ攻勢開始(三ヶ月続いて最終的に230万死傷、オーストリア軍ほぼ壊滅)
100年前の貞操の概念を思えば当たり前ですやね。
水着といえば、横縞の全身を覆うものだった時代。
そもそも、先進国の女性に選挙権すらなかった。
20世紀初頭はフィギュアスケートとか男性もスーツで踊ってたので
特に男女差別がどうこうって話ではないと思われ
女子も陸上競技の時はさすがに動きやすい服装してたし
男の人みんなカッコいいわ!
しかも上に乗ってるラクダが服着てるみたいに見えてよけいにシュール
当時の多様性に富んだ文化、生活が垣間見える素晴らしい写真が残っております
東日本大震災の津波の映像は残ってそうだ
ハワイで文明化するんじゃ(おめめぐるぐる
ブルドッグかと思ってた
ハイカラ、というか最先端てニュアンスだったらしいですね。
そういや日本軍の戦車を目にした中国人達は
「(´TハT)アイヤ~電気牛アルぅ~」
とパニクったとか。因みに明治時代の最先端を意味する言葉は「イージー(easy)」だったそうです。
昔、叔父に見せて貰った雑誌「太陽」に載っていた大正~戦前の邦画のスチルが今も頭を離れない。
時代劇が娯楽性や活劇性を追求しすぎた余り、考証?ナニソレ美味しいの?なカオスな作品が多かったのだとか。
術を私利私欲に用いた為に破門され、逆恨みした陰陽師が巨大な狒々を召喚!京の都で暴れまくる!とか。
密貿易で手に入れた数々の南蛮渡来の武器を駆使し幕府転覆を目論む一党‼その切り札は身の丈3mばかりの・・・ロボット?!
そして怪傑ゾロをそのまま時代劇に換骨奪胎した「奇傑・隼」
フィルム、何処かから発見されませんかねえ?
キングコングに便乗バレバレだけど設定で説得力を持たせた一本目。五重の塔を手前に両腕を振り上げ。
ドラム缶に手足が生えたような、ドーモくんぽいけど可愛いげの無い顔のロボットを取り囲む数名の武士。
仮面の忍者赤影に口髭とマントを追加したような奇傑・隼。
いずれもモノクロのスチルがインパクト強。
観とう御座るよ。
もう絶対アニメ化はさせないって言ってたのに
何かあったのかね?w
失礼な! スレに上がっていた絵はそんなに悪くないぞ‼ なかなか上手いシュールレアル絵画じゃないか‼
…え、違うの?
毒ガス戦の跡か?
とにかく何でもありの欧米人が無双していた時期か。
日本軍は正直に戦い濡れ衣を着せられ、欧米軍とアジア裏切り支.那軍は結局何でもありを戦後隠蔽。
何事も最後は勝たねばならないという事実。
正直者は時に大きな代償を背負わされるという、なんと生々しい教訓か。
「カバネリと戦ってました」