こんにちは。しっきーです。
このたびは、「電ファミニコゲーマー」さんの媒体に記事を寄稿しました。ぜひ読んでください。
「しっきーのブログ」もけっこう長い間やってるんだけど、寄稿するのって初めてなんですよね。商業媒体は色々とめんどくさそうでお話は断ってきたんですけど、今回は単純にやってみたかったので書きました!
「電ファミニコゲーマー」は、ゲーム特化型のキュレーターメディアということですが、立ち上げからあまり経ってないのでこれからどういう媒体になるのかワクワクしますね。
すでに色んな企画をやっていて、例えば
ゲームの新人賞もあります。こういうことするのは出版社っぽいですね。
みなさんも読んだと思いますが、ゲーム業界の偉人へのインタビュー集である「ゲームの企画書」は話題になってますね。
日本のゲーム産業は会社の枠組みが強くて情報を外に共有する文化があまりなく、出てこない人の証言は本当に出てこないので、大変に重要な仕事だと思います。
内容自体もすごく面白いので絶対に見て損はないです!
そして、恐縮なのですが、僕は鳥嶋和彦氏のインタビューに宛てて記事を書かせていただきました。
寄稿記事の内容は、出版文化が黎明期のゲーム産業に大きな影響を与えていたという元記事に対して、今のソシャゲもその文脈にあるよねってことを指摘して、じゃあそこで何が問題になっているか……ということを書いています。
他のゲームライターさんなども電ファミに寄稿していて、僕は年齢的にはおそらく下のほうなのですが、自分が何を書くべきかと考えたときに、「当時はすごかった!」みたいなことを言うのは違うと思ったんですよね。だから、捉えようによっては生意気に思われる内容の文章かもしれませんが、特に他意はないです。
ただ、実際に出版文化と親しい日本のゲームが行き詰まっている部分はあって、牧歌的ではなくなってしまった時代ゆえの難しさには、今みんなが直面しているものだと思います。
例えば「Unity」などのフレームワークで簡単にゲームが作れるようになった一方で、ツールが更新されるほど求められるクオリティの水準も上がってるので、簡単になったぶんだけ難しくなったこともあるわけです。
「ゲームの企画書」では、初回で田尻智が出てきたのが衝撃でした。
『ゼビウス』のデマを広めたと思われて仲間から嫌われていた田尻智を、開発者である遠藤雅伸がゲーセンに出向いて、みんなで握手して仲直りしたという逸話があるのですが、なんというか、「いい時代」ですよね。その田尻智と遠藤雅伸がインタビューで語り合ってる姿も感動的です。
ただ、これを受けて、「なるほどね。その理屈なら、宮本茂が清水鉄平とJINを許せばポケモン以上の作品が生まれて、和ゲーが再び世界市場をとれるかもしれない!」みたいなことを言ってしまえば、冗談でも冗談じゃ済まない感じになるくらい、今は色々な面倒くささがあるわけです。
アフィリエイトやアドセンス広告の仕組みがなければ、元は単なるゲーム好きだった人間が、業界のサイトから名指しで批判されるみたいなこともなかったでしょう。
そういった中で、これからやっていくにはどうすればいいかということですが、記事中でははっきりとした解答は出せませんでした。ノスタルジーに頼るべきではないし、だからと言って海外はすごいから日本も同じことをやればいい、という話でもない。
僕なりに何かしらアクションを起こしたいとは思っていて、いろいろと準備したりはしているのですが、実現できるかはわかりません。簡単なことではないしね。
ともかく、寄稿記事はそれはそれで内容があると思ってるので、外部サイトですが、ぜひ見てください。さすがにこの記事をここまで見ておいて寄稿のほうは見てない人はいないと思うけど、念のため最後にまたリンクを貼っておきます。
一応公式サイトのリンクも。