近場の大型スーパーに入っている某テナントの粉もの屋には、もう二度と行かないと心に誓った。とりあえず聞いてくれ。
カフェで読書が好き
いい歳こいたおっさんだが、この時期はスタバやドトールでアイスコーヒーを片手に読書に耽るのが最高に楽しい。家にいると数多の誘惑に圧倒されて進まない読書も、こういう落ち着いた場所でお金を出して座っていると、不思議と身が入る。少しこじゃれた気分になるのも要因のひとつであろうが、ともあれ読書が進むの言うのは大変に喜ばしいことである。
カフェに限らず、とにかく何らかの飲食を伴うお店で腰を落ち着けるのが好きなのだが、近場に魅力的なお店がないのが現状である。町へ行くにも「良し、いくか」くらいのエネルギーを要するほどに、それなりの距離がある。嗚呼、スタバが3軒隣にできないものか、と妄想しては消えていく。
灯台の元
近場にある大型スーパーに、そういえば小さな粉もの屋が入っていた。連日のように買い物へ行く際には、横目にスルーしていたこのお店も、実は身近に隠れたお気に入りスポットになり得るのではないか。何気なく入って気に入れば、いつのまにか僕はお店の常連になり、ある日素敵な運命の出会いが待っているのではないか...と妄想のあまり望みの薄い領域まで拡大した自分の心を落ち着かせつつ、その日はついにあるメニューをオーダーしてお店に入ることを決意する。
「チーズたこ焼きください」
620円だった。奥の方で洗い物をしていた女性がカウンターへ出てくる。面倒くさそうな、決して愛想の良いとは言えない年のころ50台後半のおばさんだろうか。「どれにします?」無機質な抑揚の問いかけが僕に投げかけられる。
飲食店に限らず、サービスにおいて接客というのはあまり期待していない。かつてファミリーレストランで徹底的塩対応を受けた際にこれは悟った。僕は支払う対価については、あくまでも商品に支払うつもりであり、別にスマイルが欲しいわけではない。もちろん、もらえれば嬉しいけれど、その時はラッキーくらいに考えていたほうが健全だ。
ふてくされたように見えるおばさんのスマイルなんていらぬ。「チーズたこ焼きください」「620円です」淡々とやり取りは進む。おばさんは少し横にずれて、ホットウォーマーのスライドドアを開け、そこから作り置きのたこ焼きを取り出し、おもむろにチーズを振りかけ始めた。作り置きか。まぁ焼きたてではなくても、それなりに美味しければいいかな。そんな風に高をくくってその場は何も考えずに商品を受け取り、席に着く。
場末の粉もの屋
すすけたテーブルが並びの悪い歯の如く、ガタガタと並んでおり、鉄骨むき出しの冷たそうで武骨な椅子がそれらと奇妙に調和している。場末の粉もの屋か。まぁ、エグゼクティブな椅子でゆるりと寛ぎたいのであればそれなりのお店で別の次元のお金を支払えばいいわけだし、ここについても特に嫌な気持ちは起こさなかった。
ただ、対比すると、やはりスタバやドトールというのは寛ぐ場所としては洗練されているなと感じる。それなりにオシャレなテーブルにそれなりにオシャレな椅子、店全体に漂うどこか落ち着いた雰囲気は、場所代として多少高いコーヒーを飲むことに何の抵抗も感じさせない、そんな魅力があるように思える。所詮は大型スーパーの閑散とした飲食店、求めてはいけないところなのだろう。そんなことを考えつつも
たこ焼きを一口、口にしたときに事件は起きた。
ぬるいゴムに冷めたチーズを乗せたのか?
比喩すると、これ以外に適切なものが思い浮かばない。グニュグニュとした触感、鮮度の悪いタコ、その上には冷たいとすら思えるほどに全くとろけていないチーズ。それが口の中で異様な存在感を放つ。不味い。食い物がこんなに不味いと感じたのは久々だった。
その瞬間から、今まで何気なく通り過ぎてきた物事すべてに、負のバイアスがかかりはじめる。愛想の悪い店員、それなりの値段のたこ焼き、小汚い飲食コーナー、とどめに冷めゴムたこ焼きである。僕が頼んだのは620円のたこ焼きのはずなのに、何か別のものが出されて困惑している。これは何という商品なのか、そして、いったいどのような罰ゲームなのだろうか。閑散としている理由はなるほど、ここにあるのかもしれない。とにもかくにも究極に不味い。
おそらく、作ってから2~3時間は経過していると思われる。それに何の臆面もなく仏頂面で冷めたチーズを乱暴に乗せ、僕から620円の金銭を受け取ったのだ。
失敗した
一個食べて、トレイ返却コーナーに残りの7個のたこ焼きを半ば突き返すかのように残してやればよかった。クレーマー気質の人なら「責任者を呼べ」と大騒ぎし、こんこんと苦情をまくしたてたに違いない。それほどまでに、この罪深い創作料理は負のエネルギーを有している。
本当に危険すぎる、危機管理がまるでできていない。何の疑問もなく、作り置きの不味いたこ焼きを客に出して、その日の仕事を終えることができる従業員が存在していることがあまりにもリスキーだ。それとも、会社の方針なのだろうか、作り置きのたこ焼きも積極的に客に出せというのは?
だとしたら、もうその会社自体が終わっていると言わざるを得ない。こんなに簡単に回避できる最悪の対応を回避しない会社などは、斜陽とかそういう次元じゃなくて、もう悪なのではないか。
銀だこを見習ってくれ
僕は別にこの店を愛していないし、この事態に善意による提言などをするつもりは毛頭ない。とにかく、もう行かないということは心に誓った。で、無意識のうちにクチコミで広めてしまうと思う。「あそこのたこ焼きだけは食うな」と。そうやって悪評が広まるのは、このような対応をしたお店に責任があることを誰が否定できようか。
別に百万ドルの笑顔を見せろとか、お客様は神様だとか放言するつもりは一切ない。ただ、値段に応じた食い物くらい出せよ。620円も支払わせて、あんなに不味いものを食わすとか、どういう趣味をしているのだ。
何か特別なパワースポットになっていて、そこで飲食すれば何らかの神秘的エネルギーが得られるような付加価値でもあるのか。あの鉄骨椅子に座って、そんなものが得られたとは思えないし、ただただ切ない気持ちになっただけだ。
強いてあげるなら、ほかのたこ焼き屋の価値を相対的に高めてるとは言える。
銀だこが無性に食べたくなる時ってあるよね pic.twitter.com/Z7BDEHAm7e
— ポジ熊 (@poji_higuma) 2016年6月6日
銀だこが大衆たこ焼き店として成功している理由はなんだろうか、それは支払った商品にそれなりの価値があるからなんじゃないのか。特別に美味しいというわけではないのだけれど、ここには少なからず「また食べたい」と思えるようなたこ焼きが売られている。少なくとも、数時間経過した出来損ないのぬるいゴムのようなたこ焼きは食わされない。
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いやほんと、作り置きはやめろって。混雑時に来客を見越してストックしておくなら、回転が速くて今回食わされた禍々しいたこ焼きにはならんのだろうけど、客足がある程度引いたら、ツーオーダー(注文の都度、作ること)に切り替えろよ。こんなことを繰り返してたら、まじで客がいなくなるぞ。そのような悪評が広まってもなお「ストックは時間がたっても出す」という方針をとるような店は、潰れてどうぞって心の底から思う。