ルイです。
うつ病のひきこもりです。
わたしは他人に厳しい人が苦手です。メンタルが豆腐のように弱いので、少しキツイこと言われたくらいで心が折れてしまうんですよね…。
世の中には他人にすごく批判的な人もいます。「自分はああならないようにしよう」と思って暮らしていたのですが…最近自分もそういう人たちと同類のような気がするのです。
自分が越えたハードルを誰かにも求める
わたしはいわゆる優等生タイプな生き方をしてきました。成績もよかったですし、親や先生から目をつけられることもありませんでした。受験や就活も自分の力でなんとかしましたし、就職後もわからないことはできるだけ自分で調べるようにしていました。
もちろん他人の力を借りることも多かったのですが、基本的に「最終的に頼れるのは自分」という考えを思っているので、自力で人生をどうにかするのは当たり前、と考えていました。
そういう生き方をしていると、自然と他人に厳しい目が備わってしまうんです。具体的に言うと、「なんで受験勉強しなきゃいけないってわかってるのにあの人は勉強しないんだろう」「なんで就職しないと後の人生しんどいって目に見えてるのに就活しないんだろう」とか、批判的なことを考えてしまうんです。
自分が努力して越えてきたハードルを越そうとしない人を見ると、「なんで?」と訝しんだ目で見てしまう自分がいるのです。当事者にとっては余計なお世話であるにもかかわらず。
自分に厳しいと他人にも厳しくなる
わたしは「自分が越えられたことなんだから他人も越えられて当たり前」と考えていました。人それぞれ得意なことも好きなことも違うのに、自分と違う生き方をしようとしている人を、無意識に排除しようとしていました。
他人がどういう生き方をしていようと自分には関係ないはずなのに、自分が進んだ道以外の道を歩もうとしている人を見ると、つい批判的に考えてしまうんです。同調圧力とでもいうんですかねえ…。「わたしが苦しんだんだからお前も苦しめ」ってとこですか。うわあ、イヤな先輩だわ。
わたし自身は、自分が「他人に厳しい」人間だとはつい最近まで自覚していませんでした。自分にだけ厳しくしていればいい、他人には優しくしていよう、と努めてそう思うようにしていました。
しかし、ある日大学時代の尊敬する先生とお話しした時、言われたことがあったんです。
「自分に厳しい人って、結局他人にも厳しいんですよ。自分ができることを無意識に相手にも強要してしまう。そして相手ができないと、『なんだ、こんなこともできないのか』と失望し、相手の可能性の芽を摘んでしまう」
「自分に厳しい人は、他人に期待しなくなって、自分で仕事を抱え込んでいってしまう。他人が自分の求めるラインを越えられないことが許せなくなって、自分で全部仕事をするようになってしまうんです。これは良くない働き方ですよ」
この言葉に、わたしはハッとさせられました。うつ病で休職する直前の自分の働き方そのものだったからです。「他人に教えているひまがあったら自分で仕事をする方がまし」そう勘違いして、いくつも、いくつも、いくつも、仕事を抱えていたんです。
完璧主義はうつ病のモト
わたしは自分が完璧主義だったことを思い出しました。自分が納得いく結果が出るまで寝食を忘れてやりこんでしまうような性格だったことを思い出しました。そして、自分と同じようにできない人に、無意識に厳しい目を向けていたことを思い知りました。
自分は他人に優しくあろう、と考えていたのに、結局根底のところでは他人に厳しい批判者だったのです。先生の言葉を聞いて、自分がいかに自分のことを理解していなかったかを痛感しました。
自分に優しくしないと、他人にも優しくなれない。真に寛容な人は、自分にも寛容さを持って接している。完璧主義を貫いていると、他人にも厳しくなるし、自分で問題を抱え込みすぎてうつ病にもかかりかねない。
もう少しちゃらんぽらんに生きられるようになったらいいなあ、と思います。何をするにしても突き詰めがちな性格なので…。もっと自分に対しても他人に対しても「まあいいじゃん」「どうでもいいじゃん」「人生そんなもんさ」と寛容に構えられるように生きていけたら、わたしのうつ病ももっと改善されていく気がします。
一朝一夕にできることではありませんが、少しずつでも、自分や他人に寛大な人間になれたらいいなあと思います。
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