今や人間は動物ではなくて社会的個体なのかな。生き延びて子孫を増やす、と言うことに興味が無くなり、自分が他人と違う存在であることに一生懸命だ。手に入りにくい商品、値段の高い商品、他人が選ばない商品を選択し、一言では語り切れない生き方をして(マイルドヤンキーとか言う言葉で一括りにされるのはまっぴらだ)、この世界で個性的な選択と人生を送っている俺は特別なんだ、と世界にアピールしたい。
しかし、この世の中は情報と分析に溢れ、貴重な商品だと思っていたものはネットを見ると大勢の人が入手してた。俺にしか生きられない人生だと思ってたら、似たような趣味の人がいて、そういう生き方をしている人たちはカテゴリー化され、俗称を付けられる。そういった俺を追いかけてくる消費生活から逃げて、或いは常に最先端、尖った場所にいなくちゃ俺のアイデンティティが埋没してしまう。
いつしか消費は便利と快適を買うことではなく、自分を表現する手段になった。表現のためには敢えて全然便利じゃなくて、丈夫じゃなくて、高い商品を購入することもある。なぜ俺はオンリーワンで無くてはダメなのか?隣に座っている冴えない奴と同じでは我慢できないのか。
孤独なオジサンを見た。彼にリアルな人間関係は無く、Facebook, LINE, Twitterで自分の行動と購入品をアップする。それにコメントを付ける同じ孤独な人間たち。このコメントが人工知能によるものだったら、彼はまさに幻想の中で生きている。誰かに自分は他人と違うとアピールしながら、実は誰も彼に関係しておらず、彼は孤独なのだ。それに気づかず死んでいく。社会的個体になると言いながら、俺たちは孤独に向かって走り続ける。嫌な言葉を投げつけられたり、無視されるくらいなら俺用にカスタムされた人工知能が相手してくれた方がイイや。