宝島社ネトウヨ疑惑

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    宝島社の雑誌休刊の記事でも書いたのだが、私は今宝島社の出版物がネトウヨに何らかの影響を与えたのではないかと考え始めている。それは古本屋で「別冊宝島特別編集 宝島30」(1995年9月号)という雑誌を見かけたのがきっかけだった。

    注・画像は管理人が持ってる号とは異なります
    表紙に「特集 韓国・アメリカの反日」と書いてあり、アメリカはともかく「20年も前に韓国の反日が日本人の怒りを買っていたのか・・・」と100円だったので特に中身も見ずに買ってきたのだが、その特集記事「反日主義という韓国の病」は姜尚中批判や強制連行否定で知られる鄭大均によるものであり、他の記事を見ても何となく北朝鮮や左翼への批判が多いように感じられた。
    ちなみにこの雑誌が出た1995年は、金日成が死去した翌年だ。このときは「現代コリア」系の論者など各種専門家が北朝鮮崩壊説を主張することが多かったようである。(なぜかいまだに崩壊していないのだが)
    だから金正日時代の初期であり、この頃の北朝鮮の恐ろしさは飢餓や独裁がメインだったであろう。金賢姫が田口八重子さんとの生活を詳細につづった「忘れられない女 - 李恩恵先生との二十ヵ月」が出たのもこの年で、この本には当時知られていなかった他の日本人拉致被害者の存在もほのめかされている。
    よど号グループ関係の小川淳が金日成の死を悲しむ人民の写真や世界各地の人々の声を集めた「慟哭の民」とかいう本は見たことあるけど、昭和期に見られた左翼が北朝鮮を訪問してその主体ぶりを絶賛するようなヤラセ本はもうさすがに出ていなかったのではないかと思う。北朝鮮以外でいえば、地下鉄サリン事件や阪神大震災が日本に暗い影を落としたけっこう印象的な年だった。
    90年代後期は全体的に80年代や昭和のノリを否定する傾向が強かったのだが、この「宝島30」を見ていてもやはり左翼のメッキがはがれてきたのがこの頃なんだろうなという雰囲気が何となく感じられる。社会党が社民党と名を変え没落したのもこの翌年のことだ。

    サブカル保守(映画評論家町山智浩アメリカ日記 2006年3月7日)
    http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060307 

    『宝島30』は、もともと自分で提案した企画で、誌名も石井局長と二人で考えた(僕がちょうど30歳になろうとしていたから、30代のための『宝島』という意味だった)。
    ・・・
    その他に、張明秀先生の朝鮮総連内部告発の連載を担当した。
    張先生の兄弟をはじめ北に渡った在日僑胞の多くが粛清で殺されている事実を暴露し、
    日本人の拉致や北からの工作員上陸に総連が関わっている事実を告発した。
    また、和田春樹岩波書店の安江社長がいかに北朝鮮の事実を捻じ曲げて報道しているかを検証し、彼らを「金日成の手先」呼ばわりしたので、先方の弁護士から内容証明もいっぱいもらった。返事は僕が自分で書いた。
    安江社長には僕が直接電話して『世界』が北朝鮮を天国のように報道してきたことの責任を追及した。そのやりとりは連載を単行本にしたこの本で今も読めるはず。

    徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち
    作者: 張明秀
    出版社/メーカー: 宝島社
    発売日: 1994/11
    メディア: 単行本

    この連載は92年だが、すでに辛光洙(シン・ガンス)の対日工作の詳細を告発していた。
    しかし、当時はまだ日本のマスコミや社会党は北朝鮮による拉致や工作を否定していたので、まったく話題にならなかった。
    なにしろ同じ宝島社で大韓航空機爆破事件を韓国の自作自演とする本が出ていた時代だ。
    僕は、知り合いの雑誌や新聞に本を送って取り上げて欲しいと頼んだが朝日、毎日はもちろん、読売や新潮や文春も載せてくれなかった。
    「北朝鮮による対日工作を事実と断定しているが、まだはっきり実証されたわけではない」と言われたことすらある。
    書評で取り上げてくれたのも産経新聞だけだったので本当に失望した。
    社内的にもまったく評価されず、僕は『宝島30』をクビになり、社内に居場所がなくなって(文字通りデスクを窓際に回された!)、子会社に出向。96年末に退社して渡米した。
    ・・・


    町山智浩はTBSラジオとかに出て映画評論やっているのを聞いたことがあるけど、90年代前半に「宝島30」で北朝鮮批判を展開していたことは上の記事で初めて知った。「徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち」も、もともと宝島30の連載だったようだ。

    徐勝は民主化運動で名の知れた在日で、よく弟の徐京植とセットになっている。1970年代に韓国でスパイ容疑で逮捕された政治犯で、岩波新書から出ている「徐兄弟獄中からの手紙」とかいう本は「韓国からの通信」みたいに南朝鮮の解放を願い自主平和統一を願う左翼に愛読されていたに違いない。

    また自分の買った宝島30にきむ・むいというルポライターの「亡命者の来日 朝鮮総連の罪を問う、祖父から孫への長い旅」という記事が載っているのだが、ウィキペディアによればこのライターはなぜか同じ年に死んでいる。この死については、1994年に「チマチョゴリ切り裂き事件の疑惑」としてチマチョゴリ切り裂き事件に疑義を唱えたことから、北朝鮮関係者に消されたという噂もまことしやかにささやかれている。
    ともかく70年代にヒッピー雑誌で始まり今はファッション雑誌で知られる宝島社が、宝島30を中心として反北朝鮮という一面も開拓していたことは分かった。で、なぜこれがネトウヨに影響を与えていると考えるようになったかというと、町山氏が「サブカル保守」と形容しているように宝島30や別冊宝島のマスコミのタブーに挑戦するみたいなノリが現在のネトウヨとダブってしまうのである。

    あと宝島のほかにも、江戸しぐさでちょっと名前の出てきた「新しい歴史教科書をつくる会」という自虐史観を否定するグループもこの翌年に出てきており、ネオナショナリズムと呼ばれる大きな動きになったとのことだ。ネトウヨ層が形成されるにあたっては日韓W杯・韓流ドラマのゴリ押しからの「マンガ嫌韓流」が決定的な契機ではあったと思うのだが、厳密には韓国がほとんど注目されていなかった90年代半ばからアンチ左翼として始まった流れなのかもしれない。
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      • 2016.05.31 Tuesday
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