その昔『一億総ツッコミ時代』という本を読んだ。恐らくその秀逸なタイトルに惹かれ、手に取ったものだと思われる。
正直いうと内容については全く覚えていない。だがこの『一億総ツッコミ時代』というタイトルについては、未だに言い得て妙だと思いを馳せることがある。少なくとも「一億総活躍時代」よりはよほどしっくりくる名称だ。
どこかでこんな話を聞いたことがある。例えばラジオで出演者が噛んでしまった回があるとする。すると、その回の反響は誰も噛まなかった回と比べて倍ほどあるらしい。おもに「噛みましたね!聴いていましたよ!」といった内容の便りが大量に来るそうだ。
どうやら大衆は誰か他人に対して指摘をせずにはいられなくなっているらしい。誰しもがツッコミであろうとしているようなのだ。思えば日常にはツッコミで溢れている。例えばいい歳して働いていないとツッコミが入るだろう。電車で化粧をしていると、ブログで不謹慎な発言をすると、スタバで薄いパソコンを広げていると、我々はツッコまれる。保育園が足りなくて働きに行けないとツッコむし、米国の大統領が広島で謝罪をしなくてもまたツッコまれる。
どうやら今の時代はあまりにもツッコミ過多なのだ。だがそんな時代に自らもまたツッコミに甘んじるということは、その他大勢に甘んじるということと同義でもある。
人生なんて茶番劇だ。ならば人は自分の人生を使って思いっきりボケるべし。
例えばニートや中退やメンヘラはボケかたのひとつだといえるだろう。あるいは意識高い系や厨二病、プロブロガーや起業家だって立派なボケだ。何故ならそれらは自分をフツウだと思い込んでいるその他大勢の人達が、思わずツッコミたくなるような生き方だからだ。
大衆のツッコミを恐れずにボケきった人生こそ、その人は幸せを掴む可能性が高いはずだ。何故ならそれは他人の評価を気にせずに、自分の思うままの人生を歩んでいるということなのだから。