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父の古希

思うこと web日記

父の馴染みの寿司屋の親方が「古希の箸置きよかったね。あの作家、尊敬する」と笑顔でいった。「誰が古希なの?」「俺だよ」と父がいうのでちょっと慌てた。考えもしなかった。先日継母の還暦祝いをしたばかりだったと思ったらもうそんなイベントが。

 

継母の還暦祝いには同じ作家に茶碗を作ってもらった。今回は箸置きだそうだ。継母は箸置きがすきなのだ。自分の古希の祝いに妻のすきなものを誂える。父はこういう小憎らしいことをさりげなくやるのが上手い。

 

実家では祝い事というと毎回その作家に焼き物を頼む。弟の結婚式の引き出物も、祖父の卒寿もそうだった。多目に作ってあちこちくばる。ぽんと置くだけで絵になり、日常的に使いやすいので残ったものをもらって使っている。

 

数年前までわたしはこういうことを金持ちの道楽、贅沢、もっというと無駄遣いだと思っていた。父は祝いの品を人に贈るだけでなく、家で盛大な食事の席を設けて人を呼ぶのだ。肉も魚もとびきりのものを用意する。そのために厨房のある離れも建てた。実家を飛び出してから長く爪に火を灯していたわたしは「その金で何日暮らせるか」と料理を前に考えてしまう。*1いつまでバブルなんだ。

 

しかし寿司屋の親方はそれが楽しみらしく「古希の祝いはせんと?」とわくわく顔でいう。「んー、何しろいま忙しいからね」父の隣には進行がんと戦う娘婿が座っている。息子世代にあとをまかせて悠々自適の算段をしていた父はあてが外れて現場復帰する羽目になり、東奔西走している。親方もそれは知っているのだけれど、どうにも諦めきれない様子だった。

 

父は共通の知人の名前を出して「今年あの先生が笠寿なんよね。俺の10歳上だから。それで一緒にやろうか、っていう話はしてる」といった。「そう!」親方は瞳をキラキラさせている。

 

父の祝い事は全面的に持ち出しだ。父は持ち物にうるさく、気に入らない物を身に着けたり家に置いたりするのは大嫌いで、人から何かもらうことはあまり喜ばない。酒も手酌で自分のペースで飲む。ぜったいに人に注がせない。

 

母は父のこういうところが大嫌いだった。父は見栄っ張りで、贅沢好きで、無駄遣いだといつもいっていた。

 

でも今日はたと気が付いた。父は自分の祝いごとをまわりに感謝する機会として使っているのだ。世話になった人を招いて最良のご馳走でもてなし、考え抜いた誂えものを用意して贈る。呼ばれた人は喜ぶ。また祝えないかなとすら思う。なんだか中東の結婚式のようだ。なんかこれは、いいことなんじゃなかろうか。

 

これまで考えもしなかった。わたしにそういう発想がなかったからだ。

 

母は「子供たちに迷惑をかけないように」と常日頃いっており、1円単位で収支を確認している。むかし母をたずねていった帰りに手違いで電車賃が足りず、100円貸してほしいと頼んだ。すごい目で見られた。

 

母は「人に迷惑をかけないように」を大義名分に、まわりに何もしない方針で生きている。人からしてもらえば大いに受け取る。受け取るだけでなく注文もつけるし、気に入らなければ周囲にいいふらすこともある。わたしたちを引きとめて食事を出したあと、伯母宛てのメールが間違ってこちらに届いたことがあった。「はてこたちが食事を食べてしまったので冷蔵庫に何もなくなってしまいました」と書いてあった。わたしたちが持参したものや送っているものについては黙っている。

 

わたしは母がしっかりしており、父はだらしがないのだと思っていた。でも母は世話になった人や保護すべき相手にさえケチで、父はわたしの想像をはるかに超える範囲で周囲に贈り物をしているんじゃないかと、今日思った。

 

誰のことも当てにしない、誰からも当てにされない。それは自立した生き方ではなく孤立した生き方だ。父は周囲と繋がり続けて生きている。そしてそういう繋がりを作ることのたいせつさ忘れては商売は立ち行かないのだと折に触れてもちおに語っていた。

 

そういう繋がりを作る機会として、相手の祝い事に贈り物をするのではなく、自分の祝い事を使うとは。考えてみればあなたを祝ってあげましょうといわれて恐縮する人も、わたしの祝い事です、どうぞお受け取りくださいといわれれば辞退しない。

 

若い頃、母方の祖父は戦後財政界の黒幕と呼ばれた人物と繋がりがあった。父は義父であるわたしの祖父から彼の人脈作りで印象的だった話を聞いたことがある。

 

彼は目上の人間の持ち物を熱心に誉め、あげくねだることがあった。ねだられた方は「そこまでいうなら」と時計や何かをやってしまう。彼は大喜びで受け取る。そして後日、「お礼として」もらったものを上回るようなものを相手に贈る。「そうすると、これは、賄賂にならない」。彼はそうやって人脈を作っていった。

 

父は続けて語った。「俺は市役所にしょっちゅう顔を出して、打ち解けたらゴルフに誘った。そうすると若い連中が俺のクラブを羨ましがるから、すぐにくれてやる。これは、賄賂にならない」父はにやりとした。「そういうやつらが後で仕事に関わることになる」。

 

自分で仕事をするようになって父の偉大さが少しだけわかるようになった。目先の損得、目の前の1円を値切って賢いと思っていては誤る。父がどこまで仕事を意識して人脈を作っているのかはわからない。父は国内でも国外でも知らない人にじゃんじゃん話しかけて懐に入っていく。それで大金を失ったこともある。でもそういう帳尻ってどこで決算がつくのかは長い目で見ないとわからないといまは思う。

 

これといった資格も経験もなく、それこそ人脈もなくはじめた仕事で会社を興し、40年以上続けてきた父。父の武器は欠点を補ってあまりある圧倒的な人間的魅力だった。*2その魅力のひとつは手加減せず、相手を選ばず、後先考えずに人をもてなすことだったと思う。

*1:この寿司屋も目玉が飛び出すような値段なので、寿司奢ってくれるより小遣いがほしいと思っていたころもあった。

*2:父のあまりの態度に泣く妹に同情した妹の夫が「お義父さんは寂しく息を引き取ることになるよ」といったが、妹は「パパは私たち兄弟姉妹に囲まれて涙で見送られると思う」ときっぱりいった。わたしもそんな気がする。