消えがてのうた part 2

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help RSS 遠い日のトッパン絵本 (思い出の本棚 1 )

<<   作成日時 : 2010/11/08 06:51   >>

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私がまだ小さかった頃は、どの書店の店先にも、絵本を立てかけたスチール製のスタンドがあった。

円筒形をしたそれは、廻すたびにキィキィと耳障りな音を立てながら回った。
絵本の大部分はトッパンの絵本だった。
日当たりにの良い店先におかれた絵本は売れる前から陽に焼けていた。

隣町の実家に帰る母に連れられて駅前でバスを乗り降りするたび、私は母の手を引っ張って近くの書店に向かった。
お目当ては、クルクルまわるあの絵本スタンドだ。

田舎の小さな書店でも、、トッパンの絵本はたいていの店においてあった。
その多くは日本の昔話であったり、アンデルセンやグリムの定番とも言える絵本であったが、あの日私が買ってもらった本は、挿絵ではなく、それぞれの場面でポーズを取らせた人形を、一枚づつ写真撮影したものだった。
「ふくろとねこ」という題名のそれが、「トッパン人形絵本」というシリーズの中の1冊だったことを最近知った。


「ふくろとねこ」は、びっくりしたように大きく目を見張ったフクロウと、小さな猫との恋のものがたりだ。
私は「フクロウと子猫ちゃん、そらまめ色の船に乗り・・・」という冒頭の一文を今でも覚えている。
青と緑のセロファンを何枚も重ねた海に、可愛らしい船が浮かんでいた。
照明が当てられたセロファンはきらきらと光って本当の海より綺麗だった。
フクロウと猫だけでなく、金色の鼻輪をぶら下げた豚も、七面鳥もいた。
しかしそれが誰のお話だったのか・・・
リズミカルに韻を踏んだ文章の印象だけが、形にない「耳の記憶」として、いつまでも残っていた。

ある日、図書館でエドワード・リアの本を開いていた私は、記憶の中で見たものと良く似た図柄の絵を発見した。
一艘の小さなボートに乗ったフクロウと猫がモノクロで描かれている。
フクロウの手(翼?)にはギター、そして船の中には蜂蜜の壺と金貨の詰まった袋。
写真と挿絵の違いはあったが、それは、「あの絵本」と同じ物語だった。





画像







突然、私の脳裏に西陽の差す明るい6畳間の光景が浮かんだ。
差し込む光の中で、金色の細かいほこりがひと筋の線になって舞っていた。
私がたびたび身を乗り出しては叱られた、小さな木製のベランダの手触りが蘇る。
階下からは、母が水を使う音まで聞えてきそうな気がした。
私が小学校五年になるまで住んでいた古い家の記憶だ。


遠い遠い日の懐かしい絵本、あの「人形絵本」を、もう一度手に入れる術はない。
書店の日向くさい店先で、カラカラと回る絵本のスタンドも姿を消してしまった。
エドワード・リアのこの話は複数の出版社で絵本になっているらしいが、今も私にはトッパンのあの一冊しかない。







The Owl and the Pussycat  by Edward Lear (1812 - 1888)


The Owl and the Pussy-Cat went to sea
In a beautiful pea-green boat:
They took some honey, and plenty of money
Wrapped up in a five-pound note.
The Owl looked up to the stars above,
And sang to a small guitar,

"O lovely Pussy, O Pussy, my love,
What a beautiful Pussy you are,
You are,
You are!
What a beautiful Pussy you are!"

Pussy said to the Owl, "You elegant fowl,
How charmingly sweet you sing!
Oh! let us be married; too long we have tarried:
But what shall we do for a ring?"
They sailed away, for a year and a day,
To the land where the bong-tree grows;
And there in a wood a Piggy-wig stood,
With a ring at the end of his nose,
His nose,
His nose,
With a ring at the end of his nose.

"Dear Pig, are you willing to sell for one shilling
Your ring?" Said the Piggy, "I will."
So they took it away, and were married next day
By the Turkey who lives on the hill.
They dined on mince and slices of quince,
Which they ate with a runcible spoon;

And hand in hand on the edge of the sand
They danced by the light of the moon,

The moon,
The moon,
They danced by the light of the moon






思い出の中の「フクロウと猫」が美化されてしまったのか、いくつか読んだ翻訳はどれもしっくりこない。
それでは、と自分で訳してみた。

訳の怪しい部分は、目をつぶってお読みください(笑。
原詩で pea-green boatとなっている部分は、記憶と同じ「そら豆色の船」のままにしました。
「青豆」では村上春樹になってしまいそうな危惧もありますし(笑)。




           

   「フクロウと猫」  エドワード・リア



フクロウと子猫ちゃん、そらまめ色の船に乗り、
蜂蜜と5ポンド札にくるんだ金貨をたくさん積んで
大海原へと船出しました。
ギター片手にフクロウは 星空見上げて歌います。
「可愛い恋人、子猫ちゃん
君はほんとうに素敵だね
愛しい愛しい子猫ちゃん。」

子猫は答えて言いました。
「ああ、ふくろうさん、あなたこそ。
おまけに歌もお上手ね!
お付き合いはもう充分。結婚しましょう、私たち。
あら。でも指輪をどうしましょう。」

それから二人は航海を続け
一年と一日たったある日
不思議な木が生えている島に着きました。
そこには、頭にかつらを被り、
鼻先にわっかをつけた豚が住んでいていました。

「豚さん、豚さん。そのわっか、1シリングで売ってくれないかい?」
フクロウがたずねると豚は答えました。
「いいとも。どうぞ。」
次の日、指輪を手にした二人
丘の上の七面鳥に頼んで、結婚式をあげました。
先っぽが三つに割れたスプーンで
ひき肉料理とマルメロの御馳走を食べました。

それから 月明かりの砂浜で 
手に手を取って踊りました。

いつまでも いつまでも
手に手を取って
月が明るい砂浜で。







フクロウと猫。
本来不釣り合いのこの二人が出会い、社会の束縛を逃れてかなたの楽園へと旅立に出る。
愛し合う二人は、みんなに祝福され、満ち足りた平和な時を過ごすのだ。

反骨の詩人エドワード・リアは、自らが生きたヴィクトリア朝の価値観を否定し、自由に自分らしく生きる道を選んだ。
画家でもあったリアが挿絵をつけたこの「フクロウと猫」は、病気の女の子を励ますために書かかれたものだと言う。






          ★「やっぱりキンダーブック!!」 → http://follia.at.webry.info/200808/article_3.html







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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
これって、この本が見つかったらいいなぁ〜という婉曲的な依頼ですか?
近くに絵本専門の古書店もありますし、可能性はあると思いますが・・・とりあえず、どんなものがいくらくらいで手に入るか調査してみますか?
ichi
2010/11/08 12:19
バイリンガルで載せてくださったので何とか。
幼稚園児だったaostaさんをバッチリ捕えたお話だったのですね。お母様の手を本屋へと引っ張ったaostaさん。aostaさんがこれほどに本が好きになる素地をつくられたのはお母様なのでしょう。
 どの訳にも厭きたらずにご自分で翻訳されるあたり、aostaさんならでは、と思います。aosta版が他の翻訳に比してどうなのか語る素地がないことをお許しください。ただ少なくとも過剰な美化を除き原作者の創作意図に近づけて訳されたことは確かかと思います。
読み進んで、これはどなたかこういうカップルを祝福するためにお書きになっているのかなと思いましたところ、
>ヴィクトリア朝の価値観を否定し、自由に自分らしく生きる道を選んだ。
とありましたので、一つの生き方の選択というものを提示くださったのかな、との理解もした次第でした。
>病気の女の子を励ますために
作品を生み出すとき、こういった目的を持つことはとても尊く思われます。

リアもすこしだけ検索してみました。
わたしがこのお話を初めて読んだのはaosta訳「フクロウと猫」であり、これから先もaosta訳のみということになりそうです。
はじめから最後まで目をつぶらずに読みました、ハイ。
bunbun
2010/11/08 20:08
◇ichiさん

>婉曲的な依頼ですか?

そのような下心など全く在りませんでしたが、ichiさんがそう受け取って下さったとするなら、もっけの幸い!!
私も一応ネットで当っては見たのですが、この「人形絵本シリーズ」は結構人気が合ってあまり出回らない見たいです。絵本と言う事も災いしているかもしれません。多くの絵本は、子供の成長とともに、本棚の隅に追いやられ、忘れられて行きます。ある日「あら、まだこんな本が!!懐かしいけど、もう必要ないわね。」の一言で「処分」されてしまう事が多いのではないかと思います。
もしもう一度、あの本を手にすることができたなら、「お帰りなさい。」と言ってあげたいのです。そしてゆっくりページを開き、声を出して読みましょう。

トッパンの人形絵本シリーズの人形を手掛けたていたのは、若かりし頃の川本喜八郎さんであり、辻村ジュサブローさんでした。今思えばなんて贅沢な本であったことか!この「ふくろうとねこ」の人形ははNHKの初めての人形劇「ブーフーウー」の人形製作者宮坂元子さんが作ったもののようです。
そう言えば「ふくろうとねこ」のほかにも「金のがちょう」の絵本を持っていたことを思い出しました!!

ね?ichiさんも探してみたくなりませんか?

>とりあえず、どんなものがいくらくらいで手に入るか調査してみますか?

御迷惑でない程度に、よろしくお願いいたします<m(__)m><m(__)m><m(__)m>
aosta
2010/11/09 07:12
◇bunbunさん
 コメント、ありがとうございました♪

>自分で翻訳されるあたり・・・

笑われるかもしれない、と思いながら、あえてアップしましたのも、ひとえに「ふくろうとねこ」への思いの深さ故と、ご理解下さい(笑)。

>原作者の創作意図に近づけて訳されたことは確かかと思います。

リアに限らないのですが、外国語の詩は美しい韻を踏んでいて、同じリズムや同じ音の繰り返しが、独特の世界を作り出しますね。
リアの文章には特にそうした傾向が強い見たいです。幼い子供のために書かれた、ということも関係しているでしょう。こどもはリズムに敏感ですし、繰り返しが大すきですから。この「ふくろうとねこ」でも同じ単語の繰り返しが何回も出てきます。でもその通りに訳しても、日本語としては面白くも何ともありません。
こういったところで翻訳家の方はご苦労なさるのだろうと思います。
私は、勝手な意訳ですから気楽なものですが(笑)。

リアのこのお話はは、マザーグースを下敷きにしているようです。
bunbunさん御指摘のとおり、もともとは祝婚歌のようです。

リアが生きたヴィクトリア朝のイギリス、実は前からすごく興味を持っている時代でまります。私が良くアップしますラファエロ前派の絵画作品もこの時代ももの。産業革命を経て大きな変貌を遂げた社会、富と効率、体面が重視された時代に、リアやラファエロ前派の画家たちが求めた物は「自由」。
何物にも拘束されることのない魂の自由だったのではないでしょうか
aosta
2010/11/09 07:31
幼い頃、面白い社名だなあと思っていましたよ!

教科書会社(東書)にも関係あるらしく、児童書に伝統がありますよね。
かげっち
2010/11/09 12:06
再度うるさくすみません。
これまでわたしは随分と本題から逸れたりaostaさんの意図するところを3割程度しか理解せずに書いたこともあったように思います。しかしいつもお返事を書いてくださいました。それこそ、aostaさんにこれっぽっちのお礼もしたこともない。キャメル一個(どうしてキャラメルが出てきたのか自分でも…そう、最近キャラメルが食べたいと思った瞬間がありましたっけ)のプレゼントをしたこともない。それでもみなさんと同じに書いてくださいました。感謝しています。
bunbun
2010/11/09 17:25
◇かげっちさん

>面白い社名だなあと思っていましたよ!

絵本のスタンドのてっぺんに「トッパンの絵本」というプレートが乗っかっていたような気がするのですが、かげっちさんは覚えていらっしゃいますか?そのプレートを読むたびに「変な名前!」って思っていたような・・・・(笑)

東京書籍もフレーベル館も現在はトッパン傘下の会社のようですね。
フレーベル館と言えば「キンダーブッック」!!!
いずれの名前も懐かしい響きがします。
小学校の時に使っていた教科書はどこの出版社のものだったのか・・・
出版社に目がいくようになったのは中学、、高校くらいからだったと思います。
東京書籍はもちろん、山川、三省堂、啓林館etc・・・
数学の啓林館など見るのも厭でしたが、今となっては懐かしい。そうそう、現代国語は確か光文社。もう一度読み直してみたいですね。
aosta
2010/11/09 19:39
◇bunbunさん

>しかしいつもお返事を書いてくださいました。

ブログを更新するたびにbunbunさんはどんなコメントをくださるだろうと、楽しみにしているんですよ。どんな記事にも目を通して下さることが、どんなに嬉しく、また励みになっていることか。お返事を書かせていただくのは、私の大きな楽しみでもあるんですよ♪

キャメル・・・
たしか駱駝のイラスト付きのそんな名前の煙草がありましたが、わがままを言わせていただけるなら、わたしはグリコのアーモンド・キャラメルの方が嬉しいかもです(笑)。以前キャラメルと食べていて、歯に被せてあった冠が取れててしまって、ずいぶん慌てました。それ以来、キャラメルは噛まないでおとなしく舐めることにいたしましたので、結構長持ちするようになりました(笑)。

bunbunさん初め、みなさんのコメントは私にとって何よりのプレゼントです!
aosta
2010/11/09 19:53
「トッパンの絵本」覚えてますとも!実はわたしはその前から凸版印刷という印刷方法を何かの本で知っていました。たぶん平凡社から出ていた「絵本百科」というシリーズのおかげです。それで、印刷方法を会社名にしているのが不思議でした。この会社は他の印刷方法を使わないのだろうか、と(笑)

明治初期、大手の製紙会社が自社需要を増やすために目を付けたのが、まず新聞、次いで国定教科書でした。国定教科書印刷受注という利権をめぐる論争は帝国議会でも激しかったと聞きます。そういう中で、東京都北区王子にある製紙会社との関係で印刷会社が起こり、そこから教科書出版会社ができたのだそうです。この種の教科書会社は全教科にわたり出版しているのが特徴です(特定の教科だけで有名な出版社とはラインアップがちがいます)。その延長で、幼児教育とフレーベル館、というところにたどりつくのです。以上、T社の方からの受け売りでした。
かげっち
2010/11/12 12:19
◇かげっちさん
 こんばんは。

>「トッパンの絵本」覚えてますとも!

やっぱり?! 些細なことかもしれないけれど、そうした思い出を共有できるってうれしいです。同じ景色を見ていたのに、覚えているのは全く違う場所だった、ということもあるのですから、ずっと昔の思い出の中に「トッパンの絵本」があった、と言う事はかなり嬉しい(笑)。

トッパン、と言う響きは子供心にもかなりインパクトがありました。
響きだけでなく、赤い色で書かれたあの独特なレタリング文字も良く覚えています。この会社は他の印刷方法を使わないのだろうか、という疑問はいかにも「子供」が考えそうです。かげっちさんにもこんな子供の頃が合ったんですね。って当たり前ですが(笑)。

>その延長で、幼児教育とフレーベル館、というところにたどりつくのです。

なるほど、こんな経緯があったのですか。
フレーベルという社名にも納得がいきますね。
国定教科書制度は廃止されましたが、現行の教科書検定制にも疑問が残るところですね。特に歴史・・・
EU加盟国が高校レベルの共通歴史教科書としている『ヨーロッパの歴史』的視点が欲しいと思います。
aosta
2010/11/12 20:20

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