私がまだ小さかった頃は、どの書店の店先にも、絵本を立てかけたスチール製のスタンドがあった。 円筒形をしたそれは、廻すたびにキィキィと耳障りな音を立てながら回った。 絵本の大部分はトッパンの絵本だった。 日当たりにの良い店先におかれた絵本は売れる前から陽に焼けていた。 隣町の実家に帰る母に連れられて駅前でバスを乗り降りするたび、私は母の手を引っ張って近くの書店に向かった。 お目当ては、クルクルまわるあの絵本スタンドだ。 田舎の小さな書店でも、、トッパンの絵本はたいていの店においてあった。 その多くは日本の昔話であったり、アンデルセンやグリムの定番とも言える絵本であったが、あの日私が買ってもらった本は、挿絵ではなく、それぞれの場面でポーズを取らせた人形を、一枚づつ写真撮影したものだった。 「ふくろとねこ」という題名のそれが、「トッパン人形絵本」というシリーズの中の1冊だったことを最近知った。 「ふくろとねこ」は、びっくりしたように大きく目を見張ったフクロウと、小さな猫との恋のものがたりだ。 私は「フクロウと子猫ちゃん、そらまめ色の船に乗り・・・」という冒頭の一文を今でも覚えている。 青と緑のセロファンを何枚も重ねた海に、可愛らしい船が浮かんでいた。 照明が当てられたセロファンはきらきらと光って本当の海より綺麗だった。 フクロウと猫だけでなく、金色の鼻輪をぶら下げた豚も、七面鳥もいた。 しかしそれが誰のお話だったのか・・・ リズミカルに韻を踏んだ文章の印象だけが、形にない「耳の記憶」として、いつまでも残っていた。 ある日、図書館でエドワード・リアの本を開いていた私は、記憶の中で見たものと良く似た図柄の絵を発見した。 一艘の小さなボートに乗ったフクロウと猫がモノクロで描かれている。 フクロウの手(翼?)にはギター、そして船の中には蜂蜜の壺と金貨の詰まった袋。 写真と挿絵の違いはあったが、それは、「あの絵本」と同じ物語だった。 突然、私の脳裏に西陽の差す明るい6畳間の光景が浮かんだ。 差し込む光の中で、金色の細かいほこりがひと筋の線になって舞っていた。 私がたびたび身を乗り出しては叱られた、小さな木製のベランダの手触りが蘇る。 階下からは、母が水を使う音まで聞えてきそうな気がした。 私が小学校五年になるまで住んでいた古い家の記憶だ。 遠い遠い日の懐かしい絵本、あの「人形絵本」を、もう一度手に入れる術はない。 書店の日向くさい店先で、カラカラと回る絵本のスタンドも姿を消してしまった。 エドワード・リアのこの話は複数の出版社で絵本になっているらしいが、今も私にはトッパンのあの一冊しかない。 The Owl and the Pussycat by Edward Lear (1812 - 1888) The Owl and the Pussy-Cat went to sea In a beautiful pea-green boat: They took some honey, and plenty of money Wrapped up in a five-pound note. The Owl looked up to the stars above, And sang to a small guitar, "O lovely Pussy, O Pussy, my love, What a beautiful Pussy you are, You are, You are! What a beautiful Pussy you are!" Pussy said to the Owl, "You elegant fowl, How charmingly sweet you sing! Oh! let us be married; too long we have tarried: But what shall we do for a ring?" They sailed away, for a year and a day, To the land where the bong-tree grows; And there in a wood a Piggy-wig stood, With a ring at the end of his nose, His nose, His nose, With a ring at the end of his nose. "Dear Pig, are you willing to sell for one shilling Your ring?" Said the Piggy, "I will." So they took it away, and were married next day By the Turkey who lives on the hill. They dined on mince and slices of quince, Which they ate with a runcible spoon; And hand in hand on the edge of the sand They danced by the light of the moon, The moon, The moon, They danced by the light of the moon 思い出の中の「フクロウと猫」が美化されてしまったのか、いくつか読んだ翻訳はどれもしっくりこない。 それでは、と自分で訳してみた。 訳の怪しい部分は、目をつぶってお読みください(笑。 原詩で pea-green boatとなっている部分は、記憶と同じ「そら豆色の船」のままにしました。 「青豆」では村上春樹になってしまいそうな危惧もありますし(笑)。 「フクロウと猫」 エドワード・リア フクロウと子猫ちゃん、そらまめ色の船に乗り、 蜂蜜と5ポンド札にくるんだ金貨をたくさん積んで 大海原へと船出しました。 ギター片手にフクロウは 星空見上げて歌います。 「可愛い恋人、子猫ちゃん 君はほんとうに素敵だね 愛しい愛しい子猫ちゃん。」 子猫は答えて言いました。 「ああ、ふくろうさん、あなたこそ。 おまけに歌もお上手ね! お付き合いはもう充分。結婚しましょう、私たち。 あら。でも指輪をどうしましょう。」 それから二人は航海を続け 一年と一日たったある日 不思議な木が生えている島に着きました。 そこには、頭にかつらを被り、 鼻先にわっかをつけた豚が住んでいていました。 「豚さん、豚さん。そのわっか、1シリングで売ってくれないかい?」 フクロウがたずねると豚は答えました。 「いいとも。どうぞ。」 次の日、指輪を手にした二人 丘の上の七面鳥に頼んで、結婚式をあげました。 先っぽが三つに割れたスプーンで ひき肉料理とマルメロの御馳走を食べました。 それから 月明かりの砂浜で 手に手を取って踊りました。 いつまでも いつまでも 手に手を取って 月が明るい砂浜で。 フクロウと猫。 本来不釣り合いのこの二人が出会い、社会の束縛を逃れてかなたの楽園へと旅立に出る。 愛し合う二人は、みんなに祝福され、満ち足りた平和な時を過ごすのだ。 反骨の詩人エドワード・リアは、自らが生きたヴィクトリア朝の価値観を否定し、自由に自分らしく生きる道を選んだ。 画家でもあったリアが挿絵をつけたこの「フクロウと猫」は、病気の女の子を励ますために書かかれたものだと言う。 ★「やっぱりキンダーブック!!」 → http://follia.at.webry.info/200808/article_3.html |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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これって、この本が見つかったらいいなぁ〜という婉曲的な依頼ですか? |
ichi 2010/11/08 12:19 |
バイリンガルで載せてくださったので何とか。 |
bunbun 2010/11/08 20:08 |
◇ichiさん |
aosta 2010/11/09 07:12 |
◇bunbunさん |
aosta 2010/11/09 07:31 |
幼い頃、面白い社名だなあと思っていましたよ! |
かげっち 2010/11/09 12:06 |
再度うるさくすみません。 |
bunbun 2010/11/09 17:25 |
◇かげっちさん |
aosta 2010/11/09 19:39 |
◇bunbunさん |
aosta 2010/11/09 19:53 |
「トッパンの絵本」覚えてますとも!実はわたしはその前から凸版印刷という印刷方法を何かの本で知っていました。たぶん平凡社から出ていた「絵本百科」というシリーズのおかげです。それで、印刷方法を会社名にしているのが不思議でした。この会社は他の印刷方法を使わないのだろうか、と(笑) |
かげっち 2010/11/12 12:19 |
◇かげっちさん |
aosta 2010/11/12 20:20 |
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