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2013-11-10

[][]朝鮮人虐殺の原点としての甲午農民軍「討伐」

当ブログの古くからの読者の方であれば、「関東大震災時の朝鮮人虐殺は〇〇とは違う!」と強弁したある人物のことを思い浮かべられたのではないでしょうか。

この↑詭弁の下敷きになっているのは当然のことながら山本七平です。関東大震災時の朝鮮人虐殺について山本がどのような詭弁を弄したかについては、数年前にやや丁寧に分析しておきました。

このエントリで言及した三・一独立運動に対する弾圧は、しかしながら、近代日本による最初の大規模な朝鮮人虐殺というわけではありません。

私が中等教育を受けた当時は「東学党の乱」と呼ばれていた第一次甲午農民戦争(東学農民戦争)が日清戦争の契機(日本にとっては口実)となったことはよく知られています。94年の春に蜂起した農民軍は6月の全州和約によっていったん矛を収めます。しかし日清戦争勃発以降、日朝暫定合同条款や大日本大朝鮮両国盟約を通じて日本が朝鮮政府に対清戦争への協力を強要したことが、農民軍の再決起を促します。これが第二次甲午(東学)農民戦争です。

 戦争協力を拒否せよ、という東学の呼びかけは七月下旬には広がっていた。軍用電信を破壊し、兵站線や兵站部を襲う東学農民軍の「討伐」は、日清戦争の勝敗を握る重要な問題だった。さらに東学「討伐」の帰趨がロシア軍介入如何に関わり、日本の勝利が危うくなる可能性があった。一〇月、陸奥外相は井上馨朝鮮駐在公使に打電し、東学勢力が朝鮮北部に向かわないよう厳重な注意を与えた。

 「緑豆将軍」と親しまれた全琫準を盟主とする東学主力の再度の武装蜂起は、ようやく一〇月九日であった。東学農民軍への本格的な弾圧が、一一月から翌九五年四月初旬にかけて続けられる。弾圧部隊の主力は、一一月初旬に到着した後備歩兵独立第一九大隊など二七〇〇名の日本軍。それに二八〇〇名の朝鮮政府軍、各地の両班士族や土豪などが組織する反動的な民堡軍が加わり、村の隅々まで捜索する「討伐」作戦を続け、最西南端の海南・珍島まで追いつめ文字通り殲滅した。五ヶ月間の農民軍の戦闘回数は四六回、農民軍参加人員は延べ一三万四七五〇人と推定されている。もう一つの日清戦争であった。

(原田敬一、『日清・日露戦争』、岩波新書・シリーズ日本近現代史(3)、2007年、71-72ページ。強調は引用者、原文のルビを省略。)

この「討伐」戦については、次の文献が詳しく紹介しています。

  • 中塚明・井上勝生・朴孟洙、『東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争』、高文研、2013年

「討伐」戦を指揮したのは当時参謀次長兼兵站総監だった川上操六・陸軍少将ですが、南部兵站監部陣中日誌は川上が10月27日に出した命令を記しています。

 釜山今橋少佐より、左の電報あり。川上兵站総監より電報あり、東学党に対する処置は厳烈なるを要す、向後悉く殺戮すべしと。

(同書65ページ、原文のルビを省略)

農民軍の本拠地は朝鮮半島中部の報恩(忠清道)でしたが、日本軍は原田氏が記しているように朝鮮半島西南部へと農民軍を追いつめ、さらに軍艦2隻を派遣して島嶼部への逃亡を防ぐ包囲殲滅戦を行いました。その過程では捕虜も殺害していたことが記録されています(65-66ページ、95-96ページなど)。著者の一人井上氏(「討伐」戦の軍事的展開に関する第III章「日本軍最初のジェノサイド作戦」を担当)はこの「討伐」戦に従軍した兵士の日記を収集することに成功していますが、そこにも「帰舎後、生捕は、拷問の上、焼殺せり」「残者、七名を捕え来り、これを城外の畑中に一列に並べ、銃に剣を着け、森田○○一等軍曹の号令にて、一斉の動作、これを殺せり」といった記述があります(101-102ページ、氏名の一部を伏せ字にした)。後者はアジア・太平洋戦争における「刺突訓練」を思わせる虐殺です。農民軍側の犠牲者数はまだ完全に明らかにされてはいませんが、本書では「三万人から五万人」というこれまでの推計が紹介されています。これはつまり、日清戦争において日本軍よりも清国軍よりも多くの死者を農民軍が出したということであり、原田氏の「もう一つの日清戦争」という評価は誇張でもなんでもないわけです。近代的な装備をもたない農民軍を、「鎮圧」の域を越えて一方的に殺戮し、さらには法によらずに捕虜まで殺害していたのですから「日本軍最初のジェノサイド作戦」という本書の評価も頷けますし、レイシズム*1を背景とした欧米列強の植民地戦争と比較して然るべき「戦争」であったと言えます。


なお、第3次家永教科書裁判では、この第二次農民戦争に関する記述も争点となっており、『東学農民戦争と日本』の著者の一人中塚明氏が原告側証人として出廷しています。判決ではこの争点についての原告側の請求は斥けられたものの、家永氏の記述に学問的な裏付けがあることは認められました。

*1:日本兵が「野蛮に対する文明」の視線をすでに内面化していた点については、原田氏が指摘しています。72ページ以降。

rawan60rawan60 2013/11/10 22:47 原田敬一『日清・日露戦争』引用文中、「睦外相」は「陸奥外相」ですね。

ApemanApeman 2013/11/10 23:32 どうもです。

gybe11gybe11 2013/11/11 00:17 A 日清・日露戦争までの日本の戦争はいい戦争、アジア・太平洋戦争は悪い戦争→司馬史観
B 日清・日露戦争までの日本の戦争はもちろんいい戦争、アジア・太平洋戦争もいい戦争(ないしは仕方なかった戦争)→極右史観

こう並べてみるとAがちょっと「良心的」に見えたりするのがタチが悪いところです(司馬史観がリベラル系、穏健保守系に人気な理由でもあるのでしょう)。でもAの前段部分こそに、遅れてきた近代国家・日本がさらに近代化にもたつく周辺国を植民地化し、理不尽な支配を行っていった悪しき「原点」があったということでしょうね。

日清戦争なんて、当時の日本軍は国際法を遵守して…なんて言われますが、そのカゲでは甲午農民戦争弾圧・虐殺を行っていたわけで、まさに日本近代は「原点」から大きな誤りを腹蔵していたのだと思います。

usi4444usi4444 2013/11/11 02:51 https://twitter.com/bcxxx/status/398646651360792576
https://twitter.com/bcxxx/status/398713752800866305

こうも言っているのでネトウヨさんと同じわけではないですが、関東大震災時の朝鮮人への恐怖は日常の蔑視意識から生まれたわけで、分けて考えたり違いを強調するのは誤りでしょうね。彼の言う日常的な虐殺が行われなかったのは単に時期の違いと見るべきでしょう。

rawan60rawan60 2013/11/11 04:48 usi444さん

>彼の言う日常的な虐殺が行われなかったのは

というか、「日常的な虐殺」は行われていたわけですよ。もちろん実際の虐殺ではなく「植民地支配と差別」という形で。

で、このエントリのタイトルは「朝鮮人虐殺の原点としての甲午農民軍「討伐」」であり、その内容が書かれているのですが、「三・一独立運動に対する弾圧は、しかしながら、」と入っているところがミソで、関東大震災における朝鮮人虐殺にもちゃんと掛かっているんですよね。

dempaxdempax 2013/11/11 10:41 > 間違った議論ウォッチング スタート
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□人身攻撃論法
□わら人形論法
□不適切なアナロジー
□雪だるま論法
□二分方論法
□体験談論法

道田・宮元『クリティカル進化論』より


誰かさんのこと

ApemanApeman 2013/11/11 11:54 gybe11さん

>A 日清・日露戦争までの日本の戦争はいい戦争、アジア・太平洋戦争は悪い戦争→司馬史観

このように「昭和のある時期」だけを日本の近代から切り離して断罪してよしとする歴史観が、ほとんど顧みられることのないまま流通しちゃってますからね。それでいて自分たちの歴史観は政治から中立的だ、と思い込んでいるところが余計に問題を根深くしています。
ちなみに『東学農民戦争と日本』では、『坂の上の雲』がしっかり批判されています。

usi4444 さん

>関東大震災時の朝鮮人への恐怖は日常の蔑視意識から生まれたわけで

「パニック」のせいにするのはまさに治安当局者が泣いて喜ぶ誤謬ですね。

もんもんもんもん 2013/11/11 15:01 ある時期までは正しくて、ある時期以降から悪いという「司馬史観」への批判は歴史修正主義者の西尾幹二さえも行なっている事ですね

ただそこで、「日本のやって来た事は全て正しかったんだ!」とコミンテルン陰謀論を駆使してまで主張しだす所が彼らの斜め上な所ですが

のらねこのらねこ 2013/11/11 16:21 対清朝に対する日本の行動は当時の欧米同様に単なる侵略行為ですからね。
最終的に朝鮮は植民地化してるので、どこをどう取ったら欧米からの防衛なんて寝ぼけた事いえるのかわからないですね。

それを主張するなら最低でも朝鮮を独立中立化させてなきゃいけない。
それでも朝鮮からしたら余計なお世話となるだろう。
現状日本が米国の従属国みたいな感じだから、中国が防衛、解放とかいって攻めればそうなるのかと・・・・・・・
馬鹿でも解る事が自国になると途端にわからなくなる。
こういう表現は秀吉の朝鮮征伐からも伺えますね。
正当化の言葉遊びが昔から好きなのだろうか。

Kim ShirlyKim Shirly 2013/11/11 20:30 この東学党討伐の直接の延長線上にあるのは、植民地化が決定的になった後(1907年)、解散させられた旧韓国軍人を中心に武力抵抗を展開した「義兵闘争」に対する鎮圧行動でしょうね。

朝鮮駐箚軍司令部が残している公式資料(「朝鮮暴徒討伐誌」)を見ても、義兵討伐の全期間(3年間)を通じて「殺戮」された義兵の数は1万7700人以上(「武装し抵抗した者」だけとは限らない)。日本側の戦死者は133人にすぎません。

彼らの抗日運動を、民衆による反植民地武装闘争(すなわち、そこに「戦争」があった)とみなす視点があるわけです。ただでさえ、太平洋戦争が始まるまでは抗日パルチザンが関東軍の背後を脅かし続けている。嫌韓バカがしょっちゅうドヤ顔で主張してる「朝鮮は日本の交戦国でもなんでもなかった」を覆すだけのインパクトがそこにはあると思います。

ApemanApeman 2013/11/11 21:49 もんもんさん

>コミンテルン陰謀論を駆使してまで主張しだす所

まあ逆に言えば、こんな陰謀論を持ち出さざるを得ないところに彼らの弱みが露呈してるわけでしょうね。

のらねこさん

>最終的に朝鮮は植民地化してるので、どこをどう取ったら欧米からの防衛なんて寝ぼけた事いえるのかわからないですね。

欧州列強と違って日本には「植民地化されることを防いだ偉大な先人たち」という“国民の物語”があるのに、それが一体どうして植民地支配正当化論と両立しうるのか、ひじょーに不思議なんですよね。

Kim Shirlyさん

>この東学党討伐の直接の延長線上にあるのは、植民地化が決定的になった後(1907年)、解散させられた旧韓国軍人を中心に武力抵抗を展開した「義兵闘争」に対する鎮圧行動でしょうね。

まったくもっておっしゃる通りだと思います。そして朝鮮半島のナショナリズムを侮った日本は次に中国のナショナリズムも侮り、やがては日中戦争の泥沼に引きずり込まれることになった……という具合に、因果はつながっていると思います。

NaoNao 2015/05/09 20:37 1960〜70年代の不逞鮮人グループが跋扈していて、いつも自慢話をしていました。

不逞鮮人の自慢話をご紹介します。

「俺達は不戦勝だ!俺達は頭がいい!」
「フランス革命やられるのは、本当は俺達の方だけどな!」
「俺達が遣ったのに!俺達が遣ったのに!間違って仕返しされてる!クククク」
「そんな仕返しされる内容があるのは、本当は俺達の方だけどな」
「逆訴えしていれば、真逆、そんな人達が加害者だなんて思わないから大丈夫だ!」
「逆訴えしていれば、事実がばれるまで時間が稼げる」
「逆訴えしていれば、事実がばれても、逆宣伝のイメージがあるから、逆が事実だって認識されるまでに時間が稼げる」
「2番目がいいんだ。1番目は目立って色々言われたり攻撃されたり責任が掛って来るから、2番目がいいんだ」
「俺達達も(弾圧や虐殺や強姦や強奪や搾取や詐欺などの凶悪犯罪を)遣ったけど、そいつら(李氏朝鮮時代の元李氏朝鮮国民達)も(同様の一方的犯罪)を遣ってしまったから、もう、俺達の事を訴えられないんだ!俺たちは頭がいい!」
「俺達は頭が好過ぎるから、好い人も悪い人も、どっちも出来るんだ!」
「俺達はレベルが高いから人間を食べるんだ」
「軒先を借りて母屋を乗っ取るだ。ホトトギスだ!」(「借りて」居たという事)
「強姦してても、女も一緒になってやるから、仕返しされた事が殆ど無いんだ」
「遣りたい放題だ!強姦したい放題だ!」
「遣ったもん勝ちだ!強姦したもん勝ちだ!」
「『誤解(ゴカイ)でタイを釣る』、だ!」
「穢れが無い処に、自分達の穢れを付けるのが楽しいんだ!」
「(1971年造船所の花火大会にて)時効30周年だ!これ以降訴えられても犯罪にならなくなった!」(←「打ち上げ」の語源)
1941年には、大日本帝国を内部から仕切って戦争に持ち込んだ人達です。

「(「犠牲」の文字を掲げて、李氏朝鮮上層部への攻撃の矛先を身代りにした日本人や他に向けながら)ウシウシだ!牛ツーだ!牛子〔うしこ〕だ!」
「(犠牲者から技術や方法や物などを強奪しながら)ドナーだ!ドナドナ(子牛が売られていく外国の歌)だ!ドナー遺書だ!」(「ドナー」は病気の人に自らの健全な体から善良な細胞や臓器を提供する人)


彼等は、日本人に対する強姦・強奪・虐殺・搾取・罪の擦り付け等をやりすぎたからと、罪逃れを一生懸命にせっせかやっていました。
「(犯罪行為の理由を)他の国の奴らから聞かれたら、どう言うか?」
が、当時の不逞鮮人・不逞中華人・不逞台湾人達の一番の問題点だった。


その当時にはすでに、不逞鮮人や不逞中華人たちによる嘘歴史本・加害者と犠牲者が逆の歴史本が出版されています。

朝鮮半島のナショナリズムは、とても危険で、古来しょっちゅう侵略がかかり、来ると虐殺や暴行して行ったので、警備が大変だったと、日本人が言っていました。だから、国土殆ど全部に渡って、武装した殿達が厳重に警備していた。古来ずっと朝鮮半島民族は残虐残酷だそうです。朝鮮人自体が自らの祖先の高句麗王を残酷残忍な王様として認識して来た様に。朝鮮民族の残酷残忍さは、「朝鮮人こそ高句麗王の子孫で間違いない」と言えるようなキャラクターです。

NaoNao 2015/05/09 21:05 「東学党」自体「東に学ぶ」との事で、日本の方式を採用したのでは?

朝鮮人達は、合併時代も盛んに日本の事を「東」と表現していて、朝鮮系皇族で戦後最初の首相「東久邇宮」は、「朝鮮半島から見て「東の国の後(バクアップの)宮」」との意味とか。


大韓帝国時代、先にご紹介した朝鮮人による「フランス革命」が朝鮮で起きていたそうで、それを逃れる為に朝鮮人から合併を頼み込んできたそうですよ。

東学党の乱も、最初は朝鮮政府に対する不満だった。
それを、日本人への攻撃に視線逸しし、更に、安全確保のために日本に潜り込んだのが、日韓合併。
日韓合併の条件に「朝鮮王族の安全確保・王族としての威厳の保持」といった内容があります。

「農民改革」は後の「ロシア革命」「毛沢東革命」にもつながります。
現実に満蒙地域では、高麗義勇軍と中華八路軍が結託し、日本人慰安婦狩りをしたり、大日本帝国人拉致し性奴隷化したりしていました。また、襲撃をかけて虐殺したり強奪したり。彼等は、武器を持って激しい襲撃をかけていたため、警察官の武装や権限では対応できず、軍隊が対応し応戦する事も多々ありました。
襲撃側・警備側の双方に死傷者が出ています。

大韓民国臨時政府の呂運了は、原敬首相に面会を申し出て、原敬首相は直接、大韓民国臨時政府代表としての呂運了に会っています。
原敬は、そろそろ各地経営施設や環境などが同等に整ってきたので、「日本・台湾・朝鮮」の為替レートなどの平等化を図ろうとしたそうですが、1921年に暗殺されてしまいました。

一番犯行動機があるのが、朝鮮人。
為替レート差で、日本の炭鉱や工場などに大勢の朝鮮人派遣業者が朝鮮人を連れてやって来ていて、為替レート差で儲けが大きかったから。
台湾人は、朝鮮人ほどの利益がなかったので、それ程は日本に来ていません。どうやら、社会上層部で朝鮮人に最適なように都合していた人達がいたようです。日本には古来ずっと朝鮮人政治家がいますし、合併で植民地じゃないので、ある程度の上層部の朝鮮人たちがいたから。

しかも、明治天皇は合併後2年経たずに急に崩御なさり、大正天皇は国民に知られていない状態です。朝鮮人は、朝鮮末期の王朝や政治家の覇権争奪戦のまま、日本に潜り込んだのです。


>「帰舎後、生捕は、拷問の上、焼殺せり」

なぜ拷問?
朝鮮言葉が解らない人も居ただろうので、尋問する事も出来ないし、拷問する理由やメリットがありません。

「焼殺」?
「人を1人火葬するのにも、かなりの燃料が必要で時間もかかる」と、戦地に行った人が言っていました。わざわざ戦闘中に、朝鮮人を拷問して焼殺?清軍と戦っていたのに?

戦後、帰国途上の日本人に対して、不逞鮮人や不逞中華人がやった暴虐としては、その様な事が有りました。


>「残者、七名を捕え来り、これを城外の畑中に一列に並べ、銃に剣を着け…一斉の動作これを殺せり」

なぜ、「わざわざ剣に刀を付けるのだか謎」ですね?

ApemanApeman 2015/05/09 21:19 何から何までデタラメばかりだな。頭におが屑でも詰まってるのか?

WallersteinWallerstein 2015/05/09 23:28 銃剣すら知らないで(以下ry

ApemanApeman 2015/05/09 23:46 しかも「剣に刀を付け」だって……w

yasugoro_2012yasugoro_2012 2015/05/11 00:42 どっかのコピペ臭いなあ。

madhattermadhatter 2015/05/11 22:04 検索してみましたがyahooを中心に数年前から同様の発言を続けてる方のようです。対話可能性はほぼ無いと思われます

ApemanApeman 2015/05/12 11:38 yasugoro_2012 さん、madhatterさん

時々いますね、そういうひと。「元ネタはどこかな?」と探してみたら本人があちこちで同じようなこと書き散らしていた、というの。

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