不登校や発達障害がある子どもたち約30人が暮らす熊本県益城町の児童心理治療施設「こどもLECセンター」。震度7に2度も見舞われ子どもたちに次々と異変が現れた。
「怖いから、どこにも行かないで」。親から虐待を受け、アスペルガー症候群の疑いがある高校3年の鮎美(17)=仮名=は4月14日の前震後、職員に腕を絡ませ、離れなくなった。
未明に本震が襲った16日の夜には、廊下をうろつき、相談室に1人で閉じこもって壁に体当たりを繰り返した。頭が血だらけになっている鮎美を職員が6人がかりで止め、病院に連れて行った。
突然裸になり、お漏らしをする男子中学生、気絶する小学生。一方で、高揚したようにしゃべり続ける子もいた。「もともと情緒面に課題がある子どもたちが地震の恐怖にさらされた。心の傷は深刻だ」と、宮本裕美施設長(52)は語る。
全国から臨床心理士、精神科医ら約30人の専門家が施設に入り、心のケアに当たった。1週間ほどたつと子どもたちは表面上は落ち着きを取り戻した。
ただ、東日本大震災では数カ月後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状が現れるケースもあったという。宮本施設長は「震度7に2回遭うという未曽有の経験をした子どもたちに、いつ、どんな症状が出るのか誰も分からない」と懸念する。
熊本市に住む大石恵子(43)は中1の長女優衣(12)、小3の長男祐一(8)=いずれも仮名=が、ともに発達障害を抱えている。
前震の時、3人で寝ていると寝室の家具が次々に倒れてきた。けがはなかったが、2階建ての自宅は外壁の一部が崩れ、その日から近くの公園の駐車場で車中泊を始めた。
中学校に入学したばかりの優衣は「卓球部に入りたい」と、学校再開を楽しみにしていた。だが、再開した学校で亀裂が入った廊下の壁を見ると怖くなって学校に通えなくなった。祐一も建物を怖がり、一度も学校に行くことなく不登校になった。
自宅も、子どもたちが滞在できるのは1日3時間が限界。大半は車の中で過ごす。子どもたちは夜は怖がって眠れず、昼に寝る昼夜逆転の生活。優衣は「なぜかイライラする」と精神安定薬を飲み始めた。きょうだいげんかも絶えない。
7年前に離婚した恵子は、パートで月給5万円の介護の仕事をしながら子育てをしてきたが、子どもたちの異変で仕事に行けなくなり、今は無収入。
5月下旬、恵子は「学校の花壇を見に行こう」と祐一を誘った。祐一は校庭までは入ったが、やはり校舎には入れなかった。スクールカウンセラーからは「慌てても逆効果。少しずつ寝る時間を戻していきましょう」と助言を受けた。
「子どもの気持ちを大切にしたい」。そう思うが、社会福祉協議会から借りた10万円で何とか食いつなぐこの生活を続けるのは難しい。「早く学校に行ってくれれば助かる」。子を思う気持ちと厳しい現実の間で悩むが、答えは出ない。
=2016/06/09付 西日本新聞朝刊=
西日本新聞社
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