最近、奨学金を抱えている人間が多いという話で吹き上がっている高学歴で大学教育が大好きな人たちをインターネットで沢山見た。
彼らが奨学金やら大学教育について語りたがる理由は、自分が高偏差値な大学に入学できて大学談義が楽しいからでしかないと感じる。
どうやら、彼らの多くは奨学金を借りないといけないという金銭面での差別については怒っているのに、大学に入れるか入れないかの能力での差別は問題ないと思っている。
親が小金持ちで京都のカス大学の底辺学部に通う自分としては、彼らの考えを見て呆れるばかりである。
しかし、都内に実家があるにも関わらず北区のカス大学の学費が1年間に200万円もかかる底辺学部にしか受からなかったのだ。
能力がない親が金がある人間は惨めな思いをするべきだし、金も能力もない人間はもっと惨めな思いをするべきだと言っているようなものなのだ。
能力という生得的なものをヨシとして、何も持てなかった自分の唯一のアドバンテージである小金を奪おうとする。
最悪だ。
そして、持病の副作用で顔中酷くべったりと付いたボコボコでドロドロなニキビ跡が綺麗になってほしい。
大きな顔でチリチリな髪という整形でどうにかならないような醜い容姿をどうにかしたい。
持病が再発して、また酷い副作用の治療薬を飲んだら顔が腫れ上がったり、今より酷いニキビ跡がつく。
あぁ、最悪だ。
母親の知能の低さが伝染ったのだ。
そんなにカネの差別が問題ないのなら、親の小金を使って容姿やら学歴やら健康を手に入れる方法を教えてほしい。
女や妊婦やLGBT、外国人へのヘイトスピーチに怒る人が出生前診断という実質的にダウン症の人へのヘイト行為は大賛成したりするのだから。
なぜ奨学金漬けの大学生が同情され、君が同情されずxevraみたいなアホにFランのカス呼ばわりされるのか!!!!!! それはつまり、大学というのが能力を問題とする場だからです!!...