硫黄島における某事業
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私が絶海の孤島に渡った理由は、当時間もなく開始される計画であった某事業の先遣調査的なもので、その某事業とは航空自衛隊「F-104J無人機化事業」のことです。当時はQF-104J事業と呼ばれていました(数年後の量産機からUF-104Jと制式化されました)。この当時、世間とくに航空機業界は日米両政府を巻き込んだ航空自衛隊の次期支援戦闘機(現F−2)の選定、計画に沸いており、同じ航空自衛隊の事業でありながら、QF-104J事業はあまり注目されなかったのが残念なところです。 年も代わり再組立も終え地上、機上システムを総括する作動試験に入り3月には無人機システムによる初飛行を目指すことになりました。セーフティーパイロットの母機演練も上々。ただ2件ほど解決に手間どっている不具合があり飛行試験がストップしているというので、しかも自分の担当部位らしいことがわかり、押取り刀で、硫黄島に向かいました。すでに島に派遣されている人々のフラストレーションが溜まってきた時のある春の日、私は島に降りました。皆の目(60位あったかな)は、「何ゆっくり来ているんだ、おまえを待っていたんだ、明日にも飛行させたいんだ。」と語っていました。このピリピリとした雰囲気の中で私は来島するなり、徹夜でのトラブルシュートとなりましたが、運と知恵の相乗効果で2日後には不具合は2件とも解消、そして飛行へ、と遅れ気味であったスケジュールも回復に向かい、その頃には工作の人達からも「いい時にあんたが来てくれた。大江(名古屋)のほうでも考えた派遣計画をしているな。」と言われ、大部言葉の言われ様が変って来たことを覚えています。 運と知恵の相乗効果で直した不具合の細部はここでは控えますが、一つは旧い機体にあまり荷物を乗せるなということです。今回の例では無人機化システムとして機器を沢山追加したため電源の余力がなくなり、なにか重たいことをさせると(たとえばフラップを上げ下げさせたりすると)一時的に低血糖、ではなく低電力になり所定の電圧を各機器に供給できなくなります。わずか1Vでも所定の入力電圧に不足を生じると機体に搭載した機器はとんでもないことを始めます。特に一時的に起きた電圧低下がとりあえず復旧したときが一番要注意。或る機器はいきなり自己テストモードに入ってあちこちに無意味な電圧を出力したり、いままで続けてきた作業をご破算にしたり、あるいは黙り込んで不作動状態になったり、と各機器の挙動の見当もつきません。さすがに無人機でこのようでは拙いと思い既搭載のバッテリーに繋げば電源の瞬間的な電圧低下が防げると思い、実際そうしました。が、それでも時々不時システムダウンします。バッテリー自体が老朽化して放電電圧が低めぎりぎりに成っているためです。しかし硫黄島という孤島の中で他に妙案もなく、結局バッテリー様様、こまめに充電をして仕様最低限ぎりぎりの電圧を出していただいくことにしました。教訓:「機体電源は余裕をもつこと」「電源瞬断が起きた際、復帰後にシステムが瞬断前と連続的な値を出すようなシーケンスにすること」。あと思ったのは不具合解消には色んな人があっちこっち機体や機器をこねくり何かの反応が偶然出て、それがヒントになって一気に不具合解消と言うケースもありました。普通のトラブルシュートは起こりうるケースをツリーにしたシステマティックな方法が常道ですが、たまにはインスピレーションもありと言うのが実態でしょう。 空自は6月にシステム受領後、かなりのペースで飛行試験をこなし、数多くのデータも蓄積されているようでした。機体前方を映すTV画像を見て着陸するのに一番感覚的に分かりにくいのが対地高度でこれの勘が狂うと着陸角度に大きく影響し、下手をするとバウンド・・・・・・。対策として機首部分下に電波高度計を取付け、正常な高度で着陸に至っているか地上パイロトットが分かるようになり、着陸時の安全性がかなり改善されたようです。 試験評価は1年では終わらず3年近く続きました。このころになると会社側の技術者はごく一部を除き島を撤収、余り情報も掴めなくなってきました。しかしやはり百ソーティを越える飛行をこなしていると色々な事(不具合)が起き大江から不具合解消のために技術者が度々出かけていました。どんなことが起きどうやって解決したかは話せば長くなるのでやめます。自分の体験した例ではやはり老朽化した機体では電気配線の被覆も損傷が各所にあり、意図しない信号短絡等がかなりあったように記憶しています。 なお量産が始まったのも確かこの頃です。3回の契約で12機が製造されました。 |