何度目だ
タイトル、正確には「ありました」と過去形なわけですが。
オタク対サブカルという本来はなかった対立項を無理やりデッチ上げたのはまったくロック的感性のないオタクアミーゴスの連中ですよ。@ugtk
— 町山智浩・告知用 (@TomoMachi) 2016年5月31日
↑町山智浩氏の「オタクvsサブカルはなかった」発言。以前、竹熊健太郎氏が同じようなことを言っていて、うちのブログでも「んなわけねぇだろ!」と反論しましたが。
なんで私と町田竹熊両氏の間でこんな認識の違いが産まれてくるのかっていうと、私の中では結論はもう出ていて、要するに世代と環境の違いなんだと思います。
町山氏も竹熊氏も60年代産まれで、サブカル黎明期に思春期を送った世代です。確かにこのころはまだ、オタクとサブカルは対立していなかった。オタクはサブカルの一流派であり、マンガも洋楽もアニメもYMOも映画も、全部平等に消費していた層はたくさんいた。いろいろな証言や文献を当たるに、ここまでは確かなことのようです。
しかし80年代、「ネアカ/ネクラ」という言葉が流行し始め*1、サブカルも「ネアカ系/ネクラ系」に分化していきます。前者は「イケててオシャレな」サブカル系、後者は「暗くてキモい」おたく系。
こうした流れの中で、おたくのキモさを徹底的に揶揄した中森明夫氏の「おたくの研究」(83年)が登場し、更に1989年の宮崎勤事件をマスコミが「オタクの犯行」とセンセーショナルに取り上げたことにより、90年代の「オタク差別」の流れは決定的なものになります。
この時代の若者の間では、オタク差別を恐れ、本当はオタクカルチャーが好きなのに無理をしてサブカルに走ったり*2、「俺はアニメやマンガ好きだけどサブカル系だからオタクじゃないよ!」と、オタクを生け贄にして差別を逃れ、優越感を得ようとする「似非サブカル」層が大量に発生しました*3。
「オタクは犯罪者予備軍じゃない!まっとうな人間なんだ!」じゃなくて「僕はオタクではなくサブカルです。殴るならあちらへどうぞ。」ってやってたらオタクとの溝が深まって対立につながったってだけどと思うけど。
— Dory (@Dorumen) 2016年6月6日
オタクvsサブカルと聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは、90年代のティーンエイジャーを中心に見かけた、この「似非サブカル」層です。しかし、町田竹熊両氏がいう「オタクvsサブカル」は、おそらく彼らが思春期を過ごした70~80年代…「オタク差別」が顕在化していなかった時代のことを指しているのでしょう。
確かにこの時代、オタクとサブカルはまだ未分化でしたから、「対立はなかった」となるのは当たり前です。だから、両氏が言っていることもまた、正しいのです。ただしそれは、90年代オタク差別時代以前の「事実」であり、それ以降の世代にとっての「事実」ではない。このことは、強く指摘しておきたいところです。
正直このへん、自分が生きた時代の昔話をオタクサブカル全体の話として語ってしまう老害*4文化人のみなさんに、本当に辟易してしまうんですよね。あの方々は業界で権威があるから、あの人等の「俺の周りはそうだった」に過ぎない発言が、まるでオタクサブカルの「正史」であるかのように語られるようになってしまう。
そりゃあ、あんたらが思春期を送った時代はオタクとサブカルは未分化だったし、すでに社会人になっていた90年代、成人になってまでオタクだサブカルだでマウンティングする幼稚な人間が、特にオタクサブカル出身者が多い出版業界に、そんなに居るわけがない*5。
でも、90年代のティーンエイジャーの間では、「どんな文化がイケているか、消費がイケているか」は、クラス内権力争い…スクールカーストを決めるうえで極めて重要な、1大関心事項だったわけです。そのへんを無視して、自分たちの周りだけを見て「オタクvsサブカルはなかった」とか、ふざけんなよと*6。
社会経済学で「企業は法律で解雇が規制されているから人材の流動性が低くて云々」みたいな話、よく出るじゃないですか。でも現実には、そんな法律守っているのはエリートが務める大企業くらいのもので、中小企業ではガンガンに違法解雇が行われているわけですよ。「企業が解雇規制で苦しんでいる?はぁ、エリートさんは大変恵まれた環境でゆとりを持って働けて羨ましいですねw」それとまったく同じ話です。
このへん、サブカル文化人が未だ60年代産まれの老害が主流で、90年代の現場で起きていたオタクvsサブカルを語る文化人がまったく出てこないのが悪いんですが*7、ホント、この時代のオタクvsサブカルを、オタク差別と絡めてまとめてくれる文化人、出てきてくれないですかねマジで*8。しょうがないから、こうして自分で書いてるわけですが。同人魂!DIY!!
オタク側にとっても、サブカル側にとっても、このへんが「若気の至り」として済ましておきたい黒歴史なのは痛いほどよくわかるんですが*9、あの時代のあの空気が「なかったこと」にされてしまうのはそれ以上に誠に遺憾ですので、私は私の眼からみた痛い事実を、耐え難きに耐え、忍び難きを忍び、ここにこうして書き残しておく次第であります。
最後に
町山氏、竹熊氏には大変失礼な物言いとなってしまった今日のエントリですが、町山氏の映画評論、竹熊氏の昭和サブカル話など、本業のお仕事はとても面白く拝読させていただいているし、先輩オタク/サブカルとしてその凄まじいばかりの知識量や文章力を、リスペクトもしています。
しかしこの、「オタクvsサブカルはなかった」発言は、いけません。それは60年代産まれの文化系エリートであり、業界人であるという、両氏の立ち位置から見た風景なだけで、違う世代、違う立ち位置の人間から見た風景は、まったく異なったものなのです。
ちなみにその後、00年代中頃から、オタクカルチャーのメジャー化が急速に進み、オタクであることはスティグマでもなんでもなくなり、オタク差別は解消されました。だから、いま10代20代のオタクやサブカルの若者たちは、私ともまったく違う「事実」を体験していることと思います*10。
私自身、その世代のオタクサブカルの方の感性は理解できませんし、「理解できていない」ことを忘れず、迂闊に言及して若い世代から総スカンを食らわないよう、自戒したいものだと思います。
*2:なにを隠そう、私がそうだった!
*3:当時の空気は、 http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20141127/p1 を参照。
*4:あえて、この言葉を使わせていただきます。
*5:町山氏への反応を見ても、町山氏に賛同する意見は業界人の同業の方の発言が多いように見えました。
*6:ちなみに大人になると、換わりに職業や地位や旦那の収入でのマウンティング合戦が始まります。
*7:ユリイカの『オタクvsサブカル』(2005)も、老害業界人&文化系エリートが書いた本だったため、「オタクvsサブカルはなかった」的な論調になっていて、誠に遺憾でした。
*8:近いのは、かつての宮台真司氏と、『ギャルと不思議ちゃん論』の松谷創一郎氏(id:TRiCKFiSH)、はてなのシロクマ先生(id:p_shirokuma)くらいですかね、私が思いつくのは。
*9:私だって、メチャクチャ痛い。
*10:次回のエントリでは、なぜオタク差別が解消され、現在の地位を築くことができたのか、について考察するつもりです。