将棋はいつごろ誕生したのだろう。平安時代の文献には「将棋」という言葉が登場し、その頃には今より盤が大きく駒も多い「摩訶大将棋(まかだいしょうぎ)」という大型将棋が存在したといわれる。将棋のルーツともいわれるその摩訶大将棋を研究しているのが、大阪電気通信大学総合情報学部の高見友幸教授(59)が会長を務める「日本摩訶大将棋連盟」だ。盤は縦横19マス、駒は50種192枚もあり、現代のプロ同士の対局の4〜5倍に当たる平均500手も要するが、2時間半ほどで終わるという。“摩訶不思議”な摩訶大将棋の魅力に迫った。
「将棋」という言葉が登場する最古の文献は、平安時代中期の文化、風俗などを書いた「新猿楽記」(11世紀中頃)。だが、ルールや用途に関する記述はない。平安後期の公卿で歌人の源師時(みなもとのもろとき)の日記「長秋記」には、「鳥羽天皇が占いに将棋の駒を使った」との記述があり、高見会長は「当時の将棋は遊戯というよりは、神前の儀式などで使われていたのでは」と推測する。
鎌倉初期に編纂(へんさん)されたと推定される習俗事典『二中歴』には、大小2種類の将棋がとりあげられ、「相手を玉将1枚にしても勝ちになる」との記述がある。つまり、当時の将棋には持ち駒の概念がなかったとみられる。
高見会長によると、将棋のルーツや成り立ちには諸説あり、これまでは「大将棋は小将棋が発展し作られた」との説が主流だった。
copyright (c) 2016 Sankei Digital All rights reserved.