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自分用備忘録的な何か。

ドラクエ名作探訪その2「ドラゴンクエスト VII エデンの戦士たち」【ネタバレありレビュー】

ドラクエ名作探訪 ドラクエ

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初めて並んだドラクエ。

自分がまだ東京にいたギリギリの時期、2000年の8月に「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち(以下ドラクエVII)」は発売された。

当日、自分は夜の勤務が終わって、蒲田のゲーム屋「ブルート」の2階にあるジョナサンで友達と朝ごはんを食べていた。7時から販売開始だったので、どうせならそれまで待って買って帰ろうと思っていたからだ。

で、6時半過ぎくらいになって窓から階下を除いてみると、なんと行列ができていた。PlayStationの時代になり、予約さえすれば必ず手に入るようになっていたのにもかかわらず、人々は行列をしているのだ。

そこで思いついた。どうせならその行列に加わってみようと。一種のお祭り感覚だった。というわけで、ドラクエVIIは人生で初めて、そして唯一行列をして手に入れたドラクエとして忘れられないものになった。

 

フリーズはあまりしなかった(初期版でも)

ドラクエVIIは、はっきり言って諸手を上げて絶賛できるような作品ではない。むしろ、賛否両論である。だが、実は417万本と、シリーズどころか国内PlayStationソフト最大の売上を誇っている。

SFCのドラクエVIから5年の歳月が流れ、その間にファイナルファンタジーシリーズは3作品(この2000年はドラクエとFFが同時に出た記念すべき年でもある)がリリースされていた。ドラクエは未だ国民的RPGではあったが、日本のゲームの最先端を行っているゲームではなくなっていた。ゲーム中に挿入されるムービーなどはあまりにも酷く、むしろドラクエにムービーは要らないとまで言われた。実際そう思う。

それでも、ドラクエVIIには「匠の技」とも言うべき工夫で、カセットからディスクメディアに変更になった事を受けて心配されていたロード時間を、殆ど感じさせないほど短縮している。これは、データの先読みや、関連するデータをCD上で物理的に近い位置に配置するなど、地味な努力が実を結んだ結果だ。

だが、これが元でフリーズが「頻発する」と言われた。ここで「頻発する」を「」でくくったのは、自分がプレイしている時はフリーズは一度しか起きなかったからだ。ダーマ神殿に入った時に一度止まっただけである。なので、困ってしまうほどフリーズが起きたわけではない。個体差があるのかもしれないし、PS2とPS1の両方でプレイしていたことが関係しているのかもしれない。とにかく、自分の環境ではフリーズは殆ど起きなかった。が、これはドラクエVIIの問題点としてよく取り上げられるので書いておく。

 

昼メロさなからのストーリー展開。

ストーリーは、VI同様に主人公がプライベートな出来事から旅に出るもので、「選ばれし勇者の物語」ではなくなった。途中で主人公にそれなりのバックボーンがあることが明かされるが、正直取ってつけたようなもので、世界の命運を背負っている感は感じることが出来なかった。

また、個々のイベントは総じて暗いものが多い。ドラクエにしては珍しくドロドロの怨憎劇のようなものが繰り広げられるのだ。

ドラクエVIIのストーリー上のシステムは、封印された大陸を石版を集めることにより開放し、そこ(過去の世界)で起きている問題を解決し、次の石版を集める…というような流れになっており、大陸にある町では必ず何かしらの問題が起きている。

その「問題」が、たとえば村人の裏切りで魔物と化した元英雄を倒さなければならないものであったり、ハーブ園の村の村長の息子と許嫁と庭師の三角関係だったり、人間嫌いになった研究者がからくり兵に今は亡き恋人の姫エリーの名前を付けて隠遁し、現代になっても死んでしまった研究者を看病するエリーの話だったり、全体的に本当に重い。

中でも問題なのが、世界三大胸糞悪いイベントと称されるレブレサックのイベントだ。

村の教会に住み着いた魔物を倒してくれと依頼されて行ってみると、そこには村の平和と引き換えに村人が魔物と取引して魔物に変えられてしまった神父がいた。その後、村人と取引した魔物を倒し神父が元の姿に戻るが、神父は村人たちの反応を考えて姿を消す。村人は神父に感謝の気持ちを込めて石碑を建立した。

だが、現代に戻ってみると、石碑は改ざんされており、主人公たちが魔物で、村人と神父が協力して主人公たちを倒し村を救ったことになっていたのだ。イベントで本物の石碑を見た現代の村長は「こんなものはあってはならない」と、石碑を破壊してしまう。正直、この村でのイベントは本当に胸糞悪い。

こんな風に、ドラクエVIIは「誰も救われない」系のイベントが連発するのだ。一つ一つのストーリーはよく作られており、面白くもあるのだが、連綿と流れる大きなうねりにはなっておらず、どうしても歯の奥にものが挟まったような違和感だけが残るものが多い。

ただ、個人的にはドラクエIV同様に勧善懲悪ではないストーリー群や、終盤の超展開はある意味新鮮であり、プレイしている時は十分に楽しんでプレイした。結構文句を言いながらも、結局最後までプレイしてしまった。決してつまらなくはなかったのだ。ただ、「ドラクエとしては異端」だっただけで。

この後味の悪さは、次作のVIIIにも引き継がれることになる。

 

100時間遊んだRPG。

2013年には、ニンテンドー3DSでリメイクされた。が、買わなかった。VIIは嫌いではないのだが、もう一度遊ぶ気にはなれなかったのだ。それは何故かというと、ドラクエVII最大の問題点である「プレイ時間の長さ」があるからだ。

ドラクエVIIはマジで長い。PS版をクリアした時には本当に100時間を超えていた。特にやり込んだりコンプリートを目指したわけではない。普通にクリアして100時間を超えていたのだ。クリアした時には「ああ、やっと終わったんだ」と、正直ほっとした。

そもそも最初のイベントからして長い。最初に戦闘が出来るところまで行くのに数十分かかるのだ。しかも、面倒な仕掛けを解いて進むセーブ不能の謎のパズルダンジョンを進んでいかなければならない。そして、このパズルダンジョンは今後特にストーリーに絡んでこない。「魔物のいない世界」を表現したかったのかもしれないが、ちょっと長すぎたのではないか。

全体的なストーリーも、伏線の回収等が曖昧で、よっぽど注意深くプレイしないと繋がっているのかいないのかわからない。メルビンの復活あたりのところで一度ストーリーが整理され、シャークアイ関連の主人公の設定が語られるが、前述した通り説明不足感が否めない。ショートイベントの連続と全体のストーリーの融合で個々人の物語になるのがドラクエの特徴だが、ドラクエVIIに関しては、このバランスが悪かったと言わざるを得ない。

なにより問題なのは、無駄に時間が掛かる石版集めだろう。殆どヒントらしいヒントのないものも結構あるので、本当にドラクエVIIの石版集めは「楽しい」というより「わりと苦痛」と思ってしまう。

ただ、今作から導入された「会話システム」は非常に面白かった。これまでドラクエのキャラは鳥山明のイラストと説明、そしてイベント内の行動や会話からしかその個性を見ることが出来なかったが、会話システムが導入されたことで、その時仲間はどう思っているのかなどを知ることが出来るようになり、キャラクターに愛着が湧くようになった。

 

戦闘のバランスは悪いがテンポは最高。

ドラクエはVIから導入された「とくぎ」がとても強く、はっきり行ってバランスブレイカーなんじゃないのかと思っていたのだが、VIIでもそれは引き継がれている。職業をマスターした時のパラメータ補正などが非常に強力で、とくにゴッドハンドは本当にバランスブレイカーである。個人的な希望を述べるのであれば、最強の最上級職は勇者であって欲しかった。

初期の段階から突然強ボスが出てきたり、ダーマ神殿などの制約の多い状態での戦闘を強いられたりと、道中のバランスは厳しいところもある。そうかと思えば嘘みたいに弱いボスもいたりして、ゲームが長大になった分バランス調整も難しかったのだろうかと思わなくもないが、ダーマ神殿なんかは語りぐさになったりするので、それはそれで面白かった。

ただ、パーティーの自由度が終盤までは低く、突如離脱するキャラがいるので予備知識無しだとパーティーのバランスが悪くなってしまう。とくに、キーファが二度と戻ってこないとは思っていなかった。マリベルは戻ってきただけに、いつかキーファも戻ってくると思ってプレイしていたのだが、まさかエンディングの手紙まで出てこないとは思わなかった。

戦闘時の補助呪文の効果が途中で切れるようになったのもこのVIIからだ。これにより、スクルトやルカナン、バイキルトなんかのかけ直しが必要になり、面倒だが戦略性は増した。

前述のとおりロード時間は非常に短いため、戦闘のテンポは本当に気持ちいい。戦闘以外にもマップ移動等でも殆どロード時間を感じさせないので、そこは本当に凄いと思う。

 

異端のドラクエ、それがドラクエVII。

それまでの任天堂ハードではなく、ソニーハード、それも当時はロード時間などが問題になっていた時代だけに、制作側の工夫が凝らされたドラクエVIIは、決して手放しで褒められる超名作とまでは言えない。だが、実際に100時間もかけてクリアするほどのめり込んでいた。あっという間とは決して感じなかったが、クリアした時には達成感があったのも確かだし、サントラも買った。

ただ、石版集めや個々のイベントが「作業感のあるフラグ立て」の要素が強かったのも事実だ。それが必須だったからこそのプレイ時間の長さであり、「VII=石版集めつらい」というイメージが先行する理由でもあるだろう。

一つ一つのイベントは印象に残るものであり、胸糞は悪くともよく人間関係などを描いた面白いものだった。ただ、それまでのドラクエらしくないというだけで、お話として考えるとよく出来ているのだ。

ドラクエVIIは、本来ならやりこみ要素にされるべき「作業」が、「必須のイベント」になってしまっているがために、膨大な時間を必要とするゲームに仕上がった。このイベントがせめてメインストーリーに密接に絡み合ってくるような流れだったり、あるいは主人公の行動結果によって内容が変わるようなイベントになっていれば、後の世のTESシリーズのような評価を得た可能性もなくはない。

現代のハードウェアであれば、このボリュームでもリニアなゲームではなく、主人公の行動如何によってはイベントの結果が変わるようなゲームを作ることも出来ただろう。だが、当時のハードウェアのメモリ容量ではとてもそれは不可能だった。だが、もしそういうゲームを作ることができていれば、とんでもないゲームが出来上がっていたかもしれない。

もしかしたら、それが故山内溥氏の言っていた「書き込めるドラクエ」だったのかもしれないが。