第二の産業分水嶺 (ちくま学芸文庫)
原著が書かれたのは1984年で、日本がアメリカの覇権を脅かしつつある時代だった。本書はGMやIBMに代表される巨大な垂直統合企業が経営危機に瀕しているのはなぜかを説明し、日本に代表される分散型の「柔軟に専門化」した企業が勝利することを予言した業績として、この分野の古典といってよい。

工業製品が知識集約化するに従って、工程が複雑化することは避けられない。これを多くの工場を垂直統合する、チャンドラーのいう「見える手」で解決したのが20世紀初頭の第1の産業分水嶺だったが、これは分業システムを硬直化し、多品種少量生産には適していない。

ハイエクは逆に「複雑な秩序は構成員への命令ではなく、自律分散的な自生的秩序によってのみ維持されうる」と論じた。小さな町工場から出発したトヨタがGMを倒し、大学のドロップアウトがつくったマイクロソフトがIBMを倒したことは、ハイエクが正しいことを証明した。これが本書のいう第2の産業分水嶺である。

これが70年代以降の「2.5次産業」と呼ばれる知識集約型の製造業への「意図せざる適応」となり、80年代は日本の時代になった。しかし第2の分水嶺の流れは「トヨティズム」を超えて進み、インターネットは世界に分散した企業をコンピュータでつなぐ「モジュール化」の時代になった。

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