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第116話 『冥王』クローナ
3つほどお知らせを。
前話で、ついでみたいにちょろっと書いてあった、ミナトたちのランクアップの部分を削除しました。まだ時期じゃないかなと思ったので。
2つ目。
今回と次話の2話、この小説には珍しくちょっと重い感じの話が入ってきます。大丈夫だとは思うんですが……苦手な方はご注意を。
そして3つ目。
タグに『ハーレム』を追加しました。以前から考えてたんですが、念のために。
クローナ・C・J・ウェールズ。
『女楼蜘蛛』の元メンバーにして、あらゆる学問に通ずる天才。
吸血鬼族であり、通称『冥王』。
つい今しがたまでほぼ全裸だった痴女のプロフィールは、簡単に言うと大体こんな感じらしい。
そのクローナさんに家に入れてもらって、現在僕ら全員、リビングらしき部屋でふかふかのソファに腰掛けてる。
ちなみに今クローナさんは、どこからか出した黒のワンピースっぽい服に身を包んでいる。その上から白衣で……下着は特につけていないらしい。
濃い紺色というか青紫色というか、そんな感じの寒色系の色の髪を短めに揃え、エルク以上に何というか……目つきが悪い感じ。
身長は低めだけど、ワンピースから谷間が覗く胸は、母さんと同じくらいある、若干アンバランスな体型。線も細めで一見非力だけど……まとう空気は確かに『本物』のそれ。
あと余談かもだけど……目つき以上にかなり口が悪いみたいだ。一人称『俺』だし。
そして、その他の特徴としては……手足の爪が尖ってるってことと、口元から除く犬歯がかなり鋭そうだ、ってことくらいだ。吸血鬼だからだろうか?
「しっかし相変わらず、外見と違って飾りっ気の無い家だねえ……絵とか飾ったりしないの?」
「バーカ。んな2、3日で飽きるの確定なもんわざわざ置いたって邪魔になるだけだろーが。別に誰を呼ぶわけでもあるめーし、貴族の真似事なんかやってられっか」
言いながら足を組み変えるクローナさん。
その拍子に、さっき『はいてない』公言してたスカートの中身がちらっと見えそうになったけども……そこで見に行く度胸は僕には無いので、つい今しがた運ばれてきた紅茶に口をつけるふりをして、それとなく部屋の中に視線を逃がしておいた。
ちなみに、このお茶を出してくれたのはクローナさんじゃなく、家政婦か何からしい、メイド服姿の女の子だったんだけど……なぜかその体が半透明だったので、ぎょっとした。
それ以外は普通の女の子だし、目が合った時の自然な笑顔はかわいかったし、入れてくれたお茶も美味しかったんだけど……いや、半透明って……?
魔法生物か何かだろうか? それとも、召喚獣……とか? どっちにしろクローナさん、何にメイドやらせてんだろ?
いや、それよりも……
「さて、と」
出てきた紅茶で唇を軽く湿らせたアイリーンさんは、目の前で眠そう+面倒そうにしているかつての仲間に対し、単刀直入に用件を切り出す……かと思ったら、
「早速今日君を訪ねた用事について話そうか……と、思ったんだけど、その前に少し確認しときたいことが出来ちゃったんだよね。いいかな、クローナ?」
「大方、そこで俺のスカートの中見ねえようにいらん気ィ回してるガキ絡みだろ?」
「ん、正解」
当然のように返された、クローナさんの答え。
その言葉に、アイリーンさんの目が、僅かだけ細められたような気がした。
チラ見未遂がしっかりばれてたのは流すとして……アイリーンさんは、一瞬だけ僕に視線を向けた後、更にこんな質問を。
「クローナ、君、彼のこと知ってるのかい?」
「ミナト・キャドリーユ。リリンの奴の26番目のガキ。今年16。『グラドエルの樹海』の洋館でリリンに育てられた世間知らず。得意な魔力の属性は『闇』で、戦闘スタイルは徒手空拳、使ってる武器は『ジョーカーメタル』製の手甲と脚甲」
肯定の代わりに、聞いてもいないのに僕の詳細なプロフィールをさらさらと言ってのけたクローナさんは……アイリーンさんの目に勘ぐるような光が宿ったのを無視して、自分の紅茶を一気飲みした。
そして、
「まどろっこしい言い回しは無しでいいぜ、アイリーン。そこのお前らも……俺が何でコイツのことを知ってる、どころか『見覚えがある』か知りたいんだろ?」
……ご明察、である。
さっきから、ずっと気になってた。
何でこの人が……僕のことを知ってるのか、と。
今クローナさんも言ってたとおり、『樹海』の洋館で母さんと二人で暮らしてきた僕は、基本的に知り合いなんてものはできなかった。
だって、周りに人がいなかったから。
盗賊退治とかで母さんにつれられて樹海の外に出た時、その退治する盗賊とか、さらわれた女の子とかに出会うことはあったけど……そのくらいだ、修行の日々だった16年間で僕が会った人なんて。
無論、そんな面子を『知り合い』にカテゴライズできるはずも無い。
だから、洋館を出て最初に出会ったエルクこそが、僕がこの人生で、母さん以外に初めて会った人……の、はずなんだけど……?
この人……クローナさんはさっき、こう言った。
『見ねーうちにでかくなったな、おい』
普通に考えて……以前に一度でも会ったことがないと出てこないセリフである。
しかし前述の理由で、僕に知り合いなんてものはいないし……僕自身、クローナさんのことを見たこともない。
顔は愚か、名前すら聞いたことはなかった。アイリーンさんに聞かされるまで。
なのになぜ……彼女は、僕のことを知ってるんだろうか?
そういえば以前、テレサさんやアイリーンさんが、僕のことを『見覚えがあるような気がする』って言ってたっけ……それと関係があるのかも?
僕やアイリーンさんだけでなく、僕の周りにいる『邪香猫』メンバーのそれも含めた、いかにも聞きたそうな視線を一身に受け、若干うざそうにしていたクローナさんだが、
「そりゃまあ、知ってるし、会ったこともあるからな、コイツには。1年半くらい前に」
またしても、あっさりとそんなことを。
すかさずアイリーンさんが僕に、確認するかのように視線を向けてきたけども残念ながら僕の記憶に、それらしきものはない。ホントに覚えてない。
具体的に時期まで付け足してもらっても、そもそも母さん以外の誰か知り合いがいたっていう記憶そのものがない。
すると、そんな僕の心中を知ってかしらずか、
クローナさんはさらりと、しかしこんなとんでもないことを言ってのけた。
「ま、そりゃ覚えてるわけねーさ。何せ……お前の記憶、消してあるからな」
………………
「「「は!?」」」
☆☆☆
クローナさんの口から語られたのは、僕が洋館を出る1年前、
今もう、洋館で手から半年経ってるから……現在から数えると約1年半前に起こった、僕も全く知らなかった事実だった。
いや、訂正……覚えてなかった、と言うべきか。
クローナさんが言うには
もっとも、ほとんど会話なんかはしなかったらしいけど。
クローナさんはその時、ある用件で母さんに呼ばれて樹海の洋館に来ていて……その時、僕は彼女と会っているらしい。
が、僕はそんなことは覚えておらず……そしてその理由を彼女は、『記憶を操作して消したから』だという。
クローナさんはそんなことを、紅茶のおかわりを飲みながら普通に話してくれたけど……ツッコミ所が満載すぎてまずどこから指摘していいやら。
一体その時、何があったんだろう?
何で僕、記憶を消されたりしたんだろう? 何を忘れさせられたんだろう?
忘れさせられたのが、クローナさんと会ったってことだけだとは考えにくいし……
予想外どころじゃない事実に戸惑いつつも、『邪香猫』メンバーはもちろん、アイリーンさんすらも聞きたそうにしているそのことを、一体どういう事なのかと聞いてみたところ……
「まあ、話してもいいが……その前に、お前らの本来の用件の方片付けよーぜ? 何か他に用事があって俺を訪ねてきたんだろ?」
「……そうだね、そうしようか。もし君の話が予想以上に中身がシリアスで重い奴だったら、皆色々と大変で、別の用件どころじゃなくなっちゃうかもしれないし」
「おぅ、わかってんじゃねーか」
とまあ、アイリーンさんとクローナさんとの間で交わされた、嫌な予感全回の会話を経て……まずは、僕らが持ってきた本来の用件の方を先に片付けることに。
まあ、一応正論ではある。可能性としては……あんまり考えたくないけど。
ともかく、だ。
僕らが今回持ち込んだ、クローナさんへの依頼は……全部で3つ。
1つ目は、僕の体の検査。
王都の研究所でも解析できなかった僕の体の謎を、彼女の知識と技術で調べてもらう。
2つ目は、僕の装備の修理。
アイリーンさんとドレーク兄さんから聞いたところによると、『ジョーカーメタル』を加工できるだけの技術はそんじょそこらの工房にはない。しかし、クローナさんならできるので、ダメもとで頼んでみてはどうだろう、とのことだった。
そして3つ目、これは僕からじゃなく、アイリーンさんから告げられた。
内容は……こないだ『狩場』に出た、『ディアボロス』の素材の解析。
さかのぼること1週間ちょっと前、
あの死闘の後、せっかくなので僕は、周りに落ちていたあいつの角や爪なんかの破片を、とりあえず目立つ範囲のものだけ拾ってきていたのである。
前回同様、アイリーンさんに買い取ってもらったそれは、王都の研究機関に回されたそうだけど……どうやら解析は難航しているらしい。
そこで、一部をクローナさんに解析してもらおうと、ついでに持ってきたそうだ。前にザリーが回収した、『花の谷』の時の分もセットで。
それらを一通り聞いたクローナさんは、意外にも軽い感じで全部引き受けてくれたんだけど……僕が差し出した、壊れた手甲と脚甲を見るや、またしても驚くべきことを平然と言ってくれやがったのである。
「あーあー……また派手にぶっ壊してくれたなおい、俺の自信作をよ」
「「「……え゛っ!?」」」
そう、
なんとこの手甲と脚甲……クローナさんの作品だったのである。
というか、手甲と脚甲だけじゃなく、僕が着ているこの尋常じゃなく頑丈な服も、色々形や大きさが変わるスカーフも、伸縮自在のあの棒も、収納効果つきのリュックサックに至るまで……およそ僕が身につけているものほぼ全て、クローナさんの作品だった。
すなわち母さんは、僕が冒険者として旅立つに際して必要なアイテムを全部(ベルト以外)、クローナさんに依頼して作ってもらっていたのである。
なんか僕、知らない所でこの人に随分お世話になってたんだな……
そのクローナさんは、ディアボロスとの戦いで砕けて壊れてしまった手甲を、いとも簡単にパーツごとに分解して各部の様子を見ていた。
「……なーる。普段から滅茶苦茶な使い方してたらしいなおい。各部に随分とダメージが蓄積されてら……こりゃほっといても1年かそこらで壊れてたな」
「そうなんですか? いや、普通に使ってたつもりだったんですけど……」
「おまえんちの『普通』は『普通』じゃねーんだよ。ったく、10年メンテなしでも大丈夫なように作ったってのに、半年でダメになるってどーいうことだコラ」
「……すいません」
ぶつぶつと文句をいいつつも、愚痴程度でそのお小言は終わり……クローナさんは部品全部を、どこからか出した袋に放り込んだ。後できちんと修理してくれるそうだ。
お代はきっちり請求するらしいけど……出世払いでいいらしい。
……超金属の加工料ってどんくらいになるんだろう? ちょっと不安。
あと、僕の体の検査および『ディアボロス』の素材の解析は後日やるらしい。
そんな感じで、僕らの用件が片付いた所で……話題は、さっき保留にした、1年半前の出来事に戻った。
僕がクローナさんに出会い、そしてその記憶を消されたその時、一体何があったのか。
アイリーンさんすら、クローナさんにも母さんにも一言も聞かされていなかったその真実は、
「……最初に言っとくが、お前の受け取り方いかんでは結構きつい中身だぞ? 色々と悩みの種になりそうなことも多いから……心の準備だけしとけよ」
そんな、こういう過去話をする時にある程度お決まり(?)の前置きと共に、語られることになった。
そしてそれは……
僕が最近悩まされている、あの『悪夢』。その理由にも関わってくることだった。
☆☆☆
『消された記憶』の内容だから、僕は覚えてないんだけど……僕が洋館を出る1年前、ある事件があった、とクローナさんは話した。
家を出る時に読んだ母さんの手紙にあったように、その時すでに僕は、一応外の世界でやっていけるだけの実力をつけていた。
しかしその時、母さんは……ホントに外に出しても大丈夫かどうか確認するため、僕の実力その他を試すための『テスト』を行ったらしい。
10歳くらいの時にやったアレと同じようなのをもう一度企画し、実行したのだという。性懲りもなく。
そしてしかも、その内容ってのが、またとんでもないものだったらしい。
後で母さんからそれを聞かされたらしいクローナさんが、深い深いため息をつきながら話してくれるほどに。
それによると、シナリオは次のようなもの。
いつも通りの母さんとの訓練の最中、何か適当に理由をつけて、ちょっと母さんがその場からいなくなり……いつまで待っても戻ってこない。
訓練は中断したままだし、気になった僕は……母さんのにおいをたどって追いかけていって、そこで、衝撃的な光景を目にする。
酷い暴行を受けた様子で、ボロボロになって地面に倒れ伏し、意識すらないように見える……傷ついた母さんを。
そしてその隣にたたずむ、それをやったと思しき、謎の黒装束の人物を。
……ただし、その光景は母さんが作り出した『幻覚』であり……実際には母さんは、暴行も何もされなくて、普通にそこに立っている。
しかも自分の姿を、怨敵たる『黒装束』に見えるように、僕に幻術をかけて。
要するに母さんの思惑っていうのは……自分がボロボロにされて横たわる光景を僕に見せることで僕を逆上させ、自分が戦って僕の実力を正確に測ること。
訓練では見られない、僕の正真正銘の死力を尽くした本気を。
そして、その状態でも僕が必要な冷静さを失わず、戦いの中で適確な判断を下せるかどうか……そんな部分を見極めることだったそうだ。
だからって、自分の母親がそんな目にあってるなんていう、普通に考えてトラウマ確定のとんでもない幻覚を子供に見せる親がいるかって話である。絶対おかしいあの人。
いざとなったら記憶弄くって精神的にも治療するつもりだったらしいけど、前提条件が色々と間違ってる気がするのは気のせいじゃあるまい。
まあ、それは置いといて……いいことじゃない気もするけどあえて置いといて、
結論から言うと、その光景を目にした僕は、母さんの思惑通り逆上し……恐怖に逃げ出すようなこともなく、訓練では出さなかった本気の殺気と共に、黒装束……に見えるように偽装していた母さんに襲い掛かった。
――が、ここからが問題だったのである。
はっきり言って僕は、己の全てを捨てて挑んだ所で、あの、世界最強だろうと割と本気で思う母さんに勝てる気はしない。片手間ワンパンで僕を殺せるような人に、いくら本気出したからって食らいつけるとは思ってない。
実際、母さんも……クローナさんもそう思ってたそうだ。
いくら才能があったからって、たかだか十数年生きただけのガキが、生ける伝説たる『夜王』リリン・キャドリーユに勝つどころか、怪我1つさせられるものか、と。
しかし、
その予想は裏切られていた、と、クローナさんは語った。
1年半前、そこで何があったのか……その、とんでもない真実と共に。
☆☆☆
――1年半前、グラドエルの樹海
そこで、ミナト・キャドリーユは……生まれ変わってからどころか、前世まで通して一番と呼べるほどの激しい怒りに、その身を任せていた。
目の前に広がっている、受け入れがたい光景。
この世の誰よりも愛していると言っていい母・リリンが、何者かによって酷い暴行を受け、力なく横たわっているという、その光景に……理性と呼べるものは、どこかへ飛んで消えてしまっていた。
もっともその光景は、母・リリンが自ら作り出した幻影である。
本物のリリンは、幻術でその身を『黒装束』に見せ、ミナトの敵意と殺意……齢16の少年にしては中々であるといえるそれを受け止めながら、自らの息子を冷静に採点していた。
(んー……完っ全に理性ふっ飛んじゃってるわねー……あ、でも、幻覚の私を素早く回収して安全な所に置いた。周りに気を配るだけの余裕はあるのかしら?)
と、リリンが口に出さずに考えた次の瞬間、
鋭く踏み込んだミナトの拳が、恐るべき速度で繰り出された。
が、一般人が相手なら頭が木っ端微塵になること間違いなしの威力の一撃を……リリンは片手で余裕で、簡単に受け止める。
受け止めつつも、予想以上の威力に『おー』と感心していた。
容易く自分の一撃を受け止められたにもかかわらず、ミナトはひるむ様子はなく、次の一手……上段を鋭く蹴りぬくハイキックを放つ。
しかしこれも、リリンは腕で受け止め、危なげなくあっさりと防いでしまった。
それでも戸惑いすら見せず、その洗練された体術による猛攻を繰り出してくミナトに、リリンは内心感心していた。
(ん、いい感じね。やっぱ超本気だけあって、いつもよりパワーもスピードもあるけど、動きは乱雑じゃない。ただこのためらいのなさが、私を倒した相手なんだから1発や2発防がれても不思議じゃないって観察結果なのか、単に逆上してるだけなのかは……お?)
と、リリンがそこまで自身の中で考察を並べ立てた直後……ミナトの体が、それまでにもまして強大な『闇』の魔力を噴出し……それに包まれた。
その直後、頭から角が、背中から羽が、腰からは尾が生え……ミナトの最終形態『ダークジョーカー』が完成する。
その副作用の危険さゆえに、リリン自ら『禁止』指定した、最後の切り札が。
それを見てリリンの、それなりに上機嫌そうだった表情に……ややかげりがさした。
まるで教え子が、きちんと練習したはずの問題を間違えたかのように。
「あーあ、やっぱり後先考えずに使ったか。まあ、相手との力量差があるのはそうだけど……この分だと反動のこととか、どう短時間で決着つけるかとか、考えてないわね……」
『ダークジョーカー』は確かに強力だが、その分、致命的な弱点が2つある。
1つは、発動後、肉体と魔力両面への反動があること。
酷使した肉体は全身筋肉痛のような状態になり……体内魔力は混濁し、通常の魔法使用どころか回復にすら支障をきたす。
そしてもう1つは、長くは続かないこと。
魔力を大量に消費する、ミナトのこの最強形態は……その間どれだけ激しく動いたかなどにもよるが、平均およそ20~30分ほどでタイムリミットとなる。
それを過ぎると、術式を維持できず、強制的に解除されてしまうのだ。
この時点の1年半後――クローナをたずねた時点――のミナトであれば、さらなる研鑽と魔力コントロールの体得により、この倍以上の時間『ダークジョーカー』を維持することが可能であるが、まだまだ未熟なこの時点の彼には、それが精一杯。
ゆえに、短期決戦が見込めない戦いでは、可能な限り使うべきではない。
最低でも、そうしなければ即座に殺されるような状況に陥るか、発動時間内に相手をしとめる秘策でもなければ……と、リリンは指導していた。
が、おそらくはそのどちらにも該当しないであろう今の状況下で、しかもかなり早い段階でこの切り札を切ったところを見ると、逆上でそれを忘れている可能性が高い、とリリンは判断し、ため息をついた。
「やれやれ……こりゃ後で補習授業が必要かしらね」
この独り言すらも、幻術によりミナトには感知できない中、リリンは悪魔の化身のごとき姿で猛襲するわが子に向き直った。
異変が起こったのは、数分後だった。
相変わらず、『ダークジョーカー』のミナトの攻撃をも危なげなくさばいてみせるリリンの目の前で……ミナトが、今までにリリンが見たことのない現象を起こしたのである。
「……ん?」
僅かながら、戸惑いを浮かべるリリンの眼前では……
――ブシュウウゥ、という、ガスが抜けるような音と共に、ミナトの体から黒い煙が吹き出し……それは霧となって、あたり一面を覆い隠さんばかりに広がっていた。
おまけにかなりの刺激臭を伴っているこの煙は、嗅覚も同時に阻害する目くらましか何かだろうか、とリリンが勘ぐった直後……視界の端で、更なる異変が起きる。
「…………っ!?」
――じゅぅうう、と音を立てて、
リリンの目の前で……黒い煙にまかれた森の植物が、まるで強力な酸か何かをかけられたかのように腐り、溶けていた。
そのような現象が、あちこちで起こり……さらには、上空に上っていった煙を吸い込んだ鳥が落ちてきたことで、リリンはこの煙が『毒』であるということを悟った。
打撃攻撃が全く通じない敵……自分にダメージを与えるために、ミナトは体内で強力な毒を作り、それを気化させてあたり一体に散布しているのだと。
この煙の正体が『硫化水素』という名の猛毒であり、ミナトは体内の老廃物などを分解し、さらにそこに魔粒子を混ぜ込んで作った、より一層毒性の強いものである、ということまではリリンは知らないが。
偶然かどうかはわからないが、先ほどミナトが傷ついたリリン……の幻影を避難させたところは、戦いの中で両者が移動したこともあり、ここから離れている。
しかも、ここから見て風上。風に乗ってこの煙が届くことは無い。
それをミナトが考えていたかはわからないが……リリンはそれよりも、またしてもミナトが自分に隠れて新しい技を作ったことに呆れていた。
ミナトと同様に、リリンが『エレメンタルブラッド』を会得していなければ、もしかしたら悪影響があったかもしれないほどの猛毒。それを体内で作る。
リリンがそのことを知っていたら、まず間違いなく待ったをかけていたであろう技だ。
もっとも今言ったとおり、リリンもまたミナトと同様に『エレメンタルブラッド』を使い、体の各組織を活性化させているため、彼女に毒は効かない……
……はずだったのだが、
「まったく、こりゃ後でお説きょ…………ぅ?」
一瞬、
ほんの一瞬、ごくわずかに……リリンの視界が揺らいだ。
同時に、右手に僅かな痺れが走った。まるで、正座した後に足に残るもののような、じんとした痺れが。
どちらも、一瞬だけ感じられた後、消えてなくなってしまったが……なぜかその2つの、とても小さな異変が……リリンには、ひどく不吉なものに感じられた。
……そして、
それに気を取られたためだろうか……リリンはその時、ミナトが呟くようにぽつりと言った言葉を、完全に聞きのがしてしまっていた。
……聞き取れた所で、この数分後に襲い来る悪夢を回避できたかは、疑問であるが。
「……広域魔力汚染発動……『サタンポイズン』……!!」
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