JR原宿駅 新駅舎建設へ 臨時ホームも常設に
JR東日本は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの競技会場に近く多くの利用者が見込まれる山手線の原宿駅について、老朽化しているとして建て替えることになりました。
山手線の原宿駅は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの競技場となる国立代々木競技場に近く、多くの利用者が見込まれていますが、JR東日本の発表によりますと、建物が老朽化しているほか通路も狭いとして、現在の駅舎に隣接する形で2階建ての駅舎を新たに建てることになりました。
新しい原宿駅では、現在年始にだけ使っている臨時のホームを外回り専用の常設のホームとするほか、ホームなどに向かう通路を広げ、明治神宮側にも新しく出入り口を設けるということで、2020年の大会前までに利用できるようにするとしています。
建て替えによって、1924年(大正13年)に建築された西洋風の現在の駅舎は使わないことになりますが、取り壊すかどうかなどについては、渋谷区のほか地元の商店街や市民と協議するということです。
また、国立競技場に近い千駄ケ谷駅と信濃町駅でもバリアフリーなどの改良工事を行うほか、有楽町、新橋、浜松町などの各駅でも通路の拡張やバリアフリー設備の増設などを計画しているということです。
JR東日本の冨田哲郎社長は、記者会見で「今回の原宿駅の工事で、駅の混雑の緩和や利便性の向上につなげたい」と述べました。
新しい原宿駅では、現在年始にだけ使っている臨時のホームを外回り専用の常設のホームとするほか、ホームなどに向かう通路を広げ、明治神宮側にも新しく出入り口を設けるということで、2020年の大会前までに利用できるようにするとしています。
建て替えによって、1924年(大正13年)に建築された西洋風の現在の駅舎は使わないことになりますが、取り壊すかどうかなどについては、渋谷区のほか地元の商店街や市民と協議するということです。
また、国立競技場に近い千駄ケ谷駅と信濃町駅でもバリアフリーなどの改良工事を行うほか、有楽町、新橋、浜松町などの各駅でも通路の拡張やバリアフリー設備の増設などを計画しているということです。
JR東日本の冨田哲郎社長は、記者会見で「今回の原宿駅の工事で、駅の混雑の緩和や利便性の向上につなげたい」と述べました。
都内最古の木造駅舎
原宿駅は1906年(明治39年)に開業し、現在の駅舎は1924年に建て替えられたもので、90年以上の歴史を持つ都内で最も古い木造の駅舎です。白い壁に木材が装飾されたイギリス風の建築洋式で、とがった塔のある屋根が特徴です。
昭和20年の東京空襲でも焼失を免れ、その後は若者文化の発信地の象徴として親しまれてきました。
原宿の街は、1970年代にファッション誌「anan」や「nonーno」で相次いで特集が組まれ、おしゃれな街として多くの若者が訪れるようになりました。1977年には歩行者天国、通称「ホコ天」が始まり、1978年にはファッションビル「ラフォーレ原宿」が開業します。1980年代になると、派手な衣装と色鮮やかなメイクで踊る「竹の子族」が「ホコ天」を埋め尽くし、大きなにぎわいを見せました。
その後、歩行者天国は廃止されたものの、「裏原宿=ウラハラ」と呼ばれる一角から新たなファッションブランドが生み出されていったほか、近年では「カワイイ」文化の発信地として国内外で注目を集めています。
昭和20年の東京空襲でも焼失を免れ、その後は若者文化の発信地の象徴として親しまれてきました。
原宿の街は、1970年代にファッション誌「anan」や「nonーno」で相次いで特集が組まれ、おしゃれな街として多くの若者が訪れるようになりました。1977年には歩行者天国、通称「ホコ天」が始まり、1978年にはファッションビル「ラフォーレ原宿」が開業します。1980年代になると、派手な衣装と色鮮やかなメイクで踊る「竹の子族」が「ホコ天」を埋め尽くし、大きなにぎわいを見せました。
その後、歩行者天国は廃止されたものの、「裏原宿=ウラハラ」と呼ばれる一角から新たなファッションブランドが生み出されていったほか、近年では「カワイイ」文化の発信地として国内外で注目を集めています。