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18歳で単身渡米し博士号まで取得した著者が、15年間の米国生活と3カ国の留学経験を元に glocal (global+local) な生き方を模索中

今の自分を切り取るメディア!自分とは何かを考える仏法の3つの視点

働き方の未来-人間とは何か 働き方の未来 多様な働き方

ブログのことを「今の自分を切り取るメディア」と言った人がいましたが、

本当にその通りだと思います。


ただ「今の自分とは何か?」と聞かれると、

なかなか難しい質問だと思います。


「自分の定義」という面で、仏法の3つの視点が

大変に興味深かったので、ご紹介します。

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ブログは今の自分を切り取るメディア

ブログのことを「今の自分を切り取るメディア」と言った人がいましたが、

本当にその通りだと思います。


「今の自分」というのは、今のこの瞬間にしか存在しなくて、

明日には、もういなくなってしまっているわけですよ。


ましてや「1年後の自分」というのは、

「今の自分」からしてみれば、別人だと思います。


「自分」というものが、

1年後も5年後も10年後も

変わらずに続いていくと思っている人間は、


今のこの瞬間が、どれだけ掛け替えのない瞬間で、

もう二度と戻ってこないものかということを

十分に理解できていない気がします。

仏法の3つの視点

そういう面で、仏法の「空・仮・中」の三諦という考えは、

大変に興味深いですね。


仏法では、「今の自分とは何か?」という質問に対して、

「空の自分」「仮の自分」「中の自分」というのが、

3つ存在していると説いています。


以下、ひとつずつ説明していきます。

1. 空の自分

最初の説明は、「空(くう)の自分」ですが、これはすごく難しいです。

一番簡単に説明すれば、「無でも有でもない」ということです。


昔から「空」(くう)というのは、哲学上の難問で、

それこそ、京都学派の西田幾多郎の哲学の中核となっていたりしています。

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

(余談ですが、最近の京都学派に対する研究は、こちらの本がおすすめです)

「近代の超克」と京都学派 近代性・帝国・普遍性

「近代の超克」と京都学派 近代性・帝国・普遍性

無でも有でもない空

「無でも有でもない」という「空」の定義を聞いたら、

「なんじゃそりゃ?」というのが普通の人の反応だと思いますが、


現代物理学の最先端とかを勉強すると、

「無でも有でもない」という事象に、けっこう出会うんですよね。


そういう時に、仏教の「空」の概念は、有効だと思います。

感じる科学 (Sanctuary books)

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ラジオの電波のイメージ

私の勝手な解釈ですが、イメージとしては、

ラジオの電波なんか、分かりやすい例えじゃないかなぁ〜と思います。


ラジオの電波は、存在する(有)と言えば、存在する。


でもラジオの機械の本体がなければ、何も聞こえないし、

目に見えないから、存在しない(無)と主張しても、

それはそれで正しいかもしれない。


厳密に言えば、「空」の概念とは少し違うかもしれないが、

「無でも有でもない」という日常とは違う考え方を紹介するのに

私はラジオの電波の例えを時々使います。

「空」の歴史

「空」の概念を最初に体系化したのは、

紀元2世紀のインドの竜樹という人です。

興味のある方は、仏教学の大家である中村元さんの本がおすすめです。

龍樹 (講談社学術文庫)

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2. 仮(け)の自分

二つ目の説明は、「 仮(け)の自分」です。


「仮(け)の自分」というのは、

厨二病てきな「ここにいる俺は仮(かり)の姿なのだ〜」みたいな痛いものではなく、


いろいろな物質が集まって、

今の自分として「仮(かり)に」存在しているという意味です。


一般的には大体6年周期で、

身体中のすべての細胞が新しく生まれ変わっていると言われています。

kamome-times.com

となると、今の私は6年前の自分とは、同じ細胞を一切共有していない。

細胞レベルでは、全くの別人ということになります。

人体の細胞更新速度

3. 中(ちゅう)の自分

6年前の自分と全くの別人となると、それはそれでは少し困ってしまうので、

仏教では、「自分とは何か?」に答える3つ目の概念として、


「空の自分」と「仮の自分」を貫く

「中(ちゅう)の自分」というのを想定しています。


6年前の山田太郎さんと、現在の山田太郎さんを繋ぐものが、

「中(ちゅう)の自分」というものらしいです。


ちなみに、「空(くう)の自分」は、人間の精神面を表し、

「仮(け)の自分」は、人間の肉体面を表すそうです。

空としての精神活動

たしかに、人間の精神活動は、

「無でもないし有でもない」という空(くう)の定義が

当てはまるかもしれませんね。


人間の精神や感情、魂というものは、たしかに存在するけれども、

「じゃあ、どこにあるのか?」と聞かれると、答えるのが難しい。

「無でもないし有でもない」という空(くう)の定義が一番最適な気がします。

人間の精神は全て脳の作用?

「人間の精神活動は、すべて脳の作用だから、

脳の研究がすすめば、人間の感情や精神活動や『魂』と呼ばれるものが全て解明される」

と信じている方もいらっしゃいますが、私は違う意見です。


長くなったので、続きは次回に掲載します。

まとめ

今回は、ブログは「今の自分を切り取るメディア」という話から、

「自分とは何か?」を考える際に参考になる

仏法の3つの視点を紹介しました。


なんらかの刺激になれば、嬉しいです。

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