1996年7月、母国の米国でアトランタ五輪が開幕した。明かりのなかに浮かび上がったモハメド・アリ氏は、震える手で聖火をともした。

 人種差別の意識が根強く残る米南部での開催だった。病で自由に動かすことのできない彼の体は、闘いを決してあきらめない強い意志を感じさせた。

 ボクシングの王者として、そして社会の正義を問う永遠の挑戦者として、世界に名をはせたアリ氏が先週、亡くなった。

 相手を敬い、対等な立場で競い合うことで、平和と平等の社会を実現する。そんな競技精神を体現した偉大な選手を追悼し、その足跡を考えたい。

 彼が闘ってきたのは、人種、宗教、国家に代表される人間の分断だったのではないか。

 60年のローマ五輪で母国に金メダルをもたらしたが、のちに黒人を理由にレストランで食事を拒まれ、怒ってメダルを川に捨てたとされる逸話が残る。

 カシアス・クレイという生来の名前は、奴隷のものだとして改名した。米社会の多数派であるキリスト教から、イスラム教に改宗。ベトナム戦争では、ベトナム人を殺す理由は自分にないとして徴兵を拒んだ。

 その「反逆」は、時代と共に「反骨」へと評価が変わった。少数派の権利と自由を社会に根付かせる歯車を回した、先駆の闘士として伝説になった。

 アトランタで国際オリンピック委員会が再び授与した金メダルは、世界がアリ氏の信念をたたえ、差別撤廃と平和を求める決意を示したものといえる。

 その闘いに終わりはない。集団や国家の争いや差別は今なお続き、先進国で排外的な運動が勢いづいている。

 かつては劣った人種とされた黒人が、一部のスポーツで他を圧倒すると、今度は「生まれながらの身体能力」と言われる。

 選手をつくるものは、才能だけではない。たゆまぬ鍛錬を積める社会環境こそ大切だ。それは今も国家の役割が大きいが、世界は紛争に満ち、国家は時に内外の人間を傷つける。

 そんななか、8月にあるリオデジャネイロ五輪では、難民の選手団が結成される。内戦などで母国から出場できない選手たちが一つのチームを組む。

 スポーツを愛する者は民族や国籍が何であれ、仲間であると訴え、戦乱や貧困にあえぐ人々の希望をつなぐ取りくみだ。

 アリ氏が渾身(こんしん)の拳と声をあげて求め続けた人間の尊厳を認め合う世界をどうめざすか。リオから東京五輪、さらにその未来へと、挑戦を継承したい。