最近、以前書いたパチンコ依存症に関するエントリーを読まれる機会が増えてきた。ボクと同じように、パチンコで苦しい思いをしている人(した人)は、まだまだ沢山いるらしい。
日本では成人男性の約1割がギャンブル依存症だと言われている。他の国に比べてかなり高い。理由は、パチンコだと言われている。いたるところにパチンコ屋があり、テレビでは当たり前のようにパチンコの宣伝が流れる国。日本人にとってパチンコは、最も身近で手軽なギャンブルだ。
しかし、ギャンブル依存症やパチンコ依存症について理解している人は少ない。「パチンコにハマるのはクズだけだ」と依存者の人間性を否定する人もいれば、意志が弱いからそうなるのだ、と精神論を唱える人までいる。
ボクは、パチンコ依存症を経験した人間として、これだけは確実に伝えておきたい。パチンコ依存症は病気だ。一般的にも、パチンコ依存症に苦しむ当事者でさえも、この認識が甘い。パチンコ依存症は中毒であり、病気であり、自身の精神力や意志だけではどうにもならない異常事態なのだということを理解してほしい。
パチンコ依存症の理解を深めてもらうキッカケになるかわからないが、今回、ボクがパチンコを打ち始めパチンコ依存症になった二年間について書いていく。パチンコの怖さや、依存症の異常性について少しでも関心を持ってもらえたらと思う。
たった1度でハマったパチンコ
ボクがパチンコを打ったキッカケは友達だった。元々、ゲームセンターのパチンコやスロットで遊んでおり、「いずれ本物のパチンコも打ってみたいね」と話していた。2009年、大学4年生の夏、満を持して友達と、家の近くにある古びたパチンコ店に出向いた。
当時、アニメのエヴァンゲリオンにはまっていたボクは、最新だったエヴァの台に迷わず座った。しかし、当たらない。あっという間に財布に入っていた5000円がなくなった。
やることがなくなり友達の様子を伺うと、椅子の後ろにパチンコ玉の入った箱ができている。何度か当たったらしく、嬉しそうに当たった瞬間の興奮について感想を話してくれた。
「10回転くらいであたった!」
待っているだけではつまらないので、近くのコンビニでお金をおろし、再びパチンコを打つことにした。台は同じエヴァンゲリオン。しかし、先ほどよりも古い機種で、確率も1/99と書かれている。甘デジやら遊パチとも呼ばれ、普通のパチンコ台よりも低確率で当たりがくる機種。ボクはこれで、人生初の「あたり」を体験した。よく分からないけど、玉がドバドバと出てくる。最初は動揺した。2回目、3回目とあたりが来るたびに手慣れていった。パチンコを打つ楽しさを体が覚えていった。
気が付けば箱が一杯になり、友達も打つのをやめたようなので、ボクもパチンコ店を出ることにした。ここで初めて、換金を体験する。勝手がわからず、「お願いしまーす!」と大きな声を出したら、友達が人差し指を鼻にあてて、「シーッ! いいんだよ! 黙って受け取れば」と換金時のマナーみたいなものを教えてくれた。受け取った金額は3000円。トータルでは負けていたが、この時すでに、ボクはパチンコの魅力に憑りつかれていた。
パチンコ店の前で友達と別れ、自宅に戻る。パチンコを打ちたい衝動が体の奥から湧き上がってくる。抑えられない。勝った時の感覚が忘れられない。実際は損をしているのに、そんなことはすっかり忘れていた。
日が暮れた頃、半袖、短パン、サンダルでパチンコ店に戻った。こんなラフな格好でも入店できる雰囲気がパチンコにはある。周囲にはボクよりみっともない格好をした人が沢山いる。
迷わず、先ほど勝ったエヴァの台に座り、覚えたての動作で玉を出し、パチンコを打ち始めた。結局、この日は閉店まで打ち続ける。途中から閉店まで連チャンが止まらなかった。何度も何度も綾波レイの顔を拝んだ。次第に、「あたり」がくるパターンも覚えてきた。
この日、トータルでの勝ちは数千円だったが、ボクがパチンコにハマるには十分な結果だった。おそらく、負けても勝ってもハマっていただろう。1度「あたり」を引いた瞬間から、パチンコの毒はボクの体を侵し始めていた。
パチンコ開始1週間で攻略詐欺に引っかかる
初めて打った日から、ボクは毎日のようにパチンコ台の前にいた。偶然アルバイトも2週間ほど休みをもらっていたので、欲求を遮るものは何もなかった。開店から疲れるまで打ち(パチンコを打つのは意外と疲れる)、家に帰るとまた打ちたくなるので、コンビニでお金をおろして打ちに行く。店が閉店すると、翌朝の開店が待ち遠しくて眠れない。ネットで情報を集め、演出やクギの読み方を勉強した。
1週間経ったころ、家の郵便ポストに茶色い封筒が入っていた。たぶん、これまでだったら真っ先にゴミ箱行きだった郵便物が、その時のボクには痺れるほどの衝撃だった。
「パチンコで確実に勝てる方法教えます(無料)」
正確な文章は覚えていないけれど、とにかくパチンコを攻略する方法を無料で教えてくれるという内容。
ノーリスクで簡単に儲ける方法を教えてくれる。少し考えれば、こんなおいしい話があるわけないのだが、当時のボクは人生経験が浅すぎたのか、パチンコに脳を狂わされていたのか、自分でも驚くほどの行動力で、書かれている電話番号を押した。
パチンコ詐欺にあった時の話は、以下の記事で詳しく書いている。
ボクはパチンコ詐欺で60万円以上の借金を背負った。キャッシュカードは3枚作った。初月から返済できず、「待ってもらえませんか?」と電話もした。
詐欺にあったことを両親には話せなかった。ただ、クレジットカードの請求金額が異常な数字(15万ほど)だったこともあり、異常に気が付いて連絡をしてきてくれた。そこでもボクは、「サークルで一時的に使っただけだから、すぐに返ってくる」と誤魔化した。さすがに嘘は数日で見破られ、両親が一人暮らしの部屋にやってきた。ボクは詐欺にあったことだけを話し、パチンコ攻略詐欺であることやパチンコを打っている事実は話さなかった。
両親や祖父母の助けで借金は返済することができ、父親からは、「高い授業料だったと思うしかない」と言われた。確かに、世の中にはおいしい話は存在しないと身をもって学べたし、詐欺に対する警戒心も身に着けることができただろう。
しかし、パチンコはやめられなかった。
学校をサボってパチンコに行く日々
パチンコを初めて数か月で知識が身についてきたボクは、最初に行った近所のパチンコ店には行かなくなり、少し遠くにある綺麗な店にバイクで通うようになった。
ここにある少し古い機種(北斗の拳)が勝ちやすいことに気が付いたのだ。店内でも端の方に追いやられた時代遅れの機種を打つ人は誰もいない。ボクは毎日、この台を打ち、1か月くらいはトータルで数千円勝っていた。
友達と打ちに行くのは好きではない。ボクにはボク独自の立ち回りがあり、友達が一緒だと動きにくいと感じていた。一緒に行くときは1円パチンコを打つ。1円パチンコとは言え、勝てば3000円程度の儲けは出る。負けても大負けはない。
ちょっと勝ち、ちょっと負けを繰り返すパチンコ人生。最大の問題は、ボクが学生で、授業があったことだ。パチンコを始めた当初は夏休みだったので、ほぼ1日中時間があった。しかし、今は違う。授業を受けなければいけないと思いつつ、パチンコを打ちたい気持ちを抑えられない。授業をサボり、開店直後からパチンコを打つ日もあった。
結果、留年した。パチンコを打つ前から授業への出席は安定しなかったが、少し頑張れば問題なく卒業できるレベルだった。パチンコを打ちたい気持ちは、ちょっとの努力を簡単に否定した。馬鹿みたいに授業を受けるよりも、パチンコで勝つか負けるかの人生の方が面白いとすら思っていた。
留年し、ボクは1人暮らしをやめた。授業数も少ないので、実家に戻って週2回だけ大学に通う生活が始まった。しかし、ここでもボクはパチンコの誘惑に飲み込まれてしまう。
大学に行くために最寄りの駅に向かうのだが、乗るべき電車とは逆方向の電車に乗り、隣の駅に行く。そこでパチンコを打つ。手持ちのお金が無くなったら、授業が終わって家に帰る時間まで暇つぶし。公園で読書をしたり、パチンコ店の休憩所で居眠りをした。
アルバイトなどはしていなかったので、親から大学までの交通費だけはもらっていたのだが、それもすべてパチンコ代になった。パチンコ依存症の人間は平気で人から貰ったお金をパチンコに使う。まだ、この時のボクは自分が依存症だなんて思ってもいなかったのだから、客観的に見ても相当に頭がイカれていた。
結局、半年間の留年でも卒業することができず、大学を中退することにした。大学卒業という現代日本において貴重な資格よりも、パチンコを選び続けた結果だ。
借金をしてまでパチンコを打つようになる
パチンコを打つためには必ず、お金が必要になる。0円でパチンコを打つことはできない。ある日、パチンコを打つためのお金が底をついてしまった。「でもまだ、パチンコは打ちたい」「何とかしてお金を作れないものか?」と考え、自分にはまだお金があることを思い出した。
パチンコ攻略詐欺にあった時、作らされたキャッシュカードがある。そのうちの1社を使って借金をした。迷いはなかった。何とかなると思っていた。パチンコで勝てば返せると本気で思っていた。
近くのコンビニで借金をし、パチンコを打ちに行った。この時のことはよく覚えている。ビックリするくらいあっさりと負けた。呪われているんじゃないかと思った。パチンコ店が台の「あたり」をコントロールして、ボクの台だけ「あたり」が出ないようにしているのではないかと思った。
翌日も、それ以降も、ボクはカードを使ってお金を出し、パチンコを打ちに行った。勝ったり負けたり。結果的に10万円の借金をした。月々5000円の返済。返しては借り、返しては借りを繰り返した。愚かな行為で作った借金を親や祖父母の力を借りて返済したにも関わらず、今度は自らの意志で借金を生み出した。どうしてか、最悪感はなかった。
この借金を完済したのは、パチンコをやめて3年以上経ってからだ。
親の金を盗んでパチンコを打つようになる
借金をするにも上限額に達してしまい、お金の出所が無くなってしまったボクは、実家の家計からお金を抜き取ってパチンコを打つようになった。
さすがに罪悪感を覚えたが、「勝って返せばいい」と自分に言い聞かせ、数千円を抜き取ってパチンコに出かけた。
負け続けているからこうなっているのに、「今日は勝てそうな気がする」という感覚が常にあるのもパチンコ依存症の特徴だろう。借金をした時も、お金を抜き取った時も、「勝って返せばいい」という思いが躊躇いを一蹴している。パチンコで勝ったことなんて、トータルで見れば一度もないくせに。
実際は、勝っても抜き取ったお金を返すことはなかった。勝ったお金は明日の軍資金になる。もっと勝って、余裕が生まれた時に返せばいいと考えていた。当然、その日の勝ち分も数日後には消えてなくなる。
母親から、「お金使った?」と言われても、「ちょっと借りた」と言って誤魔化した。返したこともないのに・・・。最悪だったのは、妹が短大の入学祝で貰った10万円から3万円ほど抜き取ったことだ。家族から問い詰められることはなかったが、絶対にバレていた。
家のお金をパチンコに使っていたなんて笑えない話だが、パチンコ依存症に悩んでいる方々の中にも、こういう人は多いのではないか。もしかしたら、家族がいて子供もいるのに、生活費をパチンコに使っている人もいるかもしれない。でも、関係ない。生活費がどうなろうが、悪いことだと理解していようが、家族に迷惑がかかろうが、とにかくパチンコを打ちたくて仕方ないのがパチンコ依存症だ。
パチンコを打つ目的は勝つことではない
「なぜ、パチンコを打つのか?」
パチンコ依存症の人がパチンコを打つ理由は、「快感を得るため」だ。儲けたいとか、演出が楽しいからとか、そういう理由は全部嘘。
正直、パチンコ依存症だったころは、パチンコで勝ってもそれほど嬉しくはなかった。おもしろいと感じることも少なかった。15万以上勝った時ですら、まったくもって楽しくなかった。むしろ「あたり」が止まってホッとしたくらいだ。ずっと、「疲れたな。早く終わらないかな」と思っていた。
面白くもない、勝っても嬉しくない。当然、負けてもおもしろくない。じゃあ、なぜパチンコを打つのか? と言えば、当たった時の快感を味わいたいからだ。演出によって高められた期待と不安が入り混じる緊張感の中で、「あたり」が来た時の感覚は、最高の快感だ。しかし、そのあとは面白くない。必ずあたりがくるとわかっている確変なんてものは全然興奮しない。「あたり」か「はずれ」かわからない中で「あたり」がくることが快感なのだ。この快感が欲しくてパチンコ依存症の人たちは無心でレバーをひねっている。演出が良いとか、儲けたいとか、そんなものはパチンコを打ちたい本当の理由ではない。とにかく快感を味わいたい。それだけだ。
パチンコをやめるキッカケ
パチンコを初めて1年が過ぎたころから、ボクは収支表をつけ始めている。大学を中退したばかりで、本格的に毎日がパチンコ漬けになっていた時期だ。
▲手持ちのお金、パチンコでの収支、その他の出費を書いただけのシンプルな収支表。
割とまじめに、パチンコで食べていこうと考えていた。収支表をつけることで自分がプロになったような気がしていた。
8月31日から始まり、日雇いのバイトとパチンコで少しずつお金を増やしている。面白いことに、初日は7294円しかなかったお金が、10月の半ばには約20万円になっている。これはほとんどパチンコで稼いだお金だ。しかし、12月の初旬には4354円にまで落ち込んでいる。
パチンコにはいわゆるボーダー理論というものがある。1000円で○○回転以上する台を打ち続けていれば必ず勝てる、という確率論的な考えだ。これを徹底することができればトータルでパチンコに勝つことも可能かもしれない。
しかし、ボクにはそれができなかった。パチンコで勝つことよりもパチンコを打ちたい欲求を満たすことの方が優先だったからだ。パチンコを打ちたい。パチンコを打たずにはいられない。好きなようにパチンコを打って勝ちたい。これがパチンコ依存症状態のボクの本音だった。当然、勝てるわけがない。
あっという間にパチンコのお金は無くなった。借金も上限額に達している。抜き取っていた家のお金は、ボクの知らない場所に隠されてしまった。
ここで初めて、本気でパチンコをやめようと考える。
パチンコの誘惑と戦う日々
学校も仕事もないニートの状態はパチンコをやめるのにうってつけだった。ボクはとにかく家に引き込もってパチンコを打ちたい欲求に耐えた。朝起きて、パチンコを打ちたいと思ったら枕カバーに噛みついて我慢した。夜はウズウズして体が落ち着かない。そういう時は無理に寝ようとせず、ゲームをして気を紛らわした。朝になれば眠くなるのでパチンコに行く気も失せる。
新聞を開けば、パチンコ店の広告が入っている。これもすごい誘惑だったが、思いっきり破り捨てることで誤魔化した。意外と効果もあった気がする。具現化した誘惑を自ら破ったことで吹っ切れることができた。
ボクはパチンコ店に行くときはバイクに乗っていたのだが、冬になればそれなりの防寒対策が必要になる。ハッキリ言って面倒くさい。この面倒くささが少なからず、誘惑を抑え込む壁になっていた。
季節が冬だったこと、パチンコ店が近くなかったこと、ニートだったこと。様々な要素があってボクは自分をパチンコから隔離することができた。1か月、2か月、打たない期間が続くと、朝起きて枕カバーを噛むこともなくなったし、パチンコが打ちたくて眠れない夜も少なくなっていった。
パチンコの誘惑がなくなったわけではない
パチンコを打ちたい気持ちが落ち着いたころ、ボクはアルバイトを始めた。職場にはパチンコの話をする人が何人もいたが、その話に加わることはあってもパチンコを打ちに行くことはなかった。とはいえ、パチンコを打ちたいという欲求がまったくないわけではない。逆さまの瓶に蓋をしてあるだけで、もし蓋を開ければドバドバと欲求があふれ出してしまう。
実は、このエントリーを書いている現在も、パチンコを打ちたい気持ちが腹の底から湧き上がってきている。パチンコから4年以上距離を置き、パチンコを恨んでいる今ですら、打ちたいと思ってしまっている。たぶん、この欲求が無くなることはないだろう。一度覚えてしまった興奮や快感を忘れることはできない。体が覚えてしまっている。
もし、1度でもパチンコを打ってしまったらどうなるかわからない。だからこそボクは、絶対にパチンコを打たない。
パチンコ依存の2年間で失ったもの
ボクは21歳の夏から23歳の冬までパチンコを打ち続けた。これまでの人生で言えば1割にも満たない時間だが、失ったものは多い。
まず、お金を失った。詐欺被害に遭った60万円はもちろん、パチンコのトータルの負け分でも100万円はいっているのではないか、と思っている。
詐欺にあったことで親からの信用を失った。特に父親は、「契約」という言葉に敏感になった。「それは、ヤクザじゃないのか?」が口癖だ。ボクが何かと契約する=詐欺=ヤクザ、という図式が父の中では出来上がっているらしい。当然、家計からお金を抜き取っていたこともバレているだろうから、お金に関する物事に対して、ボクは全く信用されなくなっている。
ボクはパチンコ詐欺にあった事実を、大学時代の友達だけには話したのだが、信頼して話したにも関わらず、彼らから、「クズ」「ゴミ」と罵られるようになった。学生時代の4年間を共に過ごした仲間と、今ではもう一切の交流はない。
20歳の時から付き合っていた彼女とも、パチンコが原因で別れることになった。パチンコを打っていることは隠していたのだが、ボクが不自然なくらいに金欠だったことや、彼女との時間よりもパチンコを優先していたことで愛想を尽かされてしまった。
大学4年の卒業旅行(ボクは卒業していないけど)も金欠が理由で行くことができなかった。思えば、パチンコを打ち始めてから思いっきり遊んだ経験がほとんどない。多くの時間とお金をパチンコに費やしているからだ。
時間、お金、彼女、友達、信頼。2年にも満たない期間で多くのものを失った。大学を卒業できなかったので学歴も失った。
パチンコとはこういうものだと思う。快感を得る代わりに多くのモノを犠牲にする。しかし、犠牲を払ってでも得たいのが「快感」の恐ろしいところだ。
パチンコ依存症をあきらめない
ボクが1つパチンコ依存症の人たちに言えることは、「パチンコ依存症を克服することを諦めないで欲しい」ということだ。パチンコは自分の人生にとってマイナスでしかない。どんなに幸せなことがあっても、パチンコはその幸せを少しだけ奪っていく。
依存症の克服は難しい。決意や意志の強さだけでは抜け出せない。冒頭でも言った通り、依存症は病気だ。自力で克服するのは不可能に近い。ボクはかなり運が良かったのだと思う。もしかしたら、そこまで深刻ではなかったのかもしれない。ただ、1つ言えることは、パチンコをやめることができて満足しているということだ。
どうか、パチンコ依存症は病気だと理解し、克服するためには何でもする勇気を持ってもらいたい。できれば、信頼する誰かに話をして、一緒になってパチンコを止める努力をしてもらいたい。
パチンコ依存症の克服を助ける専門機関や、施設もある。そいったところに足を運ぶのも、依存症を克服する近道だ。また、先日このような記事が公開されていた。
就活からギャンブル依存症 克服した若者が体験伝える:朝日新聞デジタル
パチンコ依存症は身近な人に相談しにくい。故に一人で悩み泥沼に入り込んでしまう。もし、誰かに相談できれば、少しでもパチンコに向かう足を止めることができるかもしれない。
例えば、このブログのコメント欄でも、パチンコ依存症の悩みをぜひ吐き出してほしいと思う。ボクでは適切なアドバイスをすることはできないが、誰かに悩みを話すことで、今日1日パチンコを打ちに行くことを我慢できるかもしれない。
少なくともボクは、パチンコと縁のない人々よりもあなたの理解者だ。同じ体験をしている。決して、あなたを貶したり、馬鹿にしたりすることはない。
パチンコ依存症は克服できる。いや、克服しなければならない。家族や、未来のあなた自身の為にも、パチンコに侵され続けたままではいけない。
そしてどうか、このエントリーを読んだパチンコ依存症ではない方には、少しでも依存症について理解していただき、自分の周りに依存症の傾向がある人がいた場合には、助けてあげてほしい。もし、本人が相談をしてきたら、どうか見下したり貶したり罵ったりすることなく、本人の、「克服したい」という意思を尊重して協力してあげて欲しい。
ボクはまだ勉強中だが、いつかパチンコ依存症に悩む方々を救えるよう、知識を身に着ける努力をしている。一人でも多くの人をパチンコの地獄から救い出せるように。