■砂川判決は集団的自衛権を認めているか

 認めていない

 裁判所の判例は一見すると一般論・抽象論を述べていると思われる箇所があるとしても、それはあくまでその判断の基礎にある個別的・具体的な事件(争点)との関連で理解しなければならない。これは判例の読み方の基本中の基本である。

 砂川事件の争点は、アメリカ駐留軍が憲法9条2項の禁止する「戦力」に当たるか否かであり、集団的自衛権については憲法判断を行っていない。これが、多くの憲法学者が行っている砂川事件最高裁判決の読み方である。「憲法解釈権をもつ」内閣の長である内閣総理大臣としては自分の主張の根拠として都合の良い箇所だけをつまみ読みするようなやり方は厳につつしまなければならない。

 憲法条文の意味を検討する憲法解釈にも、また裁判所の判決の意味を明らかにする判例分析にも、憲法学には法律学として永年にわたって築き上げてきた確立した読み方(方法論)があり、その共通の読み方(方法論)の上で様々な意見が展開される。安全法制に関する従来の政府見解もそれを支えた法律専門家集団である内閣法制局の憲法解釈も、その内容の適否はともかく、少なくとも共通の読み方(方法論)の上での意見の対立であった。しかし今回の安全保障法制の変更においては、解釈改憲という方法にそして砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を否定していないという主張内容に表れているように、憲法学(法律学)の読み方(方法論)が軽視され、無視されている。それゆえに、さまざまな意見をもつ憲法学者の多くが非常に強い危機感をもち、そして一致して反対の声をあげたのである。

■安保関連法案は憲法違反か、に関連して

 「集団的自衛権の行使容認の次に来るもの」にも注視する必要がある。今回の一連の法改正によって、自衛隊員のリスクが格段に高まったことは否定できない。国のため国際貢献のために命を落とした自衛隊員を国としてどのように遇するのかが当然問題となる。自民党の従来の主張では、その御霊(みたま)は靖国神社にお祀りすることになろう。

 1973(昭和48)年4月に第71回国会(特別会)に提出され後に廃案になった靖国神社法によれば、「靖国神社は、戦没者及び国事に殉じた人人の英霊に対する国民の尊崇の念を表わすため、その遺徳をしのび、これを慰め、その事績をたたえる儀式行事等を行ない、もつてその偉業を永遠に伝えることを目的とする」(1条)。そして、第1条の戦没者は、「靖国神社の申出に基づいて、内閣総理大臣が決定する」(3条)。

 しかし、この靖国神社法案は多くの憲法学者が指摘するように、日本国憲法20条1項後段の「いかなる宗教団体も国から特権を受けてはならない」とする特権宗教の禁止=国教の禁止に抵触し明白に違憲である。これに対しては、今回もまた、政府は、法案提案者と同様に「靖国神社は宗教団体ではない」(2条)、「靖国神社は、特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない」(5条)ので、靖国神社は憲法上認められていると解釈するのであろうか。

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