闘い、守った尊厳=感動呼んだ五輪開会式―モハメド・アリ氏死去(時事通信)
また一人、偉大なヒーローが逝った。
彼が守った尊厳とは、
「尊く厳かなこと。気高く犯し がたいこと。また、そのさま。」
尊厳を守るためには、不当な侵害と闘わなければならなかった。
名誉を毀損されたら、侵害者ととことん闘わなければならないことと同じだ。
誰もが無理と、止めた夢を実現し、
権利のための闘争を実践して、成功を勝ち得た勇者の一人である。
「私が非常に感銘を受けた話をしたい。ヘビーと呼ぶには小さな男の、ビックな夢が実現した話を。
少年は激しく降りしきる雨の中、傘もささずに家路を急いでいた。
だが、無情にも彼の行く手をさえぎったのは、交差点の赤信号だった。
少年は『チェッ』とばかり舌打ちをしながら、進むことができないその場所で、寸暇を惜しむようにボクシングスタイルのステップを踏み始めた。
その彼の耳に飛び込んできたのは、同じく信号待ちをしていた車の、カーラジオからの絶叫だった。
『ヘビー級チャンピオンの誕生です!ロッキー・マルシアーノ!マルシアーノです!』
それは、ボクシングのヘビー級世界タイトルマッチの生中継で、新しいヒーローの誕生を告げる、感極まったアナウンサーの叫びだった。
それを聞いたとたん、少年のステップがぴたりと止んだ。
次に、彼の内から声なき声がこだまし、ぞくぞくするような興奮を覚えた。
『チャンピオンは、カシアス・グレーです。』『世界チャンピオンの、カシアス・グレーです。』……いつしか、目前の信号は変わっていた。
が、彼はそのことにすら気づかず宙を見据え、長いこと立ちつくしていた。
降りしきる雨も、全く気にはならなかった。
力強く、ぎらぎらと闘争心に燃えるその視線の先は、そう、リングの上で賞賛を浴びる将来の自分に向けられていたのだ。
それは、自分の自転車を盗まれたことがどうにも悔しく、その犯人をぶちのめすために習い始めたボクシングだったが、
競技そのものが面白く感じ始めていた矢先の、1956年のことだった。以後、少年はその夢のことしか考えなくなっていた。
頭の中は、寝ても覚めても夢のことばかり。
しかし、体格に恵まれなかった彼に対して、周囲は異口同音にこう忠告した。
『105ポンドしかない君の体重で、ヘビー級チャンピオンなど無理に決まっている。悪いことは言わないから他の道を考えなさい。』と。
だが、少年は夢を捨てなかった。自分の夢が実現することを、誰よりも彼自身が強く信じていたのだ。
そう、この少年こそがカシアス・グレイ、のちのモハメッド・アリは周囲の忠告をよそに、1964年、世界ヘビー級チャンピオンになった。
その後2回、チャンピオンにつき、1981年引退。通算成績61戦56勝(37KO)5敗という、驚異的な成績を収めた。
1984年、彼はパーキンソン症候群と診断され、長い闘病生活を続けたが、病にもかかわらず様々な社会活動に参加し、
人々を勇気づけてきた功績が評価され、2002年1月11日ハリウッドの殿堂入りを果たした。」
~拙著 「負けず嫌いの哲学」から~ …合掌