おい!てめえ!赤なのわかってんのかよ!信号くらい守れよな!
先に言っておく。俺は決して車はもちろん自転車にもまたがっていなかった。
なぜおれはこうもキレられなければならないのだろうか。
考えているだけで怒りがふつふつと沸き起こるのがわかる。
手のひらを走る血管には尋常ならざる血の気を感じさせられる。
そしてにわかに髪の毛が変色しそうである。
俺は一体どうやってただのサイヤ人が己の限界を超えることに成功したのかをとくと心得ているつもりだ。
それはまぎれもなく血の気である。
この怒りに似た血の気とやらが主人公だけでなく、主人公の永遠のライバル、そして彼ら二人の子孫たちに至るまで「サルの天城越え」を縁の下から支えてきたのだ。
その証拠に、彼らがスーパーサイヤ人へと変身を終えると、その眉間は激烈なシワが活断層のごとく現れ、その一方でこめかみの辺りにはヒマラヤ山脈とも見紛いかねないほど血管が隆起しているのだ。
そう、怒りこそすべての原動力である。
いま俺のとってる筆致は大いに怒りまかせの血の気混じりである。
話がそれた。
とにかくあのオヤジである。
なぜ俺は信号を無視したからといってキレられなければいけないのか。
それに反論するための3つの材料を用意した。
今宵お送りするのは善良な市民が逆らい難い理不尽に揉まれ喘ぐ惨めな姿である。
1. 根拠なき信号遵守は思考力を奪う
そもそもあの血の気の塊のようなオヤジは2つの点で哀れである。
第一に、手段と目的が倒錯しているのに気がついていない愚かさにある。そもそもなぜ信号があるのかとその存在意義を問われたとしよう。オヤジの答えはきっと簡単である。そこに信号があるからだろう。
しかしそれは大きな間違いだ。交通の円滑な流動を促すため、そして秩序を設けることで、発生しうる混乱を未然に防ぐことにある。
俺が信号を守らなかったのはその行い自身がまったく混乱を催す気配などなかっただけでなく、人通りすら疎らであったからだ。そのオヤジ以外の誰に迷惑な思いを強いたというのだ。考えてみれば、その瞬間に信号が撤去されてもまったく問題ない状況でもあるのだ。
第二に、信号を守れ!というのはさきほどの文脈において唱えること自体ナンセンスであ。というより信号を守っているオヤジにさもご自身は正義の守護者であるかのような愚かしい振る舞いを見せつけられてしまった。そこに正義も悪も存在しない。あるのはオヤジの俺に対する理不尽な怒りだけだ。信号を守ってる正義の味方のような自分に尋常じゃない陶酔に浸っているのが見て取れる。まったくもって理性的ではない。
以上の二点により、根拠なき信号遵守は思考力を奪いかねないのだ。
2. 根拠なき信号遵守は時間を奪う
当たり前のことだが、なぜ車はおろか自転車すら通りもしない夜道で、信号を遵守しなければならないのか。
守ったところでどうなる?
訳の分からぬオヤジにいい格好を見せられるだけであろう。
そんなことに構ってる時間などない。
俺は一刻も早く帰宅して、取り組まなければならないことがあるというのにだ。
洗濯物である。
とにもかくにも、信号を守ってるその数分すら惜しい俺の生活だ。オヤジの小言のような大言に耳を傾けている暇はない。
むやみに信号を守ってばかりいるとは時間の浪費以外の何物でもない。
3. むやみな信号遵守は命を奪う
平和ボケした国の代表格に住んでいれば実感に乏しい見出しかもしれない。
中南米を旅した友人から聞かされたことがある。
夜道を歩いていて信号なんて守ってると強盗の送迎に出くわすぞ、とのことであった。
背筋も凍る話である。
現実には俺をしかりつけてきたオヤジは日本人であり、しかりつけられた現場は日本である。
俺はオヤジが哀れでたまらない。なぜなら、激怒ぶりが空間を歪め、怒りのデカさゆにオヤジが時空を超えた挙句、治安の悪い途上国や「北斗の拳」のような世紀末に彼を降り立たせてしまったとしよう。それこそ信号無視とは比較にならない代償を払わなければならないではないか。オヤジが哀れでしょうがない。
そもそも夜道をのんびり歩くなど、救いようのないアホにもほどがある。ここ日本でも「オヤジ狩り」という専門用語が生まれよう時代である。信号無視程度で簡単に頭に血が上ってしまうようなオヤジは、およそ適切な時代感覚にもおきざりの身とされてしまうのであろうか。
4. まとめ
あのオヤジの振る舞いが人間の業の果てだとしたら空恐ろしいことである。
俺が目の当たりにしたあの光景は愚の骨頂とも形容されようバカらしさのバラエティーに富んでいた。国会議員の議席まで獲得した某格闘家であれば、煮え繰り返った腸そのものでもつ鍋をも振る舞い始めかねない奇天烈極まりない出来事であった。
俺は怒りに怒った。あのオヤジの怒りが伝播したのであろう。怒りや憎しみが世の中から消えなければならない理由を信号無視から学んだのである。しかしやり場のない怒りが綺麗に姿を消すことなどそう近くはない。梅雨入りを迎えた関東地方に住まう俺は今日もこうして家に帰っても、信頼に値しないお天気おねえさんの気まぐれに袖も洗濯物もびしょ濡れにされてしまうからだ。