2016-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20160606165133

増田は「百万回生きたねこ」を知らないのかな?

僕の友達は、もう20歳にもなる老猫を飼っていたんだ。その猫は、毛もバサバサで体もボロボロ。歩くのもヨタ付くくらいで、目も良く見えていない様子だった。

しかし、それでも夜になると、飼い主である友人の枕元に訪れ、「お布団に入れてください」とせがむような猫であった。

その猫がある日目を覚ましたかと思うと、か細い声で精一杯に友人を呼んだ。

どうしたのかと慌てた友人に、猫は力一杯のジャンプでひざの上に乗り、抱っこをせがんだ。

そのとき友人は悟った。これが猫との最後の別れとなるだろうことを。

友人は、猫を優しく抱きしめると、腕の中で丸くなる猫の動画スマートフォンカメラ撮影した。

力いっぱいに尻尾を振る猫。しかし、その力もだんだんと弱まっていき――

しばらくすると、ついに猫は動かなくなった。急速に失われていく猫のぬくもり。

――友人の猫は、友人より一足先に遠い国へと旅立っていった。

友人は一日中泣いた。次の日も泣いた。食事ものどを通らなくなった。

そして数日が経ち、猫もペット葬にて弔いが完了し、骨壷だけになったかつての家族を見て友人は思った。

自分の手元には、猫が生きたという証たる映像がある。これを忘れない限り、猫は誰かの中でずっと生き続ける」と。

友人はyoutube動画投稿した。悲しみを癒すためではない。悲しみを共有する為でもない。

「猫が生きていた」ことを世界中の誰かに記憶してもらうためだった。

動画再生回数は100万回に達した。世界で百万人もの人が、友人の猫の動画を見たのである

即ち。友人の猫はそれぞれの人の中で、百万回生きた。

「百万回いきたねこ」というのは、このような現代エピソードを基に作られた絵本である

猫を飼ったことのある人には角度とかあいまって結構涙腺に来るといわれている。

「不死」ということは、必ずしも死なないことを意味しない。本論のような「記憶から消えない」ことも、また不死の一種と捕らえることは出来ないだろうか?

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