はじめまして。F Lab.を運営しているなまぱんです。
「京大卒の主婦もったいない」論が少し前に騒がれたりしましたが、ぼくも人に「もったいない」と言われることがよくあるので、思いを綴ります。
ぼくの能力はこんな感じ。
- 東大卒・TOEIC990点。
- 高3のときに偏差値99をとったことがある。
- 1ヶ月の受験勉強で、東大に合格点の1.5倍以上の得点で合格する。
- 予備校の体験講座で他校の生徒に名前を見られ、「模試でよく見る○○さんですか」と聞かれるくらい成績優秀者上位の常連だった。
勉強のことばかりですが、結構すごいと思います。そんなぼくが歩んできた人生は以下のとおりです。もったいないでしょうか?
幼稚園の頃。
小学校で習う漢字が全部読み書きでき、新聞も読めた。算数もよく分かったので、3歳上の兄にいつも勉強を教えていた(兄はその後京大に入った)。周りの大人に「頭がいい」と言われ続け、自分が「頭が良い」ことを知った。
小学校低学年の頃。
学校の進度の遅さに絶望する。先生には何度も飛び級させてくれと頼んだが、当然受け入れられなかった。
父親は仕事人間で、毎晩深夜2時頃に帰ってきて、翌朝8時に出て行く。休日は仕事の疲れでずっと寝ている。そんな毎日が寂しかったぼくは、普通の人生を目指すようになった。社会的には偉くないが、ただ毎日5時に仕事が終わって家族と過ごせる。そういう人生に憧れるようになった。周りの友達は将来の夢を聞かれて「サッカー選手」「有名人」と答える中で、ぼくはずっと「普通のサラリーマン」「その辺のおっさん」が夢だった。
小学校高学年の頃。
母親に懇願し、進学塾に通わせてもらう。おかげで東大に年間20人合格者を出す中高一貫校に1位で合格し、入学生代表の挨拶をした。ちなみに、塾の優待受験制度で受けた灘中にも合格した。
小学校の卒業文集に「普通のサラリーマンになりたい」と書いたところ、先生に書き直しを命じられた。友達にもノセられ、先生には「『ノーベル賞をとりたい』と書きなさい」と言われた。ぼくは、自分よりも才能がある人がいるのは分かっていたし、お勉強ができるからといってノーベル賞が取れるわけではないことも分かっていたので、そんな恥ずかしいことを書くわけにはいかず断固拒否した。結果、「ハゲに効く薬を開発する」で妥協案とした。
この頃、「才能を持つ人には、社会に対して何らかの貢献をしなければいけない責任が生じるのだろうか」と感じ始めた。いや、そんなわけはない。ぼくは、ぼくが幸せになれる人生を歩めばいいはずだ。
でも、それから数年後のこと、中田英寿が旅人になるのを見て、「あんなに才能があるのにもったいない」と思ってしまう自分もいた。結局、自分の人生は自分の人生、人の目を気にして生きるのは愚かなことなのだろう。ぼんやりとそう思うようになった。
中学生の頃。
何のために生きているのかよく分からず苦しかった。中2くらいまでは、「アフリカの人たちの生活を何とかしたい」と割りと強く思っていた。でも、原子や分子というものを習い、ますます人生の意味がわからなくなった。それまでは、「悲しむ人は少ない方がいい」と思っていたが、原子や分子のことを習ってからは、「人が泣くのはタンパク質の塊からH2Oが出てくる化学的現象」と思うようになり、ぐるぐるした思いを抱えて生きていた。
「全部ただの化学現象なんだったら、そんなに頑張っても意味ねーよな」と思うようになった。「それなりに頑張って、それなりに幸せになりたい」とぼんやりと思っていた。
高校生の頃。
高1~高2の頃は、毎日男友達3人で放課後から夜10時まで喋ってから帰るという幸せな生活を送っていた。また、進学校の生徒あるあるだと思うが、ポケモンや風来のシレンにハマった。それぞれプレイ時間は500時間を超えていた。塾には通わず、学校の授業は半分くらい寝ていて、家でもゲームやメールばかりしていたが、それでも模試の順位は全国で一桁を維持していて、勉強には全く困らなかった。
英語だけは興味があって、海外ドラマや単語帳を見て、そこそこ勉強していた。この頃は「海外に住みたい」という思いがぼくの人生の中で一番強い時期だった。「東大に入って英語も喋れたら、かなりエリートなんだろう」と思っていた。それに責任を感じたし、自分はそんなに頑張れる人間ではないと分かっていた。自分の人生のうまい落とし所がどこにあるのかよく分からなかったし、聞ける相手もいなかった。
受験生の頃。
相変わらず将棋にハマったりゲームにハマったりしていて、ちゃんと勉強を始めたのはセンター試験後だった。ちなみに将棋は才能がなく、全く上達しなかった。
数学は大学入試後は使わないだろうと思ったのでほとんど勉強しなかった。入試後も使えるだろうと思われた英語と、勉強したらすぐに伸びそうな理科だけを勉強した。英語と理科は東大の入試でも満点近い点数が取れるようになった。数学は大してできなかったが、冒頭に書いたとおり入試には問題なく合格できた。
大学生の頃。
大学1年の頃は「うぇーい」していた。2年生からはガリ勉になった。研究者が向いているのだろう、と思って大学4年生まで勉強しまくった。この頃は有望な学生で、お金をもらって海外に研究に行ったり、時給2万円の研究バイトをしたりと恵まれた生活だった。しかし途中から「研究者はなんか違うな。論文読むの好きじゃないし」と思い、大学院を受験しないことにきめた。大学卒業後の1年間は、在学中から続けていた塾講師のアルバイトをした。教授には、「君ほど優秀な学生がふらふらしているのはもったいない」と研究のバイトの話をいただいたが、塾講師のアルバイトにやりがいと責任を感じていて、お断りしてしまった。
小学生の頃からの夢だった「5時に帰れるサラリーマン」を目指して、公務員受験をした。無事合格し、大学卒業から1年のブランクを経て公務員になった。
公務員の頃。
想像していたより仕事があまりにもツマラナイことと、意外と仕事が忙しくて5時に帰れなかったりすることで不満をためる。「いつでも辞めてやる!」という気持ちで、辞めてから稼げる手段を模索する。「ブログだったら海外に住みながら稼げるんじゃないか?」と思い、ブログに手をだす。
ブログ運営はおかげさまで順調に進んでいる。しかし、何となくの感覚ではあるが、「個人がブログで稼ぐ」というのは向こう3年のうちにピークを過ぎ、5年ほどで衰退していくのではないかと思われ、全面的にブログ飯に舵を切るのは得策ではないだろうと感じている。
そういうわけで、いまも公務員を辞めずにブログを書き続けている。ただし、はじめの「仕事を辞めてやる!」という意志を反映し、いまもこのサイトのパソコン表示のサイドバーのプロフィールには「公務員を一年で辞め」との記載を残している。
ぼくがこの先仕事を辞めるのかどうか、自分でもよく分からない。公務員を続けるとしても、偉くなりたいとはあまり思わない。仕事は5時まででしっかりと終え、家に帰れば家族や趣味のことだけを考える生活がしたい。もっといえば、仕事は1日4時間くらいで、残りの時間は家族や趣味のことだけを考えたい。前者で妥協できるなら公務員を続け、後者を夢見るなら公務員を辞めるのだろう。
いずれにせよ、ぼくは社会的地位も高収入も望んでいない。少ない労働時間で、楽しい生活を送りたい。社会をよくしたいという思いは多少はあるが、そのために身を粉にして働こうとまでは思わない。ぼくの人生は、もったいないでしょうか?