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魔拳のデイドリーマー 作者:和尚

第5章 『正義感』と『正義観』

21/197

第57~60話 キャドリーユ流!?訓練開始

書籍化に伴う差し替え版になります。
ご了承ください。


さて、いよいよ始まった姉さん直々の『訓練』だけど……

「ただの商隊の護衛に見える件について」

「ま、実際せやからな」

「ぶっちゃけたね、思いっきり」

 場所は、馬車の上。
 『マルラス商会』の、商談のためにある町に向かう、商隊の馬車の。

 僕らはその中の一台に乗り込み、一緒にその商談の場所とやらに向かっている最中だ。護衛役の冒険者、という名目で。

 はっきりざっくり言っちゃうと、

 ・その目的地の近くに、修行にもってこいの結構な危険区域があるらしい
 ・護衛を雇う経費の節約になる
 ・その地域には前々から姉さんも一度は行くつもりだった

 これら3つの条件が重なったので、今回の『訓練』に際して、商隊も出てるしちょうどいいから皆で行こうか、ってことになったのだ。



 で、今現在、馬車の中で姉さんが地図を広げて、

「今回の目的地はここ……山間部の盆地にある村『トロン』や」

 ぴっ、と、
 四方を山に囲まれた、確かに『トロン』と地図に書いてある、半分秘境みたいな位置の村を指差してそう言った。

 地図で見たまんま、山の中にあるせいで、環境的にも文化的にもかなり閉塞した村であるらしく、外部との交流を持つようになったのはごく最近、ここ十数年程度のことらしい。

 そしてそのせいか、山間部や、その近くにある湖なんかには、かなり良質な天然資源がたくさんあるらしい。

 最近のその『トロン』の村は、それらを武器に、都会との商取引を進めるつもりでいるから、商売人として交渉に熱が入るとか何とか。

 大体日程としては、『ウォルカ』『トロン』間の移動に片道6日、『トロン』に滞在して商品の品定めetcに費やすのが約3週間から1ヶ月とのこと。
 合計して一ヶ月以上の旅路、というか訓練。こないだの『花の谷』以上の長さだ。

 で、その間のあき時間を有効に使って、僕ら4人に稽古を付けてくれるらしい。

 廃墟での僕らとの戦いを通して、姉さんはすでに僕らに必要な能力と、そのトレーニングメニューを構築し終えているらしい。

 今日は疲れてるだろうし、それを始めるのは明日からにする……とのこと。

 なので、お言葉に甘えて、僕ら一同、今日は早めに休ませて貰うことにした。

 おそらく明日から本格的に始まるのであろう、姉さん特製のハードな訓練に備えて。


 ☆☆☆


 普通の商隊の護衛みたいに、馬車の足を止めてキャンプ形式で就寝した、その翌日。

 てっきり、朝早くたたき起こされて、まだ日も昇らないうちから地獄の早朝訓練開始! みたいな展開になるんじゃないかと思ってた僕らの予想とは逆に、むしろ普通の商隊よりもゆったりとした感じでの起床・仕度の後、朝連らしきものすら無しに僕らは出発した。

 そして、その道中の馬車の中で、


「……何で座禅?」


 内容的になんというか意外な、最初の特訓メニューが僕達に課せられていた。



 さかのぼること数分前。

 馬車に入るなり、僕ら4人が姉さんに『これ飲み』と渡されたのは、小さめの湯飲みみたいなコップに入った、何かの液体。

 この液体は、一応『お茶』であるらしいが、特殊な薬効があり、飲んだ人の三半規管なんかの一部の感覚器官を、必要以上に過敏にする作用があるとのこと。

 簡単に言うと、これを飲むと、すごい勢いで乗り物酔いしやすくなるんだとか。

 そして、今僕らは馬車で移動中だ。
 当然、そんなのを飲めば……ガタガタと揺れる上にサスペンションなんかもついてないこの馬車だ。酔うのは必至だろう。

 その状態のまま、自分なりに楽な姿勢を探しつつ、薬の効き目が切れるまで約30分耐える……というのが、姉さんの修行の最初のメニューだった。

 そうならないためには、極力体を動かさずに、微動だにしないようにしていることが必要である、と僕らが気付くのに、そう時間はかからなかった。

 そして同時に、極力『動かない』状態でいるためには、心を落ち着ける必要もあった。

 何せ、物音に反応してとっさに振り向いたり、いきなりのことに驚いて肩が震えたりした場合でも、気分が悪くなって頭が『ぐらっ』と来るんだ。

 そのせいで精神の平穏を乱して、つられて体が動いちゃうようなことになれば、やはり言うまでもなく悲惨なことになる。

 何かの音に反応するにしても、視線だけ向けるか、ゆっくり首を動かすとかの配慮が必要になる。何せ、振り向いただけでくらっと来るんだから。

 また、『姿勢』で横になるのは禁止されてないけど、なぜかやると余計に気持ち悪くなるので、何かしらの形で『座っている』のが一番楽な姿勢なのである。

 現在、他のみんなも思い思いの姿勢で耐えている。

 エルクは、体育座り。

 ザリーは、胡坐+立て膝。

 シェリーさんは、足を伸ばして楽な姿勢。壁に背をもたれてる。

 そして僕は、今言ったとおり、記憶を頼りに組んでみた『座禅』スタイル。
 僕の中で『修行』+『動かない』って、座禅か滝行だし。形から入るってことで。

 薬の効き目はおよそ30分で切れる。そして、30分立てばこの訓練は終了。
 同時に、午前中に行う訓練はコレだけだとのこと。

 言うだけなら簡単だけど、やってみると結構しんどいこの訓練メニューを、僕らはどうにか、朝食べた硬パンと野菜スープを戻したりすることなく、やりぬいた。

 終わった後、無事とはいえない状態だったけども。

 それから数日の間、つまりは『トロン』までの移動中の訓練メニューは、『座禅』に加え、1日2回、姉さんと簡単な組み手をするだけだった。


 ☆☆☆


 はい、一気に飛びます。6日経過。

 ひたすら乗り物酔いと格闘していた旅路もようやく終わり、朝、恒例の『座禅』を終えて数十分後、商隊は『トロン』に到着した。

 姉さんからは、『トロン』について宿を取って、本格的に落ち着くことが出来たら、訓練メニューを増やす、って昨日聞かされたから、今日の午後か、もしくは明日からは、また違った訓練が始まるんじゃないかと思う。

 当然不安もあるけど、同じぐらい期待もある。
 この先のステージへ進むために、果たして姉さんのメニューはどんなもんなのか、そして僕らは無事それをクリアできるのか……と、思ってたんだけど、



「何言ってるんだよ、そんなの……おかしいだろっ!」



 村に入ったからか、さっきまでよりゆっくりなスピードで進む馬車の中で……馬車から降りるために荷物を纏めていた僕らの耳に、そんな声が聞こえてきた。

 しかも、あれ? 気のせいだろうか?
 何だか、けっこう最近聞いたことがある声だった気が……

 結構大きな声だったので、同じ馬車の中にいたエルクやシェリーさんにも聞こえたみたいだ。ザリーは、今は他の馬車にいるからわからないけど。
 2人とも、同じように『え゛?』っていう表情で、若干顔をゆがめてる。

 理由は明白。声、口調、それに発現の内容……それら全てに覚えがあるからだ。
 しかも、決していい思い出とはいえない類のそれが。

 ……あんまり会いたく、っていうか見たくもないけど、そういうわけにもいかないだろうし、ほっとくと後々厄介な事態になりかねない。
 対処とは言わなくても、確認ぐらいは済ませておくとしよう。

 視線を交わらせた後、エルク、シェリーさん(両名とも不本意全回)と一緒に馬車の外に出ると……

 ……いたよ、おい。

 今日も元気に、どこぞの商人さんに絡んでる……奴が。

 見覚えのある、精悍な顔と水色の髪。着ている服と鎧はしろと青色がメインのカラーリングで、きちっと手入れが行き届いていて清潔感を漂わせる。

 そんな、ウォルカでひと悶着あったおせっかいことリュートが、どういう事情なのかわからないが、またしても面倒ごとの中心にいた。

 僕ら3人が馬車の外に顔を覗かせてそれを目にした瞬間、すでに外にいて状況を把握していたらしいザリーがこっそり駆け寄ってきて、簡単に説明してくれた。苦笑しながら。

 あのお節介だが、今度は何をしてんのかというと……どうも、『奴隷商人』につっかかっていってるらしい。

 ただ『奴隷商人』とだけ聞くと、非合法な裏稼業に結び付けがちだが、この世界では、単なる犯罪ってわけでもない。

 ちゃんと、と言うと変だけど、合法的な『奴隷』も一応存在するのだ。

 たとえば、犯罪者が刑罰として奴隷に身分を落とされた『犯罪奴隷』。
 家族や自分自身を売ることによって金銭を得る、いわゆる『身売り』の奴隷。

 合法的な奴隷だと、この辺が代表的と言えると思う。

 そして、その『奴隷』を商品として扱う、合法的な奴隷商人も、数は少ないけど当然いる。王都とかの大きな町に行けば、そう珍しくもない、って前にエルクが言ってた。

 で、その『奴隷商人』が、商隊規模でこの『トロン』に来てたらしいんだけど、そこである意味必然的に黙ってなかったのが、あのお節介少年。

 健全な主人公的思考回路の彼は、古くから普通にあることだといっても、公然と行われている人身売買をよしとせず、奴隷商人に食って掛かっている。

 内容は簡単。『人を売り物にして扱うなんてかわいそうだ! 開放してやれ!』。以上。

 ……うん、すがすがしいくらいに予想通りです。

 いやあ、なんとも典型的な英雄譚の主人公思考……というか、最近はこういうのってむしろマイナーな主人公になりつつあるんじゃ?

 まあそれはともかく、相変わらずトラブルを恐れないな、あの少年。

 確かに、仮にも人身売買だ。人道的に全く問題がないか、って聞かれれば、否だろう。

 けど、だからってそれに正面切ってケンカ売るのも、それはそれで難儀ってもんだ。

 一応、昔から今まで1つのビジネスとして立派に成立してきた事柄なんだ。当然、いくら人道的に問題ありで気に食わないからって、これをいきなりとっぱらうようなまねは難しいし、混乱を招くことにもなるだろう。

 そもそも、基本が色々とモラルハザードなこの世界だ。個人がいくら良識振りかざしてどうこう言ったって、どうにかなる問題でもない。

 まあ、それでも引かないんだろうな、あそこにいる彼は。
 奴隷なんていう、人権完全無視した非道な商売(と、彼は思っていることだろう)が存在してるって時点で、我慢できないくらいに凝り固まった正義感持ってる人だし。

「おいおい、ホント勘弁してくれよ冒険者の兄ちゃん、こちとら商売でやってるんだからさ、邪魔しないでくれって」

「何でそんなことを平然と言えるんだ! 彼らや彼女らはれっきとした人なのに、物みたいに売り物として扱って、良心は痛まないのか!? 人としておかしいじゃないか!」

「あのね、ここにいる奴隷は、きちんと相応の手続きを踏んで、正規の手順で奴隷に身を落とした連中だ。あんたの言いたいこともわからないじゃないけどね、別に私らは違法な商売やってるわけじゃないだろう?」

「法的に問題がなければ何やってもいいのかよ!? じゃあ聞くけど、法で許されてたら、あんたは自分の財産のためにそんな風に簡単に人を殺せるのか!?」

「おいおい、いくらなんでも飛躍しすぎだって。それにそんなこと言い出したら、話が堂々巡りでキリがないだろうが」

 自分が正しいと信じて疑わないリュートは今日も元気だ。商人さん、困ってる困ってる。

 奴隷=非人道的、奴隷商人=悪、という方程式の元、困った顔の商人さんにくってかかる彼は、周囲から色んな視線を向けられていた。

 圧倒的に多いのは、何もわからない子供がわがままを言っているのを見るような呆れた視線。次いで、珍しいものを見るような視線。
 ごくわずかだけど、彼を応援するような、尊敬するような暖かい視線もいくつか。

 まあ、さぞめずらしいことだろう。子供でもない、あんないい年の青年が、真面目な顔で甘い理想をとうとうと説いてる光景ってのも。

 そういや、ウォルカではいた仲間らしき2人がいないな……別行動中なんだろうか?
 まあ、いたらいたでもっとめんどくさい光景が展開されてただろうから、かえってよかったかもしれないけど。

「まあとりあえず、僕らはスルーの方向で」

「当然ね。あんなのと関わっても得なんて1つもないわ。このままやり過ごしましょ」

 見事な満場一致で彼への対応――『対応しない』という対応――が決まったと同時に、姉さんの商隊は歩みを再開した。馬車を置いておく場所へ向けて、街中にしては早足で。



 ……後で聴いた話だと、
 あの時、姉さんもリュートの存在に気付いたがために、絡まれて何か文句を付けられないうちにさっさと行こうとしてわざと急いだらしい。

 やはりというか彼は、商人たちのネットワーク内では、ほとんどブラックリストレベルの嫌われ方をしているようだ。



 ……それを理由に、その場をすぐに離れてしまった僕らは……その時気付かなかった。

 そのすぐ近くの建物にいた、ある人物達の存在に。

 ☆☆☆

 ミナト達を乗せた馬車が、そこを離れて数分後のこと。

 未だにリュートたちが商人との口論を続けている中、それは起きた。

 商人達の扱う『商品』……つまりは奴隷たち(しつこいようだが、きちんとした『合法的な』奴隷である)が、輸送用の馬車から運び出され、一列に並んでそのすぐ先の奴隷商館へと連れ込まれていく。

 中には悲痛な表情を浮かべている者もおり、当然それを見て、リュートの頭には更に血がのぼり、今にもつかみかからんばかりの勢いだった……その時、

 その列に並んでいた、一人の少女の奴隷が、突然前のめりに倒れた。

 赤いラインの入った首輪をつけていたその少女は、苦しそうに胸をおさえている。呼吸も不規則で、傍から見てかなり異常な状態だった。

 それを見たリュートは、今まで商人に見せていた剣幕を一瞬で引っ込め、その女性を心配するものに表情を変えて、その傍に駆け寄った。

 倒れこんでいる女性を助け起こし、大丈夫か、と声をかけると、女性も一応意識ははっきりしているようで、弱弱しい声で返事を返した。

 が、その直後、

「おーぅ、ちょーっと待ちな、そこのお嬢ちゃん」

 リュートの背後から、そんな野太い声が聞こえたかと思うと……いきなり2本の腕が伸びてきて、リュートの腕の中にいた少女の体を抱えて立ち上がらせた。

「!?」

 いきなりのことに驚いているリュートには目もくれず、その色黒の肌の腕の主は、困惑している奴隷の少女の体のあちこちをぽんぽんと触っていく。

 半袖のシャツに、ジーンズよりも頑強そうな生地のズボンを身につけた、筋骨隆々とした色黒の男性だった。無精ひげとソフトモヒカンの髪型が、その印象をよりワイルドなものにしている。

 といっても、ボディタッチのセクハラ、といった印象は無い。腕や腹、喉と手のひらで軽く叩くように触っているその様子はまるで、何かを調べているかのようだった。

 例えるならそう、危険物持ち込み確認の、ボディチェックのようだ。

 しばらく、といってもほんの数秒だが、そうしていたかと思うと、

「あァ、大丈夫大丈夫、大したことない。うん、よかったな少女、さっさと立ちな」

 早口にそう言うと、先ほどまで苦しそうにしていた少女を立たせると、どんと背中を押して奴隷達の列に戻させようとする。

 そこにいたって、はっとしたようにリュートが再起動した。

「ちょっ、な、何してるんだよあんた!? いきなり出てきて……彼女は苦しんでるんだぞ! 病気か何かで……それをあんた、あんな扱いを!」

「大丈夫だって、落ち着け少年。この子別に、何も大したことねーから」

「でたらめ言うな! こんなに咳き込んで苦しそうにしてたのに、大したことないなんて、そんなはずないだろ!」

 リュートが指差す先では、その謎の男性に半ば強引に起こされている少女が、再び胸を抑えて、咳き込んで……

「あーそりゃ心配すんな。こりゃ仮病だ仮病」

「!? け、仮病?」

「そだよ。ほら、いつまでも下手な演技してないでしゃきっとしな、お嬢ちゃん」

 言うと同時に、ばん、と強めに少女の背中を叩く男性。
 その平手の強さに、思わず少し大きく咳き込んだ少女だったが……その直後、男性から向けられた鋭い視線。

 それに気圧されたのか、びくっと身を震わせた少女は、次の瞬間、先ほどまでの弱弱しい雰囲気が微塵もない、悪戯に失敗したような悪ガキのような表情になって、『ちっ』と舌打ちをして、奴隷達の列に戻った。

 その様子に唖然としているリュートに、男性は何かを差し出した。

 それを見たリュートは、

「っ!? そ、それ、僕の財布!? 何で……」

「あー、やっぱ気付いてなかったか少年。さっきの奴隷娘にすられてたんだよ。うかつに近づく上に脇が甘いから」

「っ!?」

「よくある手だぜ、病人や行き倒れを装って、助けに来た善良な人をカモに……ってな。ってか、赤いラインの首輪は犯罪奴隷の証だってのはよく知られてるだろ? ちっとばかり用心がたりないんじゃないの?」

 反論する暇もなくそれらを適確に指摘され……というか、反論できる部分もろくにないようすである。リュートは少しむっとした表情になっていた。

「まあ、仮病まで見抜けとは言わねーが、ちゃんと疑うことも念頭においとかないと、そのうち寝首かかれるぜ? あんたみたいな『いい人』は特に、な」

「……そんな、会う人会う人を疑うような生き方はしたくないな」

「……おーぅ、頭の下がるお言葉」

「っていうかあんた、何者なんだよ? いきなり出てきて、あっさり仮病を見抜いて……それに、彼女の体をあちこち触ってたけど……奴隷商の関係者か?」

「うんにゃ、俺はただの通りすがりのお医者さんだよ、少年」

「医者?」

「ああ……っといけね、連れ待たせてんだった。じゃあな少年、もう騙されんなよ!」

「あ、ちょっ!?」

 と、一方的に会話を切ると、男はその場から駆け足で去っていく。

 まだ何か言いたそうなリュートだったが……あっという間に、その色黒の謎の男性は、人ごみの中に消えてしまった。

☆☆☆

「……はい、30分経過。もーええで」

「「「……はぁ」」」

いっせいに各々の口から漏れるため息。

今日も今日とて行われている、姉さん印の訓練、『座禅もどき』。
平衡系の神経過敏になるお茶を飲んで『酔わない』ようにするというこの訓練に、今日も僕らは苦労させられていた。

といっても、さすがにもう7日目、一日あたりの回数も日増しに増やされてきてたから、さすがに慣れてきたのか、けっこう余裕を持って終えられる感じにはなってるけど。

ちなみに、昨日までは馬車で揺られながらの座禅だったけど、今日はもう町についたあとなので、馬車に乗る予定は無い。

なので、普通に地面とか床で揺れない、ちょっとは楽になった状態での訓練になるかなー……とかなんとか思ってたけどそんなことはなくて、

姉さんが用意してたのは、なんと船。
それも、クルーザーとかモーターボートとか、ああいうタイプじゃなくて……普通の公園とかで、何分何百円で貸し出してそうな手漕ぎのボート。

そのちょっと大きめの奴を借りて、すぐ近くにある湖に浮かべて(そもそも『トロン』は、湖畔の町なのだ。琵琶湖よろしくでかいのがすぐそこにあった)姉さんが直々に漕いで……その上で30分、朝っぱらから座禅をするのだ。

で、結局何が言いたいかっていうと、揺れる。アホほど。
それこそ、馬車にのって座禅してた時よりよっぽどきついんだ。船の上って。

馬車が『がたがた』なら、船は『ゆらゆら』『ぐらぐら』って感じの揺れ方をする。

言葉だけじゃ伝わらないかも知れんけど、ほんとにきつい。
姉さんが自他共に認めるほどに『漕ぐの下手』だってこともあって、右に左に前に後ろに、予測不可能かつ大振りな『揺れ』が常時襲い掛かる。

そしてその『神経過敏』、ただの薬効なら、テキーラ何リットル飲もうがへっちゃらな僕の代謝機能の敵じゃない……はずなんだけど、どうやらそれを見越した姉さんの特別製らしいんだこれが。

なんでも、知り合いの薬師に調合頼んだらしいそのお茶(『調合』とか言ってる時点でもはやお茶じゃない、と思ってる僕は何か間違っているだろうか)は、『エレメンタルブラッド』で強化された僕の解毒機能をも上回る有害さ(薬効?)を発揮している。どんな仕組みだ?

無駄に気合はいりすぎ……なんて文句言ったりはしないけど、さ。
鍛えたいって言ったの、僕からなんだし。……成果が出るのかはわかんないけど。

その状態の中で、お茶で過敏になった神経でも酔わないようにするってのは至難……30分経過して陸に上がる頃には、4人ともかなり参っていた。

エルクはダウン寸前。ザリーも、じまんのヘラヘラ顔が崩れかけてる。
シェリーさんも僕も、ちょっともう限界気味。

だというのに、

「よーし、ほな30分休憩。今日から新しい訓練メニューに入るさかい、気ィ引き締めや」

……我が姉は、ほんとに予想外にスパルタ主義のご様子で。


☆☆☆


朝、目覚めにラジオ体操ちっくな軽い準備運動。
その次、座禅。

いつもなら、ここで姉さんも交えた手合わせとかを行って、それで終わり……なんだけど、どうやら今日は違うようだ。

何も聞かされないまま、残り1分を切ってしまった休憩時間(姉さんが置いて言った30分砂時計があるので正確にわかる)の中で、なんとか出来る限り体力を回復させようとしていた僕らの前に、無常にも教官が戻ってきなすった。

また、何に使うのかわからない道具を携えて。

その手に持っているのは、そこらの露店で買ってきたと思われる、真新しい木桶。
そしてそこに、一升瓶くらいの大きさのガラスのビンを1本と、30センチくらいの長さの細い棒を数本入れていた。

姉さんは僕らに集合をかけると、持っていた道具一式を地面に置く。

そして、ビンの中身の液体を、どぼどぼと桶に注ぎ込み始めた。

十数秒後、ビンが空になると、今度は残る1つの謎アイテム、数本の棒のうちの1つを手に持った。近くで見て気付いたけど、この棒、中がくりぬかれてて管状になってる。ストローみたいだ。

それを桶の中の、容積にして半分くらいを占める量の謎の透明な液体にちょんちょんとひたし、もう片方の端っこを口にくわえて……ん? これってもしかして……

「「「おーっ」」」

おお、やっぱり。シャボン玉。
しかし、ただのシャボン玉……じゃ、ないな。

姉さんが加えたストローから、息を吹き込まれて出てきたシャボン玉は、その1つ1つがけっこうな大きさな上に、どれもほぼ同じ大きさにサイズがそろってる。
直径10cmくらいだろうか。出てくるシャボン玉の、全部が全部、だ。

しかも、普通なら無色透明か、光の加減で虹色に見えるはずのそれは……色とりどりの、しかし色つきセロハンみたいな色なのだ。赤いのとか青いのとか色々あるけど、複数の色が混ざってたり、光の加減で色が変わるようなのは1つもない。

そして、空高く上っていったり、地面に落ちたり、途中で割れて消えたりもしない。
いつまでも、ある程度の高さに滞空している。

おまけに、1つ1つのシャボン玉から、微弱ながら魔力を感じるときたもんだ。

それを、シャボン液――おそらくは、魔力がらみの特殊なそれ――に何度も浸しながら、何十個ものシャボン玉を量産した所で、姉さんは僕らに向き直ると、

「じゃ、修行メニューその2、始めるで。その名も『シャボンそろえ』や」


☆☆☆


修行メニューその2『シャボンそろえ』。

なんというか、なつかしき前世の某超有名ゲームを髣髴とさせる内容だった。

ルール、というか、仕組みは簡単。
特殊シャボン液で作ったシャボン玉を、『そろえて』『消す』。

この、複数の色があるシャボン玉、実は、同じ色のものを2つくっつけると、ぽん、という快音と共に弾けて消える、という不思議な仕組みになっていた。

この性質を利用して、たくさん浮いているシャボン玉を、2つくっつけることを繰り返して消す、というのが今回の修行。

しかし当然のごとく、ただそれだけの単純作業なわけがなかった。

このシャボン玉にはもう1つ特殊なシステムがある。
それは、シャボン玉が纏っている魔力と同量の魔力を手に纏わせないと消せない、というか、触れない……というもの。

さっきも言ったとおり、このシャボン玉は1つ1つが微弱な、そしてそれぞれ違った量の魔力を纏っている。

その魔力量を見極め、同じ量の魔力を手に纏わせることで、シャボン玉に触れるのだ。

そうしないと……つまり、魔力をこめていない、もしくは魔力が多すぎたり少なすぎる手で触るとどうなるかというと、

割れる……でわなく、増えるのだ。シャボン玉が。
触った瞬間、アメーバみたいに『ぐにーっ』と分裂して、1つが2つに増える。

上手く魔力制御できずに、でたらめにシャボン玉に触ってると、どんどん増える。

そして周囲に浮かんでるシャボン玉が一定以上の数になると……これまた某ゲームよろしく、その時点で『ゲームオーバー』。
周囲のシャボン玉全部がいっせいに爆発してしまう。爆音と共に。

そうならないように、適確な魔力操作によってシャボン玉をさわり、同色のものをそろえて消していき……最終的に0にするのが、今回の修行の目標だ。



こうしてはじまった訓練だけども、これがまたけっこう大変。

まず、シャボン玉が纏っている魔力を正確に感知する所で苦労する。

だいたいこのくらいかな、で触ったら、見事に増えた。
どうやら、相当に繊細・正確な魔力加減でさわらないといけないらしい。

シャボン玉の魔力を正確に測る。
その分の魔力を正確に纏う。

この2つを完璧にこなせないと出来ない、っていうのがこの修行なんだ。

それさえできてれば、多種乱雑に扱ってもシャボン玉はびくともしないので、さっさと終わらせられるかとも思ったんだけど……コレが中々、やってみると難しい。

しかも、シャボン玉1つ1つの魔力量はそれぞれ違う。それが、この修行の難易度をさらに押し上げていた。

それはつまり、右手と左手で違う量の魔力を正確にまとう必要があるということだからだ。左手で強く、右手では弱く魔力を纏い、しかもそれを維持する、とか。……難しい。

エルクもザリーも、順調に(?)シャボン玉の数を増やしていている。

エルクは感知は出来るんだけど、魔力のコントロールが出来ないらしい。

逆にザリーは、魔力自体はキャリアの長さもあってそこそこコントロールできてるんだけど、魔力量の感知が難しいそうだ。

そして、普段から大雑把なシェリーさんは両方苦戦していた。
『ネガエルフ』の種族特性として膨大な魔力を誇っている彼女だが、テクニックを駆使してとはいえ、魔力関連は基本力技で斬り倒しているため、繊細さとは無縁のようだ。

一応、『ネガエルフの隠里』にいた時に魔力制御の訓練は受けてたらしいけど、それでもエルクやザリー以上に苦しんでいる。

僕の場合、『マジックアーツ』で普段から魔力を体に纏わせて使ってるから、けっこう自信はあった。実際、他の3人よりも成功確率は高い。

それでも、姉さんの修行だけあって成功の基準は相当シビアな様子。
僕で大体、2回に1回成功ってとこだ。実質ほぼ減らない。

エルクやザリーは4,5回に1回成功。増える。

シェリーさんは、10回やって1回。もー増える。

そんな感じなのでみんな頑張ったんだけど結局……シェリーさんが最後の失敗をしてシャボン玉が増えたその瞬間、
周囲に浮遊していたシャボン玉の全てが、鼓膜が破れそうな爆音と共に爆発した。

爆風や衝撃はそんなにはなかったんだけど……これはちょっと色々きついぞ、姉さん。

それに……さっきまでやってた『座禅onボート』で精神が疲労してるのも、失敗を増やす原因になってるっぽいな。

さっきまでと同等かそれ以上に集中しないと成功しないこの訓練には、かなりコンディションが悪条件下にある。

もし、明日以降もこのメニュー、この順番で訓練が行われるとなると……なんとも骨が折れる展開になりそうだな、これからしばらくの修行は。

そんなことを考えていると、今の爆音で『ゲームオーバー』を悟った姉さんがこっちに歩いてくるのが見えた。


☆☆☆


『シャボンそろえ』を終わらせて疲労困憊の僕らは、少しの休憩を終わらせた後、いつも通り姉さんとの組み手訓練を終える。

その結果、やっぱり新メニュー&いつも以上にストレッシブルな座禅もどきがきつかったんだろう。エルクに加え、それなりに長いキャリアと相応以上の基礎体力をもってるザリーですら、結構限界ってとこまで来てた。

シェリーさんは、体力的にはまだいくらか余裕がありそうだったけど、2人以上にメンタルへのダメージが深刻だったと見える。

もともと細かい作業が苦手、というか嫌いな彼女は、座禅から続けて2連続の精神的な訓練が続いたからか、もうギリギリのご様子。

むしろ、さっきの組み手訓練でいくらか回復したようだけど、今度は肉体的な疲労がたまったので、いよいよアウト、って感じだ。

もちろん、僕もそれなりに疲れてる。
座禅・船verはもちろん、シャボン玉もかなり疲れた。

最初こそゲーム感覚だったけど、上手くいかないのが続くとイライラして精神的な余裕がなくなってくるし……ぶっちゃけ、飽きる。

前世でも僕、ストーリー系のRPGとか、常に場面に変化のある&派手さのあるゲームがが好きで、逆に、作業的で単純なゲームはあんまり好きじゃなったし。

姉さんいわく、この後更に訓練メニューを用意してるらしいんだけど、今日はやめておくそうだ。

みんなちょっともう限界そうで、これ以上無理にしごいてもいい結果が出ないだろう、っていう理由と……もう1つ、

どうもこの後、人に会う予定があるらしい。

なぜか、僕も一緒に。

で、今、その人達に会うために、姉さんと2人で歩いてる最中。

修行の時は結構な鬼軍曹のノエル姉さんだけど、それ以外……こんな感じでオフの時は、普通に姉として接してくれる。

通りにできてる露店を冷やかしつつ、時々立ち止まって何か軽食を買い物。姉らしくというか、僕にもおごってくれる。

焼き菓子をほおばって『おいしー?』なんて聞いてくる姉さんは、見た目のかわいさもあいまって、訓練の疲れが取れていくようだった。

よく、実際に姉がいる人は姉萌えしにくいとか言われるけど……血がつながってようと、かわいいもんはかわいいんだよなあ。萌えるかどうかは別として。

「それにしても、ウォルカやミネットに比べると……なんていうか、発展途上な感じの町並みだね」

「あーまあ、ミナトはその2つ以外の町知らんから、そーいう感想になるかもな。けど、別にこういうん、珍しゅうもあらへんねんで?」

そんなことをつぶやきながら歩く『トロン』は、最近になって急に発達してきたからなのか、発達具合にムラがある印象を受ける。

昨日、姉さんの商隊が到着した正面口から大通りのあたりは、ウォルカよりもちょっと静かかな、ってくらいにしか、雰囲気は違わなかった。露店も多かったし、人もそこそこ多くてにぎわってた印象。

けど、今歩いてる道は……だんだんだけど、昨日通ったあの大通りよりも、廃れてるというか、発展してない、貧しい感じになってきた。

まともな家がまず少なくなってきて、ホームレスのダンボールハウスみたいなのがあちこちに見られるようになってきてる。

中には、路上生活してそうなみすぼらしい身なりに加え、ちょっとカタギやめてそうな感じの目でこっちをじろじろ見てるのもいて……

一見して上質そうな生地の服着てる姉さんに、派手さは無いけど清潔感漂ってて、見様によっては珍しい装備にも見える服装の僕。『そういう』目で見る人がいても、残念ながらちっともおかしくない、ってのが正直な所だろうな。

もっとも、こういう輩がいるってのは、この村に限ったことじゃないし、ウォルカでだって、ちょっと裏道に入れば簡単に絡まれる。

僕が気になったのは、同じ『トロン』って村の中なのに、ここまで露骨に差がある所だ。

前世で言う、いわゆる『南北問題』って奴だろう。同じ国や地域でありながら、一部分のみが発達して残りがそれに追いつかず、経済的な格差ができる、っていうやつ。

発展途上の国や地域によくありがちになる問題で、たしか中国とかにもそういう部分があったはず。

姉さんに聞くと、正にそんな感じであるらしい。

この『トロン』が、豊富な天然資源を武器に、外部と交流というか商取引を行ってる、ってのは前に話したと思う。

しかし、何も『トロン』の村の民全員がその恩恵にあずかれたわけではない。

それらの天然資源による利益は、一部の人たちがほとんど全部掻っ攫っていってるそうだ。大商人とか、地主さんとか。あとは、その人達と仲良くしてる一部富裕層とかが。

その結果、それができない普通の人達は生活水準は刺して変わることはなく、貧富の差が大幅に開いた。
しかも、逆に生活が苦しく、貧しくなった人までいるという。

「そんなわけで、うちらみたいなのは気ぃつけて歩かなあかん、ちゅーわけやな」

「なるほど。でもその割には無用心じゃないの? 姉さん仮にも大きな商会の代表なのに、ボディーガードもつけずに普通に歩いたりしてさ」

「あんたとうちがそろってるこの状態でわざわざ護衛いらんやん。うちらの方が守ってやらなあかんくなるわ」

「あー、確かに」

元SランクとAランクが並んで歩いてるんだしなあ。必要ないっていうか、むしろ護衛に立つ側な実力だ。僕らの方が物騒って言われても反論できない。

その時、

「「…………」」

僕の強化した聴力と、獣人である姉さんの発達した聴力が、ほぼ同時に『ある声』を捕えた。

……えっと、つい昨日聞いたばかりの声な気が……。

「……二度あることは三度ある、ってホントなんだね」

「そーいう諺があるっちゅうんは初めて聞いたけど、せやったらそら10割あんたのせいやな。ウチまだ会うん二回目やもん」

そんな会話を交わす僕と姉さんの視線の先には……今日も今日とて、元気にトラブルを巻き起こしているあの水色の彼の姿。

ホントにこの人は、趣味なのかってくらいにいつ見ても渦中にいる。
しかも今日はお仲間さんも一緒だ。3倍五月蝿い。いやむしろ煩い。

して、怒鳴ってる内容に聞き耳を立ててみるに……

「……昨日と同じじゃん」

「よっぽど奴隷ビジネスがおもろないみたいやな。ま、笑ってやれるような商売やないっちゅうんはそうやし、忌避感持っとる奴も多いけど」

「しかも、今回はシチュエーションがあれだから、余計に、かもね」

目の前で繰り広げられてるのは、奴隷商人らしき人が、あらたな『商品』を入荷しようとしている、まさにそんな光景。

その真っ最中なもんだから、昨日にもまして(昨日とは違う業者さんみたいだけど)リュートがはりきって怒鳴ってるのがよく見える。

しかも、そのシチュエーションってのが、
具体的に言うと、



おとうさん、いかないでよ。

ごめんな娘よ、お父さんはいけないことをしてしまったんだ。

あなた、お元気で……。

娘をよろしく頼む、愛する妻よ。

おとうさん、いかないで。おとうさぁん。



こんな感じなんだから。
ああ、うん、コレはリュートじゃなくても同情を誘う。

野次馬連中にまで聞き耳の範囲を広げた結果、どうやらあの『おとうさん』は、犯罪を犯して『犯罪奴隷』となるらしい。

日雇いの仕事で食いつないできたが、数日前、妻が持病を悪化させて寝込んでしまった。

当然その奥さんは休養が必要で、娘はまだ幼いために1人で家に残しておけない。旦那さんは日雇いの仕事を数日休む事になった。
薬を飲んでおくさんが安静にしてる間、家で家事やら娘の世話やらをこなした旦那さん。

しかし、この世界ってのはどこまでもドライで残酷だった。

まず、もともと貧しかった上に、奥さんの治療費や薬代という予定外の出費が出てきてしまい……家の蓄えが無くなった。

さらに、数日休んでしまった職場は、彼を解雇して新しい人材を雇った。家の事情まで考慮してられないとかで。

ダブルパンチで窮地に立たされた旦那さんは、明日の糧を得るために盗みを犯し、そして捕まった。

そして1日と待たずに裁きが下された。
情状酌量の余地あり、しかし罪は罪ってことで、奴隷身分へ落とすことが決まった。

今現在、彼の首に巻かれているあの首輪。
黒革に赤いラインが入っているデザインは、犯罪を犯したものがその罰として課せられる『犯罪奴隷』とかいう身分を示す首輪だそうだ。

一応、刑罰としては軽い方らしい。情状酌量らしいし。

奴隷っていうと悲惨なイメージあるけど、鉱山労働とか鞭で100叩きとかの刑罰も普通にあるこの世界である。良心的といえばそうだろう。

聞けば、奴隷として奴隷商人に売られる代わりに、その売られた代金の一部が見舞金としてあてがわれるんだそうだ。だから、貧民層の人たちが軽犯罪を犯した場合、この罰が適用されるケースが多いらしい。

そして、犯罪奴隷には2種類ある。

酌量の余地がある者は、首輪の赤ラインが1本。
この場合、売られる先がある程度『手の届く範囲』に限定される。一定期間経過後、お金を払えば買い戻すことが出来るのだ。

赤いライン2本は酌量の余地無しで、買い戻せる保障ないけど。

今回のあの『おとうさん』はライン1本だからまだマシな方らしい。

で、今のコレは、なんでも、売られる前に家族に最後の別れを、ってことでつれてこられたっていう良心的な理由に基づいているらしい。

しかしそれでも、当然というかこの状況の痛ましさが薄まるわけではないので、っていうか家族との涙の別れがあったせいでさらにヒートアップしてるような気がするし。

奴隷商人に食って掛かって、どうにか連れて行くのをやめさせようとしてるリュート。
その後ろから……こないだも一緒だった仲間2人が援護。名前は……そう、アニーと、ギド、だったっけか。

こないだも思ったんだけど、このお仲間2人、援護してるって言うより、ひたすらリュートの正義談義を援護しつつ敵方に罵詈雑言浴びせてるだけって感じするんだよなあ。リュートの敵=悪、みたいな感じで。さも自分たちが100%正しいかのように。

……そんな中で、
リュートが必死でその『おとうさん』を助けようと熱弁してる傍で、

野次馬の中から、こんな野次が。


「あーぁ、あれじゃ普通に身売りした方がいい金入っただろうに」



「……おいコラ、誰だ今小汚ねぇ野次飛ばした奴……?」



ぎろり、と、
いきなり周囲の野次馬達に向けて、明らかにカタギやめてそうな人間の視線を投げかけ始める、黒髪ぼさぼさの彼、ギド。

しかも、殺気まで押さえもせずに放っているときている。

それが向けられる先は、今の野次を飛ばした人間……が判明していないからだろうか、周囲の野次馬の人垣全体だ。

ぐるりと見回して、『今言った奴出て来い!』と大声で怒鳴る。天下の往来で、迷惑も何も考えない……っていうか、頭にないんだろうな、あれって。

お得意の苛烈な正義感からか、今の野次が相当頭にきたらしいギドだが、そんな殺気全開な奴がいくら言った所で、むしろ出てくるわけがないだろう。

しかしそれがまたしてもお気に召さなかったらしいギドは、なんととうとう、背中にしょっている自分の獲物――大剣に手をかけてさらに濃密な殺気を周囲にばら撒き始めた。

え、ちょ、何のつもり? 何する気?

「出てこねえってんなら、全員ぶっ飛ばしてもいいんだぞコラ……こんな場面見てても助けようとも慰めようともしねえようなクズばっかりだしなあ、ここにいる全員……!!」

………………

もう、何ていったらいいのかわかんないんだけど。

珍しいも奇特も通り越して、単に危ないだけだぞ、コレ。
正義感や価値観を押し付けるだけならまだしも、それにのっとっての行動なら、武力行使も正当な選択肢だとか思ってるぞおい。

しかも、明らかに、非がないどころか全然関係すらないギャラリーまで加害対象とか、もうすでに色々破綻してるってコイツ。

かわいそうに思いつつも力がなくて手が出せなかった人とかいる可能性にまで頭回ってないんだろうか? や、頭回ってればいいってもんでもないけどさ。

しかしながら、そんな彼……ギドとやらにストップをかけたのは、意外にも、連行されそうになっていた『おとうさん』その人だった。

気持ちは嬉しいけど、あなた方にまで迷惑がかかるのは私も望みません、とか何とか言って。人間が出来てるなあ、この人。

「けどよオッサン、それでいいのかよ!? 泣き寝入りする必要なんかねえんだぞ! あんた何も悪くねえんだからよ!」

いや、一応悪いよ? 理由はどうあれ、盗みやらかしてるんだから。

「そうよ、自分でどうにかできない問題なら、遠慮なく周りの力を借りていいのよ! あなたはもちろん、私達は今、何も間違ったことなんてしてないんだもの!」

いや、間違ってるよ? 野次が飛んできたくらいで周りの野次馬ごと痛めつけようとか言い出してる時点で、完全にやりすぎだからね?

「やれやれ……かわいそやなあ、あんな風に目の仇にされてもーて。あそこ、一応奴隷商の中やったら優良企業やのに」

「? 姉さん知ってんの?」

あの、犯罪奴隷の『おとうさん』を買い取る予定らしい奴隷商人さんを?
承認だけあって、顔が広いのかな、やっぱり。

「ああ。まあ、知っとるっちゅーか、提携しとるねん、あそことは。うちの商会は奴隷はあつかっとらんけど、奴隷ってとどのつまり、普通の日雇いなんかより安上がりな労働力やさかいな。軽く人手が必要な時とか、奴隷何人か見繕ってもろて借りたり買ったり」

「へー。給料とかは? なんか奴隷って、タダ働き的なイメージあるけど」

「奴隷に賃金を渡すかどうかは、基本的に完全に雇い主次第や。払わんでも問題あらへんし、やる気出させるためのカードとして出しとるとこもある。うちは後者や」

「なるほどね。……となると、その提携先の人に何かあると姉さん的にも困るか。なら、危なくなったら止めに入る? めんどくさいけど」

あの3人(特にギド)、ちょっとの刺激、っていうかきっかけで、奴隷商人さんに怒りの矛先シフトして襲い掛かりそうなんだけど。割とマジで。

姉さんもうすうすそれは感じてたらしいけど、意外にも返ってきた返事は『必要あらへんよ』というもの。

少し気になったけど、その理由を聞くより先に……事態が動いた。

その、提携先だっていう商人さんの方から、こんな会話が聞こえてきたのである。

「行きましょう。最後に妻達に会えて、心も決まりました。それと、確認させていただきたいんですが……」

「薬の件か? わかった、まだ完治しきっていない奥さんには、こっちで続けて飲む分の薬を手配して届けてやろう。治らない病気じゃないから、悲観はしなくていい」

「ありがとうございます……これで安心して、罪を償うことが出来ます」

「ただし、その薬の代金と手間賃は、お前の身柄を売却した金額から引かれるからな」

その途端、

健気な『おとうさん』の態度に免じてか、大人しくなっていたギドの体から、さっきより3割り増しくらいの殺気が立ち上り、近くにいた野次馬達を巻き込んで萎縮させた。

あ、やばいぞコレは。

「……おい、おっさん? 今何つった……?」

「え? い、や、私は……」

「薬代が、その父ちゃんの身売り金から『引かれるからな?』だ? てめぇ、この期に及んで、身売りなんて結果になっちまったその人から、まだ金むしり取る気なのかよ……? やっぱりこりゃ、ほっとくわけにはいかねえなぁ……!」

奴隷として家族と離れ離れになるという悲惨な結果の末に、さらに見舞金から天引きされて家族に渡る金額を削り取った(という結果になった)ことに、完全にブチ切れたっぽい黒髪の少年。

……いや、確かに手取りは減るけど、それって薬を買うのと等価交換なんだからどこにも起こる要素ないっていうか、本来は必要ない手間わざわざとってくれてるんだからむしろ姉さんが言ってた通りすごい良心的だろ、ってことに絶対気付いてない。

……いや、気付いてても、リュート理論で『貧しい家族から金取るなんて許せねえ!』って展開になるかもしれないか。

商人さんに向けられる眼光は、もうすでに殺る気満々。
最早交渉の余地無しとばかりに、手は再び大剣にかけられ、数秒後には天誅を下すがごとくそれが振るわれる展開になるであろうことは、誰の目にも明らかだった。

いや、これはホントにやばいから止めた方がいい、と思うんだけど……この状況下でもなぜかしれっとしてる姉さんの心の中が読めない。

けど、これほっとくとマジ死人出る。
お仲間のアニー(『当然』とか言いたげな顔)とリュート(そこまでじゃないけど止めようとはしない)は止める気配無いし、しかたないから僕が……と思ったその時、

一歩、前に進み出ようとしたギドと、
姉さんごひいきの奴隷商人さんの、その間に、


ゆらり、と割り込んできた背の高い影が。


「はーいはいはい、そのへんにしときな。女子供のいる目の前で刃傷沙汰なんざ起こすもんじゃねーぞ、少年A」

「……何だてめえ、関係ねー奴が割り込んでくんじゃねえよ」

「いや、かんけーあんのよこれが。この人殺されるとおじさん困っちゃうから」

そう、緊張感のない飄々とした言い方でギドに返すのは……今言ったが、いきなり割り込んできた、背の高い影。

つか、ホントに高い。背が。
パッと見で……2mくらいは確実にあるんじゃなかろうか?

筋骨隆々、ってほどじゃないけど、どっちかといえばがっしりした体つき。形がわかる程度に引き締まった筋肉であり、背が高いのにひょろい印象を受けない。

髪は水色。リュートのそれよりも薄い感じで、白髪に青みがさしてる、って言った方がいい感じの色で、髪型は……天然パーマだ。

背中には……杖だか棍だか判別がつかないが、2m近くありそうな長い棒を背負ってる。銀色に輝くそれは、細身なのになんだか重厚で、どこか神秘的な雰囲気だった。先端に、半透明の水晶みたいな宝石ついてるし。

そんな、結構特徴的で印象的なその人は、けっこう精悍というか整った顔立ちだけど、なんだかだるそうでやる気なさそうな雰囲気と目をしていた。

正反対の空気をまとって相対しているギドは、突然の乱入者に、しかしひるんだりすることはなく……その苛立ちを目に見えて加速させていた。

「てめえ、そこの奴隷商人の用心棒か何かか?」

「当たらずとも遠からず、って奴だな。申し遅れましたどーも、こーいうもんです」

どこまでもギャップがあるテンションで、何をするかと思えば……懐から取り出したそれは、なんと名刺。

渡されたギドのその手元を覗き込んでみると、そこには。


『傭兵団『パシレイア』総帥 ブルース・クーザント』


この状況下、この殺気バリバリの相手によくやるもんだなコレ。

一瞬あっけに取られた様子でその名詞を見てたギドだけど、すぐに苛立ちを取り戻した……どころか何倍にもしたようで、その手の中の名詞をびりっ、と破り捨てた。

「……あーまあ、悲しきかな予想通りの対応だな。ホントならこの後、『ご入用の際にはよろしく』とか続けるつもりだったんだが」

「くだらねえこと言ってねえでさっさとどけよおっさん。後ろの奴と一緒に斬るぞ」

「いや、だから無理だっての。俺傭兵で、こっちの人の護衛が任務なんだって……言ってねえけど、わかるだろ雰囲気的に」

「そうかよ。けっ、金に目がくらんだ薄汚ねえまねしやがって……そんなに死にたきゃお望みどおりに……」

「あーちょっとまった兄貴。そこの若いのも。青春の汗を流すのは後にしてちょーだいよ」

するとまた唐突に、ギドのセリフをさえぎってそんな声が届いたかと思うと、
奴隷商人さんの後ろから、また新たに2つの人影が出てきた。

1人は、色黒の肌に筋骨隆々の男の人。ソフトモヒカンの髪の、ダンディな男前。
背も結構高めだ。傭兵……ブルースさんほどじゃないけど、180はあるな。

半そでのシャツに、丈夫そうなズボン。革製と思しき、やたらポケットの多いベストを着ていて……なんか、かなりアウトドア向けの服装。山とか歩けそう。

野太い声を割り込ませてきたのは、どうやらこの人らしい。

その男の人の顔を見た途端、リュートが『あっ!』って声を上げてたけど……知り合い
か何かなんだろうか?

そして、一緒に出てきたもう1人はというと……あれ!?

「ウィル兄さん!? 何でここに?」

「! おや、その声は……ミナトに、姉さん。何だ、もう到着なさってたんですか?」

そこにいたのは、つい1ヶ月前にも見た、イケメンのメガネ男子。
僕の兄であり、生物学者……ウィリアム・キッツ。通称ウィル兄さん、その人だった。

『花の谷』で出会って以来の、けっこう早い再会になったその人は、僕らを見つけると、驚いたような、しかしちょっと変な返答を返してきた。

兄さん、今『もう』って言った? それってどういう意味?
まるで、僕達がここに来ることを知ってたみたいな……あ、もしかして、姉さんが会いに来た人って……

と、思ったその時、またしても予想外の展開が。

出てきたばっかりの色黒のダンディが、

「んあ? 姉貴に……ウィルお前今何つった? ひょっとしてこいつがそうか?」



……『姉貴』?



すると今度はウィル兄さんが、

「ええ、そうですよ、兄さん達。そこにいる彼がそうです」



……兄さん? 達?



と思ったら今度は、水色天パ髪ののっぽさんが、

「お、マジだ。久しぶりだなノエル。相変わらず年齢感じねえ卑怯な美貌じゃねーの、いくつだっけお前? んで、そいつがそーなのか?」

「……相変わらずデリカシー0やな、ブルース兄。ダンテも、ウィルも」

「いやいやいや、俺ら関係ねーっしょ、姉貴」



「……えっと、あの……そろそろ説明してくんない?」

「「「?」」」



この数分後である。僕が、きっちりとした『説明』を受けたのは。




11男(末弟)、人間にして夢魔族、ミナト・キャドリーユ。

10男、人間族、ウィリアム・キッツ。通称ウィル。

4男、ドワーフ族、ダンテ・アンキラス。

4女、狐型獣人族、ノエル・コ・マルラス。

そして、
次男、エクシア族、ブルース・クーザント。


キャドリーユ家11男15女、26人兄弟のうち、実に5人が一堂に会した状況こそが、今のこれである……と、姉さんの、遅すぎる説明を。

☆☆☆

「と、いうわけで、今日の午後からは、この3人に講師として訓練見てもらうさかいな」

 ってな感じで、姉さんは僕の兄さん達3人をエルク達に紹介し、突如として増えた教官(しかも全然知らない人)に、エルク達は唖然としていた。

 その目の前に立っているのは、僕もついさっき会ったばかりの、っていうか知り合ったばかりの、新たな兄上達。
 さっき、リュートたちとの騒動の中で出会った、ニューフェイス。

 まず、一番背が高いせいで一番目立つ、水色天パの髪のブルース兄さん。職業、傭兵団の頭目。

 身長209cm(さっき本人から聞いた)でありながら、だらけ気味っていうか、やる気なさげな雰囲気を漂わせているこの人は、そのせいでパッと見『ウドの大木』に見えてしまう。顔は悪くない部類なんだけど、目が途轍もなく眠そうっていうか何ていうか。

 そして、見た目だけでなく中身もかなり面倒くさがりっていうか、いいかげんだっていうことを、僕はここに来るまでに一緒に移動した数分間で知った。

 なんていうか、興味ないことにはなるべく関わりたくない、相手にしたくない……っていうスタンスらしい。一応、姉さんからの頼みだから、僕らの『訓練』にはきちんと協力してくれるらしいけど。

 そしてブルース兄さん、人間じゃなく、『エクシア族』とかいう亜人種族らしいんだけど、それについての詳しいことは聞いてない。

 続いて、色黒ガッチリ系ダンディの、ダンテ兄さん。職業、医者。

 身長180cmオーバーと、ブルース兄さんほどではないものの長身で、しかしブルース兄さんよりも腕なんかの筋骨はたくましい。一見してかなりの腕力があるだろうと見て取れる。その上、ソフトモヒカンの髪型と髭面のダンディフェイスがワイルドさを際立てる。

 こちらも人間じゃなく、『ドワーフ族』っていう亜人らしい。前世のゲームとかだと、ドワーフって背が低くて、鍛冶作業とかが得意な器用な種族だったらしいんだけど、この世界ではまた違うんだろうか? 背、高いし。

 そして最後はウィル兄さん。
 こっちはまあ、服装まで含めて『ノネット』で会った時のまんまなので略。

 そんな3人を教官に迎え、僕、エルク、シェリーさん、ザリーの訓練は、また新たな局面を迎えることになるのだった。

「さて、午前中は残りの時間含めて休憩にするさかい、ゆっくり休みや。午後からは、うちら4人があんたら4人に1人ずつついて、稽古をつける。内容は……魔力のコントロールや」

 
 ☆☆☆

 
 魔力のコントロール。
 洋館時代、母さんにもがっつり訓練させられた、魔法の修行の基礎中の基礎。

 基礎、ではあるけれど、それをきっちりやったかやってないか、どのくらい錬度を上げてるかによって、術者の実力は桁が2つも3つも違ってくる重要事項だ。
 何せ、属性ごとの魔力をきっちり制御できないと、魔法が成立しないんだから。

 たとえば、炎の魔法を使うのにそのコントロールが未熟だと、炎に熱がこもらない。
 っていうか、熱が足りないから火が起きない。もしくは、威力が出ない。

 水の魔法なら水が出ないし、風の魔法なら、風が弱いか、思った強さ・方向性の風が起こらない……なんて感じでグダグダになる。

 もっとも、このメンバーは全員すでにそのレベルのコントロール訓練は、ずっとずっと前に終えてる。

 何せ、ホントに『基礎の基礎』、魔法を志すものなら最初に学ぶこと。
 専門的な師匠を持たなかったエルクですら、お母さんにきっちり訓練させられてたのだ。

 そういうわけで、僕らが今回勉強するのは、そんな単純というか簡単なものではなく……それをより深い部分まで、繊細かつ正確にコントロールする訓練だそうだ。

 そしてそれを監督するのは、僕、エルク、ザリー、シェリーさんの4人の得意な属性にそれぞれあわせて選別された講師陣だ。

 

「……で、何で僕ら練習しないで、みんなの練習見学して回ってんの、ブルース兄さん?」

「まーまー、急ぐな、えーと……」

「ミナト」

「そうそう、ミナト。何、そんなに急がなくてもいいじゃねーの、まずはホラ、周りの連中冷やかしておちついてから訓練に当たれば、効率も上がるかもだし」

「ふーん……?」

 と、
 僕の担当になったブルース兄さんが、他3人がすぐに取り掛かったにも関わらず、なぜか始めようとせずに僕を色々と連れ回し始めたので、早くもちょっと戸惑ってんだけども。

 
 ☆☆☆

 
 そんなわけで見学して回ることになった僕らが来たのは、1組目、

 エルク&ウィル兄さんの、『風』属性の修行。

 内容は、その名も……『超長距離キャッチボール』。

 もっとも、この世界には『野球』なんてスポーツはないから、使われるのは子供があそびで使うようなおもちゃに近いボールだし、グローブなんてもんもないけど。

 しかしこの訓練、無論、問題なのはそんな所じゃない。
 タイトルにもきっちりついている、『距離』である。

「ちょっ……ウィリアムさん!? いや、いくらなんでも無理でしょこれっ!?」

「無理じゃなくするための訓練ですよ、エルクさん。大丈夫、幸い時間ならありますから、急がず焦らず、少しずつなれていきましょう」

 そんな会話を交わす、慌てているエルクと、実は風属性が得意だったウィル兄さん。

 その2人の間は、確かに、ちょっとキャッチボールでは考えられないほど開いていた。

 具体的には……野球場の、ホームから外野くらい。
 相当な強肩ピッチャーでも、思いっきり投げても届くかどうかって距離だ。

 その距離が……ウィル兄さんいわく、『まず手始めですから、このくらいの距離から始めましょう』な距離なのだ。

 あぜんとしてるエルクを気にかけることなく、淡々とウィル兄さんは続ける。

「さてエルクさん、ぱっと見の印象でこの訓練に萎縮していらっしゃるご様子ですが……そこまで身構えることはありませんよ。今言ったように、最終的にはこの距離以上の距離を、無理なく投げられるようになる訓練なのですから」

「いや、私正直、身体強化魔法使っても、この距離ギリギリだと思うんですけど……」

「はい、その認識がすでに間違っています」

「え?」

 エルクの頭の上に、『?』マークが浮かぶ。

「エルクさんは、『風』という魔力の特性を、どの程度把握していますか?」

「えっと……確か、移動とか、武器の切断能力の強化とかに役立つ属性だ、ってことくらいなら。あとは、換気とか、日常生活に役立つ面もあるって習いました」

 と、エルク。おそらく、お母さんに教えられた基礎的な知識だろう。

 エルクの言うとおり、『風』の魔力は、移動補助や斬撃攻撃の強化……すなわち『速さ』や『切れ味』に関係してくるものだ。

 僕がよくやるのは、足に『風』の魔力をこめて、走る速さを早くしたり、その負担を軽減したり……攻撃なら、風の刃で切断系の攻撃を上乗せしたり、だ。あとは、暴風をぶつけて相手を思いっきりふっ飛ばしたりもするな。

 エルクも、ダガーに風の刃を纏わせて切れ味を飛躍的に上げる、なんかの技能を、最近ではきっちり使いこなせるようになっている。

 それを聞いたウィル兄さんは、くいっ、とメガネを上げて、

「はい、正解です。より細かい補則を付けさせていただくなら、それらは『風』の魔力の骨子である能力『空気の流れの操作』によるものなのです。この訓練は、それをより強力かつ繊細・正確に行えるようになるためのものです」

「『空気の流れ』……ですか?」

「そうです。たとえば、普通にボールを投げた場合……」

 おもむろにウィル兄さんは、軽くボールを手前に投げる。

 本当に『軽く』だったそれは、少しの距離を山なりに飛ぶと、すぐに力を失って地面に落ちた。10mも飛んでいない。

「このようにすぐに失速して、落ちてしまいます。これは、ボールにかかる『空気抵抗』によって速度が殺されてしまうことによるものです。わかりますか?」

 言いながらウィル兄さんはすたすたと歩き、それを拾い、もとの位置に戻る。

「まあ……一応」

「よろしい。そこで、『風』の魔力の出番です。このボールに魔力をこめて、飛んだ後の空気の流れを、ボールの邪魔にならないようにした上で投げると……」

 そう言うと、ウィル兄さんは、さっきと同じように、しかし今度はやや緑色に光っているボールを、軽く振りかぶって……投げた。

 すると今度は……ボールは、ヒュン、と風を切って飛び、失速も落下もすることなくとび、簡単にエルクが立っている位置まで届いてしまった。

 驚いて反応できないエルクが、そのボールをキャッチしなかったため……その1mほど横を素通りしたボールは、その背後さらに数十mの位置に生えている木の幹に当たって、落ちた。

「…………え?」

「とまあ、このように。ちなみに今の、飛距離はあっても『それだけ』ですから、やろうと思えばキャッチも出来ましたよ? 別に『速く』も『強く』もなかったでしょう? そもそも、さっきと同じ力で投げたボールが、『落ちなかった』だけの話ですからね」

 なるほど。
 確かに、飛距離はすごかったけど、速度自体は特にそこまで早くもなかったし、当たった木もほとんど傷ついたりしていない。

 しかも、操作した空気の流れで下方向からボールを押し上げながら飛ばせば、重力をある程度中和して飛距離を稼ぐことだってできるわけだ。こりゃ確かにすごい。

 このボールで、この技術でキャッチボールをする……いや、『できるようになる』ってのが、エルクの修行か。

「より強力・繊細・正確なコントロールが出来るようになれば、当然あなたが今使っている技も強化されますし……新たな技も使えるようになるでしょう。がんばりましょうね」

 そう言って、ウィル兄さんは今一度、メガネをくいっと上げた。

 
 ☆☆☆

 
 続いて2組目、

 ザリーとダンテ兄さんの、『土』。

「えっと……あれは何やってんの? 砂遊び?」

「俺にもそう見える……が、多分違うと思うぞ? 知らんけど」

 ザリーの担当になった、僕の兄の1人、ダンテ兄さんの訓練の現場に行った僕らが目にしたのは……何と言うか、不思議な光景。

 そこにいたのは、ザリーに見せ付けるように、お手玉というかジャグリングというか、そんな感じの芸をして見せている、ダンテ兄さんの姿。

 それだけなら別に、『マッチョなのに器用だなあ』程度の認識なんだけど……その『お手玉』に、決定的におかしな所が一つ。

 何が変って、この人……砂でお手玉をしてるのだ。
 それも、水で固めたとかじゃなく……普通に、手ですくえば指の隙間から零れ落ちるような、さらさらの砂で。

 どういうわけか、ダンテ兄さんが足元の地面(砂地)から砂を掴み取ると、まるでアメーバとか、スライム(この場合は、前世であった昔のオモチャ的な意味)みたいに、ゲルのごとき見た目に固まってついてくる。

 ビジュアルとしては、磁石で大量のクリップとか釘を吸い寄せて持ち上げた、って感じに近い。ついてくるはずのない砂が、重力に逆らってくっついて持ち上がっている。

 ダンテ兄さんは、そんな感じの砂の塊をいくつも作り出し、お手玉にしているのだ。

 ダンテ兄さんいわく、この芸当は、『土』属性の魔力の特性の1つ、『塊状物質の制御』の訓練。

 簡単に言うと、『土』の魔力で、砂や土といった、小さい粒の集合体として大きな存在になるものを制御して武器にしたり、その他色々な役に立てるというもの。

 普通なら、砂なんてもんはいくら強く握った所で、手を離せばさらさら崩れるだけ。

 しかし、きっちりコントロールした『土』の魔力を使うと、崩れ落ちるはずの砂は、そうならずに固まる。

 しかも、その『固まる』形状も……石みたいにがっちり固まったり、粘土みたいにある程度形を自在にしたり、アメーバか何かみたいに崩れそうなのに崩れない、みたいなものにしたりと、かなり自由自在。

 しかもダンテ兄さん、そんな感じで作ったアメーバ砂で、その辺に落ちているこぶし大の石を拾って見せたり、触手か何かのように自在に操り、見に来た僕の頭をぺしぺしと叩いたりと、様々なびっくりパフォーマンスを見せてくれた。

「とまあこんな風にだな、ザリー少年。この修行での目的は、砂や土や泥を、自分の体の一部、手足や感覚器官の延長線上として扱えるようになることだ。慣れればこんな風に、砂を介してでも細かい作業だって出来るし……」

 言いながら、割り箸ぐらいの大きさの枝を拾って、器用にキャンプファイヤーみたいな組み木を組み立てたり、

「こんなことも出来る。あ、ちなみにコレ腕力関係ねーぞ?」

 とかいいながら……砂で作った触手で、直径が僕の身長くらいある大岩を持ち上げて、そのまま頭上で振り回してみせた。

 ダンテ兄さんの手と大岩をつないでいる砂の紐は、さながら鎖のごとし。いや、頑丈さで言えば明らかにそれ以上だろう。

 何せ、太さ数cmにも満たないそれで、数トンあろう大岩を持ち上げて、振り回せてるんだから。
 その重さは、地面にそれを下ろしたときに起こった、特大の地響きからもわかる。

「他にも、撒き散らした砂をつかって周囲の状況を感知したりも出来るようになるし、今使ってる技の威力なんかも底上げできるからな。やる気出せよ、チャラ男!」

 
 ☆☆☆

 
「飽~き~た~! 私こういう細かいの嫌い~!」

「わがまま言わんとさっさとやりや。強ぉなりたかったら大雑把だけやったらあかん」

「うぅ……ノエルさんと一緒だって言うから、思う存分戦れるかと思ったのに……」

 3つ目、ノエル姉さんとシェリーさんの『火』の魔力の訓練の場所に行ってみると、いきなりそんな不満げかつ悲痛な叫びで持って出迎えられた。

 そしてそこでシェリーさんは、やっぱり傍目にはよくわからない訓練をさせられていた。

 彼女が手に持ってるのは、抜き身の剣。彼女愛用の、『ソレイユタイガー』の牙から作られた、燃える魔剣。

 それを横にして持ち、姉さんが用意したものと思われる、赤いロウソクを一本乗せていた。……多分、ただのロウソクじゃない、マジックアイテムと思しきそれを。

 そして次の瞬間、

 ――ボゥン!!

 シェリーさんが剣に乗せてバランスを取っていたロウソクが、突如爆発して粉々になったことで、その予想が裏付けられた。

「……剣の熱でロウソクを爆発させる訓練?」

「だったら楽だったんだけどさ~、逆なのよ、逆」

 シェリーさんいわく、
 この訓練、剣に伝える『火』の魔力を繊細にコントロールする訓練で、赤ロウソクはそのためのマジックアイテムだという。

 何でも、『火』の魔力による熱に反応して少しずつ溶けていくものらしい。

 本来は、魔法で炎をともすことで、風が吹いても中々消えない上に長持ちな、明かりや火種として有用なロウソクらしいんだけど、これは姉さんがちょっと改造した特別性。

 火の魔力によって溶けていく性質はそのまんまらしいんだけど、その『溶ける』条件である魔力の量が、かなりシビアである。

 そして、多すぎる魔力にあてられると、途端に爆発して木っ端微塵になるらしい。

 そのロウソク――普通に溶かせば約3時間はもつらしいけど、時間調節のために短くしてあって、30分ほどで溶けるそうだ――を、愛用の剣の上で、魔力を流してゆっくり溶かしていくっていうのが、シェリーさんの訓練。

 つまり、ロウソクが溶けきるまでの約30分間、ちょうどいい量の『火』の魔力を持続的に刀身に流し続けなければいけないのだ。

 魔力が少ないとロウソクはとけないし、多すぎれば爆発するため、少しでも集中が途切れると失敗となる。
 さらに、バランスを崩してロウソクを剣から落としても失敗。

 地味、細かい、じれったい、とまあ……シェリーさんが嫌いな要素がわんさかつまった訓練に、開始30分経っていないと思われるにも関わらず、すでにシェリーさんは不満たらたらだ。

 姉さんが講師ってことで、戦えることを期待してた分、落差が大きいし。

 なるほど、こりゃ、シェリーさんが一番苦労しそうだな、この先。
 腕前はともかく、精神的に。

 
 ☆☆☆

 
「さて、まあ今、それぞれの訓練風景を見学して冷やかしてきたわけだが……どうだったミナト?」

「どう、って?」

「できそうか? あの修行、3つとも」

 歩きながら、僕の担当であるブルース兄さんが唐突にそんなことを聞いてきた。

 ああ、そういう意味か。そう聞かれると……

「どーかな……種類や条件によるかも」

「おぅ? 具体的には?」

「一番楽に出来そうなのは、ロウソクだと思う。一応僕の武器、手甲と脚甲だし、それに乗せてとかでよければ。エルクの『風コントロール』は、簡単な魔力付与とかなら多分出来る。でも、砂のアレは……ちょっと無理かも。感応系、苦手だから」

「あー、そういやノエルがそんなこと言ってたかもな。けどまあ、なるほど、そのくらいのレベルか……」

 僕からの返答を聞くと、ブルース兄さんは視線を中にさまよわせ、顎に手を当ててしばらく考える。そして、

「さすが、お袋が直々に鍛えたってだけのことはあるか……ん。なら、ちょっと一足飛びに高いレベルからの訓練始めてもよさそうだな」

「あ、もしかしてそれ見極めるために見学させてた?」

「まーな」

 そのまましばらく歩くうちに、僕と兄さんは、最初に2人で来た、森の中の少し開けた場所に戻ってきた。

 そして、兄さんは持っていたカバンから、何やら色々な道具を引っ張り出して並べる。
 僕に、地面に座るようにいうと、自分自身も腰を下ろした。

 僕が同じように、芝生の地面によいしょと腰を下ろすのを待って、兄さんは、

「さて、じゃ、始めるかミナト。『闇』の魔力の訓練、『聖水いじり』だ」

 
 ☆☆☆

 
 突然ながら、この世界には『聖水』というものが存在する。
 前世であったRPGとかでもよくあった、便利アイテムの一種だ。魔法系の。

 どんなもんかっていうと、その効能は様々ある。

 聖なる力で、一定時間魔物を寄せ付けなくなるとか、

 聖なる力が病魔を弱らせて、普通の薬じゃ治らない病を治せるとか、

 聖なる力で、邪悪な呪いをか打ち消すとか、

 聖なる力で、アンデッドなんかの霊族の魔物を倒すとか……

「……なんかやたら『聖なる力』ってとこ強調するね、ブルース兄さん」

「いや、俺じゃなくてこの『取扱説明書』が強調してんだよ。いや、ってよりは……教会が、って言ったほうがいいかもな」

「取説あんの? 随分親切……っていうか、教会って?」

「言葉通りだよ。あの、屋根の上に十字架が乗っかってる建物……っていうか、あそこを
職場にしてる連中の組織の総称な」

「……まとも系? ドロドロ系?」

「お、いきなりそこ気にかけるとは鋭いじゃないの。ま、半々だな。現場にいる奴には、正真正銘献身的な精神の奴もいるんだが……『上』の方がな」

 僕の指摘が意外、しかしそれでいて適確だったのか、にやりと笑いながらそんなことを言うブルース兄さん。

 その手には、なんだかムダに豪華な装飾のついたガラスのビンを持っている。

 中に入っているのは、一見ただの水に見える透明な液体。
 ただ、その水からは、ビンごしに、妙に澄んだ感じの魔力を感じるもんで、ちょっと気になっていたところに……さっきの説明だったわけだ。

「ま、何を隠そうコレが『聖水』なわけだが、こいつを作って売ってんのが『教会』ってわけよ」

 聞けば、この『聖水』を作れるのは、限られたごく一部の人間だけらしい。

 教会にいる、神様の祝福を受けた『聖女』だけが、これらの『聖水』を作る力を持っており、教会は聖女によって作られたその『聖水』を販売している。

 選ばれた人間だけが作れるとあって、その効能は本物。下手な薬よりもよく効くため、病に苦しむ者、魔物の危険にさらされている者などがこぞって求める奇跡の水。

 ただしこの『聖水』、望めば誰でも手に入るようなものでもない。

 『作れる人間が少ない』。イコール、『出回る品数も少ない』。

 当然のごとく希少価値が発生しており、それに見合った大層な値段がついている。

 どのくらいの値段かっていうと……一般市民じゃ、まず買えないレベル。
 いや、買えないこともないんだけど、何ヶ月、何年もコツコツコツコツ真面目にストイックに蓄財してようやく、って感じになる。

 相場価格として変動するんだけど、現代日本で例えるなら、どんなに安くても中古車並みの値段があるっていうデタラメな『水』だ。

 当然のごとく、それを買える人なんて、貴族とか名家とかに限られるんだけど、何せ神に祝福を受けた聖女にしか作れないってんだからしかたない、ということでその辺を黙らせているわけだ。ホントは自分達だって、皆を救いたいんですよ、と。

「まあ、それ普通に嘘なんだけどな」

「あ、やっぱり?」

 ブルース兄さん、一瞬であっさり否定。

「神様に選ばれて、その上教会に所属する聖女じゃないと作れないなんてことあるわけねーじゃん。ちゃんと仕組みってもんがあんのよ、この便利水」

 そう軽口で言うブルース兄さんの話だと、この『聖水』の正体は、光の魔力によって作られた、別に教会とか神様とか何も関係ないマジックアイテムらしい。

 作り方はいたって簡単というか、シンプル。

 ただの水に『光』の魔力を注ぎ込んで定着させる。それだけ。

 それにより、その水は『光』の魔力を宿した水……『聖水』になり、前に述べたような効果を得ることができる。

 ただ、いうのは簡単でもやるのは難しい。

 物体に魔力を溶け込ませるっていうのは、それだけでもかなり繊細な魔力コントロールが要求される。そしてそれは、溶け込ませる魔力の量が多いほど、難易度が高くなる。

 教会が売ってる『聖水』のレベルだと、ただ『光』の魔力が使えるだけの人間じゃあ、一生かけても到達できないレベルの繊細さが必要らしい。確かな才能が必要と去れる。

 そんなだから、とんでもない希少価値のレアアイテムだ、って点は本当なのだ。

 魔力が多すぎたり、やり方が雑で魔力が暴走したりして『失敗』すると、物質は魔力を取り込みきれずに反発し、その反動を受けて、最悪壊れたりしてしまう。

 その、物体に魔力を『溶け込ませる』っていうことの例を、ブルース兄さんは、自分の得意な『氷』属性の魔力で実演してくれた。

 目の前で兄さんは、小さな桶を2つ並べ、その両方に水を注いでいく。

「それも聖水?」

「いや、ただの水。まあ見てろ、まず魔法で水を凍らせると……」

 言ういながら、片方の桶の上に手をかざす兄さん。

 その手から、おそらくは氷の魔力であろう、水色の光が漏れ出てきて……同時に、その手から冷気が放たれる。真冬の外の空気みたいな、凍えるように冷たいそれが。

 当然ながら、たった数秒で、その桶の中の氷は凍ってしまった。

「じゃ、次に……『魔力』で水を凍らせるとどうなるか、だ」

 そう言って、同じように、もう片方の桶に手をかざす兄さん。

 すると今度は、手から漏れ出た魔力が、冷気を放たずに直接水の中にふわりと注ぎ込まれていき……しかしやはり、数秒と待たずに中の水が凍った。

 兄さんは桶を2つともひっくり返し、2つの氷を取り出した。
 片方は『魔法』で、もう片方は『魔力』で凍らせたそれだ。

 見た目に違いは無い。ただ、『魔力』で凍らせた方の氷からは……当然だけど、魔力を感じる。けど、それ以外に違いは無いように見える。

 そして兄さんは何も言わずに、その2つの氷を手に持って……ぶつけた。

 ――ガシャン、と、
 音を立てて衝突した2つの氷は……

「……!」

「……『何が違うんだ?』って思ってたろ? 見ての通りだ」

 ぶつけられた2つの氷は……『魔法』で凍らせた方は粉々に砕けたけど、『魔力』で凍らせた方は、なんと傷一つついていない状態でそこにあった。

「人の体と同じだ。『魔力』を注ぎ込んだ物体は、普通のそれよりも遥かに頑丈になる。それも、いろんな意味で。この氷、結構な魔力注いであるから、下手な金属より硬いし、このまま放置してもしばらく溶けねーのよ。試してみるか?」

「いいの? じゃ、遠慮なく」

 がしゃん

「わ、ホントだ、鉄より硬いや」

「……普通にゲンコツで砕いといて言うか?」

 ? ホントに硬かったよ?

 なんだか疲れた表情でため息をついている兄さん。なぜだろう?

「……まあ、考えてみりゃ俺の弟なんだからそんくらいはできるか。まあそれよりも、見ての通り……物体に魔力を注ぐと、今みたいな愉快なことになるわけよ」

「なるほど。じゃもしかして、水に『火』の魔力注いだりすると、冷めないお湯が出来るの?」

「察しがいいな、その通りだ。そんな風に、魔力の性質にあった変化が起こる。ただし魔力の物質の相性によっては、そもそも上手く溶けないものもあるから注意だな。例えば、水には『土』とか『風』の魔力は溶けない。そのまま水中から空中に霧散する」

「じゃ、水に『水』は? 『雷』とかは?」

「水に『水』は、水が増える。サバイバルの時とか便利だ。『雷』は、一応溶けるんだが、溶けるっつーか何つーか……常に電気を帯びた危ない水が出来るな」

「わお、間違って飲んだら感電死するねそれ」

「あぶねーだろ? 作るなよ」

 それでだな……と、兄さんは続ける。

「その要領で、水に『光』の魔力を溶かすと、魔力の性質がそのまま水と調和して、『聖水』になるわけだ。魔物を寄せ付けず、呪い払いや治癒術の触媒として機能する。そして、他のみてーに、温度や形が変わったりっていうわかりやすい変化が起こらない理由は……『光』の魔力がもともと持つ、その特異な性質に由来する。知ってるか?」

「うん、一応。正確には、『光』と『闇』だっけ?」

「そうだ」

 魔力にはそれぞれ基本的な『性質』が存在する。
 例えば、『火』なら熱、『氷』なら冷気、って感じで。

 その性質は、体に魔力をみなぎらせたり、さっきみたいに物質に魔力を溶かし込んだ時に顕著に現れる。例えば、体に火の魔力をみなぎらせると、周囲に熱気がほとばしったり……ってな感じで。

 しかし、全8種類の魔力のうち、『光』と『闇』には例外的に、そういった目立った感じの特徴と呼べるものがない。温度も上がらないし、形も変わらない。

 なので、その2種類の魔力を物質に溶かすと、魔力が持つ性質をそのまま物体が宿すことになり、結果、『聖水』のような強力な清めのマジックアイテムが出来るってわけだ。

「そしてな、教会が販売するレベルの『聖水』作りには、相当な魔力コントロールの繊細さが要求されるんだが……お前にやってもらうのは、その『逆』だ」

「逆?」

「そう。『光』と『闇』の魔力は、関係性としては真逆……対極の性質を持ってる。で、お前は全属性の魔力を使えるが、中でも『闇』が一番得意なんだったな?」

「うん」

 首肯で答えると、兄さんはさっき『聖水』を注いだ桶を僕の目の前に置いて、

「お前がこれからやるのは……この『聖水』の中にこめられてる『光』の魔力を、お前の『闇』の魔力で相殺し、この水を普通の水にする、って訓練だ。やり方は簡単、『闇』の魔力をこいつの中に注ぎこむ、ってそれだけなんだが……条件がある」

「条件?」

「ああ。まあ、説明するより前に、ます体験させた方が早いな。ミナト、まずお前、この『聖水』に『闇』の魔力普通に注いでみ?」

 言われたとおり、僕は、聖水の上に手をかざし、魔力を充填する。
 『闇』属性に特徴的な、黒に近い紫色の光が現れ……そして、僕の意思にしたがって、下にある『聖水』に注ぎ込まれた……その瞬間、

 ――ばしゅぅっ!!

「!?」

 突然、聖水が爆発……したみたいに勢いよく泡立って、煙が上がった。
 その勢いたるや、桶から水が一部飛び出してあたりに飛散してしまったほど。

 まるで、煮えたぎった油に水注いだような感じ。ぶしゃぁああっ、と来た。

「とまあ、こんな風に……緻密かつ繊細に『光』の魔力が溶け込んでる『聖水』に、今みたいに適当かつ乱雑に『闇』の魔力を注いだ場合、反発してはぜる。水は飛び散るし、一部は湯気になって蒸発さえする。そこで、だ」

 一拍おいて、ブルース兄さんは、

「お前への課題は、この『聖水』を、飛び散らせず、蒸発もさせず、すなわち体積と重さを変えずに、『闇』の魔力で中和して普通の水にすることだ。当然、それには……」

「……聖女が聖水を作るのと同じぐらいに、繊細な魔力コントロールが必要になる」

「おぅ、わかってんじゃねーの」

 やれやれ……また、大変な訓練だな、僕のも……。

 ☆☆☆

 『座禅+神経過敏茶+船』

 『シャボンそろえ』

 『魔力コントロール各種』……とまあ、

 体力使う系統のトレーニングだったらいっそ楽だったものを、朝から晩まで神経すり減らすタイプの訓練だったから、ホントに疲れた。

 最後の『魔力コントロール』の訓練を夕暮れ時までやった後、宿に集合したんだけど……そこでは、僕ら『合同訓練』参加メンバーは、4人ともほぼダウン寸前だった。

 僕とザリーは、まだ余裕あった。自分のペースで、コツを確認しつつゆっくり着実にやりつつも、適度に落ち着いて休憩とって、ペース配分考えた上でやれたから。

 エルクはそれよりちょっと、いやかなり疲弊気味。

 最近魔力の訓練を本格的に始めた彼女だから、長時間集中し続けることが結構きついんだろう。彼女の『超長距離キャッチボール』、一球一球きっちり集中しないと訓練にならない上に……どうやら、手が痛くなるまで投げ込んだらしいから。

 で、一番酷いのはシェリーさん。

 彼女は戦いが好きであり、また強くなるための試合とか訓練も好きである。

 が、反面、精神修行なんかの地味な訓練はど~しようもなく苦手。というか、生理的にダメ。
 ……というのは、まだ付き合いの長くない僕らでもわかることである。

 そんな彼女に、今朝からのこの3連チャンの修行は、僕らよりか数倍、数十倍苦痛だったと見える。

 姉さんに肩貸してもらって帰ってきたシェリーさんは、頭から煙を出して、気絶寸前の状態だった。

 体力なら僕についでこの中じゃ2番目(しかも3番目のザリーを大きく引き離して)のはずなのに、エルク以上に疲弊してるその図は、何だか珍しかった。

 その後、皆で夕食……の予定だったんだけど、予想以上に疲労が激しいエルクと、ほぼ死に体のシェリーさんがちょっともう無理そうだったので、そのまま部屋に運んだ。

 ちなみに宿の部屋は、男女に分けて計2部屋取ってあったので、女性陣は部屋のベッドに寝かせたあと、そのままノエル姉さんがついてるそうだ。あと、アルバも一緒。

 アルバはここ数日は、修行の最中はずっと見学である。例のあの『トロピカルタイラント』の芋から作ったスイートポテト的なお菓子をペットフード代わりに食べながら、止まり木に止まってこっちをじっと見てる。最近の主食なのだ。もう残り3割切ったけど。

 ……しかも最近は、小腹が空くと勝手に森とか飛んでいって獲物とって来るようになったし。立派になっちゃってまあ……飼い主の立場が既にないよ。もう自立できるよこいつ。

 そしてザリーは、一応体力残ってるんだけど、夜の街に繰り出せるほどじゃないらしい。

 僕より少し早く訓練が終わっていたザリーは、すでに夕食を終えていたので、他の2人と同じように、すぐにもう寝るそうだ。

 残る僕は、ザリーみたいに宿の食堂でもいいんだけど、一応『体力は』残ってるし、どこか食べに行くのもいいかも……とか考えていた、まさにそんな時だった。


 ザリーの訓練を担当してたダンテ兄さんと、僕の訓練を担当してたブルース兄さんに、『飲みいかね?』って誘われたのは。

 
 ☆☆☆

 
 場所的には、治安の悪いスラム街と、治安のいい『表部分』の中間部分くらいにある、隠れた名店っぽいBARだった。
 ブルース兄さんの案内で、僕とダンテ兄さんが到着したのは。

「たまには家族水入らず、男同士で酒でも、と思って誘ったってのに……ノリ悪りーなァおい、弟たちよ? 酒飲めや酒」

「いや、だからお酒嫌いなんだって僕。ノエル姉さんから聞いてないの?」

「つか、俺はきちんと飲んでんでしょーよ、兄貴」

「んな水みてーな薄っすい酒じゃなくて、もっと酒らしい酒飲めって常日頃から言ってんだろうがよ兄ちゃんが。ブランデーとかロックで飲みそうな顔してんだろうがお前? 今お前が飲んでるそーゆーのはどっちかってーとミナトの分野だろ」

「顔って何だ顔って! つかなんでミナトがカクテルのイメージなんだよ!?」

「カクテルって女とか、華奢な美少年とか飲みそうじゃね? そしてお前みてーなガッチリ系は、金色の半透明の酒をロックであおってるイメージしか俺の中にはない」

「うおー、いっそ清々しいくらいの偏見。ごめんなーミナト、変な兄ちゃんで」

「個性的で楽しいじゃない。あ、マスター、コーヒーおかわり。砂糖とミルク多めで」

 なんだかバカな会話。

 テキーラ的な酒をしょっぱなから飲んでるブルース兄さんは、そういう系のきつい酒が好みらしいんだけど、弟2人がそろって期待はずれなものを頼むからつまんないらしい。

 ダンテ兄さんは、アルコールのあんまりきつくないカクテル系の甘い酒を。

 んでもって僕は、思いっきりノンアルコールのコーヒーとかそのへん。

 傭兵団の団長であるブルース兄さんは、野郎連中で集まって騒がしく飲むのが当たり前な環境……というか、そういうのが楽しいのもあって傭兵やってるらしい。

 できれば僕ら兄弟とも、そういう雰囲気で一緒に飲みたかったらしいんだけど、残念ながら今回はキャスティングが悪かった。

 面白くは無さそうだけど、別にそこまで不快に思ってる感じでもないブルース兄さんは、僕のコーヒーを持ってきてくれたマスターに、何だか聞いたこともない酒を注文してた。

 けど、横にいたダンテ兄さんが『うひー』って顔をしてたから、多分強い酒なんだろう。

 そんな感じで、それなりに楽しくバカ話を続ける僕ら3人。
 ブルース兄さんお勧めだっていう料理もつまみながら、他愛もない世間話やら、近況報告やら。

 もっとも僕の場合、近況報告っていうか……今までどんな感じで暮らしてきたかを1から説明、って感じだったけど。
 当然っていうか無理もないっていうか。僕ら会うの今日が初めてだもんな。

 どうやら兄さん達、母さんとはもう数十年単位で会ってないらしいんだけど(そういやノエル姉さんも、相当久しぶりだったみたいなこと言ってたっけ)、やっぱり変わってないみたいだってことを僕の話から悟って苦笑してた。

 そして、その母さん直々のしごきを受けた僕に対して『よく頑張ったな』的な優しい目を向けてくれた。

 そんな中、

「……にしても、正直俺びっくりしたっつーか、安心したっつーか……」

「ああ、わかるわかる。また兄弟が増えた、って聞いたときはな。けどまあ、よかったよな、お袋も元気になって」

 ふいに、兄さん達の口からこぼれ出た、そんな話が気になった。

 ? 今の、どういう意味だろ?

「兄さん達? 母さんが『元気になった』ってどういうこと? 僕が生まれたことがどうとかって……」

「んあ? お前、ノエルやお袋からそのこと聞いてねーのか?」

 何倍目かのテキーラ(仮)を飲み干しながら、そう聞き返してくるブルース兄さん。はい、聞いてないです、なんにも。

 母さんがどうかしたんだろうか? 屋敷で見てた限りじゃ、別に、怪我とか病気してたとか、そんな様子じゃなかったけど。

 っていうか、危険度AAの魔境にあったあの洋館にいる時点でそんな不調であるわけが……いや、母さんならあそこを単なる避暑地とかにしかねない気もするけど……。

 すると、ブルース兄さんは『あーなるほど……』と少し考えて、

「いや、実は似たようなもんなんだが、厳密には違うっつーか何つーか……何せ、心の傷とか病気、って感じだったからな」

「心?」

 ……ますますわかんなくなったぞ?

 すると今度は、ダンテ兄さんが口を開き、『んじゃ説明するか』みたいなことを。

「説明……の前に聞いときたいんだが、ミナトお前、姉貴から、俺達キャドリーユの兄弟のこと、どんな風に聞いてる?」

「えーと……個性的なのが多くて、11男15女の26人兄弟だ、って」

「あー、なるほどな。まあ、間違っちゃいないんだが……正確にはそりゃ違うな」

「? どういうこと?」

「……ちと湿っぽい話が混じってきちまうんだけどな? その26人全員が今、生きてるわけじゃない……ってことだ」

 

 母さんは、200年以上前から生きている、夢魔族である。

 そして、最初に子供を作ったのは、およそ150年前。
 正確には、152年前。長男……すなわち、ブルース兄さんの更に上の兄さんが生まれた時だそうだ。

 そこから、数年間隔で何人も何人も、子供を作っては生んで、っていうことを、『恋多き種族』とされる『夢魔族』である母さんは、何十年も続けてきた。

 しかし、最初の出産を終えてから数十年後、その時は訪れた。

 ごく自然であり当たり前な、しかし悲しくつらい、別れの時が。

 
 ――そう、死別である。

 
 前に話したと思うが、夢魔と他の種族が交わった時、どちらの種族が生まれるかは、単純な確率の問題だ。

 子供が男なら、100%の確率で父親の種族になる。
 女の子なら、夢魔になるか父親の種族になるかは半々だ。

 そして、母さんが交わって子供を作った、その父親の『種族』。
 それは……何十年、何百年もの長い時を、母さんと一緒に生きていけるような、長命な種族ばかりではなかったのである。

 母さんが生んだ子供の中には、人間なんかの、ごく普通の……数十年の寿命しか持たない種族として生まれたものもいた。

 そしてその子達は――僕の兄や姉なわけだけども――母さんや、他の長命な種族として生まれた兄弟達と、同じように年を取っていくことは出来なかった。

 『夢魔族』の母さんや、『エクシア族』のブルース兄さん、『ドワーフ族』のダンテ兄さん、『獣人族』のノエル姉さんなんかは、寿命が長いから、母さんと一緒にいつまでも若々しく過ごせてたけど、人間の兄弟は、50~60年もすれば、年を取り、老成した。

 そして、更に数十年を過ごした後、最後には、人間としての寿命をむかえる。

 今から80年ほど前、三男にあたる、人間の『兄弟』が、老衰で逝去。

 それを皮切りに、っていう言い方も変だけど……長命な種族でない、すなわち極端に長い寿命を持たない兄弟が、次々に寿命を迎え、母さんや兄さん達の前から去っていった。

 せめてもの救いは……その全員が、戦死や病死とかじゃなく、寿命まで生きて、家族に看取られながらの大往生だったことだそうだ。

 それでも、残されたものの悲しみは、当然ながら大きかった。
 特に……お腹を痛めて生んだ子供達に、次々に先立たれる、母さんの悲しみは。

 気丈に振舞ってたらしいけど、心の中には大きな悲しみを抱えて、やせがまんしてたのが丸わかりだったらしい。兄さん達の話だと。

 その証拠に……約80年前、三男の、ルイツという名前らしい兄さんが亡くなってからというもの、母さんはぱったりと、子供を産まなくなったそうだ。

 それまで、家族が増えることが嬉しくてたまらなかった母さんは、当事の末っ子だったウィル兄さんを最後に、家族を増やさなくなった。
 おそらく……いつか来る、別れが怖いから。

 そのまま、ゆっくりと傷が癒えては、また兄弟が逝き……ということが繰り返された。

 やがて、20年前になるころには、キャドリーユ26人兄弟のうち、長命種でない兄弟は皆天国へ旅立ったという。
 当事、25人いた兄弟は、最終的に19人まで減った。

 そしてその頃には、兄さん達も、もう兄弟が増えることは無いんだろうな、と思っていたそうだ。

 ……しかし、その予想は裏切られた。

 16年前、母さんが僕をこの世に『生んだ』、その時に。

 もっとも、そのことを兄さん達が聞いたのは、結構最近になってからのことらしいけど、兄さん達は驚くと同時に、母さんが悲しみを乗り越えてようやく元気になったんだ、と各々悟り、安心できたという。

「とまあ、そういうわけなんだよ。準末っ子のウィルと、末っ子のお前とで、年齢が何十歳も離れてる理由は。あいつああ見えて、今年、えーと……」

「83だ、兄貴」

「そうそう。そのウィルよりも年下の弟が出来たってのは、そういう理由で、俺達にとっては特別なことだったわけよ。わーったか」

「大変よくわかりました」

 なんだか予想外にセンチメンタルな背景を、思いがけず聞いてしまった。

 けど何と言うか、聞いてよかったような気もする。
 このままにしてたらわからなかった、我が家のこと……っていうか、母さんのこともわかったわけだし。

 それに、それを知ったからって……今更、母さんや兄さん達に接する態度が何か変わるわけでもないし。

「……うっし、湿っぽい空気のままってのはどうもいけねえや。かわいい弟が我が家のバックグラウンドをきっちり把握した所で、場所変えて飲みなおしと行くか!」

 との、ブルース兄さんの鶴の一声で、僕らは店を出た。

 そして僕らは、今度はダンテ兄さんが知る、スラム街近くの穴場的な飲み屋に行こうとして……

 


「だからっ! 奴隷なんてあっちゃいけない身分なんだって何度言ったらわかるんだ! 奴隷商人なんて商売やって、恥ずかしくないのかあんたたちは!?」


 

「「「…………」」」

 ……そんな声が前方から聞こえてきてたので、満場一致でUターン。
 さすがに1日に2回はやだわ、アレに関わるのは。

 
 ☆☆☆

 
「おい兄ちゃんふざけんなよ、こっちはきちんと許可とって商売してんだぜ? けちつけるようなまねしねえでくんな」

「はあ? どこの誰がけちつけてるってのよ? リュートは正しいことしか言ってないじゃない、おかしいのはあんた達の頭と、奴隷なんていう狂った身分制度のほうよ!」

 場所は、とある奴隷商人の商隊が駐屯し、一時的に間借りして店を構えている建物。

 集まった野次馬たちが見守る中、3人組の若者達と、その商隊の主である若い商人が、夜の街に嫌な騒がしさをもたらしていた。

 最近ではついぞ見なくなった、『奴隷制度は間違っている』という開放理論の熱心な論者。
 その珍しい例が、今日もまた忙しく騒ぎを起こしていたのである。

「ムチャクチャだな……ともかく、これからお得意先に挨拶に行かなきゃ行けないんだ。客じゃないならさっさと帰ってくれ。さもないと、営業妨害で警備兵を呼ぶぞ」

「あぁ? へっ、上等だ、やってみろよ……警備兵ごときで俺達を止められるならな」

 見世物を見るように集まった野次馬たちは、口々に野次を飛ばしたりして見ていたが、後ろに控えていた黒髪の青年……ギドが、殺気を丸出しにして背負っていた剣を抜きそうになるにいたって、次第にざわつく者も出始めた。

 しかし、その青年が、前に立っていたリュートを押しのけ、商人に詰め寄ろうとしたとの時、

 横から誰かがさっと割り込んできて、ギドと商人の間に、商人をかばうように立った。

 それを見て、リュートは驚きの、ギドとアニーは戸惑いの表情を見せた。

 割り込んできた『誰か』は、長身で細身の女性だった。

 年のころは20歳にもならないくらいで、髪の毛は青色で短め。顔はやや童顔だが整っていて、美少女と言っていいそれだった。

 ごく自然かつにこやかな笑みをその顔に浮かべていることも、童顔さを際立たせる要因になっているかもしれない。

 もしこの場にミナトがいれば、『美女ってよりは美少女系』とでも評したかもしれない、そんな笑みだった。

 やや質素な意匠だが、町に出で恥ずかしくない程度には清潔な服に身を包んでいる。

 しかし、その服装よりも注目を集めているのは……その首に巻かれている、奴隷の証である、首輪だった。

 黒革の重厚なそれに入っているラインは、『犯罪奴隷』を示す赤ではなく、青色。

 奴隷身分の中における、『債務奴隷』……借金などの抵当として身売りされた奴隷を示すものだ。

 しかし、リュートが驚いたのは、ギドをとめたのが女だったからではない。私兵でもない奴隷の少女が自分達に立ちはだかったから、でもない。

 自分たちが味方するべき弱者であるはずの『奴隷』が、自分達の邪魔になるようなことをし、悪人であるはずの奴隷商人をかばう態度に出たことだった。

「……おい、何のマネだ、女?」

「いえ、このままですと、私どもの商隊の主がお怪我をしそうでしたので」

 戸惑いの中にありつつも、まだ殺気をしまっていないギド。
 その問いに、しかし何もおびえる様子もなく、にこやかな表情のまま、名も知らない少女はあっさりとそう返した。

「お前、奴隷身分みてーだが……こいつに買われた護衛の奴隷か?」

「いえ? 私は『商品』です。そしてこちらは、奴隷商人ですから……私を売って利益を得るために、今現在管理していらっしゃる方ですね」

「じゃ、別にかばう理由ねえじゃねーかよ、そこどけよさっさと」

「いえ、そういうわけにはいかないですねえ。怪我ですめばまだいいかもしれませんけど、もしこの人に死なれでもしたら、私、居場所がなくなっちゃいますから」

「? 主がいなくなったんだったら、自由になりゃいいじゃねえか」

「無理ですよぉ。主が事故とかで死んだ奴隷は、主の遺言か何かで相続か開放されない限り、その地方ごとの行政府に召し上げられて、公共の所有物っていう扱いになっちゃうんですから。それに今の『売り場』は、結構待遇もいいですし」

 淡々と事務的に、自然な笑顔のまま返す少女。

 目の前にいるのは、本物の剣を持っている男だというのに、おびえる様子も見せない。

 その態度に、最初は戸惑っていたギドだったが……その後ろに控えているアニーともども、だんだんと別な、苛立ちの感情がわきあがりつつあった。

「ちょっとあんたさあ、こっちはあんたたち奴隷のためを思って言ってんのよ? それを、そっちの方が迷惑だ何ていって邪魔するなんて何考えてんの? せっかくのリュートの厚意を受け取らないつもり?」

 同じような平行線のやり取りが何度か続いた後、ついに、ギドを更に押しのける形で、アニーが前に出てきて、少女にそう言った。

「? ご厚意も何も、実際に困ることになるじゃないですか。しかも、双方にとって」

「は?」

「だってそうでしょう? 私は、今言った理由で居場所がなくなってしまいますし、あなた方は傷害もしくは殺人の罪で追われることになってしまいます。それはどう考えても、双方にとって損害でしかないでしょう?」

「あのねぇっ!? こういうのは損得で考えていい問題じゃないでしょ! 正しいことは例え誰に責められてもやらなきゃいけないし、どんな困難があっても、正しい目的のために頑張れば乗り越えられるんだから! そんなこともわからないのにリュートのやることを否定して邪魔しようとするんだったら、許さないわよ?」

「……? あのー、気のせいでしょうか? なんか、言ってることが微妙に滅茶苦茶で無理矢理な上に、いつの間にか私が標的になってる気がするんですけど……」

「そこまでにして、アニー。ギドも」

 と、
 今の少女のセリフに、今にもつかみかかりそうなほどに一気に頭を沸騰させかけていたアニーを、後ろから届いたそんな声が止めた。

「リュートっ! どうして!」

「……その子の言うとおりだよ、今のままじゃ、僕らもその子も困るだけだ……。その子を助けるには、今はまだダメなんだよ……」

 そういって、手でアニーを制す。

 そして、自分達の前に立ちはだかっている少女に視線を向けて、

「……1つ、聞かせてくれないかな?」

「? 何ですか?」

「君は……今に満足しているの? 今のままの、自由のない、不当に差別された扱いを受けるような暮らしでいいと思っているのかい?」

「うーん……まあ、確かにちょっと不便ですけど、これも多分、自分の行いの結果だと思ってますから。落ち込んでてもいいことないですから、気楽にやっていきますよ」

「……そうか」

 一言だけ、ため息交じりに返事を返すと、リュートは、まだ少し不満げな2人の仲間を引き連れて、その場を去っていった。

 後に残ったのは、徐々に少なくなっていく野次馬と、騒ぎの中心にいた商人。
 そして、商人をかばっていた奴隷の少女だけだった。

「……やれやれ、今時奇特な考え方の人がいたもんだ。ともかく、助かったよナナちゃん、ご褒美といっちゃなんだけど、待遇の改善くらいなら……」

「あ、そうですか? では喜んで。ああでも、他の皆さんから不満が沸きあがらない程度でお願いできます?」

「わかってるとも。いつも悪いねえ……護衛どころか、自分の奴隷でもないのにこき使っちゃって」

「いいんですよ、その分のご褒美も貰ってますし。ホントは、出来れば、いい扱いしてくれるご主人様を選んで売って欲しいな、ってわがまま言いたいですけどね」

「うーん、ナナちゃんの出品は『オークション』だから、そればっかりはなあ……」

 奴隷商人とその『商品』にしては、やけに穏やかと言ってもいい会話が、そこでは展開されていた。

 ……そんな中で、

 
「けどまあ、命拾いしたね……」

「? 商人さんがですか?」

「それも一応あるけど……彼らの方もだよ。だって、あのままケンカになってたら……ナナちゃん君、手加減しなかっただろ? そしたら彼ら、怪我したかもしれないし」

「うーん……どうでしょう? 彼ら、けっこう強そうでしたし」

「ほう、ナナちゃんが言うほどにかい? そりゃまあ……もしかして、そのせいなのかな? 珍しいくらいの正義感ふりかざしてるのは……」

 
 ……そんな、どこか不思議な会話も聞こえてきていたことに、はたしてもうほとんどいなくなっている野次馬の何人が聞いただろうか。

 
 ☆☆☆

 
 そして、
 一見観念してその場を立ち去ったように見えた、リュート達はというと、

「……彼女、多分我慢してるんだよ……。奴隷っていう、つらい現状の中でも、明るさを……希望を失わずに頑張ってるんだ。それでいて、周りへの気遣いも忘れない。現に、あったこともない僕らや、よく思っていないはずの奴隷商人にまで……」

「……きっと彼女、同じ境遇の奴隷達のことも、励ましてあげてるんでしょうね……」

「ああ……。だからこそ、彼女のことは絶対に助けてあげたいと思うんだ」

「けど、今のままじゃダメなんだろ? 後で厄介なことになるって」

「ああ、だからどうにかして……まだ考えてないけど、きちんと後々でもみんなが幸せになれるようにしてから、やろう。彼女のためにも、絶対に!」

「ええ、やりましょうリュート! 大丈夫……私達ならきっとできるわ。今までだって、諦めなければ必ずやりとげてこれたんだから!」

「もし、その前に立ちふさがるバカ共がいれば……安心しろ、俺が全部片付けてやるからよ」

「アニー、ギド……ありがとう! 僕、頑張るよ! 絶対に彼女達を解放しよう!」

 聞くものが聞けば頭が痛くなるような内容を、さも当然のように話し合い、決意を新たにしていた。

 


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