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魔拳のデイドリーマー 作者:和尚

第2章 メガネっ娘と『ナーガの迷宮』

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第18~22話 仲間と姉と『デイドリーマー』な僕

 

「よっこらせ」

 突然この場に現れたその和服美女は、ちょっとだけ年齢を感じさせるそんな掛け声と共に、悪人共のリーダーの男――今しがた僕が蹴っ飛ばしたあいつ――を引っ張り出した。
 片手で、猫か何かのように襟元をつまんで。

 予想外の腕力に軽く驚いている僕達に構わず、美女はその男を雑に投げ捨てると、

「ほれ、さっさと起きぃや。あと十数えるうちに起きひんかったら永遠に眠らすで」

「んっ、ぐ……な、何……!!? お、おおお女将おかみさん!?」

「おやおや、随分ボロボロになってもーとるなあ? ま、どうでもええけど。それより……うちがここにおる理由、心当たりないとは言わさへんで?」

 男は、なぜか日本っぽさを感じる呼び名で、自分をたたき起こしたその女性を呼んだ。自分が属する組織のトップに立っている、その女性を。

 ……さっきの関西弁といい、和洋感覚とかどうなってるんだろう、この異世界。

 それはそうと、意識を取り戻した男は、その『女将さん』が視界に入るなり、わなわなと震えだした。部下が全員やられた、さっき以上に。

 狐耳の女将さんの、それだけ見れば惚れ惚れするような笑顔。しかしそれを見て、発狂死するんじゃないかってくらいに怯える男とのセットは、なんとも微妙な絵面だ。

 そんな2人のやり取りを聞いていた限りだと、どうやらこの女将さんことノエル・コ・マルラスさんは、こいつらをとっ捕まえて糾弾するためにこの場に来たらしい。
 つまり……僕らの味方ってことか。

 ……ってか、最初から見てたらしいこの人。エルクがこいつら相手に啖呵切ってたあのあたりから。

 全然気付かなかったよ……隠密能力すごいな。

 そんな感想を僕が抱いている間に、向こうの話が終わったらしい。

 釈明(になってない釈明)をしている男の意識を、女将さんが『ていっ』と手刀で刈り取って沈め……そして、こっちを向いた。

 思わず身構える僕らだが、それを咎めたり、嫌な顔をすることもなく、女将さんはにっこりと笑ったまま、笑みを崩さず歩いてくる。

 そしてエルクの方を見て、彼女が『エルク・カークス』で間違いないということを確認を取ると……きれいに腰を90度に折り、エルクに向かって頭を垂れた。

「エルクはん、今回はうちのモンが大変なご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。色々と正式な手続きなんかは後できっちりさせていただきますよって、今この場ではどうぞ、これでご容赦いただきたく存じます」

「えっ!? あ、いや、あの、そんな、別に……」

 驚くエルク。予想外にも程がある対応だったからだろう、目に見えて慌ててる。
 いや、実際僕も驚いた。

 何せ、その頭を垂れる姿からは、本当に申し訳なく思ってエルクに謝罪する気持ちが伝わってくる。さっきまでの飄々とした態度とは、打って変わって真剣だ。

「あ、あの、別にその、気にしてな……いことは無いですけど、一応もうチャラになりましたし、きちんとそんな風に謝罪していただけたら、もう結構なので」

「そうですか、では、お言葉に甘えまして」

 慌てて返したエルクにそう答えると、女将さんは曲げていた腰を元に戻し、

「さて、ほなエルクはん。今、詫びについてはご容赦いただいたとこやけども、いきなり横から入ってきて何も説明無し、ってわけにもいかへんやろし、うちの方から簡単に説明させていただきます。今、お時間よろしいやろか?」



 今回のこの件は、ウォルカに本店を構えるその『マルラス商会』のとある重役の秘書であるこの男が、色々なものを管理するその立場を利用して起こした不祥事らしい。

 闇金そのものな手口で高利貸しを行い、苛烈な取立てと、返済代わりに人攫いに加担させることで利益を得ていた、という内容。

 内部調査で大体の事情を把握し、証拠も十分つかんだ女将さんたち上層部は、今日の昼になってその用意が出来たので、直ちにコレに対処すべく動いた。
 今頃は他の協力者・関係者もまとめて御用だそうだ。

 そんな中女将さんは、主犯格をとっ捕まえに自らこの場に出向いたんだけども、その途中で、ここへ向かっている僕――宿の周囲を見張ってた連中を締め上げて、エルクが向かった先を聞きだした後だな、多分――を見つけた。

 向かう先が同じだったので、もしかしたらと思ったら案の定、エルクとこいつらが密会していた、そしてエルクがその決意を連中に叩きつけていた場面に出くわした。

 あとはそのまま傍観。
 僕が割り込んで、エルクと一緒に大立ち回りして、全滅させて、
 で、全部終わった後に、自分がようやく出てきた、ってことらしい。

 もし危なくなったりしたら、割って入ろうかと思ってたらしいけど、割と僕ら2人、危なげなく立ち回ってたし、せっかくだし憂さばらしにこのまま殴らせてあげよう、と思って放置してたんだそうだ。割と黒いですね。

 そんなわけで、最後の最後は力技で蹴散らした僕らだけども、女将さんの尽力により、この一件はもう、何も後腐れなく片付いてるから、心配要らない、と聞かされた。

「ただまあ、それでも色々手続きせなアカンことはありますんで、後日、商会に顔出してもろてええですやろか?」

「それはいいんですけど……あの、1つ気になってることがあるんですが?」

 と、エルクが、何やらおずおずと挙手した。
 聞くのが怖い、といった感じでためらいつつも、恐る恐る口を開く。

「その……騙された時に、取立ての一環として、人攫いの手伝いをさせられてた人とかもいると思うんですけど……そういう人は、どうなるんですか?」

 ああ、なるほど。そりゃ、聞きたいけど聞きたくない事柄か。

 そういった行為に走った人は、間違いなく『被害者』ではあるものの、同時にまぎれも無く『加害者』でもある。全くの無罪放免、ってわけにはいかないか。

 もっとも、エルク自身は覚悟を決めてるようだから、どういう結果になっても受け入れるつもりなんだろうけど……やっぱり全く不安が無いわけじゃないんだろう。

 ノエルさんによると、やはり罪は罪……本人の態度や姿勢によってその罰の軽い重いは出てくるようだけど、それでも全くの無罪放免、ってわけにはいかないそうだ。

 そう聞いたエルクが、傍目から見てもわかるくらいに覚悟を決めた表情をした瞬間、

「せやけどな……エルクはんの場合、ちょっとややこしゅうてなあ」

「? ややこしい?」

「せやねん。さっき、人攫いグループの管理職の奴締め上げて聞きだしたんやけど、エルクはん、そいつらに加担したん1回だけで、しかも失敗してるやろ? せやから、証拠になる盗品とか何もあらへんさかい、立件が難しいらしいで?」

「「え?」」

 曰く……エルクの罪を立証する証拠が乏しくて、罪に問いづらいと。

 加えて他にいくつも案件(こっちは証拠ある)があって、そっちの対処に忙しいと。
 証拠に乏しい、立件できるかもわからない案件に割く時間がないと。

 トドメに、その被害者が何も気にしてないと。

 その結果……なんかなし崩し的に、エルクは実質の所、ほとんど無罪放免に近い処分で済んでしまうようだ。

 あれか? ちょっと違うけど、迷宮入りって奴か? 完全犯罪か?

 ……犯罪って感じでもないし、ほとんど未遂犯だし、そもそも被害者が出てないんだから……言い方にしても微妙なもんがあるな。
 てか、被害者(僕)が協力してる犯罪ってどんなだよって話か。

「まあ、仮に被害者ミナトはんが証言しても、せいぜいお説教か罰金くらいちゃうやろか。それでも一応証言だけでも届けたい言うんやったら、後日、手続きの時にとりなさせてもらいますえ?」

「……お願いします。私に出来ることは、全部やっておきたいですから」

「はいな。ふふっ、最近珍しいくらいに、律儀で誠実な娘やねえ、見習いたいわあ」

 心なしか嬉しそうに、もしくはおかしそうに笑う女将さんと、覚悟やら何やらが空回りする結果になって、脱力してしまったらしいエルク。含み笑いとため息が荒地に響く。

 後日、色々な手続きのついでに、女将さんに仲介してもらって、警備隊の人に、エルクがこいつらに関わって知ってる限りのことを証言するそうだ。

 必要な話が終わったので、さあそろそろ夕食の時間だから宿に帰ろう、と思った時、

「あ、ちょっとまってミナトはん、うち、ミナトはんにも用事あるねん」

「え、僕に? えっと、今回の件で、ですか?」

「ちゃうちゃう、それやのーて、ちょっと個人的なことでな? ああでも、こんな所で話すようなことでもあらへんし……エルクはんと一緒に来てもろてええやろか?」

「? まあ、かまいまへんけど」

「ミナト、伝染うつってる」

 おっと、ホントだ。不思議現象。生前、関西人だったわけでもないのに。



 ☆☆☆


 その数時間後。

 宿に戻ってきた僕は、エルクと別れ、それぞれの部屋に帰還した。
 ちょうど夜の酒飲みに冒険者たちが集まり始める時間帯だったので、手早く、さっさと部屋に戻り、出ないようにする。少なくとも、僕はそうしないとまずい。

 その後、運ばれてきた夕食を食べたり、装備の状態のチェック――破損も汚れも一切なかったけど――を済ませた。

 その時あらためて見てみたんだけど……やっぱすごいな、この装備。

 手甲と脚甲……『ジョーカーメタル』とかいう金属で作られてるらしいこれらは、とんでもなく頑丈だ。傷一つついてないし、わずかにも変形してない。

 加えて、普通の鉄とかの装備だと、たたきの激しさ以前に僕の腕力や魔力に耐え切れなくて自壊しちゃうんだけど、その気配もまるで無しだ。

 服の頑丈さと着たら、『迷宮』のあの規模のバトルでもほつれ1つ出来てない。
 さっきは火炎弾が直撃したはずなんだけど、焦げ跡一つなしだ。

 そして極めつけは、この、母さん手作りの黒帯。これが一番すごい。
 何がすごいって、僕の『亜空間リュック』と同様の『収納能力』がある。

 もちろん、リュックほど多くのアイテムを収納できるわけじゃないんだけど、その代わりに、ということなのか、リュックにはない、ハンパない便利さがある。

 1つは、念じるだけで、アイテムを取り出したりしまったり出来ること。
 そしてもう1つは……装備をつけたまま収納できることだ。

 どういうことかっていうと……あ、じゃあ実演しようか。

 僕は、チェックの終わった手甲と脚甲を、もう一度、手足に装着した。
 そして、腰の黒帯に『収納』と念じると……帯の中に装備が『収納』された。

 そして、もう一度、今度は『出てこい』と念じると……手甲と脚甲が、僕の手足に、すでに『装備された』状態で出てくるのだ。

 つまり、事前に装備して『収納』しておけば、装着の手間が丸々省ける、超簡単お着替え・着せ替えツールなのである。
 これ、使いようによっては、変身ベルトだよね……何だろう、子供心をくすぐられる。


 その後は暇つぶしに、同じく母さんからの餞別の1つ、『ネクロノミコン』を開く。

 これ、いろんな魔法の儀式とか、それに関連する知識とか、その他色々が書き記されてる、すごい複雑な魔法書物。しかも、コレ自体も強力なマジックアイテムらしい。

 数百ページにも及ぶと思われるコレは、若干読むのに腰が引ける厚さと難しさだけど、知っといて損することはない知識だと思うので、ちょっとずつでも読んでいこうかなと。
 わかんない部分はすっとばして、わかるとこだけ拾って。



 そんな感じで数時間過ごし、夜も更けた。
 ネクロノミコンにも飽きた。まだ20ページくらいしか読んでないけど。

 さっき気分転換に風呂にも入った。
 きっちり男湯と女湯に分けられており、営業時間内であれば、誰でも入れる。

 酒場が混んでる今の時間帯は、逆に風呂が空く、ってターニャちゃんからの情報が役に立った。貸し切り状態の風呂を、しかしカラスの行水で数分で失礼した。
 いや、急いだわけじゃなく、もともと僕、風呂短いんだ。前世も通して。

 ……さて、本格的にやることが無くなった。

 ネクロノミコンは今日はもう読みたくないし、ほかに何か暇つぶしが出来そうなものも手元に無い。

 仕方ないから、もう寝ようかな。
 ついつい夜更かししたくなるけど、こういう、電気とかの無い世界では、夜は基本、寝てるのが普通だろうし。うん、他にやることが無いんだし。

 まだ少し濡れてる髪を、『火』と『風』の魔力で強引に乾かした後、ベッドに入った。

 そして、ろうそくの明かりを消し、目を閉じて眠りに……


 ……眠りに……


 …………眠り、に……



 ……だめだ、やっぱり眠れない。



 寝ようとしてつぶっていた目を開ける。全っ然、まぶたが重くない。眠くない。
 感覚でわかる。このままじゃ寝れない。寝れるはずが無い。

 理由はその……わかってるんだ。きっちり自覚してるんだ。
 ただ……認めたくないというか、対処したくないだけなんだ。

 だから、夕食、装備点検、風呂、ネクロノミコン……色々な方法で気分転換して忘れようとしたんだけども、無理だった。やはり、男とはそういう生き物のようだ。

 このまま眠れずに朝を迎える、っていうのも困るし、僕としても、その、興味が無いわけじゃないし……。

 ……仕方、ないか。



「……『花街』、行こっかな……」


 ☆☆☆


 あの大立ち回りの現場から、エルクと一緒に宿に変える途中、僕は、来る時にはなかった、ちょっとした町の『変化』にちょこちょこ目を奪われていた。

 昼間はいなかった、何やら艶かしい雰囲気と、蟲惑的な香水の匂いを漂わせた女の人が、ぽつりぽつりとあちこちに見かけられるようになったのである。

 なんというか、『いかにも』なそのいでたちは、エルクに聞くまでもなく、彼女達が何なのかを知らせてくれるものだった。

 その直後、ぽけーっとしていたであろう僕のわき腹に、『アホ面さらすな』とでも言いたげなエルクのひじがドスッと入って、正気に戻されたけど。

 そしてさらに、そのすぐ後……宿屋に到着し、受付から部屋に戻るまでの間、

 2階に上がった所で、宿のご主人――ターニャちゃんのパパさんだ――に会ったんだけど、そこで実は、こんな会話が繰り広げられていた。



『やあ、ミナト君、だったかな? 聞いたよ、ずいぶんと活躍したそうじゃないか』

『いや、その……ははは、大したことないですよ。あ、出来ればその噂、あんまりよそで吹聴しないでもらえると助かるんですけど……』

『ははっ、難しいなそれは。この手の話題に付き合うのも、宿屋や酒場の店主としては、義務みたいなもんだからなあ。まあ、自分から話したりはしないようにするけど』

『あー、そうなんですか。そんな有名になんてなるつもりなかったのにな……あー、憂鬱だよもー』

『おや、変わってるね。冒険者なんて、有名になってなんぼだろうに』

『そうなんですか?』

『そりゃそうさ。有名になれば、同業者はもちろん、ギルドや、クエストの顧客からの注目度や信頼度も上がる。そうすれば仕事も増えるし、名指しの依頼だって出てくる。有名なチームから勧誘されたりもするし、色んな店で融通が効くようになる。それに色んな所とのコネも出来るようになるし、そういうつながりはいざって時の武器だよ? 未開地域の大掛かりな探検なんかに行く時も、スポンサーが見つかりやすくもなるからね』

『く、詳しいんですね……』

『ああ、昔冒険者だったからね。もっとも、向いてなくて、この宿屋を親父から受け継ぐ時に、きっぱりやめたんだけど』

『あ、そうなんですか? 知らなかったなあ』

『今のかみさんと知り合ったのもその頃だったな。ふふっ、あの頃は人生の花だったなあ。冒険者ってだけで、偉くなったような気がしたし、花街でもモテたっけ……』

『ははは…………ん? 『花街』?』

『ん? ああ、この近くにあるんだよ、いわゆる風俗街。冒険者っていうのは、良くも悪くも、何かと溜まる職業だからね。特に男は。こういう大き目の、冒険者が集まる町には、ほとんど必ずあるもんなのさ。…………興味あるかい?』

『………………』

 で、その後ご主人は、おせっかいにも、花街への地図を描いて渡してくれた。
 そのまま押し付けられたそれを、悲しきかな男の性、捨てられずに持っていた。

 その直前の刺激的な記憶もあって、これからもう夜もふけるって時に、頭の中に、色々と厄介な考えというか欲求が根を張ってしまったわけだ。

 人間とは不思議なもので、気にしてないうちは、そんな欲求なんてもの、別になんでもなくても、一度意識してしまうと、収まりがつかないことが多々ある。

 こんな意識が芽生えたのは、今こうして考えれば……母さんに襲われたあの日以来だ。

 多分だけど、あの後、あらためてきちんと、血が繋がってなくても、自分達は正真正銘の『親子』である、と認識できたのが、お互いに大きかったんだと思う。

 あれ以来、母さんとそういうことになったりはしていない。
 相変わらず、食事もお風呂も寝るのも一緒で、スキンシップは過激だったけど。

 その洋館から外の世界に出て、こうして、自由な環境に出てきたものの
 武器屋に道具屋、ギルドにダンジョン、ファンタジー120%の世界に対するわくわくが心の中を占拠してたお陰で、今の今まで、そういうことを考えもしなかった。

 ……が、
 さっきの体験や会話が火種になって、一気にそういう感覚がよみがえってきた。

 ……前世でも今生でも、思春期の頃は特に顕著なものである感覚が、急激に。
 頭の中がそれでいっぱいで、寝ることすらままならないレベルに。

 そうなると必然、どうにかして解消する必要があるんだけども……それにおあつらえ向きのスペースが……こういう、冒険者が集まるような町には必ずある。

 ……『花街』……という名の歓楽街が。



 と、いうわけで、

 財布、持った。というか、腰の黒帯に『収納』した。
 相場がいくらなのかわかんないけど、さすがに金貨持って行けば足りるだろう。

 宿の主人=ターニャ父に簡単に描いてもらった、花街までの地図も持った。

 前世の価値観からして、なんかイケナイことしようとしてる気分になるけど、この世界じゃこれも普通なんだ、と自分に10回くらい言い聞かせる。
 そうだ、これは人生勉強の一環だ。何もやましいことなんて……なくはないけど、この際仕方ない。

 よし、準備OK。

 そして、部屋を出ようとドアを開けて、



「……どこ行くの?」



 バスローブ(っぽいパジャマ)姿で、僕の部屋の前に立っていたエルクに出くわした。



「…………エルク?」

「何?」

「えっと……何、してんの?」

「別に? ちょっと、お風呂上りに、なんとなくあんたんとこに遊びに行こうかな、と思っただけよ。あんたこそ、どこか行くの?」

 濡れた髪に、体からホカホカと上がる湯気。石鹸の香りなんかも、ほのかに漂ってくる。
 トレードマーク(?)のメガネはきっちりつけてるけど……冒険者装備ではなく、お風呂上りらしいバスローブ姿。
 しかも、胸とかそういうあたりが、服の隙間からちらちら見えたりして……

 率直に言おう……目に毒だ!

「……どこ、行くの?」

 と、まあ、唖然としてる僕に、再度、エルクは尋ねてきた。

「そ、それは、その……ちょっと散歩でさ、外の空気吸いに行こうかな、と」

「そう。じゃ、私もついてくわ。準備するからちょっと待ってて」

「え゛っ!?」

 ちょ、何でこのタイミングで!?

「な、何でエルクも? せっかくお風呂入ったのに、湯冷めするよ?」

「そんなにやわじゃないわ。それに、火照った体に夜風が当たるのも気持ちいいし」

「え、あ、あー、その僕、ちょっと1人で歩きたいな、なんて……」

「あら、どの道私も散歩に出たいんだけど……夜の町を私1人で歩かせるの?」

 くっ、ああ言えばこう言う……なんか、一向に抜け出せない、というかむしろ、どんどんドツボ的なものにはまっていっている気分だ。なぜ?

 っていうか、何かこう、何もかも知った上で回りこまれてるような……

「はあ……もういいわ。花街に行きたいんでしょ?」

「ごフッ!?」

 ちょっ、なぜそれを!?
 いや、演技力に自信があるわけじゃないけど、極力、エルクにそんなそぶり見せなかったつもりなのに、ばれてる!?

 無意識のうちに、エルクのこと、発情した雄みたいな目で見てたとか……やばい、さすがに死にたくなるぞそれは。

 ……と思ったら違って、さっきの宿の主人との話を聴かれてたらしい。後ろで。
 ……注意力なさすぎだろ僕……そんな時に限って……

 ……っていうか、前々から気になってたんだけど、迷宮での交通事故といい、今回といい、そういうお約束な展開の時だけ感知能力がてんで頼りにならないのはどういうわけなんだ!?

 いやそれよりも、女のエルクに、男としての欲望が露骨に露呈してしまった、とてつもなく気まずいこの状況。これを何とかしないと。

 次に何言ったもんかと、僕が目を泳がせていると……エルクは、なぜか僕を部屋に押し戻して、ドアを閉めた。……え、何で?

「……行く必要、ないでしょ?」

「え?」

「女を抱きたいんなら、目の前にいるでしょ、って言ってんのよ」

「…………は!?」

 ちょっ!? え!? 何を!?

 言ってる意味がわからない、という状態にすら、残念ながらなれないほどにストレートな言い方で、とんでもないことを言ってきた。

 しかも、言ってる本人のエルクも、一応恥ずかしくはあるのか、顔を赤らめさせている。それがまた可愛い……って待て待て! そんな場合じゃない!

 しかしその間にも、エルクは、急かすかのように僕の腕を引っ張って……ちょっとちょっと! 待ってちょっと! そっち寝室!

「……何よ、私じゃ不満なの?」

「いや、あの、そういうんじゃなくて、い、いくらなんでもいきなり過ぎでしょ!? 脈絡がないっていうか、な、何も見えてこないんだけど……」

「……別に、何も難しい理由じゃないわよ」

 なし崩し的につれてこられた寝室。
 しかしそこで、エルクは……ふぅ、と、ベッドに座り込むと……その理由を話してくれた。

 この2日間で、エルクは僕に何度も助けられたことを気にしていた。
 変質者の一件に始まり、ダンジョンでのゴブリンやマッドモンキー、大蛇との戦い。
 それに、今日の夕方のあの連中との戦い。

 その上、昨日自分が僕を陥れようとしたことを許したくれたことへの恩もあるとか。
 いや、それホントにもう気にしてないから、蒸し返すもんじゃないって……。

「なのに、私からは何も出来ない。恩を仇で返したっきり、世話になりっぱなしで……情けないったらありゃしない……!」

 自分を叱責するかのように吐露する。大声、ってほどの音量じゃないけど。

「……だから、私少しでも、ミナトに恩を返したい。命も、心も、それこそ何度も救ってもらって、こんなことで返しきれるとは思ってないけど、それでも……」

 そしてエルクは、とん……と、僕にもたれかかってきて……体を預けた。
 そのまま……上目遣いで、僕の方を見上げてくる。

 ……この後、何を言ってくるかなんて、僕でもわかる。

 そして、僕は……



「だからお願い、ミナト。せめて、私を……」

「さらばっ!」

「うん、さらば…………はぁっ!?」



 逃げた。
 ムードに任せて、エルクが目を閉じて、僕に全てゆだねる、的な演出をして見せた所で……思いっきり逃げた。

 何でって? んなもん決まってんでしょーが!!
 苦手なんだよ! こういう展開!

 きれいごとでしかない、都合のいい話かもしれないし、そもそも現在進行形で花街とか行こうとしてる時点で偉そうなこと言えないんだけど……何かの理由で、仕方なく、女の子が自分の体を男に差し出すとかいう行為が、僕はどうしようもなく苦手だ。例えば、家族を助けるための身売りとか。

 それは、『受け取る』対象が自分であっても、そして、自分がどうしようもなく欲望をもてあましてる状態であっても、決して例外じゃない。

 まあ、エルクのその気持ちは嬉しいとは思う。
 けど、そういう理由なら、彼女の申し出を受けるわけにはいかない。

 ……っていうか、んなことしたら、一度でもそんな関係になったら……この先まともに会話できる気がしない。絶対気まずくなる。

 せっかく家出て最初に出来た友達なのに、そんなの絶対ヤだ。
 だから! 僕はその申し出を拒絶する! ……とここまで思考0.1秒。

「ちょ……こらぁ!! 待ちなさいよ、あんたそれでも男……」

 エルクが何か後ろで『女に恥を』とか『甲斐性』とか言ってるけど、あえて無視。
 寝室を、部屋を飛び出る。

 正直、今僕の頭の中は絶賛混乱中だけど、とりあえず、これから花街行くかどうかも含めて後で考えるとして、今はここを脱出することが先決だ。

「お、女が覚悟決めて誘ってんのに……っ……戻ってこぉぉおおーい!!」

 廊下を駆け抜けて、宿屋の玄関を視界に捕えた所で、さあラストスパートだ!

 そして……



 ――ドドドドド……バタン!!



「……ホントに戻ってきたの?」

「……いや、通れなかった」



 宿の入り口付近に、酔っ払い冒険者と思しき連中がたむろってて通れなかったので、U反して戻ってきてしまった。


 ☆☆☆


 そもそも外出自体無理だった、と判明するのに、さほど時間はかからなかった。
 いや、目立つから、僕のこのカッコ。

 もうすでに噂になってることだろう。『ナーガの迷宮』にでたとんでもない魔物を、黒髪黒目の冒険者がしとめた、って。

 加えて花街って、夜でも営業……いやむしろ夜に主に営業する所だから、ランタンとか店先につるしてて明るいんだよね、かなり。

 そんな場所に、今噂になってるであろう僕が行ったりしたら……そりゃ目立って仕方ないだろう。ゆえに、花街にはいけなくなった。

 かといって、僕の考え方そのものは変わらない以上、エルクの身売りまがいの申し出を受けるつもりもない。

 しかしエルクも強情で、僕の理性が崩壊するのでも待つつもりなのか、自分の部屋に帰らずにここに居座ってるから困る。

 ……気まずい。この状況。ホント気まずい。

 こういう展開――や、男女がどうたらこうたらじゃなくて、雰囲気的なそれ――は、前世でも何度か経験したことがある。
 今まで仲良く、普通に接してたのに、何かを境に、やたら接しづらくなる感じ。

 友達同士の付き合いに、貸し借りとかでお金が絡んだり、

 習い事で明らかな優劣がついて、それがきっかけで接し方が変わったり、

 今現在友達関係の好きな女の子に、意を決して告白したものの玉砕して、その後お互いどう接していいのかわかんなくなったりとか、そんな感じだ。

 ……修学旅行初日にそれやって、残り日程全部気まずくなったバカが友達に1人いたな。

 さっきのやり取りで、今まで『仲間』だった2人が、お互い『男女』を意識してどこか疎遠になってしまったこの状況なんて、まさにそれだろう。

 昼間、ダンジョンで大蛇と相対していたあの時よりよっぽど厄介だ。空気が悪すぎる。

 しかもよく考えたら、この後仮に、玄関の所が静かになって、さらに視線なんかもなんとか我慢したり切り抜けたりして、僕が無事に花町にいけたとしてもだ。
 その後、またエルクと会う時の気まずさは、今より更に上だろう。

 となると、友達関係を大事にしたい僕としては、きっちり彼女と仲直りして、お互いにまた理解しあえた上で、花街に行く、っていうのが理想的な形ではあるんだけど……何だその不可能ミッション。

 どこの世界に、自分を拒絶した男友達を笑って花町に送り出す女がいるんだ。今更ながら冷静に考えてるけど、ありえないだろそんなの。

 すると、そんな居心地の悪い空気に、エルクが一石を投じた。

「……ま、アンタがその気なら、もういいわ」

「え?」

「恩は返したいけど、押し付けがましくするつもりは無い、ってことよ。あんた本気で、そっちの方が迷惑そうだしね。ただし……」

 と、エルクは、コップに残っていたお茶を全部飲むと、ソファに座っている僕の方に、つかつかと歩み寄ってくる。
 そして、思わず身構える僕の頬に手を当てて、一瞬僕の視界から消えると、



 ――ちゅっ



 頬に、なんだかやわらかい感触が。

「……? !? !?!?!?」

「こ、このくらいはさせてもらっても、ば、バチは当たらないでしょ?」

 かああっ、と、
 顔を赤くして、目の前でそんなことを言っているエルク。

 今、何が起こったのか、徐々に、徐々に理解していっている僕の頭。
 が……何だか、頭のどこかで、理解しない方がいいような気がしている。

 エルクにしてみれば、ある種の妥協点で、ちょっと茶目っ気出したとか、その程度の認識なのかもしれない。

 いや、そりゃ確かに、ストレートにそういうことするのに比べたら、『ちゅっ』なんて、一般見解としては温いもんだろう。

 が、しかし……僕にとっては必ずしもそうじゃないわけで。

「あ、あんたがあんまりそういうこと嫌がるから、妥協してこうしてあげたのよ? べ、別にその、ほっぺたにその……してあげたかったとか、そういうんじゃ無くて、あくまで妥協した結果なんだから! か、勘違いしないでよね!」

 ……おまけにこんな風に、『ツンデレ』なんてもんを叩き付けられた日にゃ……そりゃ妥協どころかトドメである。


 ――ドサッ


「!? え? な、み、ミナト!? ちょっ、どうしたのよいきなり!?」

 不意打ちで無防備な部分に、思わぬクリティカルを食らった僕は、極限まで精神が追い詰められていたその状態もあって、耐え切れずに意識を手放し、ぶっ倒れた。

「ちょ、ちょっとお!? これから花街に行こうとしてた奴が、何でこのくらいでぶっ倒れんのよぉ!?」

 いや、ごもっとも。


 ☆☆☆


「『えいおいーあー』?」

「しゃべるか食べるかどっちかにしなさい、ミナト」

 食卓の向こうにいる母さんに、そうぴしゃりと言われたので、僕は黙って、目の前に並んでいる大ボリュームのBLTサンドを片付けにかかった。

「……そこで食べる方を選択するのね。さすが我が息子」


 ~しばらくお待ちください~


「……ふぅ、ごちそうさま。で、何だっけ?」

「『デイドリーマー』よ。母さんが昔、冒険者だったころ、その時の仲間から、皮肉でそう呼ばれてた、って話」


 『デイドリーマー』

 漢字表記に直すと、『空想家』とか『夢見がちな奴』っていう意味になる、はず。

 簡単に言えば、ちょっと実現しそうにない空想や甘い考えを頭の中に持っている者のことを、『真っ昼間から夢を見ている者』という意味で皮肉ってそう呼ぶ、って感じ。

 そう仲間達から呼ばれていた当事の母さんは、今に比べて、夢見がち、というより、色々な部分で考え方が甘かったりすることが多かったため、そう呼ばれるようになったという。

 困っている赤の他人に対し、気まぐれで、する必要の無い施しをしてあげたり、

 自分を陥れようとした者を、気分次第で許してあげたり、

 無謀としか思えない相手に対して、そのまた無謀としか思えない方法で戦ったり、

 冒険者として、いや、こういう剣と魔法の世界に生きる者として普通に考えた場合、そんなんじゃやっていけない、いつか必ず足元をすくわれる、と誰もが思うような『甘い』考えを、いつもどこかに持っていた。それが、当事の母さんだったという。

 しかし何で今、そんな話を僕に聞かせるんだろう。
 そう聞くと、母さんから帰ってきた答えは、『僕にもそういう気配が見られるから』。

「僕が将来、そういう『甘い』考え方を持ってる大人に育つかもしれないってこと?」

「いや、何かそれとも違う気がするのよね。あなたの場合」

「?」

 なにやら要領を得ない返答が帰ってきたかと思うと、母さんは、卓の向こうからずいっと身を乗り出して、僕の顔を、目を覗き込む。

 突然のことだったので、ちょっと戸惑ってる僕に構わず、注がれる母さんの視線。

「……たまになんだけど、私、ミナトの精神年齢がよくわかんなくなるのよ。あなた小さい頃から、知識とかも含めて妙に大人びてたから」

 ちょっとドキッとしてしまったのは、仕方ないと思う。
 そりゃまあ僕、今、中身は18(享年)+15歳(今)だからね。もうすぐ16だけど。

 それに気付いたか気付いてないかはわからないけど、母さんが続けて言うことには、

「かと思えば、そう、13歳くらいを境に思うようになったんだけど、今度はミナトの精神年齢が、子供のまま成長してないような感じがしてるのよね」

「成長してない?」

「うん。知識とかの面では、今の、15歳っていう年齢相応のそれを持ってるのはわかるんだけど、それとは別な部分がね。小さい頃の大人びてたあなたのことも考えると、まるで……体は成長してるのに、中身が今も昔も同じ、全然変わってないみたいな感じ」

 ……この人、本当に鋭い。
 言われてみれば確かに僕は、転生する前の精神のままで子供時代も今もすごしてる実感がある。子供にしては大人びていて、大人になってみると子供っぽい精神のままで。

 それにどっちかといえば、肉体に引っ張られた部分が少しあった気がするから、生前の『18歳』っていう年齢より、精神的にはむしろ若返ったかもしれない。

「そう言われても困るんだけど……僕って変なのかな?」

「変だと思うわよ?」

「肯定された!?」

 本当のことを話すわけにもいかないので、ちょっと罪悪感は感じるけども、知らないふりをして子供らしくとぼけた所、帰ってきたのは斜め上のきっつい返答だった。予想外。

「いや、考えてもみなさいよ。4歳でオリジナル魔法の研究始めて、その後は私が手伝いながらだけど研究続けて、『エレメンタルブラッド』を筆頭にとんでもない魔法いくつも開発したのが、当時10歳かそこらの子供って、もう天才通り越して変人でしょうが」

 ……すんごい直球っていうか、容赦なく言うね、子供相手に。

「その変人が自分の息子なわけだけど、そこんとこ親としてどうなの?」

「私の息子だしまあそういうこともあるのかなと思って納得してるわ」

 いや、それもどうなんだ。

「いや、まあそこは割と別にどうでもいいのよ、母さんは。別に、誰がいつどんな風に育つかなんて、人それぞれだし。それより私が問題にしたいのは、その精神年齢から来てると思われる、あなたの『デイドリーマー』な世界観の方よ」

「世界観?」

「そう。私としては、それが正に、あなたが精神的にちょっと子供なままの理由だと思ってるんだけどね……」


 ☆☆☆


「――まあ、夢だよね」

「……起きて早々何言ってんのよ」

 目が覚めると、知らないことも無い天井だった。なじみは無いけど。

 記憶ははっきりある。エルクの、あの最強コンボにやられて意識がキレイに飛んで、ソファごとぶっ倒れたんだ。

 ただ、床でなくベッドに寝てるところを見ると、どうやらエルクがあの後運んでくれたみたいだ。女の子の細腕には重くて大変だっただろうに。

 ご丁寧に、毛布までかけてくれていた。わざわざ起きるの待っててくれてたの?

「ぶっ倒れた人間をあのまま放っといて帰るわけにもいかないでしょうが。あ、でも誤解すんじゃないわよ? あくまで私は別に……」

「待ったエルク、その先言わなくていい、下手するとまた気絶するから」

「何それ?」

 何を言ってんだコイツは、って感じの不思議そうな顔をしているエルク。
 まあ、無理ないかもだけど。

 いやでも、僕もあんなのは初めての経験だった。
 正直、びっくりしたり、ドキドキしたりする暇も無かったんだ。あまりに一瞬で。

『か、勘違いしないでよね!』の瞬間に、破城槌か何か頭に直撃したんじゃないかってくらいに、ガァンと衝撃が叩きつけられて、意識が遠のいた。

 母さんとの修行でも、そんな経験なかったよ。この世は広いなあ、僕の知らないことが、まだまだたくさんある。

 ただ、思い出したらまた顔が熱くなってきた気がするので、それは置いといて、エルクにはきちんとお礼を言っておく。『もう大丈夫だ』とも。

 それを聞くとエルクは、やはりというか、まだ若干納得していないような雰囲気だったけども、今度は何もせず、何も言わずに部屋を後にした。

 ようやく行ってくれたかと安心した僕は、今日はもう寝ることにした。
 これ以上何かしようとしても、何だか上手く行かない気がする。今日はもう大人しく寝て、やることは全部明日に回してしまうことにしよう。


 ☆☆☆


 しかしその数分後、
 僕は、今度はまた別の問題に直面していた。

 眠れない。
 頭の中に、眠気が欠片も無い。眠れるはずも無い。

 むしろさっきのアレのせいで、むしろ眠れなさが加速してるようにすら感じる。
 目を閉じると、徐々にまぶたの裏にあの景色がフラッシュバックして、睡眠を効率的に妨害してくる『か、勘違いしないでよね』このザマだよこんちくしょう。

 というか、そもそも僕は、眠れない精神状態をどうにかするために花街に行こうとしていたことを思い出す。
 解消できてないどころか悪化してるのに、眠れるはずも無い。

 が、先ほど思いとどまった理由で無理だ。少なくとも、コレ以外の服を調達するまでは。

 このままじっとしてても仕方ないので、気分転換に夜風にでも当たろうかと、窓を開けてベランダに出る。
 この宿、『中くらい』以上の部屋には、ベランダやテラスがついてるのだ。

 そこで、椅子も一緒に外に出して、それに座って涼しい風に当たっていると、

「……眠れないみたいね?」

 真上から、そんな声が降ってきた。

 見ると、真上の部屋の窓――ベランダじゃなく『窓』ってことは、ビジネスホテルサイズの部屋だ――から、エルクが顔を出して、こっちを見下ろしてた。

 あれ、エルクの部屋って僕の部屋の真上だったの? 知らなかった。

 そのエルクは、割と明るい月明かりの中、おそらくまだ多少なり赤いであろう僕の顔色を見て、ジト目。

「無理するからそういうことになってんじゃないの?」

「まだ言うか」

「私だって納得したわけじゃないもの。あんただって、さっきのあんなんで、恩返しされた気分になれるわけじゃないでしょ? ……何でか知らないけど、ぶっ倒れてたし」

「いや、僕は別に、あれでもかまわないんだけどね」

 むしろ、お釣りを払いたい。

「あ、そう」

「それに、エルクだって、望んでそんなことになりたいわけじゃないでしょ?」

 いくら冒険者って言ったって、女の子だ。自分から進んで、体を差し出したいなんて思うはずが無い。

 彼女にしてみれば、自分に出来る中で、コレが一番いい恩返しの方法だ、ってだけだろうし。僕が男だ、ってことで。

 すると彼女は、

「……そういうわけでも、ないんだけど」

「え?」

 どういうこと、それ?

 ちょっと気になって上を見上げると、そこにいるエルクの目には、ジト目以前に、まどろんだ様子もうかがえないほど、はっきりとした意識が見て取れることに気付いた。
 寝るつもりが無かったんだろうか、って思えるくらいに。

「……上手く説明できないんだけどね」



 エルクが冒険者になったのは、2年ほど前だという。
 きっかけは、女手一つでエルクを育ててくれた母親と死別したこと。

 なぜかシングルマザーの母子世帯だったエルクは、父親の顔も知らずに育った。
 母方の親戚なんかとも出会ったことが無かったため、エルクは自立するために冒険者になり、今まで1人で生きてきた。

 エルクのお母さんは若い頃冒険者だったらしく、いつかそういう日が来てもいいようにと、生前エルクに冒険者としてのイロハや、必要な技術の数々を伝授していたし、お下がりではあるものの、装備なんかも一通りそろっていた。
 冒険者の道を選んだのは、そういう理由もあってのことらしい。

 しかし当然ながら、色々と苦労する所もあったという。
 魔物相手に戦ってのその日暮らしの日々。茨の道のりだったことは、想像に難くない。

 それでも、エルクは日々の努力を忘れず、コツコツと積み重ねてやってきた。

 しかし、修行から何から、母親と1対1、独り立ちしてからは完全に1から10までソロでやっていたエルクには、『仲間』と呼べるような存在がいなかった。

 完全に孤独だったわけではなく、冒険者としての活動の中で、同年代の新米冒険者たちなど知り合うことは出来ていたそうだ。一緒に探索したり、依頼クエストを受けたり、その中で互いに腕を磨いていくことも多くあった。

 しかし、そういう付き合いが豊富でも、本当に心を許せるような仲間を得られるかというと、それは簡単に首を縦には振れない事柄だ。

 前にもチラッと言ったけども、冒険者というのは、魔物と同じくらい、人間とも闘わなければならない職業である。

 社会に出れば多くの他人と関わって生きていくことになるわけで、その中には、よからぬことを考えている人も当然いるわけである。今回のあいつらみたいに。

 公私共に心を許せる本当の仲間なんていうのは、なかなか見つかるものじゃない。

 しかし、これは常に危険と隣り合わせの『冒険者』にとって、ある意味では宿命とでも言うべきもの。そう簡単に、命を預ける人を決められるわけも無い。

 ましてや自分はまだ新米。そんな信頼関係を望むこと自体、おこがましい。
 そう思って、エルクも自分で納得していたんだそうだ。この先10年、20年と立つ間に、そういう仲間が見つかりでもすれば、幸運ってものだろうと。

 そんな時、僕に出会ったらしい。

「正直、最初に会った時は、何考えてるかわからない奴、ってのが率直な感想だったわね。服装も奇抜だったし、中身はそれ以上にわけわかんなかった」

 悪うござんしたね、上から下まで真っ黒で。

「もっとも、その後すぐ、あんたの強さも、器も、思い知らされることになったけどね。魔物だろうと盗賊だろうと苦もなく蹴散らす、かと思えば、私みたいな恩知らずに、考えられないくらい優しくしてくれる……余計混乱させられたわよ」

 口調に、疲れや呆れが少し入ってるのを感じ取れた。ため息なんかも混じってるし。

「徹底的にそういうのを見せつけられて、完全に理解させられたわ。腕も器も、コイツは別格過ぎる。推し量ってみたり、比べるだけムダだ、って」

「んな、化け物みたいに言わなくても」

「そう言われたって仕方ないようなことしてるんでしょうが。どこにあんな風に、大蛇の突進やら炎の魔法やらが直撃しても無傷でいられるやつがいんのよ?」

 まあ、もっともな話である。何も反論できない。

「そんな風に、何もかもが違いすぎるのが明白だってのに、その上私が犯罪者だって気付いてたのに、変わらず自然体で接してくれてたりしたし……」

「んー、まあ、別段気にするようなことでもなかったしね」

 と、何の気なしに返した瞬間、
 ふっと、エルクの表情に、何やら悲しげな影がさしたように見えた。何だ?

「……話変わるんだけど、私、ずっと考えてたの。あんたのその態度に、ちょっと引っかかる何かがあって」

 僕の態度? どういう意味だろう?

「あんたさあ、何かっていうと、『気まぐれ』とか『やりたいようにやっただけ』とか、そういう言葉使うわよね? 私助けた時も、毎回使ってたと思うんだけど」

「? そうだっけ?」

 そんなに意識してないんだけど。

「最初はそれ、その化け物級の強さを理由にした、余裕から来てるもんだと思ってたの。けど、あんたと接してるうちに、何か違うなって思えてきて、ずっと考えてた」

「はあ」

「ずっとわからなかった。何も考えてないようで、実は変な所で鋭かったりする。とんでもなく強いのに、それが仕草や言動にほとんど表れない。そして何より……他人との間に壁を作らないようなその態度の割に、どこか本質的な部分で距離が遠い感じがしたから」

「…………?」

 距離、ねえ……? 別に、そんな風に意識してるつもりなかったけどなあ。

「けどね、そういうよくわからない要素はあったけど、私にはあんたが、今まで出会ってきたどの冒険者よりも、話しやすくて、親しみやすかったし、その強さや懐の深さも、すごく魅力的に映った。だから……あつかましいけど、できることならミナトと、そういう『仲間』になれたらいいなって、考えたまさにその時に……気付いたの」

「気付いた?」

「うん、引っかかってたのが何だったのかに、ね」

 するとエルクはひときわ真剣な表情になって、僕の目を、見下ろす形で真正面からじっと見て言った。



「ミナト、あんたがもしかしたら……敵とか味方とか、そういう何もかも全部、ある種の色眼鏡ごしで見てるんじゃないか、って。まるで……絵本の中の空想の物語みたいに」



「…………!!」

 それを聴いた瞬間、
 奇しくも、ついさっき夢で見たばかりのあのシーンを、

 以前母さんに、今と同じことを言われたことがある、ということを思い出した。


 ☆☆☆


「ミナトって時々、戦う相手の魔物や、研究してる魔法、いやそれどころか、この世界そのものを、まるで絵本の中の物語か何かみたいに見てるように感じるのよね」

「は?」

「あくまで自分は読者であって、紙とインクで作られた物語を眺めてるだけ、みたいな目つきをたまに感じるのよ、あなたからは。今、あなたが生きてる世界そのものに対して。ミナト、難しい質問かもしれないけど……そういうの、自覚したこと、ない?」

「そ、そう言われても……ええと……」

 思わず言いよどんでしまったのも、仕方ないと思う。
 だって、正にその通りだと言ってよかったんだから。

「あ、別にね、おかしいことじゃないのよ、それ自体は。誰でも1度は考えることだもの。私も若い頃そうなった記憶あるし。時間がたてばいずれ直るものだから、あんまり気にしなくてもいいと思うわ」

 母さんのそんな言葉を聴きながら、僕の頭の中には、『現実解離症候群』という単語が、前世のボキャブラリの中から浮かんできていた。

 自分が生きている世界が架空の物語の世界であり、自分以外の人間は全て、物語の登場人物であるという認識が出来てしまう、ある意味病気な誤認のことをそう呼ぶ。

 が、これは別に特別な病気ではなく、母さんが言った通り、むしろ人間一度はそうなることがあるものだ。その多くは、現実と空想の区別がつかない子供時代に。

 もちろん実際にはそんなことあるはず無いんだし、何年も生きて常識が身につけば、これまた母さんが言った通り、自然に直る。
 中学生にもなって、将来の夢が変身ヒーローだとか言う男の子はいないだろう。

 だが今の僕の場合、そういう『常識』そのものが通用しない。

 何せ、不慮の事故で死んでからの『異世界転生』だ。それも、まさにファンタジー小説のような、剣と魔法の世界に。意識するなって方が無理ってものだろう。
 ネット小説なんかで、そういう物語を好んでたらふく読んでた僕には、特に。

 そのせいで僕は、知らず知らずのうちに、この剣と魔法の異世界そのものを、生前で言う、ゲームや小説みたいなものと同じ意識で見てしまっていたのかもしれない。
 自分では、そんな意識はなかったけど……全く無かったか、と聞かれると、首を縦に振るのがためらわれるのも事実だ。

「母さんも、時間が経ったら直ったの?」

「そゆこと。もっとも母さんの場合、そんな風に考えてる期間が長かった上、結構年取ってからだったから……その当事の仲間に、不名誉なあだ名とか付けられちゃったけどね」

「もしかして、それが?」

「ええ。『デイドリーマー』よ。夢見がちな奴、って意味をこめて、ね」

 なるほど、確かに『白昼夢』に近い。
 そのことと、色々なことに対しての『甘さ』もひっくるめて『デイドリーマー』か。本来の用法とはちょっと違う所があるのが気になるけど、ある意味よく言ったもんだ。

「……もし僕がそれだとして、ちゃんと直るかな?」

「大丈夫、直る直る! 時間がたてば、結構いつの間にか直ってるもんだし。生きてれば何か必ず、きっかけみたいなのがあるもんだって」

「きっかけ? 例えば?」

「例えば、そうね……誰か他の人の、本当に真剣な思いを目の当たりにした時とかかな。自分に対して、他の人が向けてくれる、心の底から真剣な思いや言葉っていうのは、理屈抜きでガツンと心に来るもんなのよ。空想家の妄想で出来た薄っぺらなフィルターなんて、簡単にぶっ壊しちゃうくらいにね。いつかあなたも、そういう人と出会う日が来るわ」

「母さんじゃだめなの? 真剣に僕と向き合ってくれてる……よね?」

「厳しいかなー。いや、私はいつでも真剣だけど、生まれたときから一緒にいると、さすがに距離が近すぎてねえ。こういうのはむしろ、他人に近い誰かの方が可能性高いかも」


 ☆☆☆


 なるほど、ね。
 それを思い出した今になって、あらためて気付く。僕も立派な『デイドリーマー』だ。

 昨日今日、
 エルクに『あんた甘すぎ!』と言われるたびに、『まあ、気まぐれだから』。
 魔物に対して余裕を持った姿勢を指摘されるたびに、『まあ、勝てるし』。

 それを言った時は、正真正銘、それ以上の意図は何もなかったんだけど、今あらためて考えると、一気に今までの僕の行動が、その観点から説明できてしまう。恐ろしいことに。

 ゲームなら、どこでどう行動して、誰をどう助けたり見捨てたり、どんな敵をどう倒して、得られた お金をどう使って、っていうのが全部、自分の思い通り。気まぐれ1つだ。
 そしてこの世界は、そういう設定にかなり近い環境だ。これはもう間違いないか。

 僕にだって、人の命がどれだけ尊いものか、お金がどれだけ大切なものか、そして、何かに対して相応の対価で応えるべきだ、って考え方も、わかると言えばわかる。

 ただ、それらが全部あまりにも易々と、拳一発蹴り一振りでどうにでもなるもんだから、そして、この『異世界』があまりにも生前と違うから、現実味が感じられていなかったんだろう。まだ心のどこかで、フィルター越しにこの世界を見ていたんだろう。

 だからもしかすると、大金のやりとりも、魔物の素材の大雑把過ぎる山分けも、命の恩も、全部、僕は『そんなこと』として見ていられたのかもしれない。
 エルクからしてみれば、どれか1つでも、返しきれない、重い恩だったろうに。

 たった一言の指摘で、全部が全部理解できてしまった僕が考え込んでいる間、エルクは様子を見ていたのか、言葉を続けることなく黙ってくれていた。

 そして、僕の意識が再び自分に向いたのを悟ると、再び僕の目を見据えて、

「ねえミナト、私にこんなこと言う資格があるのかわからないし、資格があってもあつかましい、おせっかいかもしれないけど……あえて聞かせて」

 そう言ってくるエルクの目は、さっきまでと少しも変わらず、どこまでも真剣。

「今、私が言ったことに心当たり、ない? 私含めて、あんたが昨日今日見てきたもの全部に対して、適当にしか認識してなかった、なんてことなかった?」

 心当たり、ある。
 適当に認識、してた。

 魔法も、魔物も、町も、ダンジョンも、盗賊も……そして多分、エルクも。

 ……失礼にも程があるだろう。
ゲームや小説のキャラクターなんかじゃ、絶対にないのに。

「まあ、そういう見方が出来るのも、あんたの強さがあってこそのもんでしょうから、だからって私は別に、何も言うつもりは無いんだけどね」

 よしてよ、そんな風に言うの。
 さっきまで気付いてなかった僕が言うのもなんだけど、昨日今日ひたすら、失礼にも程がある心構えでエルク達と向き合ってたんだから。

「……そんなあんたが、初めて人間らしい欲を見せてくれたのが、ついさっき」

 と、ここでエルク、さっきのやり取り――花町云々――を思い出したのか、顔を少し赤く染める。え、ここに来て何?

「あー、それはもう言わないでくれると……」

「その時、不謹慎なんだけど、初めて私に、あんたに対して取り付く島が出来たような気がしたの」

 おい、無視か。

「蒸し返すみたいで、ちょっと申し訳ないけど……私ホントに、あんたとなら、そういうことになっても構わないって、思ってるのよ?」

「……恩返しのため?」

「だと思うけど、多分、それだけじゃないと思う。それだけだったら、もっと、自分の中に葛藤とかもあると思うんだけど、そういうの、感じないから」

 今まで以上に真剣なまなざしで、僕に視線を送ってくる。
 さっきと同じで、顔は赤いまま。だけど、なぜだろう。今のあの赤みは……また何か、別な意味を持っているような気もする。

「だからミナト。もしあんたに、今私が言ったことに、少しでも心当たりがあるなら……もう一回、それ取っ払って、私のこと見てほしい。その時、ミナトの目に……私が、あらためて、どういう印象で映ることになっても」

「…………」

 何かこう、今のエルクの言葉には、一言一言に、覚悟みたいなものが感じ取れた。
 僕の頭の中に、刻まれるように、はっきりとその音を残していく。

「もし、その時ミナトの目に私が、憎たらしい犯罪者に見えたんなら、私は出頭して罪を償う。その時は、ミナトに証言してもらえれば、スムーズに逮捕してもらえそうね。もしそうじゃなくて、変わらずどうでもいい存在のままに見えるなら、それでもいい。むしろ、私には分相応だしね。……けど……もし、その時に……」

「そ、その時に?」

「もしその時に、私を少しでも、今より魅力的にっていうか、そういう対象として見ることが出来たら……」

 エルク、さすがに恥ずかしいのか、視線が少し横にそれて、
 しかし、やっぱり思いなおして、また僕の目を見る。

「その時は、本当に遠慮、しないでほしいの。あんたとだったら、そういうことになってもいいかなって……いやむしろ、そうなりたいって思うから。恩とか、冒険者としてとかじゃなく……」

 一拍、



「……あんたの器と腕に惚れ込んだ……1人の女として」



 現代日本で誰かにこのセリフ言ったら、まんま愛の告白だと思われるんじゃないか、って感じた僕の思考回路は、どこか異常だろうか。

 今、それを僕の目を見て言ってくれたエルクに、そのつもりがあるのかどうか、それはわからない。

 けど、
 それが間違いなく、エルクが本心から言ってくれた――しかも、恥ずかしいの我慢して頬を赤らめながらの――本当の本音だ、っていうのはわかる。
 冒険者の観察眼云々はともかく、僕にだってそのくらいわかる……と思う。

 そして、
 女の子に、面と向かってそんなこといわれて、ドキッとしない男なんてのは、まずいない、と思う。

 やばい、顔超熱い。たぶん超赤い。

 さっきみたく、『氷』の魔力を宿した手を、頭に当てて……ダメだ、効果なし。
 上っ面は冷えるんだけど、頭の中が、変わらずカーッと熱い。

 それどころか、そのこと考えるたびに、心臓がバクバクに、鼓動を加速させていくのがわかる。

 直感でわかる。これもう、どうしようもない。
 欲情どころじゃなく、もっと根本的なところが興奮してるんだと思う。
 さっきの、エルクの告白(仮)で。

 そのエルクはというと。言うだけ言って、今更恥ずかしくなったのか、視線をそらして夜空を眺めていた。

 パジャマ姿の彼女が、窓から入る月光を浴びて、ちょっと顔が赤くて……それを下から見上げている僕。やばい、すごく色っぽい。

 さて、

 繰り返しになるけど、今、エルクに聞かされた言葉の数々は、全部まぎれもなく、エルクの心からの本音だ。僕に、まだよくわからないとはいえ、好意を持ってくれているって部分も含めて。

 そして今、
 僕の心の中には、そうまで言ってくれたエルクに応えたいという思いが、渦巻いてる……ような気がする。

 もちろん、タダの欲望である可能性も、否定は出来ない。
 出来ない、けど……

 ……これもまた、僕の『本心』であることはたしかなわけで……

「……あのさ、エルク」

「……何?」

「……今日、さ……泊まってく?」

 と、
 おそらく彼女に負けないくらい赤くなってるであろう僕が言ったその言葉に、エルクは最初、きょとんとしていた。

 けど、すぐにその言葉の意味を理解したようで、一瞬、驚いたような、とまどったような表情に。

 しかし、それもすぐに引っ込んで、僅かな深呼吸の後、

「!? ちょっ……!」

 なんと、真上に見上げる窓から……寝間着のまま飛び降りてきた。
 慌てていすから立ち上がり、落ちてきたその体を抱きとめる。

「ちょっと!? いきなり何してんのエルク!? 怪我でもしたら……」

「大丈夫よ。あんたなら、こうしてくれると思ってたから」

 僕の腕の中で、受け止められた体制――とっさの『お姫様抱っこ』――のまま、こともなげにそう言うエルクだけど、その顔はさっきまでよりも赤い。
 けれど、おそらく僕も、そこに触れられた義理じゃないので、何も言わない。

 というか、これからすることを考えると、そんなこといちいち考えてる余裕が無い。

「それより……こういうの、苦手なんじゃなかったの?」

「まあ、そうなんだけど、あそこまではっきり言われると、その、引っ込んでる方が、こう、違うんじゃないかって感じで……」

「ふーん……ま、どの道明日まで保ちそうに無い顔色だしね。熱そ」

「……誰のせいだと思ってんの」

「はいはい。心配しなくても、ちゃんと責任は取るわよ」

「あ、うん。よろしく……じゃなくて、えっと、そのー、お、お手柔らかに……」

「……女のセリフでしょうが、それ」

 相変わらず恥ずかしそうに赤面してるエルクだけど、その顔は、ようやく本懐を遂げられるとでも言いたげな、嬉しそうな笑顔だった。



 翌朝、

 僕らは、同じベッドの上で、そろって少し寝坊した。


 ☆☆☆

 


「…………ケダモノ」

「…………ごめん」

パジャマ姿でベッドに寝ている、ジト目のエルクからの……そんな、冷めた一言。

いや、その……うん、やりすぎました。

エルクのご厚意に甘え、一晩がんばらせていただいた結果、負担が大きすぎたらしい。
彼女はすっかり腰をやられてしまい、立つどころか、動くことすら困難な状態に。

その結果として、今、ベッドの上で寝たきり。動けないそうです。

「そりゃまあ、好きなようにしてくれていい、っていったけど……さすがに、ここまで徹底的にやられるとは思わなかったわ……」

「……はい、すいません」

「まあ、私自身、体力もそんなにないのは事実だから、若干不甲斐無かったかもしれない……ってのは、認めるわよ。そもそも、言い出したの私だし」

「はい……」

「……けどさ、もうちょっと配慮とかあってもよかったんじゃ……っていうかそもそも、何であんたは平然としてられるのよ?」

……まあ、そうだよね……

時間帯としては、真夜中ごろに始まって、もうそろそろ日が登るんじゃないか、って頃に、全てが終わるまでの間、ずっとサカっちゃってたわけだし。

いや、だってその、すごくよすぎて。エルクが。

抱きしめれば、僕の腕の中に納まってしまうくらいの、どちらかといえば小柄な、彼女の体は、すごく抱き心地がよかった。両方の意味で。

細身だけど、きっちり肉付きはよくて、抱きしめるとやわらかくて。
しかも、ベッドの上での、初々しいリアクションがこう、なんとも。

そしてさらに、メガネありorなしで2パターン楽しめるという、そこがまた、なんとも……あ、いや、それは何か違うか。

ともかくそんな感じで、底無しに魅力的なエルクという女の子に、文字通りおぼれてしまった僕は、ついつい張り切ってしまった。

その結果が、今のコレ。

ホントならコレ、回復には向こう3日くらいかかるレベルの疲労じゃないかと思う。そのくらいムチャクチャにやっちゃった自覚あるから。

けど、そこはきっちり僕の方でアフターケアさせてもらった。

「でも、さっきの塗り薬、よく効くわね。もうほとんど痛みが引いてるわ」

と、腰に手を当ててエルクが言うように、彼女には、僕が持ってきた母さん特製の軟膏を塗ってあげておいた。

筋肉痛とか全般に効く薬で、市販のやつなんかとは比べ物にならないくらい強力みたいだから、傷みなんかもすぐに引くし、昼過ぎには、本調子じゃないにしても、ある程度動けるようにはなるはず。
明日には、ほとんど完治してるだろう。

ちなみにその薬ビンの蓋には、1枚の張り紙があって、そこには母さんから、


『ある特定の理由で女の子に使うようなことがないように祈っています。女の子は繊細なんだから、大切にしなさい』


……とのありがたいお言葉が。


すいません、手遅れでした。


「はぁ……なんかアンタって、思ってた以上にまともじゃないのかしら?」

「何も言えないです……」

「まあ、別にいいけどね。でもまあ、息子のそんなとこにまで気を配っておいてくれるなんて……アンタは恵まれてるわね」

母さんを褒めてくれるエルクだけども、今のは暗に『あんたはそんなとこまで親に世話になってんのかバカ』って言われてる。反論できないけど。

「昨日あんなに偉そうなこと言っといて悪いけど、今回はアンタのお母さんに同意させてね? 私は別にいいけど、その、丁寧に女の子を扱う、ってことを覚えないとさあ……これから先、私以外の女の子の相手をすることもあるんだろうし……」

「ごめん、うん、反省してる。あんまりその、エルクが可愛くて……」

「そ、そう言ってくれるのは……まあ、女としては、嬉しいけど……」

「だからその、つい、初めての……母さんとした時を思い出して、勢いがついたというか……」



「…………え?」

「…………あ」



あれ、今何言った僕?
えーと、若干思い出すのが怖いけど、そう、5秒ちょっと前。



『だからその、つい、初めての……母さんとした時を思い出して、勢いがついたというか……』



口が滑ったあああああああ!!?
何言ってんの僕!? 何とんでもないこと口走ってやがりますか僕!?

はっとしてみると、唖然としているエルクの姿。
しかし徐々に、徐々にその目が、『マジかコイツ』みたいな、とてつもなく低温な感じのジト目、いや白眼視と呼べるそれに変わっていく。ちょ、待って!

「ミナト、あんた……」

「ちょ、ま、待ってエルク! 違う! 誤解! いや、その、ある意味誤解じゃないけど……ああやっぱり誤解だから待ってってば! 話を! 話を聴いて……」

「いや、よし、わかった! わかったわ! わかったから、とりあえずあんた私から3m以上離れてちょうだい」

わかってない! いや、わかってるけどわかってないよそれは!

だから、誤解じゃないけど誤解だからお願い話を聴いて、ってさっきから何をメチャクチャなこと言ってんだ僕は。落ち着け……いや、無理だな。

「あんた、普通じゃないとは思ってたけど、まさかそんなことまで……」

「いやその! 誤解、っていうかその、違うから! 大丈夫だから!」

「いや、何が大丈夫なのよ?」

「1回だけだから!」

「十分アウトよアホ!!」

――ばふっ!

枕が飛んできた。あれ、何か対応を間違えたか?

「それ以前の問題だっての! っていうか、それ自体信じられないし……ま、まさか、子供の頼みを断れない母に無邪気に迫って? いやそれとも、嫌がる母親をその腕っ節で押さえつけて無理矢理……」

「違うって! ちゃんとホントにちゃんとした、いやちゃんとってことないけど、っていうかその、最初に誘、もとい、襲ってきたの母さんの方なんだから!」

「それもどうなのよ!? 何なのアンタの家系!?」

「っていうか、むしろ腕っ節で母さんに勝てるはずないし」

「ホントに何なの!?」

何だかエルクの疲労度が加速度的に増して行くような気がする。

ちょっと、いやかなり特殊な我が家の家庭の事情を立て続けに聞かされているわけだから、無理もないのかもしれないけど。

「はぁ、もういい。もういいけど、何ていうかどこまで私の度肝抜いてくれたら気が済むのよあんたは。素手で魔物しとめるわ、剣で斬れないわ、火つけられても燃えないわ、酸でも溶けないわ、ただでさえ話題に事欠かないってのに……」

それでまあ、疲労感が大変なことになってるであろうエルクは、それに続けて、

ポツリと、つぶやくように言った。

彼女にしてみれば、別にそんな深い意味とかも無い、冗談や皮肉程度のつもりで、
いやもっと言えば、独り言程度のものだったんだろうけど、



「あんたは全くもう、ホントに人間かっての」



………………



「そう、見える?」

「え?」


☆☆☆


「夢、魔……!?」

話した。
包み隠さず、全部。

いや、さすがに前世やら転生やらこととかは話してないし、出生の詳しい秘密とか、不必要なことまでは言及してないけど、

それでも、僕が夢魔の血を引いてて、男だてらに夢魔の力を使える『突然変異』だってことは、正直に話した。

いや、まあ、正直その、そんなに簡単に話していいもんだろうかとも思ったんだけど、

もしもエルクが、彼女の中で定義される『冒険者仲間』みたいな、ただ一緒に探索とかするだけの、仲間としてはわりかしドライな存在か、
あるいは、一夜を共にした、っていっても、それこそ普通の娼婦と変わらないような、それだけの関係だったか、

その程度の間柄だったら、別に、話す義理も何もなかったと思う。

現状も出自もただでさえ普通じゃないんだから、それを他人に話すなんてのは、ほとんどリスクしかないわけだし。僕の場合。

……けど、
不思議なもんで、エルクには、彼女にだけは、隠したくなかった。

僕の考えすぎかもしれないけど、あの夜、僕は――何をしてかはともかくとして――彼女と、本心から心を通じ合わせた。それは確かだ。

最初に誘ったのは彼女とはいえ、結果的には僕の方から求める形になって、しかし、彼女はそれを受け入れてくれた。

正真正銘、本音と本音で語り合った結果のことだから……間違ってはいないはず。

そうまでして通じ合った彼女に、感謝の感情があったからだろうとはいえ、僕に、信じて全てをゆだねてくれた彼女に、隠しておきたくなかったから。

いや、まあ、これだって自己満足以外の何物でもないんだろうけど、自己満足って意外と大事だよ? 『自分に満足』できてなきゃ、どこで足がもつれるかわかったもんじゃないんだし。

それに、
これから先、そのことを隠したまま彼女とやっていくのは、僕としても嫌だ。
彼女、けっこう鋭い所あるから、いつかはばれるかもだし。

その、事実を聞いたエルクはというと、予想の斜め上を行く(いや、予想もヘッタクレもないか)真実を聞かされた衝撃で、しばし固まっていた。

「つまりあんた、『亜人種』っていうか……『人間(ヒューマン)』じゃないの?」

「いやまあ、一応分類上は『人間』のはずだよ? ただ、突然変異で、夢魔の力を使えるように生まれてきた、ってだけで」

「『だけ』で済ませられる話じゃないと思うけど、そうだったの……」

一応『納得』はしたのか、ため息混じりにエルクはうなずいた。

正直、コレ話した時点で、まあ、秘密にしてもらうことは期待できても、なんかこう、奇異の目で見られたりとか、少なくとも、普通に接してもらうことはちょっと難しくなるかも……って、今更ながら思ってた。自分で言っといてなんだけど。

それでも、隠しておきたくない、って思ったから話したんだけど。

で、エルクの返事はというと、

「別に? 気にしないわよ、そのくらい」

「え、マジで?」

「マジよ」

なんか、こっちはこっちで予想を裏切る展開。

いや、だって……いくらこの世界、エルフとかドワーフとか(まだ会ったこと無いけど)、そういう亜人種族がいる世界だからって、その中でもまた異質、といっていい僕みたいな存在は、なかなか受け入れられてもらえないだろうと、思ってたよ、正直。

そしたら、

「まあ、全く気にならないわけじゃないけど、だからって、アンタに対しての評価が変わるわけじゃないわよ」

とのこと。

「確かに、普通とは違うのかもしれないけど、別に大したことじゃないわ。あんたがどういう奴かなんてのは、もうとっくに知ってるもの。真面目だけど間が抜けてて、お人よしだけど肝が据わってて、強くて、優しくて……ちょっと夜が乱暴で、人と違う力を持ってるってだけの……」

一拍、
僕の目を、真正面から見て、

「……ホントに信頼できる、普通の新米冒険者だって」

そう、言ってくれた。

あー、何と言うか、これは、うん、素直に嬉しい。

ネタ的にいじられたりしたこともあったけど、まあ、僕が純粋には『人間』じゃない、ってのは、本当だし。

それを理由に、こうして社会(?)に出てきてから、少し不自由するかもしれないな、っていうのは、正直、少し覚悟してた部分もある。母さんも懸念してたし。

それだけに、心からこうして、きっぱり『信頼できる』って言ってもらえたのは、素直に嬉しいと思える。

……うん、やっぱり……

「……僕……」

「?」

「僕、旅に出て、初めて仲間になれたのがエルクで、ホントによかったよ」

「……っ!? あ、アンタは……! そういう恥ずかしいこと、平然と言うな!」

――ばふっ!

また枕が飛んできた。なぜだ。

「……っ、『鈍感』も評価に追加かしらね」

「は?」

「何でもない!」

なぜか、顔が微妙に赤くなった(ように見える)エルクは、再び横になる。

よくわかんないけど、とりあえず何でもなさそうだし、いいか。

するとエルクは、まだ少し赤い顔で、ふと思い出したように、

「そういえばミナト、昨日、私に言ってくれた、あの提案、覚えてる?」

「ん?」

昨日? 昨日、っていうと……ああ、アレ?
そりゃもちろん。覚えてるよ。



「い、今更だけど、その……ホントにいいの? 私なんかと、チーム組んだりするなんて」



と、遠慮がちに聞いてくるエルクには、昨日の夜、そんな内容の提案をしていた。


☆☆☆


さて、これはその少し前に、エルクに聞いた話の総括になるんだけど、

冒険者っていうのは、必ずしも全員、誠実で信頼できる者たちばかりじゃない。私利私欲を何より優先して、他者を利用したり、蹴落としたりしようとする奴も多い。

特に、エルクみたいな女の子には、それはけっこう切実な問題である。

それなら、本当に信頼できる奴とだけ一緒に行くか、1人でダンジョンに行けばいい、って話になるんだけど、当然、そう上手く行くわけもないわけで。

その『信頼できる』やつがそもそもいない&見分けるのが大変なんだから困るわけだし、1人でダンジョンとか行ける人なんてのも、そもそも少ない。

いろんな理由で、冒険者には仲間が必要不可欠なもんだ。
戦闘能力の不足をカバーしてくれる人や、自分に無い知識や技能を持ってる人……いちいち挙げていけばもうきりが無い。

それに、僕はもともと一般常識が足りてない自覚がバリバリある。なので、そういう情けない部分を補ってもらうためにも、信頼できる仲間ってのは欲しいと思ってた。

そんなわけで、冒険者にとっては、選定するのに時間をかけてでも、『信頼できる仲間を持つ』ことが、何より重要な課題の1つなわけだけど……



それを踏まえた上で、僕はエルクに、チームを組んでほしい、と頼んだわけだ。



それを聞いて、エルクは戸惑ってた。『正気か』、と。
いや、そこはせめて『本気か』じゃないんだろうか、ってのは置いといて、

戦闘力、度胸、機動力、ついでに財力、それらどれをとっても、僕に大きく劣る。
ざっくり言ってしまえば、それはもう、足手まといでしかない。

信頼できる、と言ってくれたのは嬉しいし、僕という、明らかに普通のレベルを逸脱した仲間を持てるのは心強いが、本当にそれでいいのかと。

この先苦労するであろうことが目に見えているのに、本当に自分なんかとコンビを組んでくれるのか、とのこと。



……その問いに、僕は……0.5秒でこう返した。



『エルクじゃなきゃ嫌だ』と。



僕らが一緒に過ごしたこの3日間は、けっこう濃かった。

エルクは、何度も命を、そして抱えてた悩みまで僕に助けてもらった形だし、
僕は僕で、何も知らない状態で、エルクから冒険者の基本事項を教わった。

盗賊の件とかもあったし、最初から最後まで、1から10まで問題ない関係だったとはいえないけど、そういう各種トラブルも通して、最終的には腹を割った付き合いが出来た。

そこで僕は、エルクが、本当は自分に厳しくて責任感も強い、十分に信頼できる人物だと知ることができた。

挙句、昨日の夜なんかは、一線を越えた関係まで持ったりして。

そんな、出会ってたった3日の短い間だったけど、僕らが互いのことをきっちり認識するには、それくらいでも十分な期間だったわけだ。

それに、これは正真正銘ただの直感なんだけど、この先、エルク以上に僕と相性がよくて、心から全部さらけ出して信頼できるような相手と、正直、出会える気がしない。

これは運命だ、なんて陳腐な口説き文句を使うつもりも無いけど、絶対に逃したくない機会で、絶対に手放したくない相手である。

だから、僕の方に何も不満なんてあるもんか、ときっぱり言った。

そして、今も顔を赤らめているエルクは、少し恥ずかしそうにしながらも、僕が、一番求めていた返答を返してくれた。



――ガシッ、と


どちらからともなく、僕らは手と手を差し出しあって、
返事の言葉の代わりに、しっかりと握手を交わした。



「えっと、上手く言えないけど……これからよろしく、ミナト」

「そんなもんで十分でしょ。こっちこそよろしく。エルク!」



とまあ、
紆余曲折あったけども、家を出て冒険者になって、3日目。

僕、ミナト・キャドリーユに……初めての『仲間(パートナー)』ができました。



さて、これから先、僕は彼女とどんな場所に行って、どんな冒険を繰り広げることになるのやら……


☆☆☆
 大蛇の一件から数日後、
 僕らは、満を辞して、と言うのも変だけれども、いよいよ、招待されていた『マルラス商会』の建物を訪れていた。

 商会までは、ノエルさんが馬車を手配してくれていたので、それに乗って。

 その道中、暇つぶしがてら……気になっていたことをエルクから聞くことが出来た。馬車の中で、簡単に。
 なんでエルクが借金なんかしちゃったのか……ってことを。

 それによると、元冒険者だったエルクのお母さん――シングルマザーだったそうだ、なぜか――は、エルクを産んだ後、冒険者稼業を引退し、ギルドの職員に転職してエルクを育てていた。

 親子2人、つつましいながらも幸せな生活を送っていたそうだ。数年前……病気でこの世を去るまで。

 そのお母さんとの生活の中で1度だけ、本当に生活が苦しくてどうにもならないって時期があったらしいんだけど、その時エルクのお母さんは、冒険者時代にずっと愛用していた、ある高級な装備を売ってお金を工面し、その窮地をしのいだらしい。

 その名も『クリスタルダガー』。刀身が硬質な水晶でできた短剣(ダガー)
 それを、エルクは最近、町の店で見つけたのだという。

 かなり品質が劣化しているらしく、それほど法外な値段にはなっていなかったそうだが、それでも、一介のかけだし冒険者に過ぎないエルクにはまず手の届かない値段。

 それでも、『冒険者としての』お母さんの形見と言ってもいい、そのダガーをどうしても取り戻したくて、エルクは必死で、値引きや分割払いの交渉をした。

 そのあまりの必死さが目を引いて、あいつらに目を付けられた、ってわけだ。

 その後は、どうにか親の形見を取り戻せてホッとしたものの、今度はそのダガーどころか、全てを失いかねない事態に陥った。

 冷静でない頭で、契約書の精査もせずに口車に乗ってお金を借りてしまったエルクは、まんまと、店主とグルだった金貸しの思惑通りに、借金を膨れ上がらせてしまった。

「全く、母さんのためとか、思い出のためとか言ってコレじゃ、あの世で母さんも笑ってるわよね」

 自虐気味にそんなことをいいながら、カバンに手を入れて何かを取り出すエルク。

 その手には、おそらく、今の話に出てきたそれであろう短剣だった。
 古びた金属の鞘と柄は少し傷だらけで、年季を感じさせる。

 エルクはそれを、昔を懐かしむような遠い目で見ながら、

「母さんが昔使ってたこのダガー、どうしても、もう一度戻ってきてほしい、と思ってさ。
それで母さんが帰ってくるわけでも、何かが変わるわけでもないし……理由なんて、上手く言えないんだけどね。その結果が、コレよ。笑っちゃうでしょ」

「へー……」

「今となっては、あの買った時の値段すら、適正な価格だったのかも疑わしいもんだわ。もともとあの店、盗品も扱う怪しい店だったみたいだし。ホントバカよね、私」

 そんなことを、おかしそうに話してくれたわけだが……

 ……この様子だと……どうやらエルクは知らないみたいだ。

 このダガーの正体が、実は……すごく特別な、強力なマジックアイテムだってことを。


 ☆☆☆


「おまたせしました。本日はようこそ、エルクはんもミナトはんも、楽になさってくださいね」


 商会にて。
 到着した後通されていた応接室に入ってきてペコリと一礼すると、ノエルさんは卓を挟んで僕らと対面する形でソファに腰掛けた。

 その際、もう1人男の人が一緒に入ってきたんだ。

 軍服みたいなその服装から予想はついてたけど、その人が少し遅れて自己紹介してくれた際に、それは確信になった。どうやら……軍人のようだ。

 つまり……エルクの証言を聞くためにノエルさんがあらかじめ読んでた、警備隊関係者の人ってことか。

 ざっくり言えば、今日エルクがここを訪れたのは、悪徳金融騒動の後始末と、そのことについてエルクが知っている限りの情報を証言するため、というものの2つである。

 そのどちらに関しても、事前に準備していてくれたからだろう、さっと終わった。

 後処理の方は、エルクが書類各種をチェックしてサインし、ノエルさんがそれをチェックするだけで終わったし、証言の方は、エルクが話すことを軍人さんが書きとめて、時々確認のために質疑応答が入る程度だったから。

 時間をかけずに幼児が2つとも終わり……エルクの用事はこれでおしまい。
 そして残るは……僕の用事だ。
 いや、正確には……ノエルさんが僕に対してなにかある、って用事だ。

 あの時も今も、敵意は感じないから、別に罠とか、物騒な感じじゃないと思うけど、あんまり油断していてもいいものかは迷う所だ。

 何せ、初めて会ったあの時……直前まで臨戦態勢で、それなりに感知能力も上がっていたにもかかわらず、この人の接近どころか、遠くから見られてることにすら気付けなかったんだし。

「えっと、ご用件って何なんでしょう? 僕ら、あの時が初対面ですよね? 今回のこと以外だとすると、呼び出される心当たりが無いんですが……」

「ああ、心配せんとってええよ、何も厄介ごととかあらへんさかい。ただ、ちょっと話と、渡したいもんがあるだけやさかいな」

 そう言うとノエルさんは着物もどきの袖から何かを取り出した、

「はい、お近づきの印っちゅうことで。とっとき?」

(……定期入れ?)

 ……が、僕の知る中では一番近い形状だった。
 駅の自動改札で、かざして通るカードを入れておくパスケースみたいな形、というか、それそのものと言ってもよさそうである。

 黒とシルバーの彩色で、小さく薄いのに、重厚で頑丈そうな印象の見た目である。

 ノエルさんによると、この謎の物体はどうやら、ギルドカードを入れておくカードケースらしい。それも、入れたままで使えるっていう……正に定期いれみたいな感じ。

 しかもコレ、ただのケースでなく、持っているだけで色々と得点があるんだとか。

 ギルドカードはそれ単体でも、ギルドの系列の宿とか武器屋で買い物が割引になったりするけど、このケースにギルドカードを入れて提示すると、店によっては更に割引になったり、このカードが無いと入れないVIPエリアにも入れて、表向きには扱ってないような裏リストの商品も買えたりするそうだ。

 特別待遇の会員証、みたいなもんなんだろうか?

 そりゃすごいなという感想を抱く僕。これを持ってるだけで、財布に余裕が出来て、買い物の幅も広がるわけだ。

 しかし同時に、ちょっと疑わしくもある。

「あの、なんでそんなにいいものを、最近会ったばかりの僕にくれるんでしょうか? 聞く限り、かなり、いやとんでもなく特別なアイテムに聞こえるんですが」

 元の世界で言うなら、セレブだけが持っているなんちゃらの会員権とか、そういうのと同じような扱いじゃないんだろうか。

 文明レベル的に、そしてこいつの汎用性を考えると(使える店が少ないとかいうどんでん返しもありうるけども)、気軽にだれかにあげていいものじゃ絶対にないだろう。

 横を見ると、エルクも同意見のようだ。魅力的、よりも、要警戒という警戒色の空気を身にまとっていて、目つきもこころもち鋭くなっている気がする。素敵だ。

 最早、貰う貰わないではなく、何をたくらんでいるか、に空気がシフトした応接室。
 だがしかし、ノエルさんは顔色を変えなかった。

「ま、警戒も当然やろな。実際それ、金で買おうとしたら金貨100枚じゃ足らへんし」

「今ので警戒が100倍になったんですけど」

 金貨100!
 一億円相当!? あ、いや、それでも足りないのか。

 そんなもの、ただでくれるはず無い。絶対何か裏がある。なきゃおかしい。

 けど、僕みたいな駆け出しの冒険者に、このパスと引き換えになるような価値で要求できるものって一体? 全っ然心当たり無いんだけど?

 用心棒として雇われろとか……いや、これはないな。知り合ったのはつい最近なんだ。素性をよく知りもしない奴を雇うなんてのは、むしろ危険だろう。

 となると、僕の持ち物の何かが目当て?
 この手甲と脚甲か? それともスカーフ? ベルト?
 一番狙われそうなのは、やっぱ『ネクロノミコン』かな? ヤバい匂いがぷんぷんする魔法書物だし、書かれてる内容もかなり高度だったからなあ。

 と、考えていると、正面に座っているノエルさんが、なぜか、くくくっと笑っているのが見えた。

「あ、すいまへん、つい。なんか、すごく面影あるなー、って思てしもて」

「? 面影?」

「ええ、あなたのお母さんの。考え込む姿、そっくりやわ」

「!? 母さんを知ってるんですか!?」

 驚いた、これは完全に予想外の切り口だ。まさか、僕じゃなく母さんサイドとは。

 まさかこの人、母さんの知り合い? 友達とか? それで、中がいい友達の息子に、ってことでこんな便利アイテムをプレゼント?

 いや、もしかしたら、母さんの方に、何か目的があるのかもしれない。
 あの人、すごい色々持ってるからなあ。お金はもちろん、冗談みたいなマジックアイテムとか色々に加えて、飼ってるペットも、けっこう只者じゃない奴らばっかりだったし。

 そして、僕と、僕の様子を見て一緒に緊張しているエルクに向けて発せられた、ノエルさんの次の句とは……



「いや、知り合いも何も、うちのオカンでもあるしなぁ」



 予想の斜め上どころじゃないものだった。

「はい!?」

 立場とか礼節とか色々忘れて叫んでしまった。けど、仕方ないと思う。

 えっ、ちょ、今何ていったこの人!?
 つ、つまり、このノエルさんと僕の関係っていうのは、まさか……

「さて、散々引っ張ってもーたけど、あらためて自己紹介な? うちの名はノエル・コ・マルラス。コレは父方の姓で、母方の姓はキャドリーユ。リリン・キャドリーユの四女で、必然、君のお姉さんっちゅーわけやな、我が弟よ♪」


 ☆☆☆


 どうやら、この人……ノエル・コ・マルラスさんが、母さんの娘であり、僕の姉であるという事実は、紛れも無い真実のようだった。

 決定的な証明になったのは、ノエルさんが持ち出してきた、一通の手紙。
 そして、魔法の蜜蝋で封印をされたその中に同封されていた、金色に光る鳥の羽だ。

 それを見た瞬間、見た目、そして魔力の匂い、共に見覚えのあるものだと僕は悟った。

 実際に手にとって見せてもらって、確信した。
 これは『ストーク』の……母さんが飼っていた、あの金色の大きな鳥の羽だ、と。

 母さんが屋敷で飼っていた、何匹かのペット。
 その一匹が、ストーク。翼を広げると、その端から端まで2mくらいになる、巨大と言っていい大きさの、金色の鳥。ファンタジー的に表現するなら、鳳凰とかに近い。

 羽毛も嘴も金ピカだったあいつは、どうやら母さんとは一番付き合いが長いらしく、屋敷内を放し飼いで自由に徘徊するペット達の筆頭格だった。

 しかも当然、ただの鳥じゃなくて魔物で、色々とけっこうすごい奴だったんだけど……その辺や、他にも何匹かいたペット達がどんな感じだったかとかは、また今度の機会に。

 ともかく……魔力の匂いから見ても、うん、間違いない。
 ストークの匂いと、母さんの匂いの両方を感じる。この羽を同封させられてる、ってことは、いざという時の証明のために使え、っていう意味で受け取ったってことだ。

 ちなみに、羽ばたく時に偶然抜け落ちた羽を拾っただけ、ということはありえない。
 どういう仕組みか知らないが、ストークの金色の羽は、ストーク本人(本鳥?)に了承を得て抜いたものでない限り、抜けてすぐ光の粒になって消えてしまうのだ。

 そして、その封筒の中に入っていた手紙には、


『そこにいる狐耳、あなたの上から4番目のお姉ちゃんなので、仲良くしてね』


 母さんの筆跡で、そう書いてあった。

 文章がやや稚拙なのはともかくとして、これではっきりした。
 どうやらノエルさんは、本当に僕の姉のようだ。

 そしてこの手紙は、聞けば、数日前にストークが届けてくれたもので、もすぐここに来るであろう僕の手助け――過保護にならない程度に――を母さんから別な手紙で頼まれ、その際に姉だと証明して信頼してもらう手段として使うよう指示されていたと。

 ……つまりノエルさん、いや、ノエル姉さんは、末の弟への激励のために、わざわざ金貨100枚以上の価値のあるこれを用意してくれた、ってこと?

 いや、それでもまだ納得は出来ないって。いくら身内でも、そんなポンと。

「鋭いな。さすがにうちも、いくら弟でも金貨100枚の品ポンとあげたりせえへんし、そもそもコレ、申請してから作られるまでに1ヶ月かかるねん。作り置きとかも無いし」

「え? じゃあ、コレって……」

「ぶっちゃけるとな、コレ、こないだ監獄にぶちこんだったあのアホが発注しとった奴やねん。どーせろくでもないことに使お思てたんやろな。逮捕間に合ってよかったわ」

 あのアホって……ああ、エルクを騙して借金背負わせたアイツか。

 今は、僕の雷の蹴りで全身が筋肉断裂した体を治療しつつ裁判を待っていて、しかしほぼ死刑で決まりそうだ、って、人間噂受信アンテナのターニャちゃんが言ってたっけ。
 詐欺レベルの闇金に加えて、人身売買までやってたんだ、当然の報いだろう。

 この世界、裁判早いんだよなあ。
 早いと1日で判決が確定しちゃうケースもあるらしい。多分、来月の頭には、あの男と部下達はもう、この世にはいないだろう。

 で、その男が、何でか知らないけど発注してたパスが届いたんだけど、注文主は、しつこいようだが来月にはこの世からいなくなるので不要。

 かといって、このパスは、その希少性と重要性から『在庫』として保管しておくことが原則禁止されており、貰い手がいないなら廃棄するしかない。
 しかし、希少な材料と高度な技術を使っているこの品を無駄にするのはもったいない。

 そんな時、ちょうどよく僕――母さんのお墨付きで、一応信頼できる身内――が現れたので、冒険者になったお祝いついでにあげちゃおうと思ったわけか。

 ……説明してもらっといてなんだけど、結局安易すぎる気がする。

「えっと、大丈夫なんですか? そんないきなり、僕みたいな駆け出しがこんなの貰っちゃって」

「えーよえーよ? オカンから『一応信用できる』ってお墨付き貰てるし、それに……」

 ちらっ、と、今度はノエル姉さん、僕の隣に座っているエルクに視線をやって、

「ミナトはんと仲良うしとる、今回迷惑かけたエルクちゃんへのお詫びにもなるしな。まあ、姉バカやと思って貰っといて。もし悪用しそうやったら、遠慮なく没収するさかい」

「はぁ……じゃあ、お言葉に甘えて」

 とまあこうして、僕は予想外にも、金貨100枚オーバーの超高級アイテム、その名も『ブラックパス』を貰ったのだった。
 行動範囲も広がって、色々と特典がついて、お財布にも優しくなった。

 ギルドカードを差し込んでケースを閉じれば、それで『所有者認証』が完了するというので、言われたとおりにしてみる。

 すると、カード本体よりも2まわりほど大きかったはずの『パス』が、まるで真空の布団収納パックのようにシュンッと縮み、デザインを残してカードと同じサイズに。

 ケースに入れたって言うより、シールとかでカードをデコった、って感じの見た目になった。けど、表面に凹凸とかも出来てないし、厚さにほぼ差は見受けられない。
 情報閲覧面にも支障は無い。ノエル姉さんが言ってた通り、普通に使えそうだ。

 冒険者になってまだ数日なのに、なんかすっごいいいアイテムもらえちゃって、もうなんて言ったらいいか。

 しかもこの『ブラックパス』、いくつか種類がある『パス』の中でも最高級品で、受けられるサービスが最上級の上に使用期限がなしだという。
 ホント、すごいもん貰ったな……。

「いやー、ホンマ助かったわ。『認証前』のブラックともなると、廃棄とかするにも『売ってくれ』言う奴が寄って来よるし、盗もうとする奴もおるしで、正直保管とか神経使いすぎてやってられへんねん。さっさと貰てくれて安心したわ」

 ……いろんな意味で。
 おい、事後承諾でなんてもん渡してくれてんだ、姉。

 クリーム色の髪の狐耳美少女――ちょっと年上ぐらいにしか見えないんだけど、実の所何歳なんだろう?――は、八重歯を覗かせて満面の笑み。

 ……まあ、かわいいし、いいか。

 その後僕らは、『パス』の使い方についての簡単な説明を受けた後、そろそろ仕事の時間になるということで、お暇させていただくことにした。
 見た目女の子でも、大きな商会のトップに立ってるだけあり、やっぱり多忙らしい。

 帰り際、玄関まで見送りしてくれた姉さんから、僕の兄や姉が結構あちこちにいるから、何か困ったら遠慮なく頼るといい、って激励を受けて。
 『マルラス商会』の頭目として、色んな商品を扱う立場にある姉さんも含めて。

 それとその時、もう1つ、前から気になってたことを聞いてみた。

「あのさ、ノエル姉さん。ずっと聞こうと思って忘れてたんですけど……僕って、上に兄弟姉妹何人いるんですか?」

 洋館時代から、複数、ってことしか母さんは教えてくれなかったことを思い出す。

 忘れた、ってことは無いと思う。そんな、忘れるほど子供産んでるとか……うーん……

 やっぱり、5男6女とか、大家族テイストなんだろうか? うーん、あの母さんのことだから、ありうるんだよなあ。

 いや、別に悪くは無いんだけど、リアルに野球チームとか作れちゃいそうな人数はちょっと度肝抜かれるかもだな……心の準備しとこうか。

 何かこう、もともと『夢魔』っていう種族もあって、そういう分野にかなりオープンみたいだし、僕より上の、すでに全員自立している兄弟姉妹たちは果たして……



「ミナト入れて……11男15女で26人兄弟、ミナトがその末っ子やったはずやね」



 甘かった。
 塩コショウと間違えて砂糖と黒砂糖入れた料理くらい甘かった。

 サッカーチームができるどころか、チーム2つ作ってそれぞれ補欠2人ずつ用意してゲームできるくらいの人数だとはさすがに思わなかったよ……。

 なんともいえない脱力感の中で、僕は家路についた。



 そして、

 このときの僕は、まだ知らなかった。
 姉さんがこの『パス』を、僕の助けになるように、ってだけではなく……色々と危なっかしい所がある僕を『監視』する目的で渡したのだ、ということを……。

 ……まあ、別にいいんだけど。

「え、いいの?」

「いいよ別に。何か実害あるわけでもないみたいだし……僕自身、自分のことを品行方正だとも思ってないしね。」



 
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