少なくとも生物学上の「進化」という言葉は、ある一定の方向性を持った「改善」であるという意味はありません。それどころか「改善」という意味すら含みません。
「進化」の定義は生物学でもその分野によって微妙に異なるのですが、分子生物学では遺伝子上の塩基配列が1つでも異なれば、例えそれが実際の形質に何の影響も与えなくても、それどころかコードするアミノ酸に変化をもたらさなくても、それを「進化」と呼びます。
もっとマクロ的な生物学では、「ある遺伝子集団内での遺伝子頻度の変化」をもって進化と呼びます。古生物学などでは、形態に変化をもたらさないと「進化」とは呼びません。まあ古生物学では形態以外に生物を測るパラメータがないからでもありますが。
でもこれらは決して無関係なのではなく、中立進化論などが分子生物学的な「進化」と進化論を強力に結びつけたりしています。
それと誤解されているのは、現世の生物で「進化のヒエラルキー」があるわけではないという点です。つまりヒトはサルよりも進化した生物である、というのは生物学的には間違いです。
全ての生物の共通祖先は1つですから、現在地球上に存在する全ての生物は、その共通祖先から「等しい時間」をかけて進化を続けてきて現在に至っているわけです。つまり全ての現生生物はみな現時点で「進化の頂点」にいる生物です。
ただ、今も海に住んでいる魚類とヒトでは、同じ40億年の間に重ねた「変化の量」は異なりますから、魚類の方がより「遙か昔の古生物の面影を残している」ということは言えるでしょうけど。
つまりそれぞれの生物は、自らの生息する環境や生き方によって、最適な形質を進化によって獲得してきたわけです。全てが進化の頂点なのです。
ただ、胎生は卵生のモデルチェンジですから「ほ乳類の方が魚類より進化した生物だ」というのは、別に間違いではありません。
ある特定の形質に着目すると、現生生物でも最も原始的な形態から"当面の完成形"と言える形態への一連のモデルは追跡できたりします。
例えば「眼」ですが、これはヒトが最も"進化した"眼を持っているわけではなく、ヒトよりもっと優れた眼を持っている動物はいくらでもいるわけです。ですがとりあえずヒトのような「レンズを持っていてピント合わせと絞りの調節ができるため、距離と明るさに拘わらずたいていの対象物をしっかりと見ることができる」という眼を「当面の完成品」とすると、眼がない生物から感光点を持っているだけの生物、その感光点がくぼんでいるためある程度の方向感知能を持った生物、くぼみが深まり「ピンホールカメラ」のようになった生物(このあたりから"像"を認識できる)、ピンホールにレンズが付いた生物、そのレンズを筋肉で動かすことができ"ピント調節機能"を獲得した生物・・・というような「眼に関する一連の進化」を再現しているような生物がいます。
で、問題は「出生する子供の成熟度」に、そのような「一連の進化の方向性」があるかどうかです。
結論から言うと「ない」というのが正解でしょう。
「眼」の場合は、外界を視覚によって認識するための必要要件というものがあって、それを全て満たす形態が「当面の完成形」であり、それに至る進化の過程というのがあるのですが、繁殖形態に関しては「子供を体内である程度まで育ててから外界に出す」ための「子宮」という臓器そのものが「とりあえずの完成形」なのです。
もちろんその子宮にもいろいろなバリエーションがあるのですが、それらは必ずしも一連の進化の跡を追えるようなものではありません。
つまりヒトの子宮が「最も進化した子宮」であるとは必ずしも言えません。ヒトの子宮は複数の子を育てるのには向いていないのですが、それならば時には20匹もの子供を育てられる豚の子宮が「最も進化した」子宮でしょうか?
そうではないですよね。子供の数はそれぞれの動物種の「都合」で決まるものですから、ヒトが20人の子を持てる子宮を手に入れる必要はないわけです。
子供をどの段階まで育ててから外界に出すか、というのも、子供の数と同じく「その動物種の都合で決まる」些細なパラメータのひとつに過ぎません。
一般的に、草食動物は被補食動物ですから、自力で行動できない子供は補食される危険性が飛躍的に高まります。なので「生まれ落ちてすぐ自力で歩いたり走ったりできる」子供が有利です。
そういう制約がなければ、子供はある程度未熟状態でさっさと出してしまった方が母胎への負担が軽くなるので有利になるわけです。
そういう一般論で片づかないケースも数多くあるでしょう。
ヒトも一般論では片づかない生物のようです。
少なくとも類人猿から分岐したばかりのヒトは、生息していたアフリカのサバンナでは完全な「被補食動物」でした。ですから一般論的に言うと「子供を大きくしてから産む」方が有利だったはずです。
しかしヒトは身体能力や牙などの形態ではなく、知能を発達させることによって環境に汎用的に対応できる方向に進化し始めました。
すると脳容積が増えて頭が大きくなりますから、分娩にたいへんな負担がかかるようになります。
またヒトは直立歩行を獲得したのですが、そうすると骨盤が締まるのでなおさら大きな子を産むのは難しくなります。
つまりヒトは「未熟児で産まざるを得なかった」のです。
ヒトは生後1年も独力で立つことすらままならないという「超未熟児」を産む割に、出産時の母体の負担は全ほ乳類中でも最大クラスですから、これがいわばギリギリの妥協点だったわけです。
クマは冬眠中に出産します。だいたい2月くらいです。
交尾するのは冬眠が明けて間がない5~6月頃です。すると妊娠期間は8~9ヶ月ということになり、ヒトや牛と変わらない妊娠期間なのですが、生まれてくるのは数百グラムという超未熟児です。(だからといってクマの方がヒトより「進化した」動物というわけがないですよね?)
これはどういうことかというと、春に交尾して受精した受精卵は、すぐに着床せずに子宮の中で発育を止めたまま浮いた状態になっているのです。実際に受精卵が着床するのは冬眠に入る頃です。半年くらい子宮の中で遊んでいることになります。
これは、秋は冬眠に備えて食い込まなければならない時期ですから、この時期に交尾も出産もするわけにはいかないわけです。
かといって冬眠中に3kg(標準的な親と子の体重差だとこのくらいになる)の子を産んでしまったら、エサがないから冬眠しているわけですから、その子らはのきなみ飢え死にしてしまいます。
とすると、進化の戦略上は「交尾は春にして、冬眠中に超未熟児で産む」というのが確かにベストですよね。
また、秋まで受精卵を「保留」しておければ、食べ物が不作で冬眠までに十分食い込むことができなかった場合は、その受精卵を「破棄」してしまえば良いわけです。食えなかったのに妊娠が継続して出産してしまうと、親子共々飢え死にしてしまうリスクが高いですから。
というように、どのくらいの大きさの子をいつ産むか、というのは、それぞれの動物種の「都合」で決まるものです。決して「進化した動物ほど未熟児で産む」などの単純な方向性があるものではないのです。
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