明後日、日曜の「ゴー宣道場」は「言論の自由と潔癖王国」だが、人々の考え方は分裂しすぎていて、「公平」な考え方が何かも分からなくなっている。
そこまで価値相対化された社会になってしまった。
バラバラでいい、価値相対主義でいい、とも言っておれないのはヘイトスピーチのような現象が起こるのを見れば分かるはずだ。
差別による激烈な罵詈雑言は良くないという「常識」くらいは人々は持ち合わせていて、美醜で言えば、醜だという価値判断が出来る。
だが、特定秘密保護法案や安保法制になると、人々は判断が出来なくなる。
わしは権力が秘密を握り、これを保護する法案と聞いただけで、警戒心を持つ。
「日本一国では国を守れない」と断言する安保法制にも、堕落だと感じて反発する。
ようするに権力を信じてないのである。
権力は監視すべきだと思っているので、マスコミは大いに批判せよと考えている。
その批判の仕方が正しいと思えば、わしはマスコミを応援する。
慰安婦問題のときのように間違っていると思えば、マスコミを徹底的に批判する。
権力に対するわしの警戒感は、自民党が政権を取っても、民進党が政権を取っても、変わらない。
万が一、共産党が政権を取ったら、もっと過敏に警戒するし、恐怖すら感じて批判の手を絶対緩めないだろう。
だが、奇妙な人たちがいる。
安倍自民党なら、この権力に対する警戒感を持たない人たちだ。
自称保守派がその連中で、安倍自民党を批判するマスコミを許せないのだ。そんなものが「保守」か?
「放送法遵守を求める視聴者の会」って、読売・産経に一面広告を出すそのカネはどこから出ているのだ?
「社団法人日本平和学研究所」って何なのだ?
聞いただけでいかがわしいという「偏見」が生まれてしまう。
単に、安倍政権という「権力」の提灯持ちをする運動体だとしか思えない。
小川榮太郎は岸井成格らに公開討論を求めたら逃げたというが、権力の親衛隊のために時間を割くほど暇じゃないということだろう。
ヒマな運動家ほど強い者はいない。
わしが明後日の「ゴー宣道場」でなら公開討論しようと言えば、スケジュールが入っているからと自分だって逃げるじゃないか。
翌週ならと言ったって、そんなに暇じゃないんだよ、わしは!
情熱を賭けて描いてる作品があるし、スタッフ全員を食わせていかねばならないのだ!
権力に迎合して運動するような奴は、初めから認められない。
「個人」で戦え!「個人」の業績を出せ!
安倍晋三のおべっか本なんか、誰が評価するか!
悔しかったら「個人」の仕事の成果を出せ!
右派だろうと、左派だろうと、業績の分からない者は、得体の知れない者であり、「公」のためにやっていると思えない。
権力に媚びを売る「言論の自由」もあっていいが、そんな言論はいらない!
言論人としての「意義」がない!
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