2016年2月15日、はてな匿名ダイアリーから投稿された記事…
「保育園落ちた日本死ね!!!」
この記事が沢山の人の目に触れたことによりメディアで取り上げれられ、国会で議論されるまでに至ったのは皆さんもご存じのことと思います。
また、意見が分かれるかと思いますがこの記事がきっかけで「保育園問題」を日本中で再確認出来る形になり私はよかったと思っています。
しかし、私の中では「この言葉」が今年の流行語大賞にノミネートされてしまうのではないか?という不安と「日本死ね」という言葉を乱用する輩が現れ始めたことに虚しさを感じ始め、この記事を書かせて頂くことに至りました。
「日本死ね」
最近、ネットやブログでこの言葉を使った「日本いじめ」が多く見受けられますが、この言葉はたやすく発言してはいけない言葉だと私は思っています。
日本にも沢山いいところがあるのに、何故「日本死ね」という言葉が簡単に飛び交うようになったのでしょう?
それは、この言葉が注目を集めすぎて流行語になりかかっているからではないでしょうか?
それだけは避けましょう。
2016年、年度末…「今年の流行語大賞は…日本死ね」
…最悪です。
そろそろやめましょうよ?日本いじめは。
もう「日本死ね」という言葉をネットで見かけたくありません。
また、自分が悪いのに「日本死ね」という言葉をくっつけて釣文章を書いている人達…消えてもらえまえんかね?
せっかく興味が沸く文章内容なのに、タイトルでぶち壊してしまっていることに気付いて下さい。
保育園の記事を書いた人は、本当にイラだって冷静さを失っていたからこそ「日本死ね」という言葉を選び勢いのある文章を書いたと思います。
しかしパクリ「日本死ね」の人が書いた文章は心にこないし、考えさせられたりもしません。思いが文章に入り込めていませんので。
「日本死ね」…日本人ならそう思ってしまうことがあるかもしれません。
しかし「日本死ぬな」と思う部分だってあるはずです。
これからネタにしてネットに記事を書く場合は「日本死ぬな」に変更して、読み手が日本で生活していて良かったと思えるような記事を書きませんか?
「日本死ね」を乱用した愚痴記を書くよりも「日本死ぬな」という言葉を使い希望に満ち溢れる文章を書いたほうが気持ちがいいと思います。
ですので、ここで言わせて頂きます。
「日本死ぬな」
私からは以上です。