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■船本勝之助さん(1941年生まれ)

 新緑がまぶしい季節。山王神社(長崎市坂本2丁目)の被爆クスノキは、被爆から71年となる今年も青々とした葉を風にそよがせている。神社の参道には一本柱鳥居が立ち、原爆の威力のすさまじさを今に伝える。

 爆心地の南東800メートルにあるクスノキは爆風と熱線で枯れかけながらも、再び新芽を出し、青々と茂るようになった。その姿からは生命の力強さを感じさせられる。爆風で片方の柱がなくなった「一本柱鳥居」とともに、樹齢数百年の2本の大木は、被爆の象徴として広く知られるようになった。

 宮司の船本勝之助(ふなもとかつのすけ)さん(74)は被爆時、3歳だった。長崎原爆戦災誌には、坂本町は「ほとんどの建物が倒壊、また熱線を受けて着火」と記されている。そんな中、船本さんの家族は地区で唯一、一家全員が生き残ったとされる。「当時のことは何も覚えていない。覚えていなくて幸せだった」と船本さんは話す。戦後、父親から神社を継ぎ、鳥居とクスノキを守ってきた。

 船本さんは、宮司だった父親の長吉(ちょうきち)さんと母ナカさんの長男として生まれた。戦争で長吉さんは軍に召集され千葉に。ナカさんと3人の姉、妹の6人で神社に暮らしていた。

 被爆時は神社の裏手にある防空壕(ごう)にいた。朝に空襲警報があり、解除になったあとも一家は防空壕に残っていた。船本さんが「腹が減った」とぐずり、動けなかったからだという。「もしも防空壕を出ていたら、私も母も生きていなかった。ほんとうに紙一重だった。神様が助けてくれたのかなと思う」