2016-06-02

好きだったら才能があるという大欺瞞

こういうのよく聞く話。で、ここからの流れが「楽しんで描け」強制パターン

創作世界で楽しめない項目もはっきりある自分にとってあの言葉暴力

意図的努力しないと辿りつけない人だっているという心理を押しつぶしてひたすらこちらの苦心惨憺を否定

楽しんで描けないのは才能がないからだという論理の飛躍にも発展しちゃったり。

適職はらくらくこなせるけどつまんないことで、天職はできる上に楽しいことだと思ってる。

実際自分の今の仕事がそう。仕事はつまんないけど全然できない人を見るにつけ向いてるという感触を得ている。

そして楽しいけどいつまでも下手くそものが「下手の横好き」と呼ばれるもの

好きだから巧くなる、はまったく後天的要因であって才能の有無とは関係がない。

ところが絵界隈には楽しければ上達するんだ、と思い込みたい勢力がかならずいる。

例えば明確に画塾でデータを取ったなら、好きだけど下手くそな奴、巧いからこそ飽きちゃう奴が出てくるだろう。

実際のところ受験勉強レベルでそんな事例はよく発生するわけだよ。

歴史好きが必ずしも記憶力に優れているわけではないとか。

で、某所で知り合った小説家さん(ゴーストライターもやってる)人曰く、

楽しいとか関係ない。続けてて苦痛じゃない事が大切」

と言い切っていて、元増田の例示はまさに本来ならそういう捉え方をされるべき話なんだ。

別に楽しくないけど彼女は続けることができている。要するにそれだけだ。

もちろんじわじわと押し寄せる楽しさがあるから知識を収集する側面もあるし、知らない自分が許せないプライドもあるだろう。

だけど努力でもない、楽しんでもないという裏側にあるものは、上記の作家さんのご意見のものだ。

ほーらいった先からこういう臭い人が。

id:u_eichi 好きこそものの上手なれ。努力苦痛であればそれは才能とは言わないのです。

から現実観てないって。そういう人は。適職と天職があるんだよ。馬鹿だな。

http://anond.hatelabo.jp/20160602182034

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