雲仙・普賢岳の大火砕流から25年 慰霊碑に献花
k10010544911_201606031221_201606031222.mp4
43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で25年となりました。大きな被害が出た島原市では、朝から多くの市民が慰霊碑に花を手向けて犠牲者を追悼しています。
平成3年6月3日に起きた雲仙・普賢岳の大火砕流では地元の消防団員や住民、それに報道関係者など43人が犠牲になりました。
大火砕流から25年を迎えた3日、噴火災害で自宅を失った110世帯余りが移り住んだ島原市の仁田団地にある公園では、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の前に献花台が設けられ、朝早くから市民や市の関係者などが献花に訪れています。
このうち、島原市の古川隆三郎市長は白い菊の花を手向けたあと深く一礼して犠牲者を追悼していました。また、災害当時、島原市の市長だった鐘ヶ江管一さんは目をつぶって静かに手を合わせ、亡くなった人たちを悼んでいました。
古川市長は「25年前を思い起こすと改めて自然の脅威を思い出します。尊い犠牲のもとに島原市は復興を成し遂げました。有明海を挟んだ対岸で起きた熊本地震にも思いをはせ、改めて災害の教訓を風化させることなく伝承し、災害に強い街づくりに努めていきたい」と話していました。
大火砕流から25年を迎えた3日、噴火災害で自宅を失った110世帯余りが移り住んだ島原市の仁田団地にある公園では、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の前に献花台が設けられ、朝早くから市民や市の関係者などが献花に訪れています。
このうち、島原市の古川隆三郎市長は白い菊の花を手向けたあと深く一礼して犠牲者を追悼していました。また、災害当時、島原市の市長だった鐘ヶ江管一さんは目をつぶって静かに手を合わせ、亡くなった人たちを悼んでいました。
古川市長は「25年前を思い起こすと改めて自然の脅威を思い出します。尊い犠牲のもとに島原市は復興を成し遂げました。有明海を挟んだ対岸で起きた熊本地震にも思いをはせ、改めて災害の教訓を風化させることなく伝承し、災害に強い街づくりに努めていきたい」と話していました。
追悼式典5年ぶりに開かれる
大きな被害が出た島原市では、5年ぶりに犠牲者の追悼式典が開かれ、遺族も参列して祈りをささげました。
雲仙・普賢岳の大火砕流では地元の消防団員や住民、それに報道関係者など43人が犠牲になりました。3日は、島原市のアリーナで追悼式典が行われ、遺族や当時の関係者などおよそ300人が参列し、はじめに全員で黙とうしました。島原市の古川隆三郎市長は「まだ若く、志し半ばにして犠牲になられた方の無念や、ご遺族の心情を察すると、万感が胸に迫ります」と述べたうえで、熊本地震について「『災害からは必ず復興できる』というメッセージを発し、さらなる支援につなげたい」と決意を示しました。
このあと、参列者が菊の花を手向けて静かに手を合わせ、犠牲者を追悼しました。最後に消防団員だった父を4歳のときに亡くした井上康一さん(29)が遺族を代表してあいさつし「当時はまだ幼く、故人と過ごした日々の記憶は定かではありませんが、あの日見た家族が悲しむ姿はいまでも心に残っています。噴火災害の脅威を子どもの世代に伝え、風化させないよう努めていきたい」と述べました。
雲仙・普賢岳の大火砕流では地元の消防団員や住民、それに報道関係者など43人が犠牲になりました。3日は、島原市のアリーナで追悼式典が行われ、遺族や当時の関係者などおよそ300人が参列し、はじめに全員で黙とうしました。島原市の古川隆三郎市長は「まだ若く、志し半ばにして犠牲になられた方の無念や、ご遺族の心情を察すると、万感が胸に迫ります」と述べたうえで、熊本地震について「『災害からは必ず復興できる』というメッセージを発し、さらなる支援につなげたい」と決意を示しました。
このあと、参列者が菊の花を手向けて静かに手を合わせ、犠牲者を追悼しました。最後に消防団員だった父を4歳のときに亡くした井上康一さん(29)が遺族を代表してあいさつし「当時はまだ幼く、故人と過ごした日々の記憶は定かではありませんが、あの日見た家族が悲しむ姿はいまでも心に残っています。噴火災害の脅威を子どもの世代に伝え、風化させないよう努めていきたい」と述べました。