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文芸メイン、その他もろもろ

大学病院通り②

A医大病院では、娘が3歳から6年生になるまでの間に2回、耳鼻科で手術をし、治療のために毎週1回通っていました。

自転車を二人乗りして連れて行き、いつも2時間近く待たされて、診察と治療は5分ほど。

その後、幼稚園や学校に送っていました。

痛みを伴う治療ではありませんが、小さい子には苦痛のようでした。

ちょっとの間だけ我慢すれば、すぐに終わると言い聞かせ、娘も「頑張る」と言ったものの治療台に座ると激しく抵抗しました。

私は娘の機嫌を取ったりきつく叱ったり、家でひっぱたいたりオヤツ抜きにしたり…

当時は子供の医療費の補助がなく、かさむ治療費も負担でしたし、いつまで続くのか解らない通院に疲れ切っていました。

それでも一生ものの耳ですから、治してあげたくて必死でした。

その頃の私は、ヒステリーの鬼ババアだったと思います。

懐かしいけれど、決して戻りたくはない、親業がしんどかった日々。

 

あれからもう10数年が過ぎているのに、大学病院通りは少しも変わっていませんでした。

喫茶店や中華屋さんやお蕎麦屋さん。時間もお金も余裕がなくてどこも入った事はありません。

外観に年月の経過を感じさせながら、今もそこにありました。

A医大病院も当時のまま…というよりもいっそう老朽化していて、大丈夫かなと何だか心細くなります。

皮膚科医院の女医さんに言われた通り、予約票と昔の診察券と紹介状を初診受付に出しました。

もし紹介状を忘れたら5,000円とられるから、忘れずに持って行くようにと念を押されていました。

 

2013年4月から大学病院やベッド数500床以上の大きな病院では、紹介状なしで受診した場合、特別料金を徴収するように変わりました。

これは、大学病院でなくても治療できる患者をまず町医者が診る事で、大学病院の混雑緩和を図ったもののようです。

 

実際、娘と通っていた頃よりも待ち人数は減っていました。

当時は座る場所さえ足りなくて、高齢の方に譲る事も度々ありましたから。

受付が済んで、皮膚科の待合室で自分のカルテを見ていたら、1993年に皮膚科にかかった記録がありましたが、何も覚えていません。

 

A医大病院のA教授という方は、想像していたのとは全く違って穏やかに話す小柄なお爺ちゃん先生でした。

患部を見るなり、専門用語で何かを側にいた人に伝えました。

A教授の側にはベテランそうな医師と、まだ学生らしき白衣の人が4人ほどいて代わる代わる私の患部を見ていきました。

そして、A教授は私に

「これは血管腫と言って、悪いものではありません。このままにしておいてもいいし、大きくなってきて邪魔ならば取ってもいいし、どちらでもいいのです。」

と言いました。

「血管腫」というのは、最初の皮膚科医院の女医さんも同じ見立てでした。

 

私は、美容院でコームが当たるのが嫌なので取ることにしました。取ってしまえば大きくなったり悪性化する不安もなくなるからです。

手術日の予約を取り、説明を受けました。

手術は日帰りで、局所麻酔でするそうです。

時間は1,2時間で翌日に手術創を診察し、一週間後に抜糸、その後、切除したものの生検結果を聞くというスケジュールです。


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診察を終えて、ほっとしました。

と言っても、手術はまだこれからですが…。

 

以前に来た時は、診察が終わってからも会計で大分待たされたものですが、今はATMのような機械を使いセルフで支払いするシステムに変わっていました。

初めて操作するので少し戸惑いましたが、便利になったものですね。

 

 

大学病院通りの端の方には、小さなおにぎり屋さんがあるのです。

まだやっているのか気になって、見に行きました。

ここのおにぎりが美味しくて、病院帰りに買って公園で食べていたのです。

私や娘だけでなく、小児喘息で入退院を繰り返していた娘の同級生もママ友も、このおにぎりのファンでした。

行ってみたら当時と変わらない店先に、おにぎりが並んでいました。

 

「病院に来るのは憂鬱だけど、またここのが食べられるのは嬉しいな。10数年振りに来ました。」

そう言うと

「じゃあ、親父の代の頃だね。ありがとうございます。

うちはA医大病院で産まれた子が、自分の子供を連れて買いに来てくれるんですよ。」

と、言いました。

 

家に帰って、お昼にこのおにぎりを食べました。

夜に帰宅した娘がそれを知り

「ずるい!」と怒っていました。

 

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