SF映画などの題材になってきたVR(バーチャル・リアリティー、仮想現実)を実際に体験できる時代が訪れた。ゴーグル型の「ヘッドマウントディスプレー」を身につけ、コンピュータグラフィックスに描かれた異空間に入り込み、実際にはあり得ないことを疑似体験できるものだ。ゲームや映像作品だけでなく、ビジネス、教材にも活用されていきそうだ。米フェイスブック傘下のオキュラス、台湾HTC、ソニーなどによる高機能端末が出そろう今年は「VR元年」と期待されている。いくつかのコンテンツを体験して感じたVRの可能性を振り返った。
唐突だが、宮本武蔵にこういう逸話がある。兵法の極意を尋ねられた武蔵が、「畳のへりを踏み外さず歩けるか」と逆に聞いたという。「簡単だ」とやって見せると、今度は、落ちたら確実に死ぬような上空にへりがあった場合、同じように歩けるか、と尋ねた。それを可能にするのが極意だというのだ。普通なら絶対にできない上空での歩行を思いもよらず、VRで疑似体験する機会を得た。結論を先に言えば、少なくとも平然と歩くことはできない、と断言したい。
バンダイナムコエンターテインメントが4月、東京・お台場の商業施設「ダイバーシティ東京プラザ」内に開設した「VR ZONE Project i Can」。その中のコンテンツの一つ、「高所恐怖SHOW」の話だ。
これは地上200メートルのビルの屋上に上がり、飛び出している細い板の先に取り残されたネコを救出するというもので、コントローラーなどは使わず、体を動かして体験する。実際には床の上に長さ3メートルの細い板があり、その端にぬいぐるみが置かれているだけ。HTC製のヘッドマウントディスプレーを身につける。手袋と命綱も装着するが、実際には落ちようがないのだから怖いはずがない、と考えたのは浅はかだった。
仮想現実の中でエレベーターに乗り込む。どんどん上に上がり、扉が開いたときの“絶望感”は忘れられない。そこにいたのは紛れもなく、ビルの屋上で風に吹かれている自分だった。
足がすくむ。とにかく姿勢を低く、歩幅はこれ以上ない位に小さく、少しずつ前に進んだ。腕を伸ばしてネコ(仮想現実の中では生きている)をつかむとそのまましゃがみこんで、四つん這いのまま後ずさる。戻ってきたときの安堵(あんど)感も圧倒的だった。「こんな場所にいるはずがない」という認識が、視覚などからの情報で簡単に打ち消されたことに、VRの威力を感じた。後世の創作かもしれない武蔵の逸話だが、そのすごみを思い知らされた。
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