この論文は、ヘンリー・スティムソン元陸軍長官の名前によって執筆されたが、実際は、ベトナム戦争の政策立案者のマクジョージ・バンディと原爆建造に関わった科学者のジェームズ・コナントが草稿を用意した。コナントは、冷戦開始時に発表された論文の目的について、「未来に向かって多くを準備する前に、過去を整理する必要がある」と述べている。
スティムソンの論文は、ジャーナリストのジョン・ハーシーが執筆した広島で被爆した人々の惨状を描いた記事に対する回答だった。この記事は1946年にニューヨーカー誌に初掲載され、後に出版された。
戦時中の検閲のため、米国人は原爆戦争がもたらした地上の真実をほとんど知らずにいた。この記事が人々に与えた衝撃は、米政府が公式な回答をせざるを得なくなるほど大きいものだった。自らを良識ある人々とみなすアメリカ人の一般感覚は、米国の名の下で行われた過去と折り合いをつける必要があった。スティムソンの論文は文字通り、広島の神話誕生の瞬間だった。
原爆投下には道徳上の問題はなく、それゆえに考察も自己反省もいらないとの国家的な信仰は、今日まで繰り返されているものである。「そして、長崎も」と、長崎への原爆投下を歴史的な補足として軽率に扱う方法もそのことを痛感させる。
新たな「パールハーバー」とも称される、9・11の米同時多発攻撃によって、たとえ破壊的で不完全であっても、殺害によって人々の命を守るという道徳的要請に応じた一連の不道徳的な行為が始まった。
米国が下した戦争や拷問、容疑者の他国への引き渡し、さらには無期限拘留などの決定は、性善な者が性悪な者と向き合う上で、不快だが必要な行動だと、多くの人々に受け止められている。広島は「自分たちがやるなら、正しい」という圧倒的な国家的概念を始動させた。
こうしたことを踏まえれば、広島での破壊や、イラクのアブグレイブ刑務所内で起きた「衝撃と畏怖」の恐怖から距離を置くことは、単に程度の差である。こうした神話は、たとえわずかな数でも民間人が痛ましく斬首されたことを受けて、世界で最も強力な国が被害国として、戦争に突入することを可能にした。
一方で、ドローンが結婚式に参加していた子供たちを殺害しても、それは不運ではあるが、国際的なテロリズムを打ち負かすという目的達成のための単なる巻き添え被害だとみなされている。それは、単に誰がナイフを持っていたかによって暴力行為を分析し、一部に対し道徳的な正当性を認める気味の悪い計算である。
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