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やしお このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-08-31 Sat

「なんであんな馬鹿なことしたんだろ」と不思議に思うふしぎ

 ピザ生地顔に押し付けたり冷蔵庫入ったりする話に対する↓のブクマコメント見て、あ、そうそうと思った。

自らの蛮行を進んで衆目に晒す行為を「失敗」と呼ぶ事に違和感。不注意や偶発的トラブルならともかく、駄目な事だと自覚しつつも、敢えてそれを実行し自慢する輩は、いわゆる確信犯であって「失敗」では無いと思う。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Yashio/20130830/1377868594


 「駄目な事」というか馬鹿なことって二重にあって、一つが「ふつう人がやらないような馬鹿なこと」。ウケを狙ってやったりするあれ。もう一つが「他人に害を与えるような馬鹿なこと」。

 例えばデイリーポータルの人とかは「大人」だから、前者を満たしつつ後者に抵触しない「馬鹿なこと」をちゃんと選んでる。逆に暴走族とか学校の窓ガラス割る不良とかは前者を満たし、かつ後者にも抵触するようにあえてやってる(ブコメで指摘されてるようなタイプ)。でもあのバイトたちが「自覚」してたのは前者だけなんじゃないかなと思ってる。

 彼らは反倫理的な行為自体が目的だったわけじゃないんじゃないか。別に社会秩序を乱すために活動する政治犯じゃないしね。でも結果的に反倫理的だったことを後から知って、びっくりしたりダメージを受けたりするのなら、それを「失敗」と呼べるんじゃないかと思ってるよ。

 この2つの「馬鹿なこと」を混同しちゃうと「あいつらは悪いことを悪いと思ってやってる!」という理解しかなくなっちゃう。


 あともう一つ混同しやすいポイントがある気がする。

 「他人に害を与えるような馬鹿なこと」を判別する能力があることと、そもそも判別しようとするかどうかという違い。考えれば簡単にわかることでも、そもそも「考える」という前提を欠いているとどうしようもない。

 子供のとき親に「○○だからしちゃダメでしょ」と怒られて「あ、そう言われればそうか」とびっくりする。そして後になると「どうしてあんなことしちゃったんだろう」と不思議に思うことってよくあった。不思議に思うのは、「考えれば簡単にわかること」と「そもそも考えるという前提を欠いていたこと」とを混同させていたからだ。「簡単にわかることだから、わかってて当たり前なのに」と思って「??」ってなる。

 はてな匿名ダイアリーで家族や同僚への愚痴を書いて、ブクマとかで「お前は一方的に書いてるだけだ!」とぶっ叩かれて、書き手が追記で「そんなことわかってるし」とか書いちゃうのもそんな混同からくるのかもしれない。


 怒られたり炎上したり賠償請求されたりして、「ある視点を持ち得なかったこと」で痛い目みて反省、少しずつ多面的な視点を獲得してくのは一般的な成長だ。ただ、視点を獲得した後、その視点を持っていなかった過去を忘れてしまうと「なんであんな馬鹿なことしたんだろ」とよくわからなくなってしまう。特にそれが簡単なことであればあるほど、その視点を持ち得なかったことが信じがたいからね。そして「悪いことだとわかっててやってしまいました」なんて錯誤を言ったりする。そして本人がそう言ってしまうと、周りもそれを信じて「あいつらは悪いことを悪いと思ってやってる!」という理解になる。


 「馬鹿なこと」についての混同と「視点を持ったこと」についての忘却によっても、そうした理解は引き出され得るんじゃないか、ってことをあのブコメ見てちょっと思った。みんな(ぼくも)赤の他人が外側からみて「ああかな?」「こうかな?」って言ってる以上どっちが本当かなんてわかんない。わかんない以上、可能性は広げて見ておいたほうがいいんじゃないか。

 そうした内部が外側から決定不能な以上(本人にとってすら困難であり得る以上)、行為による結果に対して責任は負えばいいんじゃない。



【おまけ】ムージルの小説『寄宿生テルレスの混乱』に出てくるこんな比喩を思い出してた。

あの女たちは、夫の食事のたびに毒を盛っておきながら、思いもよらぬ厳しい言葉を検事から聞かされて驚き、自分の死刑判決にギョッとするのだ

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