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    第四章 御本尊の相貌を明かす
本文
 されば首題(しゅだい)の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化(ほんげ)の四菩薩肩を並べ、普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)等、舎利弗(しゃりほつ)・目連(もくれん)等坐を屈(くつ)し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅(あしゅら)、其(そ)の外(ほか)不動・愛染(あいぜん)は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多(だった)・愚癡(ぐち)の竜女(りゅうにょ)一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼(あっき)たる鬼子母神(きしもじん)・十羅刹女(らせつにょ)等、加之(しかのみならず)、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、総じて大小の神祇(じんぎ)等体(たい)の神つらなる、其の余(よ)の用(ゆう)の神豈(あに)もるべきや。宝塔品に云く「諸(もろもろ)の大衆(だいしゅ)を接して皆(みな)虚空に在(あ)り」云云。此等(これら)の仏・菩薩・大聖(だいしょう)等、総じて序品列坐の二界・八番の雑衆(ざつしゅ)等、一人ももれず、此(こ)の御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明(こうみょう)にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる。是(これ)を本尊とは申すなり。

通解
 したがって、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めている。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢(ふげん)、文殊(もんじゅ)等、舎利弗、目連等が座を屈している。更に日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多(だいばだった)や愚癡(ぐち)の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、すべての大小の神祇等、本体の神が皆この御本尊の中に列座しているのである。それ故、そのほかの用の神がどうして、もれるはずがあろうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在(あ)り」とある。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来ありのままの尊形となっている。これを本尊というのである。

語訳
四大天王: 四天ともいう。帝釈の外将で、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰に住すとされる。おのおの四天下の一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞(毘沙門)天である。これら四天も、陀羅尼品において、法華経の行者、国土を守護することを誓っており、御本尊の四隅にしたためられているのは、妙法と妙法受持の人並びに妙法流布の国土を四天王が守護するという姿をあらわしている。

不動: 不動明王のこと。五大明王の一つ。大日如来が魔を降伏するために化現したものともいう。怒の相を示し、一切の煩悩の生を断ち切り不生不滅の彼岸に更生させる使命を表わしている。法華経の行者を守護する諸天善神として御本尊の右に梵字でしたためられている。法華経説法では仏は東を向くとされ、右は南にあたる。

愛染(あいぜん): 愛染明王のこと。梵語で囉誐羅闍(らがらじゃ)といい、愛貪染著の意。大愛大貪染をもって、世間の小癡愛小染著から生ずる惑障を治めて、絶対の大愛大貪染の法門に悟入させる明王。すなわち煩悩即菩提、生死即涅槃をあらわしている。御本尊の左端に梵字で認(したた)められている。したがって北にあたる。

講義
 御本尊の相貌を述べられた段である。
 南無妙法蓮華経の首題(題目)が中央にしたためられ、四隅には持国・増長・毘沙門・広目の四天王が配置され、この中に釈迦・多宝から提婆・鬼子母神・十羅刹にいたる十界の衆生が列座している。
 これは法華経の虚空会の儀式の姿そのままであり、日蓮大聖人のご生命そのものでもある。それは、法華経自体、釈尊の生命を示したものであり、総じて、全ての人の生命の実相でもある。
 しかしながら、妙法を信じ行じていない人においては、中央の南無妙法蓮華経は冥伏しており、それにしたがって、この「妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる」べき十界の生命-特に仏・菩薩など-も、あらわれない。あたかも電灯はあるが、消えて真っ暗の場合、室内にある物は、その姿をあらわさないで闇の中にとけこんでいるようなものである。
 電灯に電流が通じて、球が点ることにより室内は光に照らされ、個々の物が、はっきりとその姿をあらわすのである。この電灯にあたるのが、中央の首題であり、電灯に電流を通じるのが、信心口唱といってよいであろう。
 それによって、生命の内に具わっている仏界、菩薩界等の働きが顕現し躍動を始める。また、もともと「三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼」である鬼子母神などの生命も、ちょうど法華経においては妙法受持者を護る諸天となっているように、私達の幸せを守る働きになるのである。これは、人間みな持っている破壊的衝動や欲望が、その人の幸せを増進し、生命を護り、ひいては文化を育てていく働きになるのと同じである。
 その人の生命の中に、妙法への信が確立されることによって、これらの全ての生命の働きが、調和を保ちつつ、創造と発展への営みを織りなしていくのである。それが、私達の生命に約した場合の「本有の尊形となる」ということである。

 宝塔品に云く「諸(もろもろ)の大衆(だいしゅ)を接して皆(みな)虚空に在(あ)り」云々

 この文は、宝塔品で釈尊が虚空にある多宝の塔の中に入り、多宝仏と並座したとき、大衆が「私達も、倶に虚空にいさせてください」と願った。そこで、釈尊が神通力をもって、大衆を皆、虚空においた、というところである。
 大衆が虚空に在(お)かれたということは、釈迦・多宝と同じ状態になったことであり、それは同じ餓鬼界の鬼子母神、畜生界の竜女、地獄界の提婆であっても、根本的に異なる。妙法の光に照らされて、本有の尊形となったことを意味するのである。
 三悪道の生命ならば、醜悪であるのが本有であるように思いがちであるが、そうではない。三悪道、四悪趣の生命も、たとえば餓鬼(欲望)は、本来は、生命を維持するための不可欠の働きであり、善なるものである。ただ、それが、自己の生命のために他を願みなくなり、ひいては欲望の充足がもたらす快感のために、他の犠牲をも平気で強いるようになると、自己の存在の尊厳性自体を損うにいたる。
 その意味では、醜悪なのは〝本有〟ではなく、歪められたものであり、妙法に照らされて〝本有〟のものとなったとき、それ自体、尊形をもっていることが明らかとなるのである。
       日女御前御返事(御本尊相貌抄)

       第三章 御本尊図顕の人を明かす
本文
 爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等、天台・妙楽等だにも顕(あらわ)し給はざる大曼荼羅(まんだら)を、末法二百余年の比(ころ)、はじめて法華弘通(ぐずう)のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり。是(これ)全(まった)く日蓮が自作にあらず、多宝塔中(たっちゅう)の大牟尼(むに)世尊・分身(ふんじん)の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。

通解
 ここに、日蓮はどういう不思議であろうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえ、顕わすことのなかった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではない。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺(す)るように摺りあらわした御本尊なのである。

語訳
大曼荼羅(まんだら)
 曼荼羅とは梵語。道場、壇、功徳聚、輪円具足と訳す。一般に信仰の対境として諸仏を総集して図顕される。

すりかたぎ(摺形木)
 すりかたぎとは版木として摺りあげたもの。版木で刷ったものは版木の通りに摺りだされ、すこしも異なることはない。

講義
 正法時代の竜樹・天親も、像法時代の天台・妙楽等さえも顕わさなかった御本尊を、日蓮大聖人が、はじめて顕わされたことを述べられている。
「爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん」の一文には、右に挙げた仏法史上の大論師、偉大な先覚者でさえも顕わすことのできなかったこの御本尊を顕わすなどということは、並みたいていのことではない、との意が含まれている。
 すなわち、それほど、この御本尊を顕わすということは、仏法上の偉大な意義を含んでいるのである。それ故にこそ、日蓮大聖人は、御本尊の建立をもって「出世の本懐」とされるのであり、なかんずく、その一切の眼目は、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊御図顕にあることを知らなければならない。
 もとより「いかなる不思議にてや」というのは、大聖人御自身にとっての「不思議」ではない。大聖人を竜樹や天台などよりもはるかに低い凡夫僧と考える第三者の眼からみての「不思議」である。日蓮大聖人が久遠元初の自受用身如来であり、末法に大白法を建立し流布するために出現された御本仏であることを知ってはじめて、この「不思議」は解けるのである。
 また、この大曼荼羅すなわち御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法の要(かなめ)であることは「法華弘通のはたじるしとして」との御文からも明瞭であろう。〝はたじるし〟とは、広くいえば、何かを目指す集団が、外には自己の存在を示し、内には成員の士気を鼓舞するために掲げるものである。
 したがって、例えば、その集団の中心者が倒れても、誰かがその旗印を掲げて進んでいく限り、戦いは続けられる。旗印は、集団の生命というべきもの、集団の理念といったものをあらわす、最も大事な要になっているのである。この故に「法華弘通のはたじるし」と大聖人が仰せられるのは、この御本尊が大聖人の仏法における最も大切な要であることを意味するのである。

 是(これ)全(まった)く日蓮が自作にあらず、多宝塔中(たっちゅう)の大牟尼(むに)世尊・分身(ふんじん)の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり

 既に述べられているように、この御本尊は、法華経においても顕われている久遠の妙法そのものに他ならない。したがって、大聖人が勝手に作り出したものではなく、法華経のなかで、釈迦並びに一切の分身の諸仏が顕わしたままの、寸分も違いのない御本尊であると仰せられるのである。
 実体として顕わしたのは大聖人が最初であるが、顕わされたもの自体は、勝手に作られたものでなく、久遠以来、常住のものである。矛盾するようであるが、これは、たとえていえば、科学において、もともとある真理を発見し、これを明らかにするのと似ている。
 引力というものは、ニュートンがその法則性を明らかにする以前から、もともとあったのであって、ニュートンが作り出したものではない。しかし、だからといって、ニュートンの万有引力の法則の発見という業績が意義を失うわけでは決してないのである。
 むしろ、本来、普通のものとしてあることの故に、それを明らかにしたことは、全ての人に関係のある重要な意義をもつのではあるまいか。日蓮大聖人の御本尊の図顕は、全ての人間生命の幸福と尊厳性に直接かかわる、最も重大な意義をもっていたのである。
       日女御前御返事(御本尊相貌抄)

    第二章 正像末曾有の御本尊なることを明かす
本文
 抑(そもそも)此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間(あいだ)にも涌出(ゆじゅつ)品より属累(ぞくるい)品まで八品に顕(あらわ)れ給うなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何(いか)に況(いわん)や顕れ給はんをや。又顕すべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑒(かんが)み給へども、故こそあるらめ、言(ことば)には出(いだ)し給はず。彼の顔淵(がんえん)が聞きし事(こと)、意(こころ)にはさとるといへども言に顕していはざるが如し。然(しか)るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由(よし)、経文赫赫(かくかく)たり、明明たり。天台・妙楽等の解釈(げしゃく)分明(ふんみょう)なり。

通解
 そもそも、この御本尊は、釈尊五十年の説法のうち、最後の八年、その八年にわたって説かれた法華経二十八品のうちでも涌出品(ゆじゅつぽん)第十五から属累(ぞくるい)品第二十二に至る八品の間に顕われたのである。
 さて、釈迦滅後においては、正法、像法、末法の三時の中でも、正像二千年間には、いまだ本門の本尊という名前さえなかった。まして、その御本尊が顕われるはずもなく、また顕わすことのできる人もなかった。
 像法時代の天台、妙楽、伝教等は、自身の内心には悟っていたけれども、理由があったのであろう、言葉に出しては説かなかったのである。あたかも、顔回(がんかい)が、師の孔子から学んだことを、心の中では悟っていたけれども、言葉に出していわなかったのと同じである。
 しかしながら、釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年に、この御本尊が出現されるであろうことは、経文に、ありありと明らかに説かれている。また、天台や妙楽等の解釈にも明らかに記されている。

語訳
八品に顕(あらわ)れ給う
 八品とは、法華経本門十四品のうち、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二に至るまでの八品。涌出品には滅後の弘通を付嘱すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付嘱する本尊(法体)を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かす。随喜功徳品にはこの法を聞いて五十展転する功徳を明らかにし、法師功徳品にはこの法の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付嘱する。そして嘱累品においては、総じて迹化の菩薩等も含めて付嘱がなされる。寿量品で説き顕わされた本尊の付嘱は八品にわたり、余品にわたらないゆえ、「但八品に限る」(二四八㌻)といわれたのである。

本門の本尊
 本尊とは根本尊敬の意で、根本とする哲理、教説を凝集した実体である。本門の本尊とは、法華経の本門の哲理を凝集し実体化したものということになる。

内には鑒(かんが)み給へども……
 内鑒冷然(ないがんれいねん)と同意。心の中では十分に知っているが、口に出さないこと。天台、妙楽、伝教等いずれも①自分自身堪えられない②所被の機根がない③仏より譲られない④時が来ない等の理由で三大秘法を説き顕わさなかった。

顔淵(がんえん)
(前五一四年-前四八三年)。中国春秋時代の儒家。孔子の高弟。魯(山東省曲阜県)の人で名は回、字(あざな)は子淵。孔子より三十歳も若かったが、師より先に死んで「ああ天われを滅ぼせり」と孔子を痛嘆させた。学徳ともに高く、孔子も「彼これ真に学問を好む者だ」とほめたたえた。彼の学風は、師の内省的求道の面を受け継いだもので、己れに克ち礼に復(かえ)り、怒を遷(うつ)さず、過をふたたびするなかれという師の教えを忠実に守った。後に孔子と共に祭られ、また唐代には亜聖、兗公(えんこう)の号を、元代には兗国復聖公の号を贈られた。

講義
 日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、法華経に説かれて以後、正法像法二千年間に、誰びとによっても顕わされなかった極説中の極説であることを、まず述べられている。このなかには、二つの面が含まれている。一つはこの御本尊は法華経の涌出品から嘱累品にいたる八品に厳然とあらわれているということであり、一つは、仏滅後二千余年間、誰びとも顕わさなかったということである。
 法華経にあらわれているということは、本抄の中に「是(これ)全く日蓮が自作にあらず」といわれているように、大聖人が勝手に作ったものではないということである。この御本尊は、久遠元初の妙法を実体化したものであり、この久遠の妙法は常住であるから、それを実体化すればまさに御本尊のようにならねばならないことは、およそ仏法の極理に達した人ならば、明瞭にわかっていたのであろう。
 というよりむしろ、釈尊は、仏として覚ったこの久遠の妙法を示すために法華経を説いた。そして、一切衆生に、法華経を通して久遠の妙法を覚らせ、自分と同じく仏にさせようと期したのである。したがって、この法華経には久遠の妙法すなわち御本尊があらわれているのは、当然なのである。
 それと同時に、正像二千年間の、法華経の正師としてこの極理を体得していた天台、妙楽、伝教等が、同じくこの久遠の妙法即御本尊を知っていたのも、また当然といわなければならない。ただ、この御本尊が顕われるべき時は末法であるから、釈尊自身、その実体化をしなかったように、天台、妙楽、伝教等も、心の中では知っていたけれども、それを明確に言葉に出したり、まして実体として顕わすことはせず、ただ、末法の始めに偉大な法が出現すると予告するにとどめたのである。
抑(そもそも)此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間(あいだ)にも涌出(ゆじゅつ)品より属累(ぞくるい)品まで八品に顕(あらわ)れ給うなり

 この御本尊は、釈尊五十年の説法の中では八年間の法華経、その法華経の中でも、涌出品から嘱累品までの八品に顕われているとの仰せである。
 古来、日蓮大聖人の正意がわからない人々は、このような御文から、あたかも八品が大聖人建立の本尊を示していると考え「八品所顕の本尊」などと言ってきた例がある。だがこれは誤りである。本尊を顕わした品は、あくまで寿量品であって、御本尊は、寿量品の文底に秘沈されたものなのである。
 では、なぜ涌出品から嘱累品の八品に顕われているといわれるのか。涌出品では、末法弘通の付嘱を受けるために、本化の菩薩が大地から湧出し、寿量品等の説法のあと、神力品で付嘱の儀式があり、嘱累品で姿を消す。
 久遠の妙法は、釈尊が久遠五百塵点劫の昔に成道したことを明かした寿量品のみが、その釈尊成道の本因として顕わしているものといわなければならない。
 しかしながら、ひるがえって考えてみると、釈尊が末法弘通のために本化地涌の菩薩に付嘱しようとしたものは、実はこの久遠の妙法即ち御本尊である。したがって、本化の菩薩が出現した涌出品から嘱累品までの間は、久遠の妙法即御本尊付嘱の儀式であり、この立場から「八品に顕れ給うなり」といわれたのである。
天台・妙楽・伝教等は内には鑒(かんが)み給へども、故こそあるらめ、言(ことば)には出(いだ)し給はず
 天台・妙楽・伝教等は、仏法を究め、特に法華経の真髄を把握した人々である。法華経に釈尊が秘めた久遠の妙法についても当然知っていたのであろうし、それが末法に出現する御本尊であることも、覚知していた。
 だが、それは、あくまで自分の心の内におさめて、どのようなものであるかを言葉に出して言うことはなかった。では、なぜ、知りながら言わなかったか。なんらかの理由があったはずである。この理由については、大聖人は、ここでは「故こそあるらめ」と、遠回しにほのめかしておられるだけである。
 この理由をまとめて挙げられているのが、曾谷入道等許御書の(一〇二八㌻)の「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」の文である。しかしながら、それは、ここでの主題ではないので、ただ、御文を示すにとどめる。
 ここで大事なことは、日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、普遍的な仏法の真理であって、大聖人の勝手に作ったものではないということである。ただ、それを顕わす資格を持っているのは、末法に出現する御本仏、日蓮大聖人のみであるので、天台、伝教等の人々は、その実体を知っていたけれども、自分で顕わすこともしなければ、明らさまに口に言うこともせず、単に末法の始めに大法が出現し広宣流布するであろうといって、暗示するにとどめたのである。

 然(しか)るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由(よし)、経文赫赫(かくかく)たり、明明たり。天台・妙楽等の解釈(げしゃく)分明(ふんみょう)なり 
 
 久遠の妙法たる偉大な仏法が末法の始めに出現するであろうことを予言した経文、ならびに天台・妙楽等の言葉を挙げると、次のような例がある。これは、大聖人が御書の中でも、しばしば引用されているものである。
 法華経薬王品に「我が滅度の後(のち)、後(のち)の五百歳の中(うち)、閻浮提(えんぶだい)に広宣流布(こうせんるふ)して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉(やしゃ)・鳩槃荼(くはんだ)等に其(そ)の便(たより)を得しむること無かれ 」と。
 これは大法が末法の始めに出現することをあらわした文である。
 天台の言葉として有名なのは、顕仏未来記にも引かれている「後の五百歳遠く妙道(みょうどう)に沾(うる)おわん」であり、同じく伝教の言葉としては「正像稍(やや)過ぎ已(おわ)つて末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」がある。
       日女御前御返事(御本尊相貌抄)

       第一章 御供養への謝意を述べる
本文
 御本尊供養の御為(おんため)に鵞目(がもく)五貫・白米一駄(だ)・菓子其(そ)の数送り給び候い畢(おわ)んぬ。

通解
 御本尊への供養のために、お金を五貫文、白米を一駄、それに菓子若干をお送り下さいまして、確かに受け取りました。

語訳
鵞目(がもく)五貫
 鎌倉時代には通貨のことを鵞目、鳥目(ちょうもく)、青鳧(せいふ)と呼んでいた。一貫文は銭千枚、千銭のことで、当時の記録によれば、銭一貫文で米一石(十斗)買えた。

白米一駄(だ)
 一駄とは二俵という事。当時の庶民達が常食にしたのは、五穀の中の麦以下の穀物で、めったに白米を口にする事はなかった。

菓子
 古来、日本では「菓子」とは「くだもの」「果実」の総称であったので、この場合も、くだものであったと考えられる。

講義
 御本尊への御供養の謝意が述べられている、「鵞目五貫」「白米一駄」という御供養の品々から、日女御前の生活が、かなり裕福なものであったことが推察される。それにしても、真心をこめた、最高の御供養であったであろう。

(一)日女御前について

 日女御前は、下総の平賀忠治の女(娘)で池上右衛門大夫宗仲の室(妻)である(祖書証議論)とも、窪の持妙尼すなわち、松野殿後家尼の女(娘)である(境妙庵目録)ともいわれ、いずれが正しいかは明らかでない。ただ、日蓮大聖人から日女御前に与えられた二編の御書(建治三年八月、五十六歳と、弘安元年六月、五十七歳。いずれも身延より)の内容から推察すると、ある程度年配でかなり地位もあり、裕福な女性であったと思われる。おそらく、学識も深く、教養もあり、しかも、信心強盛な女性であったであろう。
 建治三年(一二七七年)の御書は、その内容は御本尊について、経釈を引用して説かれ、所詮、自己の胸中の肉団に御本尊があること、およびその根本として仏法の信の深義が展開されている。
 また、弘安元年(一二七八年)の御書には、日女御前が二十八品を品品ごとに供養したことから、嘱累品以下勧発品にいたる品々の大意を説かれている。このことからも、行学において真剣な求道者であったと思われる。

(二)時代的背景

 二通ともに、内容的には、その時代背景とあまり関係はないが、日女御前の人柄や信心の厚さを考えるうえでの参考にもなるかと思われるので、一応慨観しておきたい。
 この手紙を書かれた建治三年(一二七七年)といえば、国内的には、蒙古の第二の襲来に備えて騒然としていたころである。すなわち、三年前の文永十一年(一二七四年)秋に第一回襲来、文永の役があり、これは大風が吹いて辛うじてしりぞけられたものの、翌年には再び使者が到来した。
 執権北条時宗は、蒙古の使者を斬って、断固対決する姿勢を示し、第二次の襲来に備えて総力をあげて準備を始めたのである。したがって、民衆の肩には経済的な負担もかかったであろうし、なにより蒙古軍の強大さを知った後の、再来に対する恐怖感は言い知れぬものがあったにちがいない。
 こうしたなか、日蓮大聖人は、文永十一年の五月に、身延に入山されている。それは「三度諌めて用いずんば国を去るべし」の故事にならったといわれるように、現実社会での弘教(ぐきょう)からは身を引かれた形である。そして、現実社会の弘教については、日興上人をはじめとする弟子達に託し、ご自身は、令法久住のため、新しい弟子の育成と、法門の体系化に力を注がれるのである。
 こうした内外の大きな激変と相応ずるかのように、四条金吾や池上兄弟なども、信心の上で大難に直面している。恐らくは、その他の弟子檀那の身にも種々の難があったと推測される。
 そのような状況のなかでの日女御前の多額の御供養、そして大聖人の、仏法の極理である御本尊についての深い指導を考えるとき、日女御前の清水のように澄み切った、しかもたんたんと流れるがごとき信心がうかがわれるのである。
 

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Author:墨田ツリー

 
 
 

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