2016-06-01
■2016年 5月に見たインド映画

思うところあって、日本語字幕付きソフトがリリースされているインド映画を集中的に観ていたら結構な本数になったのでインド映画だけでエントリを別けた。『Dilwale』以外は全て字幕付き。TSUTAYA(新宿店の)レンタルか、アマのマケプレ購入。久々にビデオデッキ大稼動。巻き戻すとか忘れてた。シリアル・ママに殺される!
『紙の花』
1959年のヒンディー語映画。グルダット監督・主演。自伝的な内容であり、結果として遺作となった作品。ボンベイの映画スタジオを舞台に、映画業界で監督として大成した男が、雨やどりで出会った薬売りの娘を自作の主演女優に起用したことで、妻との関係が決定的に決裂してしまい、娘をも巻き込み取り返しのつかない事態へ発展する。実際にグルダット本人も女優に恋をして手ひどくフラレて、本作を作った後に自殺、というナルシストらしい最期を迎えている。日本ではハスミンが褒めたことで一部シネフィル御用達な作品に見られがちだがミュージカル・ナンバーもある、れっきとしたボリウッド作品。身もだえ必須の悲恋ロマンス映画。
『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』
シャー・ルク・カーンとカジョールのゴールデン・ペア1995年のヒンディー語映画。ロンドンでコンビニ経営する厳格なお父さん(『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のモラ・ラム)の娘シムランが、大学卒業記念の旅行先で奔放な青年ラージに反目しつつも惹かれていく。しかし、彼女にはお父さんが決めた結婚相手がいたのであった…… という王道ストロング・スタイルの横綱相撲的メロドラマ。「始めは反目しあう2人が恋におちる」→インターミッション→「様々な困難を2人の愛で乗り越えていく」という構成が鉄板過ぎる。インドでは公開からロングランヒットを今もなお続けて、ついに1000週、約20年を突破した劇場があるそうな。もう宗教だね。
『Dilwale』
SRKとカジョールの「DDLJ」ペア共演の、今年インドで公開されたヒンディー語映画新作。というか、この新作を見るために『DDLJ』を改めて観たのであった…… 対立していたギャング団の子供同士が恋に落ちるも、抗争でそれぞれの父親を失い、恋すれど反目しあう。というこれもまた大横綱な王道相撲。若い観客動員のテコ入れなのか、初々しい若者も投入されてはいるがSRK×カジョールのペアが美しくまぶしすぎて、若者たちは完全にコミック・リリーフと化している。
『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』
『マイ・ネーム・イズ・ハーン』『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え! No.1!!』など、日本で公開される率が高いカラン・ジョーハル監督の2001年のヒンディー語映画。これもSRKとカージョル共演。3時間半(210分)の大作。SRKとカジョールのゴールデン・ペアに加えアミターブ・バッチャン、リティク・ローシャン、ラーニー・ムケルジー、カリーナ・カプールとオールスター総出演。話は「引き裂かれる恋人」というザ★メロドラマ展開。アミターブが怒ってカミナリを落とすと、文字通り雷鳴が轟くというそのまんま演出も素晴らしい。
『たとえ明日が来なくても』
2003年のヒンディー語映画。諍いの絶えない家族のお向かいさんにやって来た天衣無縫な青年(にしては仕上がった感の強い男:SRK)アマン。なんやかんやと家に入り込んで家族のわだかまりをほぐしていくのだが、アマンには秘密があったのだった…… という『ビバリーヒルズ・バム』やハル・アシュビーの『チャンス』などの「どっかから来た人が、影響を与えて去って行く」系の話。しかし、去り方が泣かす。泣かし加減で言えば、目にタバスコを流し込むか、この映画見るか、というくらい泣かす。SRKは酷い目に会えば会うほど輝くマゾヒスト・ヒーロー。
『ミモラ~心のままに』
『ラームとリーラ 銃弾の饗宴』『バジラーオ・マスターニ』のサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督1999年のヒンディー語映画。『ロボット』のアイシュワリヤ・ラーイと『ダバング 大胆不敵』のサルマーン・カーン共演。イタリアから来た音楽家サミルとインド音楽大家の娘ナンディニのメロドラマ。恋心と愛の違いをつまびらかに描いているんだが、何よりもアイシュの情報量の多い表情と仕草にクギづけ。信じられないほど複雑な心境を、言葉よりも効率的で豊かな表情と仕草で、一瞬にして表現しきってしまう。すごいや!
『愛しのヘナ』
2000年にひょっこりビデオリリースされた1991年のヒンディー語映画。主演はランビィール・カプールのお父さんリシ・カプール。木材製材工場を切り盛りする青年チャンダルが自分の結婚式へ向かう途中で自動車事故に会い、インドからパキスタンへ流れるジェラム川へ落ちて流されるままパキスタン入り。事故のショックで記憶喪失になったチャンダルは看病してくれた若い娘ヘナに仄かな恋心を芽生えさせてしまう! という、インド/パキスタン問題を始めとした諸問題全部ぶっこんだダブルグランドビックマックみたいな壮大なロマンティック・アクション劇。グイグイ引き込む展開が3時間を一気呵成に観せる。
『ボンベイtoナゴヤ』
1993年のヒンディー語映画。両親を殺したギャング団を追って日本の名古屋へ来たインド人刑事。インド・ダンサーと偶然の再会に恋心を抱きつつもギャングを追う! 名古屋を中心に大々的なロケ撮影が敢行されているのだが、十中八九ゲリラで、交差点のど真ん中で踊っているインド人を通行人がガン見している。「パチンコ屋」が面白く感じたらしくギャング団アジトの出入り口になっているのが、「悪の巣窟」という意味で本質的に間違っていないあたり笑った。ビデオで105分。始まって40分あたりでインターミッションが入るので、前半かなり、後半もチョイチョイカットされている感じだが、正式な長さが調べても出てこないよう。相当楽しい映画。写真はデパートの屋上、こども広場をゲリラロケの様子。
『アンジャリ』
1990年のタミル語映画。マニラトナム監督作。死産の悲しみを乗り越えて都市部の団地に引越した4人家族。お兄ちゃんと妹は子供らしい実直さと無軌道さで地元のいたずらっ子グループに仲間入りし、愉快な日々を送っていた。そんな中、お父さんの不倫疑惑が持ち上がる…… マニラトナムらしいと言えばらしいのだが、あまりに雑な展開とスピルバーグ作品への直裁な憧れが歪な形で現れる珍作。
『ディル・セ 心から』
1998年のヒンディー語映画。こちらもマニラトナム監督作。SRK主演。ラジオ・パーソナリティとテロリストの恋物語。1991年に実際にあったラジーブ・ガンジー元首相に対する自爆テロをモデルに、自爆した少女がもしも恋をしていたら、という着想のお話。インド映画のフォーマットに準じてミュージカル・ナンバーを多く取り入れつつも、政治に翻弄された男女の悲恋を描く。マニラトナムは徹底して社会問題を娯楽の味付けに使う。地べたを這う様な泥臭さは、身を膾に切り刻む切実さを孕む。
『マッリの種』(ソフトタイトル「ザ・テロリスト 少女戦士マッリ」)
1999年のタミル語映画。マニラトナム組の撮影監督サントーシュ・シヴァンの監督作。撮影監督を勤めた『ディル・セ 心から』の同年に公開された作品で、本作も同様に「自爆テロの少女」をモチーフにしているが、アプローチも展開も異なった、いわば姉妹作になっている。革命の戦いで勇敢に死んでいった兄を持った少女マッリ。自爆テロに向け事情を知らない農家に預けられ、日々を過ごしていく中で「命を繋いでいく」ことを農民の爺さんに教わっていく。あくまでロマンスの味付けで自爆テロが取り上げられた『ディル・セ 心から』に対し、正面から向き合った本作は当然、対照的に洗練さがある。
『インディラ』
マニラトナムの奥さまで女優のスハーシニが監督したタミル語映画。1995年製作。カーストの低い人たちが村から追い出され、川を挟んだ対岸に移住させられてしまう。国策としてカースト制度の廃止が決められた後でも、依然低いカーストの人々は虐げられていた。そんな差別を無くそうと奮闘する村長と、彼の意思を継ぐ娘を描く。さすがのマニラトナムの奥さまだけあって社会問題のエンタメ化と、不幸つるべ打ち。ただ、降りかかる困難を都度々々解決していくノー・ストレスな構成は映画マゾには物足りないかも。画像検索で、「高いカーストの村で火葬してほしい」とわがままを言う胸毛がすごい老人しかひっかからない……
『女盗賊プーラン』
1994年ヒンディー語映画。日本でも自叙伝が出版されていた、低カースト出身で盗賊から政治家へ転身したプーラン・デヴィの半生を描いた作品。オープニングの字幕で「家畜と太鼓と低カーストの女は叩け」という言葉にギョッとする。11歳で嫁いだ先でレイプされ、逃げた先でレイプされ、警察でレイプされ、ようやく盗賊に拾われる。ヒンドゥーのカースト制度の軋轢から逃げた人を受け止めるセーフティ・ネットが、カースト関係無いイスラームの違法集団になるというのはアチャーという話。監督は後に「70億人の彼氏」ことケイト・ブランシェット主演で『エリザベス』を監督するシェカール・カプール。
『サラーム・ボンベイ!』
1988年のヒンディー語映画。ミーラ・ナーイル作品。「ボンベイに和平あれ!」のイスラム風な挨拶をタイトルに、ボンベイのストリート・チルドレンの日々を捉える。様々な困難に対して放火してその場をうやむやにして、後からエラい目に会ってしまう自業自得な少年をインドの実景の中で追っていく。子供らしい浅薄さで強引に社会を渡り歩く、たどたどしく、もどかしい様子がネオレアリズモ的な生々しい貧しさと猥雑さで描かれる。
『カーマ・スートラ/愛の教科書』
1996年の全編英語のインド映画。ミーラ・ナーイル作品。16世紀のインドを舞台に、良家の娘と姉妹のように育てられはしたものの低い階級の娘の、愛と嫉妬の物語。インドを舞台に、インドの有名な性の聖典「カーマ・スートラ」をテーマにしながら登場人物は全員英語を喋る海外向け作品。いわば『ロボゲイシャ』や『デッド寿司』のインド版、インド・エクスプロイテーション映画だ。だったら井口監督くらい派手で面白いウソをついて欲しい。
『モンスーン・ウェディング』
2001年のヒンディー語映画。ミーラ・ナーイル作品。結婚式を舞台にした群像劇。様々な人生が結婚式という晴れやかな場で交錯する構成は見事。インドを舞台にした、インド人の監督による、インド特有の結婚式を描いた、紛れもないインド映画なのだが、日本人寿司職人が作ったカリフォルニア巻きのような空気が漂う。描写に間違いや誇張は無いし、面白い映画ではある。
『その名にちなんで』
2006年基本的には英語の映画。ミーラ・ナーイル作品。ニューヨークの大学で研究者として働くアショケと見合い結婚した芸術家の娘アシマ。2人の間に生まれた男の子は後で変えるの前提でアショカが好きだった小説家から仮の名前「ゴーゴリ」と名づけられる。後に生まれた妹ソニアの4人家族の生活に、綿ぼこリの様に紛れ込むちょっとした齟齬の、繊細な機微が描かれる。ピューリッツァ賞受賞の原作小説を映画化した作品ながら、アフリカ政治学の教授マフムード・マムダニと結婚したミーラ・ナーイル自身の境遇と重なるところもあり、自叙伝の様な印象。「名前」とか「名づける」という概念そのものが孕む運命めいた事がらが浮かび上がる構成が見事。
個人的な経験だけど、今まで「元気」っていう名前の人「須藤元気」以外で3人に会ったことあるけど、全員すごい元気だった。中学1年生の時の、朗らかで健やかな生徒会長の名前は「素直」。
『ミッシング・ポイント』
2012年基本的には英語の映画。ミーラ・ナーイル作品。パキスタン人作家の自伝的な小説『コウモリの見た夢』を原作とした作品。2001年9月11日のニューヨークで、企業コンサルタント会社のアナリストとして働くパキスタン人が強いられた数奇な運命を描く。よく知られた俳優も多数出演の国際的な作品。この題材はインド出身でコスモポリタンのミーラ・ナーイルでなければ表現できない領域であろう。南アジアとアメリカでのイスラム教徒に対する空気感の違いや、911以前と以降での変化など、繊細かつ残酷な機微がすさまじいバランス感覚で見事にあらわされている。
ミーラ・ナーイル監督5作、立て続けに見たのだが、『サラーム,ボンベイ!』『カーマスートラ 愛の教科書』あたりは、国際社会の中でインド人であることを全面におしだした「みんなが見たいインド」を作品にした感が強い。
しかし『モンスーン・ウェディング』になると、インド人であることを意識的に打ち出すまでもなく、インド人だなぁという自覚が芽生えている感じ。
『その名にちなんで』『ミッシング・ポイント』と「異国で南アジア人として生きること」を描きながら「自分が何者であるか?」という命題を濃く浮かびあがらせている。面白さの質が作品ごとに、成長的な変化をしている。