学びで未来を切り拓く!
2016.06.01 17:00
 

幼少教育や小学校受験が我が家に影響を与えたこと|やまもといちろうコラム (1/2ページ)

     

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※写真はイメージです。

山本一郎です。6歳と5歳と2歳という男の子三兄弟の父親です。

父親だから偉いとか、教育に一言物申せる立場だとはまったく思ってません。はっきり申し上げて、子育てで家内と一緒に滅茶苦茶悩んでます。

やまもといちろう

1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる。統計処理を用いた投資システム構築や社会調査を専門とし、株式会社データビークル取締役、東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員、東北楽天ゴールデンイーグルス育成・故障データアドバイザーなど現任。統計分析や数理モデルを用いた未来予測、効果分析を専門とする。東京大学と慶應義塾大学とで組成される「政策シンクネット」の高齢社会研究プロジェクト「首都圏2030」の研究マネージメントを行うなど、社会保障問題や投票行動分析に取り組む。「ネットビジネスの終わり (Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

育児に「ひとつだけの解」はない

正直、子育てや教育でどうしたらいいのか、自分自身も分からず模索する日々です。

また、仕事や私生活でご一緒する先輩たるご歴々の父親像を見て、私自身が「真似したい」「こういう父親になりたい」と思える人があまり多くありません。事業投資、コンテンツ投資や、コンサルティングを仕事のメインにしている私にとって、ご同業の皆様方は、あまり家庭に時間を割いておられないように見受けられるからです。皆さんバリバリ働いておられ、実績も積み重ねていらっしゃいます。仕事人としては尊敬するんですけどね。ただ、家庭や育児のことになると途端に

「教育のことは、妻に任せているから」

とトーンダウンします。なんでだ。話半分には仰っているんでしょうが、確かにその仕事ぶりではご家族のために時間を使っておられないでしょうし、プライベートな時間をご一緒していても、教育や子供の育て方、父親としてのあり方という話にはほとんどならず、参考にならないのです。

おそらく、育児には数式のような「ひとつだけの解」はないのでしょう。

ただ、解を模索する努力は払わないとだめなんだろうなあと思うわけです。

私は、家内と子供の生活が人生の中心にあるので、人と話すときに手がかりが欲しくて、同じ年代のお子さんがいらっしゃる方には教育の話題を振ります。子供の育て方や、我が子にどうなって欲しいと考えているのかは、その人の考えている価値の本質が出るものだと思っているからです。ただ、残念なことに、結構なビジネスパーソンが子育てを、なかば「キャリアの邪魔になる作業」とばかりに考えておられるケースもあるように見受けられます。

身の回りで見る「成功したビジネスマンでも、子育てについてはあまりロールモデルがないよなあ」現象というのは、翻せば「家庭はみな同じではなく、子供は想像以上に多様である」という結論に落ち着きます。そうなる理由は良く分かりません。何しろ、同じ両親から遺伝子を受け継いだはずの、我が山本家三兄弟が、三人とも性格がまったく異なるのを目にしています。子育てが同じメソッドで可能なはずがありません。だからこそ「好みが違うから、長男にはこれ、次男にはあれ」と考えてモノを与える一方、同じ服を買い与えないことで「兄の着ている服がいい」「弟が僕の服を取った」というしょうもない不平不満を募らせることだけは避けたい。というか、なぜ君たちは外出直前の、時間のないクソ忙しいところで兄弟げんかを始めますか。

なので、他の家庭で教育がうまくいっているから、じゃあウチも、ということでは何の解決にもならないばかりか、有害そのものなのだろうなあという、道標(みちしるべ)なき砂漠のような漠然とした心象風景になるのであります。

学歴はあくまで良い人生を勝ち取るためのツール

子育て誰もが若葉マークであるという雰囲気である一方、子供は子供で目一杯生きています。まぶしいぐらいに、元気に日々遊んでます。家族で大事にしているiPadをフリスビーのように投げて、当然のように床に激しく落下して画面のガラスを割ったり、輪ゴムで一番強く顔を弾いた奴が優勝という遊びをやって勇敢さで勝ったはずの次男がすごい音を立てた輪ゴムの跡を顔につけて大号泣していたり、理不尽とも思えるようなことばかりをやらかす日常です。心配で仕方ありません。

男の子は馬鹿なほど可愛いといいますが、それは事実としても、これでいいのか、大丈夫なのかと思ってしまうんですよね。不安です。

で、不安が嵩じて、せめて子供には良い教育の機会と環境を、ということで、長男と次男には幼少期教育を兼ねて小学校受験をさせています。いろんな体験を通じて、子供たちなりの気づきにして欲しいと思って受験の結果は考えず夫婦で考えて始めたのですが、幸いにして、複数のご縁をいただいて先日無事に第一志望の私立の進学校に進ませることができました。やれやれ。もともと、海外での仕事が月の半分を占めていたころは、海外の教育機関で学ばせようかと思っていたのですが、思い切って国内での教育に切り替えました。次男も小学校受験をテーマにゆるゆると楽しく勉強をし、もうすぐ三歳になる三男も、まだ始めていませんがそろそろ何かを始めるでしょう。

私自身が幼少教育に実感していることはあくまで体感的なものですが、就学前の児童に対する教育がその後の人生を良くする「可能性が高い」ことは、すでにある程度先行研究があり、実際に書籍も出ています。もしも関心をもたれるようでしたら、このウェブページはすぐに閉じて、私の駄文を読み進める前に『幼少教育の経済学』(ジェームズ=J=ヘックマン・著)を楽天ブックスなりアマゾンなりでポチることをお奨めします。類書をいくつか読んだ中で、個人的にもっとも意味があると思った一冊です。当たり前ですけど原典もあるよ。

「幼児教育」が人生を変える、これだけの証拠~ノーベル賞学者が教える子の能力の伸ばし方(東洋経済オンライン)

家内とも、常々話していることではあるのですが、小学校受験や良い小学校に入ることそのものが、将来を約束するものではありません。良い学校に入ったから良い人生が送れるとは微塵も言えないことは、私自身が身をもって知っています。あくまで、良い人生を送ることができる可能性を拓く、あるいは、良い人生を勝ち取るためのツールが、学歴であり環境なのだろうと思います。

というのも、その子にとって良い環境かどうか、人生に良い刺激に満ち溢れているかって、育った結果からしか分からないでしょう、ということなんですよね。なので、「学力だけが人生なのか」といわれると、たぶん違うのだろうなあ、と。かといって、自由に生きてきたやつが、本当に幸せなのか、能力を築き上げたのかといわれると、それもまた違う。俗っぽい言い方をすれば、人生に数式のような解はないのだ、という原点に返ってくるわけです。

「型にはまらない子が、慶應義塾には必要だ」

私は東京で生まれ東京で育ち、一人の団塊Jr.世代(1973年生まれ)としてベビーブームの中で熾烈な受験戦争に揉まれて育ちました。私立小学校に入り、10歳ごろから当時の四谷大塚に通い、学習成績が良かった私は当たり前のように塾に行き、毎週模試を受け、50位に入ったの200位に落ちただのと両親から厳しく勉強を管理されて臨んだ中学受験は、某御三家と、合格倍率20倍を超えた慶應義塾中等部、その他滑り止めに合格を幾つか頂戴した、という恵まれた結果を得ました。なんか私、受験とか投資とか結婚とか「ここぞ」ってところで鬼ヅモを発揮する人間なんすよね、昔から。

幼少期の私も私なりに頑張りましたが、それ以上に両親が教育にとても熱心だったということで、その両親の熱意に支えられた中学受験だったと思います。結局、難関校に入ってまた受験勉強するよりは、一流私学である慶應義塾大卒の切符が手に入る中等部のほうがいいだろうということで、父親が判断し、義塾の門を叩くことになったわけです。

しかしながら、そこから先に私が起こした反動は、長い長い反抗期でした。中学一年から高校二年ぐらいまで5年ほど、受験が終わったんだから御役御免だとばかりに、荒れていました。親も、ほとほと困っていたと思います。勉強とか、まったくしない。それどころか、いま思い返すと赤面するようなことをしでかし、学校のガラスを割ったり級友を殴って病院送りにするたび、父親とお袋が義塾に呼び出され、親の言う「米つきバッタのように」謝罪を繰り返していたことを思い出します。殴ってごめんな吉田君。成績も悪いので強制的に補習塾にいかされるわけですが、くだらない理由で級友と喧嘩になりました。私は腕力にはまったく自信はないので持ち歩いていたボールペンで喧嘩中の友人を刺し、救急車だけでなく警察を呼ばれるという人生のピンチも経験しました。刺してすいません佐山さん。それもあって、義塾に放り出されることも覚悟した日々だったと思います。

 
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