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第一次宗門問題の本質は何か?(8)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)13時15分43秒
  週刊誌情報というものは、単なる批判のために為されるのか?

答えは「否」です。多分に情報操作があり、イメージ植え付け
があります。

では、誰のために?
ここにポイントがあります。反対勢力であったり、国家権力で
あったり、企図するところの情報提供によってめまぐるしく変
化するものだと認識しておきましょう。そして、すべてが事実
であるわけでもない。ウワサ話が好きな御仁が語る下ネタから
お金の事件、権力闘争など多岐に渡ります。

典型的な資料を一点出します。平成元年9月
あのゴミ金庫事件が起きた時代の「週刊実話」から

週刊実話 9月28日号
第32巻第37号通巻1528号
「創価学会 池田大作の陰謀!
  来春 秋谷会長更迭「山崎会長誕生!?」
 

変節前のホンネですか?

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月 1日(水)12時18分25秒
  法律にお詳しい人ならではの意見もありますねぇ。

内部告発というのは、現在では常識的にも法的にも「公益」の為に認められるとな?
創価学会というという法人の「内部告発」が機能してないとの認識をされてるんですねぇ。

まぁここまでは池田門下なら普通に感じるものだけど。
その後はこの人らしいというか。

嘘だろうが真実だろうが「調査」するべき、という意見ですか?
さらには、疑いがあるなら宗教法人として「税務署」へ通報すべきと。
当然でしょうとまでダメ押しですか?
なるほどなるほど。

善とか悪とか関係ないと?
最後は心の叫びなんでしょうけど、私腹肥やしてるなら税金払えです、とな?

どう見てもこれは池田門下なら至極正常で当たり前の心境と判断内容なんですけどねぇ?
「ナニ」がこの人をここまで「変えた」んでしょうねぇ ・・・

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

【原文比較】第18回本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月 1日(水)12時03分42秒
  シドニー様、原文のご投稿誠にありがとうございました。

聖教掲載部分は≪  ≫、削除部分は【   】と下線表記し掲載します。
また、文章を切り抜いて移動させた文章につきましては二重カッコにしました。
移動前を【【   】】と下線表記、移動後の文章を≪≪   ≫≫です。
長文ですが、原文の意味合いと、聖教掲載の意味合いの違いを比較してください。

■聖教新聞:平成28年5月30日3面
世界広布新時代第18回本部幹部会
本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針

■第六十七回本部幹部会
◆「人間革命」の無上道を漸進〈平成5年6月15日、創価国際友好会館〉
池田大作全集83巻

~~~~~~~~~~~~

【○指導者は、知道者、開道者、説道者たれ

 目には見えないが、大空には「鳥の飛ぶ道」がある。大海には「魚(うお)の道」がある――と、御書に仰せである。(「虚空に鳥の飛跡(とぶあと)あり人此(これ)をみず・大海に魚の道あり人これをみず」〈1250ページ〉)
 これが仏法の鋭い眼である。
 では、人間が人間として生きていく「最高の道」はどこにあるか。ここに根本的な、また全地球的次元での課題がある。
 その「無上道」を教えているのが仏法であうr。まだこれ以上のものがあるという「有上道」に対して、「無上道」――これ以上のものはないという最高の道を説いている。
 法華経の中で、釈尊は、みずからのことを、「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」であると述べている。これは、薬草喩品(やくそうゆほん)に「我(われ)は是(こ)れ一切知者、一切見者(けんじゃ)、知道者、開道者、説道者なり」(開結281ページ)とある言葉である。
 仏意仏勅のわが創価学会は、日蓮大聖人の直系として、正しき「この道」をまっすぐに歩んでいる。
 一方、日顕宗は、大聖人の「正道」に背き、完全な「邪道」に歩んでいるのである。(拍手)

 中国の天台大師は、この法華経の文を、"身口意(しんくい)の三業"に配して解釈している。
 「道を知るとは、意(こころ)を惜しまないことをいう。道を開くとは、身を惜しまないことをいう。道を説くとは、口を惜しまないことをいう」と。
 すなわち、「法華文句(もんぐ)」に「知道は意不護(いふご)を謂(い)う。開道は身不護を謂う。説道は口不護を謂う」(大正34巻)とある。
 「意を惜しまず」――友のため、社会のため、平和のために、たえず心を砕き、祈りきっていく。
 「身を惜しまず」――広布のため、悩める人々のために、どこへでも駆けつけ、動いていく。
 そして「口を惜しまず」――語りに語り、「声仏事を為(な)す」(御書708ページ)と仰せどおりの行動を重ねていく。だからこそ、私はスピーチをはじめ、語りに語っている。
 迫害を恐れ、反動を恐れて、言うべきことを言わず、ずる賢く立ちまわる。仏法上、それは「悪」である。また、指導者失格である。
 「意」も「身」も「口」も惜しまず――ここに仏法者の要件がある。この三つが、そろっているかどうかである。
 そして、これが人間としての「最高の道」である。釈尊も、日蓮大聖人も、この道を教えられた。そのとおりに進んでいるのが創価学会であり、わが同志である。(拍手)

 (会合に先立って、まず次のように語った。
 きょうは、まず演奏から、お願いしましょう。入梅(にゅうばい)で蒸し暑いし〈爆笑〉、何かと忙しくて疲れることが多いから、少し気分転換に〈笑い〉――。本日は、学会の「名曲」の作曲にたずさわった方々の代表に来ていただいている。少しでも、皆さまの慰労になれば幸いである。〈拍手〉
 どうすれば、皆さまが、心休まるか。いつもと角度を変え、どうすれば新鮮で、おおらかな気持ちになれるか――それを真剣に考えるのが指導者である。
 「会員の心」「民衆の心」に気を配らないのは、本当の指導者ではない。指示し、命令しているだけでは、軍隊と同じである。また、民意をまったく忘れた今の日本の政治のようなものだ。あたたかく、濃(こま)やかな気配り――それが真の指導者である。そして創価学会の世界である。〈拍手〉

 今日は第六十七回本部幹部会。本日より高知・室戸会館でも衛星中継が始まった。おめでとう!(拍手)
 さらに、この会場には、海外十七ヵ国のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーが参加しておられる。心から歓迎申し上げたい。(拍手)


○大勝利で示した「師弟」の精神

 昭和三十年(1955年)四月の統一地方選挙は、学会の支援活動の初陣であった。
 この時、大田区から都議選に小泉隆氏(故人、当時・理事長)、横浜の鶴見区から市議選に森田悌二氏(故人、当時・鶴見支部長)が立候補した。
 知名度もゼロ、肩書もゼロ、経験もゼロ、お金もゼロ(爆笑)――情勢はきわめて厳しかった。立候補したほうも、支援するほうも、皆、まったくの素人である。まさにゼロからの出発であった。
 弘教はともかく、選挙はだれもやったことがない。しかも、支援活動は、いつしか信心を忘れ、世法的な策に流されていった。
 戸田先生は、事態を深く憂慮された。そして急遽、私を大田と鶴見の両方の最高責任者として一切を託されたのである。
 いつも、最初の突破口を開く使命が私にはあった。「大作、そろそろ出るか」――その一言を受けて、広宣流布の勝利の渦を巻き起こした。折伏戦も、私が全世界の火ぶたを切った。
 当時、私は二十七歳。すべて戸田先生の「代行」のつもりで戦った。
 先生が「やろう」と言われた学会の初陣である。負けさせるわけにはいかない。師匠のため、同市のため、社会のため、民衆のため――そのために、走りに走った。小賢しい策など何もなかった。あるのは、「信心の勢いで」「信心の団結で」――これだけであった。
 多摩川を渡って鶴見、こちらへ戻って大田――一つだけでもたいへんであったが、私は両方の全責任を担って戦った。そして、悠々と弘教を進めながら、いずれも最高点の大勝利である。(拍手)
 しかし、どんなに戦い、勝っても、戸田先生は私をほめない。私が行けば「勝って当たり前」と安心しきっておられたのかもしれない。
 戸田先生の弟子の力が、どれほどすごいか――私は一切に勝ちぬき、満天下に示してきた。それが私の誇りである。(拍手)
 ところで、議員は、本来、公僕(こうぼく)である。民衆の幸福のために仕えるのが使命である。決して威張らせてはならない。厳しく、監視せねばならない。
 いわんや、学会員の支援で議員になったにもかかわらず、その大恩を忘れ、学会員をバカにしたり、利用したり、裏切る人間は最低である。(大拍手)


○ナポレオンのアルプス越え――「前進!」を合言葉に

 この秋、東京富士美術館(八王子市)で「大ナポレオン展」が開かれる予定である(=10月8日、開幕)。準備も着々と進んでおり、世界的にも注目されている(拍手)。できれば国内の各地にも巡回し、多くの人に見ていただきたいと願っている。


※ここから聖教新聞に掲載開始※

 ≪「前進!」――この叫びとともに、ナポレオンは波乱の劇を生きた。
 私も若き日、この「前進!」を合言葉に、ナポレオンを語りつつ、最低クラスであった文京支部を、学会最高峰の支部に育て上げた。かけがえのない青春の思い出である。≫

 【ナポレオンの生涯のなかでも、アルプスの峻峰を越えてローマへと渡った「アルプス越え」はあまりにも有名である。
 この「アルプス越え」の雄姿を描いた名画の一つが、東京富士美術館に所蔵されている。(フランス新古典主義絵画の巨匠ダヴィッドの傑作「アルプス越えのナポレオン」。所蔵品は、同構図の絵のなかで、最初の作品とも伝えられている)
 また、今秋に完成する東京牧口記念会館の周辺にも、将来、「アルプス越えのナポレオン」の像を置きたいと考えている(=1993年〈平成5年〉11月2日に東京牧口記念会会館に隣接する「ナポレオン広場」で除幕式が行われた)。(拍手)


 ナポレオンは、やむことなく戦い続けた。
 しかし、リーダーには、途中で兵を休ませたり、危険や無理がある場合には、作戦を中止する勇気も必要であろう。性格的に、また周囲の状況から、ナポレオンには、それができなかったようである。
 先日、NHKのテレビで「インパール作戦」の特集を放映していた。この作戦の失敗も、司令官の無思慮に要因があった。(同作戦は、太平洋戦争末期、日本軍がビルマ〈現ミャンマー〉からインド東北部のインパールに対して行った侵攻作戦。約十万の兵士のうち約三万人が死亡し、約二万人が負傷や病気で倒れたという。インパールからアラカン山系を越えるビルマへの道は「白骨街道」と呼ばれた。史上まれに見る"最悪の戦争"といわれる)
 中国やシンガポールで、華々しい武勲をあげた司令官は、現場の指揮官や参謀の「食糧が足りない」という道理にかなった意見も聞き入れない。そして無謀な作戦を強行し、おびただしい犠牲者を出してしまった。私の長兄も、そこで亡くなっている。
 リーダーはくれぐれも、皆の意見をよく聞くことである。それができないのは増上慢であり、将として根本的に失格である。



○サンマルチンの「アンデス越え」

 さて歴史上、ナポレオンの「アルプス越え」に並び称される有名な出来事に、南米解放の英雄サンマルチン(1778年~1850年)の「アンデス越え」(1817年)がある。
 サンマルチンといえば、南米では知らない人はいない。
 万年雪に覆われた六千メートル級の山々がそびえるアンデス山脈。その高さは、ヒマラヤに次いで世界第二位を誇る。長さは、地球の約四分の一周に相当する世界最長の山脈である。
 本年二月、南米訪問の折、空路、アンデスを越えた。五十ヵ国歴訪の節(ふし)を刻むパラグアイからチリへの旅路であった。
 その折の感慨を、次のように歌った。

  荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり

 十九世紀初め、南アメリカでは三百年にわたるスペインの支配が続いていた。サンマルチンの祖国アルゼンチンは、独立宣言はしたものの、なお南米の広大な地域を治めるスパイン軍に絶えず脅かされていた。
 民衆の蜂起も、圧倒的な兵力の前に、ことごとくつぶされた。その陰には、権力者と結託して、民衆の正義の声を抑圧しようとする聖職者の圧迫もあった。
 サンマルチンは、みずから志願して前線に立ち、敵との激しい攻防の指揮をとる。彼は、スペイン軍をチリ、ペルー、ボリビアから追放しないかぎり、アルゼンチンの独立を維持することはできないと考えていた。そして一つの結論に達した。――"だれも予想できない所から攻めていくしかない。よし、アンデスを越えよう! 敵をあっと言わせよう"
 当時の常識では、それは不可能なことであった。数千メートルもの山々。道があるところでも、人間がようやく通れるほどの細い道でしかない。危険な場所も多い。大軍を率いてそこを越えようとする人など、だれもいなかった。
 しかし彼は逡巡しなかった。"今はためらっている時ではない。行動する時である"と。
 彼は、青年らしく立ち上がった。アンデスのふもとの地域の州知事となり、たった一人で準備を始める。
 優秀な人材をどう集めるか。食糧はどうするのか。どの道を通るか。馬や武器の確保をどうするか――問題は多かった。
 「越えなければならない巨大や山々のことを考えると、夜も眠れなかった」と彼は言う。
 彼は、一つ一つの問題に真剣に取り組み、身を粉にして働いた。兵士の食べ物や、サーベルの刃の具合にまで細かく気を配ったという。
 その陰には、夫人の強い支えがあった。夫人は、大切な宝石をすすんで寄付したり、市民の協力を求める署名簿に最初に署名するなど、夫とともに先頭になって戦った。
 サンマルチンは、いかなる人であれ、一緒に戦おうという人は、皆"同志"として敬った。先住民であれ、外国人であれ、一人として"よそ者"扱いせず、あらゆる人を結集した。奴隷も解放し、仲間とした。皆を味方にしようとしたのである。
 また、彼は「対話」を大切にした。一人一人に情熱をこめて応援を訴えた。
 "ぜひ、あなたの力を貸してほしい。ともに新しい時代をつくろう!"――この気迫が、人々の心をつかんでいった。やがて壮年も青年も、男性も女性も、進んで準備に協力するようになる。そしてわずか二年間で、五千人を超す一級の部隊ができあがったのである。
 「さあ、出発しよう!」――サンマルチンの勇ましい声が、夏の青空にとどろいた。いよいよアンデスをめざし、さっそうたる出陣である。
 細心の注意をはらい、部隊は四つに分かれた。しかし、バラバラになることなく、彼を中心に、つねに連携を取りあい、団結して進んだ。
 万年雪を見上げつつ、岩をつたい、道なき道を行く強行軍。空気が薄く、高山病で倒れる者もいた。サンマルチンはのちに、「アンデスの困難は、越えた者のみがわかる」と語っている。
 しかし皆、挑戦を続けた。戦いに参加したことに誇りをもっていた。
 彼はこうも語っている。
 「皆、あまりにも大きな困難を克服した自信にあふれ、途中で引き返すことなど思いもしなかった。兵士たちには、確信と勇気がみなぎっていた」と。
 サンマルチンは、率先のリーダーであった。つねにみずから先頭に立ち、苦楽をともにして、皆を励ます心遣いを忘れなかった。
 山中で、兵士たちは、疲労と零下六度の寒さに襲われた。その時、彼は、眼前にそびえる南米最高峰のアコンカグアの山(標高6960メートル、富士山の約二倍)を見つめながら、皆に勇気をおくろうと、音楽隊に「アルゼンチン国家」を演奏するよう促した。
 澄みきった空とアンデスの山々に響きわたる荘厳な音色。それを耳にして奮い立つ兵士たち――一幅の名画のごとき情景である。私はこの二月、アルゼンチン総会に出席した折、厳粛に合唱されたアルゼンチン国家を思い起こす。

 出発の日から約二週間。苦難また苦難を乗り越え、「アンデス越え」は見事に成し遂げられた。
 不可能が可能となった。敵はあっと驚いた。大成功、大勝利であった。「この時に、南米の歴史が変わった」と言われている。それからの彼は、怒涛の前進とともに、勝利を積み重ねていく。またたく間にチリを解放し、ペルーの独立を勝ち取っていったのである。
 のちにある詩人は、この英雄をたたえて歌っている。
 「アンデスに一つの岩のあるかぎり、荘厳な山頂にコンドルが飛んでいるかぎり、あなたの名は不滅であり、戦地でのあなたの叫びは消えることがない」
 私たちも、ともどもに"広宣のアンデス"を越えてまいりたい。「行動の人」の栄光は、永遠である。


○先頭を進め"栄光の劇(ドラマ)"へ


 ≪ナポレオンは、語った。
 「それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう!」(オクターヴ・オブリ編「ナポレオン言行録」大塚幸男訳、岩波文庫)≫

【【彼は生涯で、六十回におよび戦闘を行っている。すべて"生きるか死ぬか"の命がけの戦いであった。
 ある時は、エジプトのピラミッドを仰ぎ、ある時は、白雪のアルプスを越えながら――ナポレオンは戦った。
】】

 ≪皆さまも、自分自身の「ロマン」をつづり、自分自身の「歴史」をつくることである。
 だれに言われようが言われまいが、自分は自分らしく、決然たる「舞」を舞い、「曲」を奏で、「劇」を演じゆく人生であっていただきたい。
どうせ戦うなら、身も心も軽やかに戦うことである。すべてを自分の喜びとし、生きがいとしていける人が賢者であり、幸福者である。≫

≪≪彼は生涯で、六十回におよび戦闘を行っている。すべて"生きるか死ぬか"の命がけの戦いであった。
 ある時は、エジプトのピラミッドを仰ぎ、ある時は、白雪のアルプスを越えながら――ナポレオンは戦った。≫≫


 ≪ナポレオンは、戦いにあって、つねに先頭に立った。
 「つねに先頭に」――これが指導者の鉄則である。
 次元は異なるが、大聖人も、法戦の先頭に立って戦われた。ゆえに門下の私も、つねに先頭に立つ。≫

 【皆に戦わせ、自分は後ろに隠れて、楽をしようというような、卑怯なリーダーであってはならない。

 ≪ナポレオンは"最悪の策とは、ほとんどつねに、最も臆病な策である"との信念をもっていた。臆病は敵である。彼は、だれよりも勇敢に戦った。
 戦いの勝利を決定づけるものは何か。ナポレオンは、体験のうえから次の言葉を残している。
 「いたずらに多くの人間がいたからといって何にもならない。一人の人間こそすべてである」(同前)
 牧口先生も、「羊千匹より獅子一匹」と言われた。
 私も、「ただ一人で」の決心を貫ききってきた。大聖人の直系として、また戸田先生の後を継ぎ、私は戦う。だれがついてこようと、こまいと、また、だれが反逆し、攻撃しようと、私は私の信念で進む。周囲がどう変わろうと、私は私である。この一念ゆえに私は強い。
 人数の多さが、勝敗を決めるとは限らない。むしろ、人数に頼る油断と無責任は、大きな敗因となろう。≫

 【先に述べたインパール作戦も、そうである。十万もの大軍にもかかわらず、無謀な作戦で、数万の犠牲者を出して敗北した。】

 ≪要するに、指導者が「責任」を自覚するか否か、「本気」になって、みずから勝利への闘争をし、みずから道を開くか否か――この一点である。本物の指導者か、格好だけの偽物か。その違いは天地雲泥である。≫


○勝負は「一人」で決まる、「小事」で決まる

 ≪ナポレオンは戦場にあって、つねにその「真剣の一人」であった。"われ、ここにあり""われこそが頼み"との気概であった。
 イタリアにおける重要な先頭(1800年、マレンゴの戦い)において、味方の軍は敗色濃く、総崩れとなる。敗北は決定的に見えた。だが敗走する味方を眼前にしつつも、ナポレオンは微動だにしなかった。彼は確信していた。「われ、勝てり!」と。≫

 【観念論ではない。彼は両軍の状況を冷静に見つめ、勝利の見通しを得ていた。この「将の確信」が、ふたたび全軍の士気に火をつけた。
 この英雄の姿は、第二次世界大戦中の、イギリスのチャーチル首相の姿を思い起させる。
 ロンドンが、ナチス・ドイツの猛烈な爆撃をうけているさなか、チャーチル首相は、悠然とボールを放りながら国民の前に姿を見せたというのである。
 「皆、心配するな。大丈夫、私がいる!」。堂々たる名宰相の姿である。


 ≪「将の一念」――これがどれほど大事であるか。苦しみはすべてわが身に引き受け、皆には希望と張り合いをもたせて、皆の身も心も軽くしてあげる。その「心」と「振る舞い」が、皆の心を鼓舞し、勝利をもたらす力となる。≫

 【大将が、何かあるとすぐ動揺し、一喜一憂して、あわてふためくようであっては、そのもとで戦う人間がかわいそうである。
 また、いつも「危ない、危ない」と危機感ばかり煽っていても、「何だ、また言っている」(笑い)、「これは口先だけの策だな」(爆笑)と、見破られてしまう。ありのままの大誠実の姿ほど、人の心を動かすものはない。(拍手)


 ≪一方、ナポレオンの敵軍は、勝利したと思い込んで、将軍がさっさと後方の陣地に引き揚げてしまった。油断である。
 「敵は将軍がいない。攻めれば勝てる!」。ナポレオン軍は勢いを得て反撃に転じ、ついに逆転勝利を収めたのである。≫

 【将の恥ずべき無責任さ――。じつはインパール作戦でも、同様の構図があった。
 日本軍の司令官は、十万の兵士を送り出し、自分は後方に残った。飢えと病気が蔓延する前線に対して、武器や食糧の供給など、ろくに考えようとはしなかったという。(戦火のおよばない後方の町で、司令官は「何日までに、あの場所を落とせ」等、無理な命令を出すばかりであった。当初は、"おかかえの芸者"まで連れ込んで、酒色にふけっていたという)
 あまりの理不尽さに、前線の師団長が、司令官の命令に背き、退却するほどであった。
 結局、惨憺(さんたん)たる大敗であった。まことに無責任で愚かな指導者についた人は不幸である。(今の宗門も、日顕は内外の批判から逃げ回る一方、末寺の困窮をよそに、放蕩の限りを尽くしている)


 ≪ナポレオンは、ある時、こう語った。
 「華々しい勝利から没落への距離はただ一歩にすぎない。私は、最も重大な情況において、どんな大きな事件もほんのちょっとしたことで常に決まるのを見て来た」(前掲「ナポレオン言行録」)と。
 これは、私が戸田先生から厳しく教わったことである。先生も、まったく同じ指摘をされていた。
 私が大阪で戦っていた時のことである。先生は、ある問題について「ほんのちょっとのことで、人間は人生を狂わせるぞ」「ちょっとのところで戦(いくさ)は負けるぞ」と言われていた。じつに些細な兆候を鋭くとらえての指導であった。本当に偉大な先生であられた。
 「油断大敵」。これは、一国の歴史にも、一人の人生にもあてはまる真実であろう。
 みずからの歴史を晴ればれと"勝利"の二字で飾るには、"手抜き"は許されない。小さな油断から、人生に悔恨(かいこん)を残してはならない。
 どうか、自分自身のために、悔いない「今日」であり、「明日」であっていただきたい。(拍手)≫


○ユゴー「今世紀は"人間革命"に着手を」

 六月五日、フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館で「『九十三年』――ユゴーの革新的な息吹」展が開幕した。同展では、貴重な直筆原稿などが多数、展示されている。
 ユゴーについては、いつかさらに語りたいと思っている。
 ご存知のとおり、ユゴーの革命小説『九十三年』は、1793年を主舞台にしている。今年は、それからちょうど二百年にあたる。私も若き日に、戸田先生のもとで、同書を繰り返し読んだ。

 先日、フランスのメンバーの方から、「ユゴーも『人間革命』の大切さを訴えています」とのお手紙が寄せられた。「ぜひ日本の同志に紹介してください」との要望も添えられていたので、そのままお伝えしたい。
 それは1876年6月、友人であった著名な女性作家ジョルジュ・サンドの死を悼(いた)んで、ユゴーがしたためた一文である。
 ユゴーはつづっている。
 「フランス革命が完了し、人間革命に着手すべき今世紀」と――。
 フランス革命の「自由」と「平等」と「友愛」の理念を手にした人類は、今こそ「人間革命」に取り組むべきである、と語っているのである。
 今、学会は、この人類待望の大道を、先駆けて進んでいる。(拍手)
 創価大学の記念講堂には、このユゴーの像と、トルストイの像がある。
 ユゴー研究の権威であられる辻(つじ)昶(とおる)氏(東京教育大学名誉教授)は、ユゴーの思想はトルストイに継承されているとされ、両者の像を並べて建てたことに、創大のめざしている精神がうかがえると高く評価してくださっている。(拍手)

 現在、私と「科学と宗教」の対談を進めている、世界的な物理学者のログノフ博士(前モスクワ大学総長)が来日されている。私はあす(六月十六日)、会談する予定である。(=対談集『科学と宗教』は、上、下二巻共に1994年5月3日、潮出版から発刊)
 博士も、語っておられる。
 「(人類の新たな文明を展望するうえで)私はきたるべき『人間革命』についての池田博士の見地に全面的に賛成します。この革命がなければ、人類は未来がもてない可能性もあります」と。(拍手)
 "学会は正しい"との証明と、励ましのお言葉と受けとめたい。日々、偉大なる「人間革命」の実践に取り組んでおられる皆さまの姿を、世界の英知は、熱いまなざしで見つめている。(拍手)
 学会があまりにも時代を先取りしているゆえに、日本の社会は、その偉大さを、なかなか理解できないのである。しかし、心ある世界の人々が、そして二百年後の人類が、大喝采をもって、皆さまを讃嘆することは間違いない。(拍手)


○現実の世で広布に戦う人こそ尊貴な女性

 大聖人の門下に、妙法尼御前と呼ばれる婦人がいた。この婦人は、夫に先立たれた。そのうえ親類からも離れており、娘もあてにできない。頼るべき身寄りのない境遇であった。
 しかも、信仰のことで周囲から、あれこれといつも悪口を言われ、いじめられていた。
 しかし、彼女は、ただ大聖人の仰せのままに、一人、毅然と広布のために動いた。冒頭に述べた「無上道」を、最高に正しい道を歩み続けたのである。
 大聖人は、世間的には最も弱い立場で、人々から軽蔑されていたこと無名の庶民の女性こそ、じつは最も尊貴な仏となると、最大に称賛しておられる。
 他のだれが言うのでもない。御本仏の御説法である。三世を知る大聖人の御言葉である。
 私たちは大聖人を信奉する。大聖人の門下である。ゆえに、大聖人の教えのとおりに信仰するのが正しいのではないだろうか。(拍手)
 日顕は、それはいけない、自分の言うとおりにせよと言うのだが、おかしいのではないだろうか(拍手)。彼の大聖人の門下のはずなのだが、それとも違うのだろうか。(爆笑)

 大聖人は、妙法尼御前に仰せである。
 「今末代(まつだい)悪世の女人(にょにん)と生(うま)れさせ給(たま)いてかかるものをぼえぬ島のえびす(夷)にのられ打たれ責められしの(忍)び法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝(すぐ)れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名(みな)を一切(いっさい)衆生(しゅじょう)喜見仏(きけんぶつ)と申すは別(べち)の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし」(御書1420ページ)――今、(あなたは)末代悪世の女人とお生まれになり、このように、ものごとの道理をわきまえない島(日本)の野蛮な人々にののしられ、打たれ、責められながら、それを耐え忍んで法華経を弘めておられます。かの比丘尼(ここでは釈尊の養母である魔訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼)と比べて、あなたのほうが天地雲泥も勝れていると、仏は霊鷲山(りょうじゅせん)でご覧になられていることでしょう。かの比丘尼に授けられた名前を「一切衆生喜見仏(一切の衆生が喜んで見る仏)というのは、別のことではありません。今の妙法尼御前の名前であるのです――と。
 ちなみに、「妙法尼」は、佐渡に在住していたとの説もあり、その場合、「島」は佐渡をさすとの解釈もある。
 ここで引かれている釈尊の養母とは、釈尊の叔母(釈尊の母の妹)にあたり、実際に釈尊を育てた王妃である。釈尊の生みの母は釈尊を産んで七日後に亡くなっている。しかも、この育ての母は、後に女性として初めて出家し、釈尊教団のなかで女性の中心的な存在として活躍している。
 これほどまでに釈尊にゆかりが深く、身分も立場も高い女性にもまして、大聖人門下の無名の女性は偉大であると、大聖人は断言なされている。
 それは、なぜか――。釈尊の養母らは、たいへんな娑婆世界を避けて、楽な他方の国土で法を弘めることを願った。それに対し妙法尼御前は、この娑婆世界の真っただ中で、名利もかなぐり捨て、命をなげうって戦っている。
 娑婆とは「堪忍(かんにん)」の意で、わずらわしい苦悩や嫉妬などを、耐え忍んでいかなければならない場所である。
 とりわけ大聖人は、日本の国は、一闡提(いっせんだい)の生み広げた国であると仰せである。
 (「一闡提人と申(もうし)てほうぼうの者計(ばか)り地獄守に留(とどめ)られたりき彼等がう(生)み(生)ひろ(広)げて今の世の日本国の一切衆生となれるなり」〈御書959ページ〉
 その地で難を受けながら、忍耐強く、法のため、友のため、社会のために行動している。その姿を、大聖人は、このうえなく称えておられるのである。


○「王宮」の学会で幸福の「王者」と輝け

 人里離れた山の奥や、森の中で安閑と過ごすのではない。荒れ狂う現実社会を舞台に、苦悩している人のもとへ駆けつけ、対話し、救っていく――その人こそ、いちばん尊い人間であり、本物の信仰者ではないだろうか。(賛同の挙手)
 大聖人は、三世の生命観のうえから、すべてを見通して仰せである。懸命に広布に進んでいる、その人こそ、いちばん崇高な存在なのである。
 すなわち学会の婦人部、女子部、そして全同志こそ、一切衆生が喜んで見るような仏となる。無量無辺の諸天諸仏が皆さまを讃嘆しておられる。(拍手)
 幸福は外見ではない。華やかな姿で決まるのではない。人気や虚栄は幻であり、泡(あぶく)のようなものである。そうしたものに粉動されて、自分を見失えば、最後は哀れな人生となってしまう。とくに、女子部は聡明であっていただきたい。真実と虚偽、本物と偽物を見極めるjための信仰である。


 ≪妙法のため、広宣流布のために流した労苦の汗こそ、いちばん尊い。その人こそ、生々世々、あらゆる人々から喜び慕われ、敬愛されゆく大境涯を開いていける。≫【また、まこと信心に徹しゆく人には、教養も、品格も、福徳も、すべてが最高に備わってくる。
 どうか
】≪仏意仏勅の学会のなかで、意気軒高(いきけんこう)に≫【人生を生きぬいていただきたい。
 学会の会館はすべてが"王宮(おうぐう)"である。御本尊を中心とした輝く"宮殿"である。心卑しき人間はいられない世界である。
 私どもは、この王宮で、
】≪すがすがしい心の連帯を築きながら、人々を救っていく≫【"キングの道"を、】≪"王者の道"を歩んでまいりたい。(拍手)≫

 【きょうは本当にご苦労さま。参加できなかった皆さまにもよろしくお伝えしていただきたい。
 リーダーは、会合のさい、新鮮味のある、味わい豊かな話をお願いしたい。
 食事でも、毎日、毎日、「ごはんと味噌汁だけ」では飽きてしまう(爆笑)。たまには、違ったものが食べたくなる。話も同じである。決まりきった話や、伝達と報告だけでは、あまりにも味気ない。心に染み入るような話で、皆の心をさわやかにしてあげていただきたい。
 人生を心から楽しんでいくための信心である。どうせ生きるならば、楽しく生きたほうが得である。どうせ戦うならば、楽しく、勢いよく戦ったほうが得である。
 悠々と、胸を張って、どこまでも朗らかな前進をお願いします!
 

笑えるのはあなたですよ。

 投稿者:大勝利  投稿日:2016年 6月 1日(水)11時56分26秒
  O裏の掲示板  投稿者:金庫番
投稿日:2016年 6月 1日(水)01時45分46秒
ハンドルネーム
日々朗らか
日朗

これ、昔の大勝利だよ
今と昔、変わらないウマシカぶり。
笑えるぞ~
ーーーーーー
日々朗らかさんは、天鼓関連で浅見に意見しようとして処分されたんですよ。もう何年も前ですけどね。
 

ジョニーは戦場へ行った

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 6月 1日(水)11時30分24秒
編集済
  シドニー様、ありがとうございます!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48076
これ、あの時のスピーチですか! 覚えています! 私はこの時、初めてインパール作戦のことを知りました。池田先生のお兄さんもここで亡くなっていますね。
このスピーチ後、折を見てインパール作戦のことを調べました。究極的に愚かな作戦ですね。時々これを私の地域では言います。「この打ち出しはインパール作戦ちゃうんか!?」と。日本人の業病でしょう。この前、毎日新聞にこんな特集がありました。あの戦争での「死因第1位」は何だったと思います? 「餓死」なんですって。
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html
鬼畜米英から家族とお国を守るために銃弾の盾になろうと戦地に赴いた兵士たちは弾に当たる以前に食に当たったりで死んでいるのです。もう、泣くに泣けない。それを名誉の戦死と美化されて。前線は本陣のバックアップなしには闘えない。生きてもいけない。なのに……今、創価の前線は? 本陣からの“歓喜”のバックアップはあるのか?

皆、“歓喜”に飢えて死んでいくのです。“歓喜”に飢えているのです。堀内孝雄の『南回帰線』には「♪夢を食べて生きるさ」というフレーズがありますが、我々は歓喜を食べて生きているのです。なのに、その歓喜に飢え、「歓喜の餓死」者が続出しているのです。創価本陣のインパール作戦によって。
https://www.youtube.com/watch?v=6IrfRKxvtFU

“私の可愛い子、 (そして)あぁ、私の愛する人、”
“(希望の)虹は消え、(平和の)鳩も飛び去った”
“あなたのお父さんは 私のたった一人の愛する人だった”
“ジョニーは兵士となり、(戦場で)逝(い)ってしまったの”
(『ジョニーは戦場へ行った』PPM
https://www.youtube.com/watch?v=TC6Mt2T3i4Y
 

師匠の指導を勝手に割愛して、悪の分派活動をする創価の権力者

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)11時04分58秒
  その昔、臆病者の坊主が日蓮大聖人の御遺文を削除・改竄したり、もっと昔は、カナ使いの御遺文は恥ずかしいなどと言って水に入れて漉き返して滅却したりと、極悪の分派活動する禿頭弟子は、どんな時代にも出現するものです。

この二十一世紀に至り、創価学会の中に禿頭弟子(禿人=反逆者)が出現して、極悪非道のスピーチ改竄を繰り返す。まさに、道理ですね。
お金有りますから、今度は口パク映像に、音声合成入れて、『H田が直弟子、皆、言うことを聞け』とか『T川は素晴らしい、最高だ、次の会長だ!』なんて動画を本幹で編集継接ぎするかも(-_-)
 

師匠の指導を勝手に割愛して、悪の分派活動をする創価の権力者

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)11時02分55秒
  その昔、臆病者の坊主が日蓮大聖人の御遺文を削除・改竄したり、もっと昔は、カナ使いの御遺文は恥ずかしいなどと言って水に入れて漉き返して滅却したりと、極悪の分派活動する禿頭弟子は、どんな時代にも出現するものです。

この二十一世紀に至り、創価学会の中に禿頭弟子(禿人=反逆者)が出現して、極悪非道のスピーチ改竄を繰り返す。まさに、道理ですね。
お金有りますから、今度は口パク映像に、音声合成入れて、『H田が直弟子、皆、言うことを聞け』とか『T川は素晴らしい、最高だ、次の会長だ!』なんて動画を本幹で編集継接ぎするかも(-_-)

もう、悪の分派活動する創価の権力者さま方は、何でもやり放題です。但し、熊本には行きません、今更カッコ悪いですから。
『現場の皆さん、現場会員だけで頑張って~下さい~。大誓堂に棲む我々、創価の権力者は、見守ってます、義援金は送りませ~ん、学会本部は、熊本のために何もしませ~ん、名前だけの誰も居ない対策本部だけは有ります。でも連絡は、ここにしないでください。面倒くさいから。全部、熊本でやってマス。信濃町に連絡はしない事。ここは、そんな事(義援金集めたり、安否確認したり)するところでは無いのです。9時~17時勤務のマジメな職場、決まった事を毎日淡々とこなして、アフターファイブを楽しむ為の創価の権力者(選ばれたエリートのみ)が棲む都なのです。常楽光土です。だから、世情の事は、その場所だけで対応してください。』何ていう感じですね。(-_-)
 

がばいばあちゃんカラ学ぶ

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 6月 1日(水)10時49分41秒
  小学校五年の洋七はばあちゃんに言った
  「  ばあちゃん もしかしてウチんとこ貧乏なん? 」
ばあちゃんは言った
     『  気ずくな  』
本幹での壇上五老僧 等の無表情、怯えた姿
ハラタニヒロシ様だけに教えてあげますね
     「  嘘がバレる  怖い  ヨ~ 」
 

兵隊にはなりたくない

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 6月 1日(水)10時44分35秒
  元本部職員のブログが更新されています。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
主催者側で記録録画します。参加者の録音等は禁止です。朝日新聞政治部が取材に来ます。横断幕等の持ち込みは不可とのことですが、「除名Tシャツ」「反逆者Tシャツ」とか「374919Tシャツ」とか「教学部レポート&遠藤文書を読もうTシャツ」とかの着用禁止は書かれていません。物販コーナーはない模様です。行商に行こうかなぁ。
敵は入口あたりでやるかかな? 「一割退転上等Tシャツ」とか「核爆弾型三色まんじゅう」とか売ったりして。「林間学校入学パンフレット」も配るのかな? リンカン大統領の写真入りで。伊藤園は自販機設置に来ないのか? なに今さら遠慮してんねん! たかりなはれ! たかりなはれ! 記念に一つどないだ! 平家ガニのぬいぐるみ!
朝日新聞はん! ちゃんと書いてくれたら来月から購読しまっせ! いしいひさいちさんの漫画が終わったらやめるけど。

【再掲! 小林節教授 来る!!! 6・4 in 横浜】
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
ブログの御三方とあの小林節教授のジョイントが実現!!!
6/4(土)AM10:00 かながわ県民センター 2階 ホール

カウントダウン「6・4」まで、あと4日

“大幹部様にはなりたくないよ母さん、泣きたくないんだ”
“国会議員にはなりたくないよ母さん、嘘をつきたくないんだ”
“兵隊にはなりたくないよ母さん、死にたくないんだ”
“いやだ いやだ いやだ いやだ いやだ いやだ”
(『兵隊にはなりたくない』ジョン・レノン
https://www.youtube.com/watch?v=mf44CHE31Gc
 

呼称変遷

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)10時09分24秒
  平家ガニ → 提婆戦隊チガウンジャーorそのヴァリエーション → DBD48 → 反逆者 !!
 

新しい道

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 6月 1日(水)10時06分53秒
  本日(6月1日付)の聖教新聞 「コスタリカ元大統領アリアス博士の講演」より

「皆さんは、問題に満ちた、この惑星を受け継ぎました。しかし、皆さんは、父母や祖父母の世代が思い付きもしなかったような解決法を見いだす可能性にも満ちています。皆さん方が、私たちに新たな道を指し示すのです。示してください。国々を分断する境界にとらわれず、どう世界を見つめるのかを。人類の苦しみを緩和するために、何ができるのかを。人類の命運を変えるのは、もはや限られた人たちだけではないことを。身を粉にしてより良い世界を築きゆく方法を。声を上げるのです。たとえ周囲に何を言われようとも。平和のために。尊厳のために。」

:::::::
上記の言葉を学会内に置き換えると

・個々のイデオロギー(本尊観や政治信条など)にとらわれず、どのように団結していくか
・会員の苦しみを緩和するために、何ができるか
・学会の組織を変えるのは、限られた人たち(職員や幹部)だけではない
・身を粉にしてより良い学会を築きゆく方法

この四つの視点で考えていくことが大切である。いまだかつて、発想すらしなかった柔軟な思考で、新しい道を示すことが出来るか否か。ここに創価学会の未来がある。新しい道を示すためには、世界の英知を結集させる必要があります。それが宿坊の掲示板の完成形態でしょう。54年問題と向き合う先に、創価学会の新しい道がある。


 

了解です!

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月 1日(水)09時56分26秒
編集済
  お昼に全文アップします。
原稿は完成していますので宜しくお願い致します。
 

虹と創価家族さま 【第18回本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 6月 1日(水)09時12分28秒
  下記、シドニー様が全文を掲載してくれました。
ありがとうございます。
虹様 こちらをご使用ください。

■第六十七回本部幹部会
◆「人間革命」の無上道を漸進〈平成5年6月15日、創価国際友好会館〉
池田大作全集83巻

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48076

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>>酷いものです、幹部に都合が悪い部分を選んで削除。
まさにパッチワーク状態で、本来の意味合いが変わっています<<

>>また、全国婦人部幹部会であるのに、原文にある婦人部・女子部への称賛や指導を削除<<

>>そして、サンマルチンの戦いを通し、民衆の反転攻勢の智慧となる指導を丸ごと削除<<

>>サンマルチンの戦いは、宿坊の掲示板に集う方に、読んで頂きたい内容です<<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48070

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>>今回の池田先生の本幹映像は…
またまた、つぎはぎのパッチワークです。
本日付け聖教新聞に映像編集版スピーチが出ています。<<

>>実際のスピーチと比較すれば一目瞭然。選挙の為に利用しています。<<

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

反逆者!その通りです!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)09時05分1秒
  正論を述べる職員を解雇、査問、対話拒否して除名する。
かたや、財務を横領・着服したり、獣道歩み多重不倫したり変態行為ばかりやっている者を大幹部として登用し財務から高額な給与を支給する。

まさに、反逆者・分派活動・極悪人です。正しい会員の集まりである創価学会の頂点に居て、エリート根性丸出しで、現場会員の見ていないところで、自分たちだけで悪事(分派)を働き、これを指摘した職員を反逆者扱いにして、遠方左遷、対話拒否、問答無用の査問、そして除名と、極悪の限りを尽くす。

最近は、職員のみならず現場の一般会員に対して、これまた極悪の分派活動する手下が動いて、即除名(-_-)安保だかアンポンタンだか、くだらない理由で、信仰を弾圧する分派活動をやってます(-_-)

そして、彼らはこれらの行為が『創価学会の極善』であると主張する。そりゃ真逆でしょうがね。

熊本にも行かない、婦人部幹部会だと言うのに、壇上にはツノ生えた禿頭幹部ばかりが並ぶ、聖教新聞は毎日、話題逸らしのお花畑のような記事、『現場は皆さんだけで頑張って~下さい!エリートの我々は、汚いところやら、大変なところには行きませ~ん、だって極悪の分派活動が忙しいから、露見しないようにする作業が忙しくて、信心なんてやっている暇がありません!』と言っているみたいです。(-_-)
 

『反・逆・者』

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)08時26分53秒
  おはようございます!

イケディさま、冴え渡るイケディ節、ひさかたの復活、元気出ます。
どこか洗練された感じがするのは、勘違いでしょうか。
そのオリジナリティ、ただごとではありません。


さて、このごろ思わざるを得ないことです。

様々な事象が証明となりますので、それをいちいち述べませんが、

現執行部、つまりはらだー・アキヤーはじめ4人組ほか一味は、

末法における仏法違背・池田先生利用の師匠違背ぶりから、

       『反・逆・者』

であると、この時を以てひかりは言わせていただきます。


 

生涯師弟誓願

 投稿者:KAZE  投稿日:2016年 6月 1日(水)06時48分41秒
  おはようございます。池田先生の御指導です。

「第一にも確信、第二にも確信、第三ににも確信をもって、朗らかに逞しく、すべてを建設してゆこう。―――自信とか、強い信心とか、勇気とかは、一朝一夕にできるものではない。本当の自信、力強い信心は、七年、十年、二十年と信心していったとき、自然に身につくものである。―――一つの強い信念を基準に持つ人は、明確な論理の展開が、悠々と出来得るものである。―――自信を持って事に処せ。―――自分の道はだれにも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。―――正しい信念なくして、立身出世主義、権力主義の虜となり、巨大な組織のうえに安逸をむさぼり、自分勝手な行動によって、大多数の人に、迷惑をかけるようなことがあっては断じてならない。―――いずれの道であれ、ひとたび決意して入ったからには、その道に徹しなければならない。もし、見栄のために指導も受けず反発し、自分勝手にいくのであれば、その道に入った意味はないであろう。」と。

今日も師匠とともに世界広布新時代の新たな勝利の歴史を築く勇気ある闘いを起こしましょう。
 

シドニーさま、ありがとうございます\(^o^)/

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)06時31分28秒
  良い内容のスピーチです。

乗り越えられない山は無い!

でも、あのお方が、あの時代から数年後の愛知選挙区の山本保候補を落選させた事実は隠しようがありません。何をしていたのですか?学生部長時代同様に愛知で林間学校開いていたのか?疑問でしたよ。あれから、先生はあのお方を弟子として見限ったのです(-_-)

山を越えられない無能な弟子と!だから、芽は無いのです。獣道を歩む者には未来は訪れない!女性蔑視、変態弟子の方々、婦人部幹部会を開催していながら、ツノ生えた禿頭みせて、恥ずかしいと感じませんでしたか?

今後は、後方撮影の際、カツラ被って、女装して(-_-)、勝負パンツみせながら、本部幹部会を開催して下さいね。喋らないで会員喜ばせるだけ(晒し者で)で結構です。

創価の権力者って、変態ばかりの禿頭の集まりだと世間からバカにされています(-_-)内向きであれば、ひたすら会員を喜ばせるだけの存在で居て下さい。指導やらしなくて結構、裸の王様のように、手下に持ち上げられながら、本幹ではカツラ被って、女装して上半身裸(石田次男のマネ)、下半身は日蓮世界宗創価学会の刺繍入りオムツみたいな勝負パンツ穿いて入場する。勤行も題目三唱もしないのだから、パンツ見せながら股開いて、だらしないカッコして踏ん反り返り、失笑を会員にかつてもらいましょう。未来部担当者は、未来部員に対して『あんな大人になっちゃダメよ!』と指導する。青年部幹部は、本幹異時再放送を青年部員と視聴して『あのような壇上幹部になってはいけないという例です。皆さん、しっかり折伏弘教して唱題根本に現場で頑張りましょう』と話をする。これでまともな創価学会になります。
 

第六十七回本部幹部会〈平成5年6月15日、創価国際友好会館〉

 投稿者:シドニー  投稿日:2016年 6月 1日(水)04時35分58秒
編集済
  ■第六十七回本部幹部会
◆「人間革命」の無上道を漸進〈平成5年6月15日、創価国際友好会館〉
池田大作全集83巻


○指導者は、知道者、開道者、説道者たれ

 目には見えないが、大空には「鳥の飛ぶ道」がある。大海には「魚(うお)の道」がある――と、御書に仰せである。(「虚空に鳥の飛跡(とぶあと)あり人此(これ)をみず・大海に魚の道あり人これをみず」〈1250ページ〉)
 これが仏法の鋭い眼である。
 では、人間が人間として生きていく「最高の道」はどこにあるか。ここに根本的な、また全地球的次元での課題がある。
 その「無上道」を教えているのが仏法であうr。まだこれ以上のものがあるという「有上道」に対して、「無上道」――これ以上のものはないという最高の道を説いている。
 法華経の中で、釈尊は、みずからのことを、「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」であると述べている。これは、薬草喩品(やくそうゆほん)に「我(われ)は是(こ)れ一切知者、一切見者(けんじゃ)、知道者、開道者、説道者なり」(開結281ページ)とある言葉である。
 仏意仏勅のわが創価学会は、日蓮大聖人の直系として、正しき「この道」をまっすぐに歩んでいる。
 一方、日顕宗は、大聖人の「正道」に背き、完全な「邪道」に歩んでいるのである。(拍手)

 中国の天台大師は、この法華経の文を、"身口意(しんくい)の三業"に配して解釈している。
 「道を知るとは、意(こころ)を惜しまないことをいう。道を開くとは、身を惜しまないことをいう。道を説くとは、口を惜しまないことをいう」と。
 すなわち、「法華文句(もんぐ)」に「知道は意不護(いふご)を謂(い)う。開道は身不護を謂う。説道は口不護を謂う」(大正34巻)とある。
 「意を惜しまず」――友のため、社会のため、平和のために、たえず心を砕き、祈りきっていく。
 「身を惜しまず」――広布のため、悩める人々のために、どこへでも駆けつけ、動いていく。
 そして「口を惜しまず」――語りに語り、「声仏事を為(な)す」(御書708ページ)と仰せどおりの行動を重ねていく。だからこそ、私はスピーチをはじめ、語りに語っている。
 迫害を恐れ、反動を恐れて、言うべきことを言わず、ずる賢く立ちまわる。仏法上、それは「悪」である。また、指導者失格である。
 「意」も「身」も「口」も惜しまず――ここに仏法者の要件がある。この三つが、そろっているかどうかである。
 そして、これが人間としての「最高の道」である。釈尊も、日蓮大聖人も、この道を教えられた。そのとおりに進んでいるのが創価学会であり、わが同志である。(拍手)

 (会合に先立って、まず次のように語った。
 きょうは、まず演奏から、お願いしましょう。入梅(にゅうばい)で蒸し暑いし〈爆笑〉、何かと忙しくて疲れることが多いから、少し気分転換に〈笑い〉――。本日は、学会の「名曲」の作曲にたずさわった方々の代表に来ていただいている。少しでも、皆さまの慰労になれば幸いである。〈拍手〉
 どうすれば、皆さまが、心休まるか。いつもと角度を変え、どうすれば新鮮で、おおらかな気持ちになれるか――それを真剣に考えるのが指導者である。
 「会員の心」「民衆の心」に気を配らないのは、本当の指導者ではない。指示し、命令しているだけでは、軍隊と同じである。また、民意をまったく忘れた今の日本の政治のようなものだ。あたたかく、濃(こま)やかな気配り――それが真の指導者である。そして創価学会の世界である。〈拍手〉

 今日は第六十七回本部幹部会。本日より高知・室戸会館でも衛星中継が始まった。おめでとう!(拍手)
 さらに、この会場には、海外十七ヵ国のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーが参加しておられる。心から歓迎申し上げたい。(拍手)


○大勝利で示した「師弟」の精神

 昭和三十年(1955年)四月の統一地方選挙は、学会の支援活動の初陣であった。
 この時、大田区から都議選に小泉隆氏(故人、当時・理事長)、横浜の鶴見区から市議選に森田悌二氏(故人、当時・鶴見支部長)が立候補した。
 知名度もゼロ、肩書もゼロ、経験もゼロ、お金もゼロ(爆笑)――情勢はきわめて厳しかった。立候補したほうも、支援するほうも、皆、まったくの素人である。まさにゼロからの出発であった。
 弘教はともかく、選挙はだれもやったことがない。しかも、支援活動は、いつしか信心を忘れ、世法的な策に流されていった。
 戸田先生は、事態を深く憂慮された。そして急遽、私を大田と鶴見の両方の最高責任者として一切を託されたのである。
 いつも、最初の突破口を開く使命が私にはあった。「大作、そろそろ出るか」――その一言を受けて、広宣流布の勝利の渦を巻き起こした。折伏戦も、私が全世界の火ぶたを切った。
 当時、私は二十七歳。すべて戸田先生の「代行」のつもりで戦った。
 先生が「やろう」と言われた学会の初陣である。負けさせるわけにはいかない。師匠のため、同市のため、社会のため、民衆のため――そのために、走りに走った。小賢しい策など何もなかった。あるのは、「信心の勢いで」「信心の団結で」――これだけであった。
 多摩川を渡って鶴見、こちらへ戻って大田――一つだけでもたいへんであったが、私は両方の全責任を担って戦った。そして、悠々と弘教を進めながら、いずれも最高点の大勝利である。(拍手)
 しかし、どんなに戦い、勝っても、戸田先生は私をほめない。私が行けば「勝って当たり前」と安心しきっておられたのかもしれない。
 戸田先生の弟子の力が、どれほどすごいか――私は一切に勝ちぬき、満天下に示してきた。それが私の誇りである。(拍手)
 ところで、議員は、本来、公僕(こうぼく)である。民衆の幸福のために仕えるのが使命である。決して威張らせてはならない。厳しく、監視せねばならない。
 いわんや、学会員の支援で議員になったにもかかわらず、その大恩を忘れ、学会員をバカにしたり、利用したり、裏切る人間は最低である。(大拍手)


○ナポレオンのアルプス越え――「前進!」を合言葉に

 この秋、東京富士美術館(八王子市)で「大ナポレオン展」が開かれる予定である(=10月8日、開幕)。準備も着々と進んでおり、世界的にも注目されている(拍手)。できれば国内の各地にも巡回し、多くの人に見ていただきたいと願っている。
 「前進!」――この叫びとともに、ナポレオンは波乱の劇を生きた。
 私も若き日、この「前進!」を合言葉に、ナポレオンを語りつつ、最低クラスであった文京支部を、学会最高峰の支部に育て上げた。かけがえのない青春の思い出である。
 ナポレオンの生涯のなかでも、アルプスの峻峰を越えてローマへと渡った「アルプス越え」はあまりにも有名である。
 この「アルプス越え」の雄姿を描いた名画の一つが、東京富士美術館に所蔵されている。(フランス新古典主義絵画の巨匠ダヴィッドの傑作「アルプス越えのナポレオン」。所蔵品は、同構図の絵のなかで、最初の作品とも伝えられている)
 また、今秋に完成する東京牧口記念会館の周辺にも、将来、「アルプス越えのナポレオン」の像を置きたいと考えている(=1993年〈平成5年〉11月2日に東京牧口記念会会館に隣接する「ナポレオン広場」で除幕式が行われた)。(拍手)

 ナポレオンは、やむことなく戦い続けた。
 しかし、リーダーには、途中で兵を休ませたり、危険や無理がある場合には、作戦を中止する勇気も必要であろう。性格的に、また周囲の状況から、ナポレオンには、それができなかったようである。
 先日、NHKのテレビで「インパール作戦」の特集を放映していた。この作戦の失敗も、司令官の無思慮に要因があった。(同作戦は、太平洋戦争末期、日本軍がビルマ〈現ミャンマー〉からインド東北部のインパールに対して行った侵攻作戦。約十万の兵士のうち約三万人が死亡し、約二万人が負傷や病気で倒れたという。インパールからアラカン山系を越えるビルマへの道は「白骨街道」と呼ばれた。史上まれに見る"最悪の戦争"といわれる)
 中国やシンガポールで、華々しい武勲をあげた司令官は、現場の指揮官や参謀の「食糧が足りない」という道理にかなった意見も聞き入れない。そして無謀な作戦を強行し、おびただしい犠牲者を出してしまった。私の長兄も、そこで亡くなっている。
 リーダーはくれぐれも、皆の意見をよく聞くことである。それができないのは増上慢であり、将として根本的に失格である。


○サンマルチンの「アンデス越え」

 さて歴史上、ナポレオンの「アルプス越え」に並び称される有名な出来事に、南米解放の英雄サンマルチン(1778年~1850年)の「アンデス越え」(1817年)がある。
 サンマルチンといえば、南米では知らない人はいない。
 万年雪に覆われた六千メートル級の山々がそびえるアンデス山脈。その高さは、ヒマラヤに次いで世界第二位を誇る。長さは、地球の約四分の一周に相当する世界最長の山脈である。
 本年二月、南米訪問の折、空路、アンデスを越えた。五十ヵ国歴訪の節(ふし)を刻むパラグアイからチリへの旅路であった。
 その折の感慨を、次のように歌った。

  荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり

 十九世紀初め、南アメリカでは三百年にわたるスペインの支配が続いていた。サンマルチンの祖国アルゼンチンは、独立宣言はしたものの、なお南米の広大な地域を治めるスパイン軍に絶えず脅かされていた。
 民衆の蜂起も、圧倒的な兵力の前に、ことごとくつぶされた。その陰には、権力者と結託して、民衆の正義の声を抑圧しようとする聖職者の圧迫もあった。
 サンマルチンは、みずから志願して前線に立ち、敵との激しい攻防の指揮をとる。彼は、スペイン軍をチリ、ペルー、ボリビアから追放しないかぎり、アルゼンチンの独立を維持することはできないと考えていた。そして一つの結論に達した。――"だれも予想できない所から攻めていくしかない。よし、アンデスを越えよう! 敵をあっと言わせよう"
 当時の常識では、それは不可能なことであった。数千メートルもの山々。道があるところでも、人間がようやく通れるほどの細い道でしかない。危険な場所も多い。大軍を率いてそこを越えようとする人など、だれもいなかった。
 しかし彼は逡巡しなかった。"今はためらっている時ではない。行動する時である"と。
 彼は、青年らしく立ち上がった。アンデスのふもとの地域の州知事となり、たった一人で準備を始める。
 優秀な人材をどう集めるか。食糧はどうするのか。どの道を通るか。馬や武器の確保をどうするか――問題は多かった。
 「越えなければならない巨大や山々のことを考えると、夜も眠れなかった」と彼は言う。
 彼は、一つ一つの問題に真剣に取り組み、身を粉にして働いた。兵士の食べ物や、サーベルの刃の具合にまで細かく気を配ったという。
 その陰には、夫人の強い支えがあった。夫人は、大切な宝石をすすんで寄付したり、市民の協力を求める署名簿に最初に署名するなど、夫とともに先頭になって戦った。
 サンマルチンは、いかなる人であれ、一緒に戦おうという人は、皆"同志"として敬った。先住民であれ、外国人であれ、一人として"よそ者"扱いせず、あらゆる人を結集した。奴隷も解放し、仲間とした。皆を味方にしようとしたのである。
 また、彼は「対話」を大切にした。一人一人に情熱をこめて応援を訴えた。
 "ぜひ、あなたの力を貸してほしい。ともに新しい時代をつくろう!"――この気迫が、人々の心をつかんでいった。やがて壮年も青年も、男性も女性も、進んで準備に協力するようになる。そしてわずか二年間で、五千人を超す一級の部隊ができあがったのである。
 「さあ、出発しよう!」――サンマルチンの勇ましい声が、夏の青空にとどろいた。いよいよアンデスをめざし、さっそうたる出陣である。
 細心の注意をはらい、部隊は四つに分かれた。しかし、バラバラになることなく、彼を中心に、つねに連携を取りあい、団結して進んだ。
 万年雪を見上げつつ、岩をつたい、道なき道を行く強行軍。空気が薄く、高山病で倒れる者もいた。サンマルチンはのちに、「アンデスの困難は、越えた者のみがわかる」と語っている。
 しかし皆、挑戦を続けた。戦いに参加したことに誇りをもっていた。
 彼はこうも語っている。
 「皆、あまりにも大きな困難を克服した自信にあふれ、途中で引き返すことなど思いもしなかった。兵士たちには、確信と勇気がみなぎっていた」と。
 サンマルチンは、率先のリーダーであった。つねにみずから先頭に立ち、苦楽をともにして、皆を励ます心遣いを忘れなかった。
 山中で、兵士たちは、疲労と零下六度の寒さに襲われた。その時、彼は、眼前にそびえる南米最高峰のアコンカグアの山(標高6960メートル、富士山の約二倍)を見つめながら、皆に勇気をおくろうと、音楽隊に「アルゼンチン国家」を演奏するよう促した。
 澄みきった空とアンデスの山々に響きわたる荘厳な音色。それを耳にして奮い立つ兵士たち――一幅の名画のごとき情景である。私はこの二月、アルゼンチン総会に出席した折、厳粛に合唱されたアルゼンチン国家を思い起こす。

 出発の日から約二週間。苦難また苦難を乗り越え、「アンデス越え」は見事に成し遂げられた。
 不可能が可能となった。敵はあっと驚いた。大成功、大勝利であった。「この時に、南米の歴史が変わった」と言われている。それからの彼は、怒涛の前進とともに、勝利を積み重ねていく。またたく間にチリを解放し、ペルーの独立を勝ち取っていったのである。
 のちにある詩人は、この英雄をたたえて歌っている。
 「アンデスに一つの岩のあるかぎり、荘厳な山頂にコンドルが飛んでいるかぎり、あなたの名は不滅であり、戦地でのあなたの叫びは消えることがない」
 私たちも、ともどもに"広宣のアンデス"を越えてまいりたい。「行動の人」の栄光は、永遠である。


○先頭を進め"栄光の劇(ドラマ)"へ

 ナポレオンは、語った。
 「それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう!」(オクターヴ・オブリ編「ナポレオン言行録」大塚幸男訳、岩波文庫)
 彼は生涯で、六十回におよび戦闘を行っている。すべて"生きるか死ぬか"の命がけの戦いであった。
 ある時は、エジプトのピラミッドを仰ぎ、ある時は、白雪のアルプスを越えながら――ナポレオンは戦った。
 皆さまも、自分自身の「ロマン」をつづり、自分自身の「歴史」をつくることである。
 だれに言われようが言われまいが、自分は自分らしく、決然たる「舞」を舞い、「曲」を奏で、「劇」を演じゆく人生であっていただきたい。
 どうせ戦うなら、身も心も軽やかに戦うことである。すべてを自分の喜びとし、生きがいとしていける人が賢者であり、幸福者である。
 ナポレオンは、戦いにあって、つねに先頭に立った。
 「つねに先頭に」――これが指導者の鉄則である。
 次元は異なるが、大聖人も、法戦の先頭に立って戦われた。ゆえに門下の私も、つねに先頭に立つ。
 皆に戦わせ、自分は後ろに隠れて、楽をしようというような、卑怯なリーダーであってはならない。

 ナポレオンは"最悪の策とは、ほとんどつねに、最も臆病な策である"との信念をもっていた。臆病は敵である。彼は、だれよりも勇敢に戦った。
 戦いの勝利を決定づけるものは何か。ナポレオンは、体験のうえから次の言葉を残している。
 「いたずらに多くの人間がいたからといって何にもならない。一人の人間こそすべてである」(同前)
 牧口先生も、「羊千匹より獅子一匹」と言われた。
 私も、「ただ一人で」の決心を貫ききってきた。大聖人の直系として、また戸田先生の後を継ぎ、私は戦う。だれがついてこようと、こまいと、また、だれが反逆し、攻撃しようと、私は私の信念で進む。周囲がどう変わろうと、私は私である。この一念ゆえに私は強い。
 人数の多さが、勝敗を決めるとは限らない。むしろ、人数に頼る油断と無責任は、大きな敗因となろう。
 先に述べたインパール作戦も、そうである。十万もの大軍にもかかわらず、無謀な作戦で、数万の犠牲者を出して敗北した。
 要するに、指導者が「責任」を自覚するか否か、「本気」になって、みずから勝利への闘争をし、みずから道を開くか否か――この一点である。本物の指導者か、格好だけの偽物か。その違いは天地雲泥である。


○勝負は「一人」で決まる、「小事」で決まる

 ナポレオンは戦場にあって、つねにその「真剣の一人」であった。"われ、ここにあり""われこそが頼み"との気概であった。
 イタリアにおける重要な先頭(1800年、マレンゴの戦い)において、味方の軍は敗色濃く、総崩れとなる。敗北は決定的に見えた。だが敗走する味方を眼前にしつつも、ナポレオンは微動だにしなかった。彼は確信していた。「われ、勝てり!」と。
 観念論ではない。彼は両軍の状況を冷静に見つめ、勝利の見通しを得ていた。この「将の確信」が、ふたたび全軍の士気に火をつけた。
 この英雄の姿は、第二次世界大戦中の、イギリスのチャーチル首相の姿を思い起させる。
 ロンドンが、ナチス・ドイツの猛烈な爆撃をうけているさなか、チャーチル首相は、悠然とボールを放りながら国民の前に姿を見せたというのである。
 「皆、心配するな。大丈夫、私がいる!」。堂々たる名宰相の姿である。
 「将の一念」――これがどれほど大事であるか。苦しみはすべてわが身に引き受け、皆には希望と張り合いをもたせて、皆の身も心も軽くしてあげる。その「心」と「振る舞い」が、皆の心を鼓舞し、勝利をもたらす力となる。
 大将が、何かあるとすぐ動揺し、一喜一憂して、あわてふためくようであっては、そのもとで戦う人間がかわいそうである。
 また、いつも「危ない、危ない」と危機感ばかり煽っていても、「何だ、また言っている」(笑い)、「これは口先だけの策だな」(爆笑)と、見破られてしまう。ありのままの大誠実の姿ほど、人の心を動かすものはない。(拍手)

 一方、ナポレオンの敵軍は、勝利したと思い込んで、将軍がさっさと後方の陣地に引き揚げてしまった。油断である。
 「敵は将軍がいない。攻めれば勝てる!」。ナポレオン軍は勢いを得て反撃に転じ、ついに逆転勝利を収めたのである。
 将の恥ずべき無責任さ――。じつはインパール作戦でも、同様の構図があった。
 日本軍の司令官は、十万の兵士を送り出し、自分は後方に残った。飢えと病気が蔓延する前線に対して、武器や食糧の供給など、ろくに考えようとはしなかったという。(戦火のおよばない後方の町で、司令官は「何日までに、あの場所を落とせ」等、無理な命令を出すばかりであった。当初は、"おかかえの芸者"まで連れ込んで、酒色にふけっていたという)
 あまりの理不尽さに、前線の師団長が、司令官の命令に背き、退却するほどであった。
 結局、惨憺(さんたん)たる大敗であった。まことに無責任で愚かな指導者についた人は不幸である。(今の宗門も、日顕は内外の批判から逃げ回る一方、末寺の困窮をよそに、放蕩の限りを尽くしている)

 ナポレオンは、ある時、こう語った。
 「華々しい勝利から没落への距離はただ一歩にすぎない。私は、最も重大な情況において、どんな大きな事件もほんのちょっとしたことで常に決まるのを見て来た」(前掲「ナポレオン言行録」)と。
 これは、私が戸田先生から厳しく教わったことである。先生も、まったく同じ指摘をされていた。
 私が大阪で戦っていた時のことである。先生は、ある問題について「ほんのちょっとのことで、人間は人生を狂わせるぞ」「ちょっとのところで戦(いくさ)は負けるぞ」と言われていた。じつに些細な兆候を鋭くとらえての指導であった。本当に偉大な先生であられた。
 「油断大敵」。これは、一国の歴史にも、一人の人生にもあてはまる真実であろう。
 みずからの歴史を晴ればれと"勝利"の二字で飾るには、"手抜き"は許されない。小さな油断から、人生に悔恨(かいこん)を残してはならない。
 どうか、自分自身のために、悔いない「今日」であり、「明日」であっていただきたい。(拍手)


○ユゴー「今世紀は"人間革命"に着手を」

 六月五日、フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館で「『九十三年』――ユゴーの革新的な息吹」展が開幕した。同展では、貴重な直筆原稿などが多数、展示されている。
 ユゴーについては、いつかさらに語りたいと思っている。
 ご存知のとおり、ユゴーの革命小説『九十三年』は、1793年を主舞台にしている。今年は、それからちょうど二百年にあたる。私も若き日に、戸田先生のもとで、同書を繰り返し読んだ。

 先日、フランスのメンバーの方から、「ユゴーも『人間革命』の大切さを訴えています」とのお手紙が寄せられた。「ぜひ日本の同志に紹介してください」との要望も添えられていたので、そのままお伝えしたい。
 それは1876年6月、友人であった著名な女性作家ジョルジュ・サンドの死を悼(いた)んで、ユゴーがしたためた一文である。
 ユゴーはつづっている。
 「フランス革命が完了し、人間革命に着手すべき今世紀」と――。
 フランス革命の「自由」と「平等」と「友愛」の理念を手にした人類は、今こそ「人間革命」に取り組むべきである、と語っているのである。
 今、学会は、この人類待望の大道を、先駆けて進んでいる。(拍手)
 創価大学の記念講堂には、このユゴーの像と、トルストイの像がある。
 ユゴー研究の権威であられる辻(つじ)昶(とおる)氏(東京教育大学名誉教授)は、ユゴーの思想はトルストイに継承されているとされ、両者の像を並べて建てたことに、創大のめざしている精神がうかがえると高く評価してくださっている。(拍手)

 現在、私と「科学と宗教」の対談を進めている、世界的な物理学者のログノフ博士(前モスクワ大学総長)が来日されている。私はあす(六月十六日)、会談する予定である。(=対談集『科学と宗教』は、上、下二巻共に1994年5月3日、潮出版から発刊)
 博士も、語っておられる。
 「(人類の新たな文明を展望するうえで)私はきたるべき『人間革命』についての池田博士の見地に全面的に賛成します。この革命がなければ、人類は未来がもてない可能性もあります」と。(拍手)
 "学会は正しい"との証明と、励ましのお言葉と受けとめたい。日々、偉大なる「人間革命」の実践に取り組んでおられる皆さまの姿を、世界の英知は、熱いまなざしで見つめている。(拍手)
 学会があまりにも時代を先取りしているゆえに、日本の社会は、その偉大さを、なかなか理解できないのである。しかし、心ある世界の人々が、そして二百年後の人類が、大喝采をもって、皆さまを讃嘆することは間違いない。(拍手)


○現実の世で広布に戦う人こそ尊貴な女性

 大聖人の門下に、妙法尼御前と呼ばれる婦人がいた。この婦人は、夫に先立たれた。そのうえ親類からも離れており、娘もあてにできない。頼るべき身寄りのない境遇であった。
 しかも、信仰のことで周囲から、あれこれといつも悪口を言われ、いじめられていた。
 しかし、彼女は、ただ大聖人の仰せのままに、一人、毅然と広布のために動いた。冒頭に述べた「無上道」を、最高に正しい道を歩み続けたのである。
 大聖人は、世間的には最も弱い立場で、人々から軽蔑されていたこと無名の庶民の女性こそ、じつは最も尊貴な仏となると、最大に称賛しておられる。
 他のだれが言うのでもない。御本仏の御説法である。三世を知る大聖人の御言葉である。
 私たちは大聖人を信奉する。大聖人の門下である。ゆえに、大聖人の教えのとおりに信仰するのが正しいのではないだろうか。(拍手)
 日顕は、それはいけない、自分の言うとおりにせよと言うのだが、おかしいのではないだろうか(拍手)。彼の大聖人の門下のはずなのだが、それとも違うのだろうか。(爆笑)

 大聖人は、妙法尼御前に仰せである。
 「今末代(まつだい)悪世の女人(にょにん)と生(うま)れさせ給(たま)いてかかるものをぼえぬ島のえびす(夷)にのられ打たれ責められしの(忍)び法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝(すぐ)れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名(みな)を一切(いっさい)衆生(しゅじょう)喜見仏(きけんぶつ)と申すは別(べち)の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし」(御書1420ページ)――今、(あなたは)末代悪世の女人とお生まれになり、このように、ものごとの道理をわきまえない島(日本)の野蛮な人々にののしられ、打たれ、責められながら、それを耐え忍んで法華経を弘めておられます。かの比丘尼(ここでは釈尊の養母である魔訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼)と比べて、あなたのほうが天地雲泥も勝れていると、仏は霊鷲山(りょうじゅせん)でご覧になられていることでしょう。かの比丘尼に授けられた名前を「一切衆生喜見仏(一切の衆生が喜んで見る仏)というのは、別のことではありません。今の妙法尼御前の名前であるのです――と。
 ちなみに、「妙法尼」は、佐渡に在住していたとの説もあり、その場合、「島」は佐渡をさすとの解釈もある。
 ここで引かれている釈尊の養母とは、釈尊の叔母(釈尊の母の妹)にあたり、実際に釈尊を育てた王妃である。釈尊の生みの母は釈尊を産んで七日後に亡くなっている。しかも、この育ての母は、後に女性として初めて出家し、釈尊教団のなかで女性の中心的な存在として活躍している。
 これほどまでに釈尊にゆかりが深く、身分も立場も高い女性にもまして、大聖人門下の無名の女性は偉大であると、大聖人は断言なされている。
 それは、なぜか――。釈尊の養母らは、たいへんな娑婆世界を避けて、楽な他方の国土で法を弘めることを願った。それに対し妙法尼御前は、この娑婆世界の真っただ中で、名利もかなぐり捨て、命をなげうって戦っている。
 娑婆とは「堪忍(かんにん)」の意で、わずらわしい苦悩や嫉妬などを、耐え忍んでいかなければならない場所である。
 とりわけ大聖人は、日本の国は、一闡提(いっせんだい)の生み広げた国であると仰せである。
 (「一闡提人と申(もうし)てほうぼうの者計(ばか)り地獄守に留(とどめ)られたりき彼等がう(生)み(生)ひろ(広)げて今の世の日本国の一切衆生となれるなり」〈御書959ページ〉
 その地で難を受けながら、忍耐強く、法のため、友のため、社会のために行動している。その姿を、大聖人は、このうえなく称えておられるのである。


○「王宮」の学会で幸福の「王者」と輝け

 人里離れた山の奥や、森の中で安閑と過ごすのではない。荒れ狂う現実社会を舞台に、苦悩している人のもとへ駆けつけ、対話し、救っていく――その人こそ、いちばん尊い人間であり、本物の信仰者ではないだろうか。(賛同の挙手)
 大聖人は、三世の生命観のうえから、すべてを見通して仰せである。懸命に広布に進んでいる、その人こそ、いちばん崇高な存在なのである。
 すなわち学会の婦人部、女子部、そして全同志こそ、一切衆生が喜んで見るような仏となる。無量無辺の諸天諸仏が皆さまを讃嘆しておられる。(拍手)
 幸福は外見ではない。華やかな姿で決まるのではない。人気や虚栄は幻であり、泡(あぶく)のようなものである。そうしたものに粉動されて、自分を見失えば、最後は哀れな人生となってしまう。とくに、女子部は聡明であっていただきたい。真実と虚偽、本物と偽物を見極めるjための信仰である。
 妙法のため、広宣流布のために流した労苦の汗こそ、いちばん尊い。その人こそ、生々世々、あらゆる人々から喜び慕われ、敬愛されゆく大境涯を開いていける。また、まこと信心に徹しゆく人には、教養も、品格も、福徳も、すべてが最高に備わってくる。
 どうか仏意仏勅の学会のなかで、意気軒高(いきけんこう)に人生を生きぬいていただきたい。
 学会の会館はすべてが"王宮(おうぐう)"である。御本尊を中心とした輝く"宮殿"である。心卑しき人間はいられない世界である。
 私どもは、この王宮で、すがすがしい心の連帯を築きながら、人々を救っていく"キングの道"を、"王者の道"を歩んでまいりたい。(拍手)
 きょうは本当にご苦労さま。参加できなかった皆さまにもよろしくお伝えしていただきたい。

 リーダーは、会合のさい、新鮮味のある、味わい豊かな話をお願いしたい。
 食事でも、毎日、毎日、「ごはんと味噌汁だけ」では飽きてしまう(爆笑)。たまには、違ったものが食べたくなる。話も同じである。決まりきった話や、伝達と報告だけでは、あまりにも味気ない。心に染み入るような話で、皆の心をさわやかにしてあげていただきたい。
 人生を心から楽しんでいくための信心である。どうせ生きるならば、楽しく生きたほうが得である。どうせ戦うならば、楽しく、勢いよく戦ったほうが得である。
 悠々と、胸を張って、どこまでも朗らかな前進をお願いします!
 

疲れる相手

 投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2016年 6月 1日(水)02時58分36秒
  えーと、手元にある本
学会の本ではないんだけど

~~エネルギーを奪うタイプの人と過ごして、
疲れを感じたり、気持ちが重くなるのは、あな
た自身の生命力や運気が吸い取られているとい
うこと。会う回数を減らしたりして、きちんと
距離をとることが大切です。~~
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/436

つまり、仏法で言うと
悪知識や魔の働きですね。

特徴として挙げられているのは

・ネガティブで、どんなに話を聞いても、愚痴や不満がなくならない
・嫉妬心が強く、すぐにはりあう
・自慢話やうわさ話が多い
・批判や悪口が多い
・感情的で、すぐにイライラクヨクヨする
・人の話を聞かないで、いつも自分のことに話題を持っていく
・自分の信じる正しさを押し通す人
・思い込みが激しく、「すべき」「あるべき」を人にも押し付ける

そういう人がダメだ、悪だっていうよりかは

自分がそう、嫌だな疲れるなって感じる
相手っていうのは波長が合ってないから
まともに相手しないほうが良いよって感じだな。

どっかの誰かは
もっと性質が悪くて

人間の心理を蹂躙する釣りが趣味のようですけど。
 

なるほど

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月 1日(水)02時26分13秒
  出せってか?f^^;
まったくもう(笑)
付き合う僕もほんとお人よしにもほどがあるよなまったく。

多くの学会員は地域社会において『創価学会』と密着に生活を営んでるという前置き。
除名というのは、その社会性をぶったぎられるから、かなり強度な人権侵害を受けることになると?
さらには信仰の問題だけでは済まないとまでご自分でちゃんとわかってるね。

そして、除名に至るまでと除名後はその本部まで腐ってしまうと?
だからとにかく「避ける手立て」を立てなければならない、と。

自分の問題だけでは済まなくて、家族や親戚含めてつまはじきにされるから、絶対に個人情報をバレないように、との忠告でしたね。

そこまで自分で忠告するほどなのに、この掲示板の状態って明らかにヘンでしょうがさf--;
ここまでになれば、具体的に直接アクションを受けて現状になってる、とダレでも感じますよ。

とりあえず僕への文面は、極めて正常でどこも屈折もしてないものだし、今のような変節ぶりは「承知してワザとやってる」とみるしかないですね。

まぁそういう状況ならご自分で選択してやってることだから以後は『全て自己責任』ですよ?
言われるまでもないだろうけど、破滅しないようにね?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

なんだ?

 投稿者:大敗北  投稿日:2016年 6月 1日(水)02時06分46秒
  佐藤茂樹

「我が国の経済は、民主党政権時代と比較して圧倒的に前進してる」だって?

なら、リーマンショック並の経済の落ち込みではないじゃないか!

公明党よ、確約してた消費税率増税を嘘で固めて延期し、軽減税率を袖にされたのだから、公明党自ら、内閣不信任案を出せよ!
内閣に、お一人公明党がいるからダメか。
社会保障の公約も怪しくなってきた今、公明党の存在を再度考えないといけない。
佐藤茂樹の演説を聞いていると、公明党は唯の自民党の補完勢力だ。
アッサリ、消費税率増税の先送りを認めてしまうのだから呆れる。
山口代表って何者?
 

O裏の掲示板

 投稿者:金庫番  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時45分46秒
  ハンドルネーム
日々朗らか
日朗

これ、昔の大勝利だよ
今と昔、変わらないウマシカぶり。
笑えるぞ~
 

反逆者たち

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時45分21秒
  邪魔者を追い出すのに「反逆者」とレッテルいじめを幹部主導でやる昨今だ。

でも、こうして見ると、思わざるを得ない。

はらだー・アキヤーはじめ執行部こそが、

仏法違背・師匠違背の「反・逆・者」だっ!!!!!!


 

信濃町の人びと様へ 【第18回本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時44分14秒
  >またまた、つぎはぎのパッチワークです。
本日付け聖教新聞に映像編集版スピーチが出ています。
実際のスピーチと比較すれば一目瞭然。選挙の為に利用しています。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47980


全文確認いたしました。

酷いものです、幹部に都合が悪い部分を選んで削除。
まさにパッチワーク状態で、本来の意味合いが変わっています。

また、全国婦人部幹部会であるのに、原文にある婦人部・女子部への称賛や指導を削除。

そして、サンマルチンの戦いを通し、民衆の反転攻勢の智慧となる指導を丸ごと削除。
サンマルチンの戦いは、宿坊の掲示板に集う方に、読んで頂きたい内容です。

原文ベタ打ちは時間がかかりますので、原文(全文)をご投稿頂ければ、削除部分を明確にして再投稿させて頂きます。

気になる方は、下記が資料元になりますので、比較をして下さい。

原文:池田大作全集83巻P.11~34
第67回本部幹部会(平成5年6月15日)

聖教新聞:平成28年5月30日3面
世界広布新時代第18回本部幹部会
本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針
 

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時41分20秒
  出た、妖怪。

も一度明らかにしておこう。

はっきり言うけど、仏法違背・師匠違背のはらだー・アキヤー、あのへんの一味は、

        「反逆者」じゃん!!!!!


 

このごろ思わざるを得ない③

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時36分59秒
  ③ 安倍は希代のウソツキ首相。


④ 日本やばいぞ。

某クルマ企業のモラルなき背徳。都知事あんなだし。

子供たちの恐怖にみちた受難死亡の数々が引きも切らぬ毎日。

安倍大ウソ・ハッタリ・税金壮大に無駄遣いでGETオリンピックの顛末やいかに・

パナマ等日本人は非正規が支えるマネーアニマル天国だと暴露され・

とにかく外国メディア頼みの国内マスメディアがヘタレ過ぎ・

このいろんな物差しで、もはやある意味破綻国家ともいえる日本。
 

そろそろ憲法を変えてみようか。

 投稿者:大勝利  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時35分48秒
  https://youtu.be/6_LV7FtFoCk

公明党の佐藤茂樹
内閣不信任案への反対答弁が素晴らしい!
是非ご覧下さい。
 

反宿板の見過ごせない投稿!

 投稿者:大敗北  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時04分21秒
  これって、差別でしょう。
「しかもその「自慢」に供される学歴が高々私大に過ぎないという笑止千万な事実。学者研究者の世界でその学歴は自慢すべき学歴とは呼ばれません」

私大に過ぎない?
創価大学は、私大ではないのか?
私大の方が、国公立より優れている部分もある。
なにより、先生も私大出身者ではないか!

こいつは重症だね。
 

M井って

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 6月 1日(水)01時00分46秒
  以前は全体像すら朧ろげにもわからなかったから意味不明だったけど

M井って金銭問題で失脚した人物とな?

なるほど~
金銭問題、ということは『ルーズ』を象徴してますね~。

元大幹部でありながら、学会員の監視のスパイを頼んでたん?この人??
善いことも悪いことも区別がつかないんだね。

『正邪の区別がつかず破滅に至る』とは畜生界についての昔の解説だけど。
M井さんの時代ではこういう説明文だったかもだけど。
この通りに、金銭問題で失脚した ・・・ と。

見本になってどうするんよまったくもうf^^;

M井さん?
その様子なら掲示板も欠かさずちゃんと律儀にチェックしてるんだろうから。
基礎中の基礎の十界論、されど「十界論」ですよ?

十界のそれぞれを感覚的にわかってれば、生きていくのがだいぶ楽になりますよ?(^^)
どうやら色んな教義は、十界論を色んな側面から見たもののようですし。
それだけの役職を経験されてるならば、幹となってる十界論を実践で使える程度で感覚的に押さえるぐらいで一気に将来が開けるでしょうね。

別に難しいことじゃないですよ。
今の自分が十界のドコの生命なのか、なるべく気にしてるぐらいで感覚的に身に着きますよ?
まぁ正確には十界ではなく十界互具でしょうけど。
実践的にはそこまで気にしないでも、十界をなるべく気にしてるぐらいで自然と身につきます。
どこの生命になってるか。
まぁ女性の好きな占い感覚ですね。
慣れてしまえば意識しなくとも、必要な時にコレと直感できるようになりますよ。
教義にはけっこう出てない特徴もけっこうありますよ?ほんと。

そんで、自分がどの生命かわかれば、土台がしっかり固まったことで、これまで学んだ教義が生きてきますよ。
どのように活用するもそれは活用の仕方から結果まで全て自己責任になりますけどね。
「自己責任」だから、自分が成長できたら喜びもひとしおなんですよ(^^)
一段階でも「変わる」ことが自覚できれば、自分だけではなく、他の人も「変わる」ことを信じられるようになりますよ。
その「変わる」の最上階が「仏界」ということですもんね。
まぁでも今のところは興味ないことかな?f^^;

十界のどの生命なのか気にしてるぐらいでも、何をするんでも生きやすくなるでしょうね。
遊び感覚で気にしてるぐらいで身に着きますから。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

このごろ思わざるを得ない

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月 1日(水)00時48分17秒
  このごろ思うというか、思わざるを得ない事

① 組織から邪魔者を追い出したいとき、よく分からない内部の疑問や反発を抑えるために、
常套句のように「反逆者」扱い、悪口を執拗に流す。「反逆」などしていないにも関わらず。
幹部主導でターゲットに対して「反逆者」と一方的にレッテルいじめをやり、ののしり狂う。
(私や地域の同志がやられたゾー。だから知ってるゾー。幹部よ、ゲンチャクオホンニンだぞ、覚えとけよー。おい、悪党議員ども、オマエラも必定だかんなー。最近宿板にコッソリ出歯亀しやがって、地域のみんなが見てるゾ、ば亀!)

これって、はっきり言うけど、執行部・幹部こそ仏法違背・師匠違背の「反逆者」じゃん。
はらだーとか、アキヤーとか、あのへんの一味は「反逆者」じゃん!!!


② 公明閉じて出直せ。恥さらし!


 

(無題)

 投稿者:Newtype  投稿日:2016年 6月 1日(水)00時12分31秒
  信濃町のネット対策チームの対策様

>23時から30分間に書き込みをすると同盟唱題が乱れたなどと喜ぶ汚れた職員がいます。

暇な職員もいるもんですね。こっちに打ち出しの処理を求めているからには、自分らこそ
模範の活躍をしてくれてるものだと思ってましたけどね。やはり無用の長物ですな。

ユミタニマサヒロ 様

無用の長物をのさばらせない為には、布施を断つことですね。



 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 5月31日(火)23時47分16秒
  今晩は
ありがとうございました
おやすみなさい
 

追記

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 5月31日(火)23時39分19秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

23時から30分間に書き込みをすると同盟唱題が乱れたなどと喜ぶ汚れた職員がいます。

本日は22時から唱題をしていました。
明日も早いので少し早めに切り上げベットに入ったところ、この掲示板に池田先生の悪口を書き込む輩がいたので
注意をした次第です。

唱えるお題目は池田先生の御健康の回復と御長寿、そして奥さまの健康をお祈りすることが目的です。
また万代まで池田先生の思想が正しく伝わる創価学会になるようにです。


 

この掲示板は

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 5月31日(火)23時26分58秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

この掲示板は池田先生を師匠と仰ぐ方が集まる掲示板です。

池田先生へ悪口をする方は、他の掲示板でおやりなさい。

宿坊の掲示板は池田先生の事が大好きな人の為の掲示板です。
 

創立五十七周年記念勤行会 (1)

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 5月31日(火)23時05分37秒
編集済
  生涯広布です・・

スカラムーシュ様、まだアメリカではありません。
急な用事と26日からアメリカの
多く州で約合計30個のハリケーンが到来。
甚大な被害をもたらし。
まだ、続くかもしれないというので
旅立ちを1週間ほど伸ばしました。
6月10日頃、息子夫婦のところへと考えています。
歳とってるものですから、息子がハリケーンが来たら、
老いぼれは逃げ切れず吹き飛ばされてしまうかもしれん(笑)、
伸ばした方がいいと・・・・優しい息子です
TдT
・・老ぼれね・・

アメリカも三災七難、ここ数年激しいものがあります。

本日から、少しづつ創立57周年記念勤行会でのご指導を転載します。

”創立の志”を広布の炎と


・・転載開始・・

途中より・・

御書に曰く”其れ須弥山の始めを尋ねれば一塵なり・大海の始は一露なり”
P 1237と。
生きとし生けるもの全てに厳粛なる誕生の瞬間がある。
とともに、いかなる組織、いかなる大事業にも忘れ得ぬ創立のときがある。
我が創価学会の淵源は、昭和5年(1930)の11月18日。
この日発刊の”創価教育学体系”第1巻の奥付で、”創価教育学会”の名が、
初めてように発表された。
まさに、学会の出発はそれ自体、大いなる広布への戦いの旅立ちであるとともに、
思想戦の開始であった。

牧口先生は59歳。今の私と同じ年齢である。
また戸田先生は30歳。
現在の青年部幹部と同じ年代である。
牧口先生と戸田先生はお二人は、この二年前の昭和3年に、
日蓮大聖人の仏法に帰依された。
この年は私が生まれた年でもあった。

当時、世界は前年の昭和4年10月24日に起こった、
ニューヨーク・ウオール街の株式市場大暴落の暗雲に覆われていた。
いわゆる暗黒の木曜日に端を発した大恐慌の真っ只中であった。

創立4日前の昭和5年11月14日には、
時の首相・浜口雄幸が東京駅のプラットフォームで
狙撃されるなど。世情は騒然としていた。
そうした中で学会は、人知れず、
しかし大いなる誕生の産声をあげたのである。
なお、創価教育学会の正式な発会式は、
七年後の昭和12年秋に行われている。
本年でちょうど50周年になる。

牧口先生は、若き日の日淳上人から日蓮大聖人の法門をを学ばれた。
日淳上人は、牧口先生の思想と行動、
また、人格を実に深く理解され、称賛されていた。
例えば次のように述べられている。

”(大)聖人の御教示と牧口先生の観ずる世界と、
少しも相違していないと言えましょう。
ただ牧口先生は教育家であり、従って教育の面から、
創価という事を言われたものであるとみられます。

”私は先生が、法華によって初めて一変された先生ではなく、
生来仏の使いであられた先生が、
法華によって開顕し、その面目を発揚なされたのだと、
深く考えさせられるのであります。
そうして先生の姿に言い知れぬ尊厳さを感じるものであります。
先生には味方もありましたが、敵も多かったのであります。
あの荊の道を厳然と戦い抜かれた気魄(きはく)、
真正なるものへの忠実、
私は自ずから合掌をせざるを得なくなります”

・・続く・・・

次回は牧口先生が内外の障魔を恐れず、戦っていかれた事。
そして・・難と戦う事にこめられた訓練の意義について・・・

http://

 

思考のクセ(コンプレックス含む)

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 5月31日(火)23時02分5秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/47964

>M木さんをいくら持ち上げて期待しても、未だ何らアクションが聞こえて来ないと言うことは執行部に迎合してると言う事だとおもいますよ。

ご自分がそうだからM木さんもそうだろう、という思考ですね、こりゃ。
この「思考のクセ」は当人の自覚意識からきてるものでしょうねぇ、残念ながら。

こうなった原因はネット上ゆえ詳細はわからないにしても、今現在の本人の自覚症状は『いくら持ち上げて期待しても、未だ何らアクションが聞こえて来ないと言うことは執行部に迎合してる』ということですね。

大勝利さん?
あんまりやりたい放題の変なことばかりやってると、大勝利さんが僕へ忠告した内容をこの掲示板へ出しますよ?
せめて引っ込んでいてくださいね。
お願いですから。

どこのものかハッキリ思い出せるよう、当時の僕の文面を出しておきます。

●●●●●
今年の春に地元と接点を持ったんですけどね。
その時に過去に問題(表沙汰になればスキャンダル間違いない事を組織ぐるみで隠ぺいした事実)の被害になった人(最近確認したら地区部長さん一族)の苗字を言って僕自身の『現在の信仰上の接点と自分の状況』を言ったんですけど。どうやらそれがいけなかったようで、不自然に連絡が一切消えました。あまり活動してない人という方でもなかったから不自然なんです。

最近は連絡が来ない、と言う学会員の書き込みがけっこう目立っているけど、そのほとんどは幹部の自覚の欠如からきてるものばかりだし、僕が接した学会員は欠如などしてない人でしたから。

『隠蔽』のために僕が組織につかないよう、連絡をさせない指示が出てる、とみてます。
そんな中で来年の春までにしっかり準備を整えてに組織につこうとしてる僕ってやぱっぱり正気じゃないような気もしてるけれどf^^;

とりあえずは不自然に一切の連らくが無くなったのは、その一族の名を出した事が原因とみるのが自然なんで。
●●●●●

そんで、これまでだいぶ汚い言葉まで使って大勝利さんへ言ってきたけど、言ってるほどには別に嫌ってないのが実際ですよ。
沖浦騒動時は僕はネットから遠ざかってた時期で、ぶっちゃければ僕には「どうでもいいこと」だし、少なくとも変節前は至極普通にやりとりでしたもんね。
そっちが大勝利さんの『地』と判断するのが自然ですから。

僕の態度がロコツなほど警戒した言動だったのはさすがに読み取れてたでしょうけどね。
過去に僕自身で経験したことで警戒したんです。別に大勝利さん本人を、ということではなかったのだけど。
正論に読めるのが必ずしも正しい信仰ということでもない事例を経験してきてたからなんです。
正論に読めすぎることでむしろ「紛らわしい」という場合もある、ということです。

聞きたくないことだろうけど、テロリストに屈したようなもんだし、全てを失うまでずっとこんな状態ですよ?
それだけ心配してますよ。
これではもう避けようが無いでしょうから。

まともに返信はしないんでしょうけど(笑)、全てを失えばもう怖いもんがなくなるでしょうから、再び発心するのを期待してますね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

♪タンタラタタタタタ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 5月31日(火)22時53分45秒
  螺髪様、いつもありがとうございます。勉強になります。ご指名、光栄にございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48041
あいにくクラシックはサッパリでして。さっきも書きました、これでしょうか? 「♪タンタラタタタタタ タンタラタタタタタ」
https://www.youtube.com/watch?v=S7hId7gBOdg

パクリ専門のワタクシめでございますが、肝心要と思いますので、もう一度これをパクらせて下さい。

 「地涌」とは「自発」です。「自発」から「喜び」が生まれます。強制や無理強いからは生まれません。「喜び」はすなわち「歓喜」です。外から「自発」の促しがあったとしても、それは「誘発」からの自発です。

こうすれば、いかにも私が言った言葉の様に思うでしょう? いいのよ、もっと褒めたって。ボク照れないから(『じゃりン子チエ』テツのセリフより)
皆さん、パクリの世界へようこそ! ただプロのパクリは正確にパクらないと。あれは節さんが池田先生を批判している文面に見えませんね。大勝利さんらしくないです。
 

草はえる~ww

 投稿者:ユミタニマサヒロ  投稿日:2016年 5月31日(火)22時50分45秒
  反宿の氷堂破性質って
こんなモジリかけるの、本職以外にいませんねww

もう、誰が指示して書いてるかバレバレだよ

タンジ一派のみなさん、お疲れ様です。
ユミタンお疲れ様です。

こんな連中の給料の為に財務するのバカらしいな
 

同盟題目23時開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 5月31日(火)22時45分27秒
  あと15分で23時、時間になりましたら同盟題目を開始します。
よろしくお願いします。
 

いざヨコハマ

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 5月31日(火)22時35分48秒
  モー幾つ寝ると6.4

6.5 国会前で天野さんに逢えるかな 「 奥さん 元気ですか~  」  『 元気 元気  』     合言葉ですね
 

大の字さんの肩入れしている総理の語録

 投稿者:大敗北  投稿日:2016年 5月31日(火)22時35分46秒
  安倍
オリンピック誘致演説で。

「福島についてご懸念をお持ちの方もいるかもしれません。
ここで私が保証いたします。
状況はコントロールされています。
そしてこれまでもこれからも東京への悪影響はありません。」
「原発に関しては、安全が100%確立されない限り、再稼働は行わない」

消費税率増税の再延期は、絶対にしないと言ってたよね。
それに公明党も乗った。
公明党の公約、増税分は社会保障に当てるってのはどうするの?
社会保障も先送り?
嘘つき与党の肩を持つ大の字さん、どう思う?
 

野党時代の公明党―イデオロギーに拘束されないしたたかさ

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 5月31日(火)22時32分14秒
  消費増税3%、湾岸戦争の戦費負担、PKO。。。野党時代の公明党は社共的なイデオロギーに束縛された硬直した政治姿勢とは異なり、したたかにしなやかに自民党を攻め、あるいは妥協させて巧妙な落としどころを探りました、薬師寺克行先生の中央公論の近著『公明党』で言及されています。  

ホテル・カリフォルニア

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 5月31日(火)22時00分35秒
  新しい世代の人のために、「消費税3%導入」の時のお話し。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47261
日本初の大型間接税導入ということで大きな議論。公明党をはじめとする野党は猛烈に反対しました。しかし、当時ダントツ与党・自民は300の議席を持ち、最後はゴリ押されることは明らかと見た公明は突如、賛成に転じ、「その代わりこれを削る! それも削る! あれも削る!」と消費税導入と引き換えにその他の予算を削減させ、国民の負担を軽減することに成功しました。これを他の野党は批判しましたが、自民党政調会長(?)渡辺美智雄の「今回は公明党にやられた!」という発言がテレビ等で流れ、公明党は民衆から高い評価を得るに至りました。「肉を切らせて骨を断つ」といったところでしょうか。後の細川連立から二大政党制の流れも概ね同様の戦法で支持を得ました。

しかし、与党の立場での一見同様に見える手法もその持つ意味は違うように思います。「公明党のおかげで消費増税は軽減された」「公明党のおかげで集団的自衛権はフルスペックにならなかった」というのは、かつての「肉を切らせて骨を断つ」というのとは違います。

本当はもっと酷いことになっていたのに、それを「少しマシにしただけ」に過ぎない。これを「ご慈悲じゃあ~お代官様のご慈悲じゃあ~ありがてぇ」と下々は喜ぶ。

悪代官(自民党)に苦しめられ、徳川時代なら一揆になりそうなところを、公明様がお情けをかけて下さった。これでワシら下々の者もなんとか水だけでも飲んで生きていける。公明様が(与党に)いらっしゃらなかったら、もっと酷いことに……ワシらは死ぬしかなかったのじゃあ。ありがてぇ。お代官様ぁ、公明様は慈悲のあるお方じゃあ。

こういうのを佐藤優氏は「褒めてつかわす」というのでしょう。「公明党は、平和を創るために生まれ」たのは事実ですが、「平和を守るために活動し続け」ているのか、どうか、それは見極めなければならない。本当に「続け」ているのか? 単純に「公明党を応援することこそが、平和につながる」と言っていいものなのか?
小林節さんは「思考停止の公明党」と言われています。「停止」です。「続け」ていないというのです。ただ単純に「公明党を応援することこそが、平和につながる」と言ってしまう佐藤氏もまた「思考停止」。即ち、「同じ穴の狢」なのではないでしょうか。

一応は「連立離脱可能性」カードをちらつかせているようだが、そこは自民の方が「おぬしも悪よのう」は上手で、本当はパンチラだと分かっている。「嫌よ嫌よも好きのうち」だと。「♪チョットだけよぉ」と見せておいて、「♪アンタも好きねぇ」などと言っておきながら最後に本音が出てしまう。「♪アタシも好きよぉ」。

戸田先生からの念願である核兵器の廃絶「サタンの爪をもぎ取る」気はもうない。そのサタンの爪に丁寧にマニキュアを塗ってあげている。「能ある鷹は爪を隠すものよ。ダメよ、そのままじゃ。サタンだってバレちゃうじゃない。だからネイルもしてあげるわね」。その手のバーに通っているとオカマの真似も上手くなる。本性は隠せ! それでこそ一流の悪党! 「分かりにくい」のが一番怖い。一番の悪である。僭聖増上慢はそれゆえに最も手強い。だから……清原は庇ってやりたいけど、混迷党の迷宮会入りは庇ってやれない。

“ようこそ迷宮へ 素晴らしい場所ですし お客様も粒揃い”
“迷宮では贅沢だってし放題 びっくりなさったでしょうけど”
“そのことが周囲に悟られないないように準備なさってくださいね”
“「ここからは出られないけどみんな好きでそうしてる」って”
“主人の部屋に集まって派手な宴が開かれる”
“みんな鋭い鋼のナイフを突き刺しているけれどそれじゃケモノは仕留められない”

“とにかく最後に覚えてるのはドアに駆け寄る自分の姿”
“帰り道をなんとか見つけて元いた場所へ戻りたかった”
“「そう慌てないでくださいよ」と夜勤のヤツが言ってたよ”
“「泊まりたいと仰ればいつでも泊めて差し上げますチェック・アウトもご自由に”
“ただ出て行くことだけは何があってもできません!」”
(『ホテル・カリフォルニア』イーグルス
https://www.youtube.com/watch?v=MSvSsNSuVtk
 

そろそろ大の字を追放しよう

 投稿者:金庫番  投稿日:2016年 5月31日(火)21時59分57秒
  デマ書いてるから板追放でいいじゃね~
大の字はアベヒより酷いよ
 

勇み足は論難される元(3)

 投稿者:感性  投稿日:2016年 5月31日(火)21時56分49秒
編集済
  >そろそろ憲法を変えてみようか。   投稿者:大勝利   投稿日:2016年 5月31日(火)20時40分26秒

「池田創価学会」とは内部同士の書き込み対話としては異様ですね、どうしても小林氏が
執行部ではなく名誉会長そのものを批判していると刷り込みたいみたいですね。

ちなみにその記事画像で佐高氏が後藤組長が学会のボディガード云々と述べているようですが、
その一件だけでもまともなソースにはなりえませんね(苦笑)

勇み足は論難される元(2)   投稿者:感性   投稿日:2015年 8月25日(火)14時16分46秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/30009
 

ウマシカはスルー

 投稿者:金庫番  投稿日:2016年 5月31日(火)21時55分5秒
  表題の通りです。
ウマシカの誤りを指摘しておきます。
除名通知に理事長名や職印等はありません。
除名通知に理事長は関与していません。
無知を晒していましたね。
 

小林節さん

 投稿者:スカラムーシュ(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 5月31日(火)21時51分46秒
  大勝利さん、またまた登場ですか?

小林さんは秋谷原田学会を批判してるのであって、池田先生を批判してませんよ。

認めたくないのかな?

提婆達多が秋谷栄之助で、その直弟子が原田稔であることを?


生涯広布様

アメリカに着いたんですね!!早速のカキコご苦労様です!!
 

よ~言うわ!内輪でヘイトスピーチ!

 投稿者:八風  投稿日:2016年 5月31日(火)21時25分26秒
  今日の公明新聞「ヘイトスピーチ根絶へ」
学会の会合での共産党への誹謗中傷はヘイトスピーチではないのだぞ~
何ぼでも言っていいのだ!
婦人部幹部等から地区婦人部長の声高のお話は汚い。上から下まで内輪で
罵り合って自己満足。会館や地区拠点にて喚いている。壮観だね。
これが先生の指導?執行部幹部のうす汚い心の闇を組織に充満させている現実。
これこそが実は公明党に反映され、牽いては日本の政治に反映される。
恐ろしいことだ。先生の精神を今一度興隆させるのだ!
 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 5月31日(火)20時49分12秒
   せっかく-Q- さんが「信」について投稿してくださっているので、「信」と「清浄」についての考察を少し。

   >やみくもな思考停止と「信」とが同じであるはずはない(投稿者:-Q-   投稿日:2016年 5月31日(火)12時37分49秒   編集済)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48016

 かなり以前に、池田先生から「勇気」という言葉が出てまいりました。「信心といっても、私たちに分かりやすく言えば『勇気』です」と。「勇気から智慧が涌く」とも。そして、「勇気」は「希望」から生まれるとも仰られた。「勇気」、「智慧」、「希望」という言葉が、いわば、バラバラに綴られてきた。そしてさらに、「希望の源泉が『信心』である」とも仰られた。
 そして、「希望」から「勇気」が涌き、「勇気」から「智慧」が生まれ、その「希望」の源泉が「信心」だと結ばれました。「智慧」が現実生活の起動材であることは言うまでもありません。

 あのベートベンの「歓喜の歌」(交響曲第9番の第4楽章)も、「チャンチャンチャラ チャラララ チャンチャンチャラ チャラララ」、あるいは「タンタンタラ タラララ タンタンタタ タララ」じゃないですか。最初は、そのメロディーが少し入り、一部が入り、というスタイルがずっと続きます。そして最後は、そのメロディーを全楽器で演奏するという仕上げになっています。

 ベートベンの「歓喜の歌」は、「タンタンタラ タラララ タンタンタタ タララ」が主体なのです。と思います。「タンタンタラ タラララ タンタンタタ タララ」。口ずさんだり、心に浮かべれば、躍動するではないですか。歓喜するではないですか。ベートベンガ表現した「歓喜」は、こういうメロディー、あるいはリズムだったのでしょう。振動といっていいかも知れません。

 このあたりのことは、SaySaySayさんがお得意だったですね。 誤りがあればご指摘ください。

 さて、何故、法華経の流布が地涌の菩薩に託されたのか。物語りとして示す意味とではまた別です。物語りには具体性があって、人がイメージをめぐらして臨場感をつくり、事態をより現実に手繰り寄せるには最適です。だが事実ではない。そこが決定的に弱い。実質は、何だったのか。そう、いつも問い続けています。

 それは、法華経が、あるいは仏法そのものが、「信」の、ないしは「信じる」ことを基盤に置いた教えだったからではないでしょうか。「信」は、すべてもの思考の出発であり、帰結でもあります。新たな「法門」に帰結するには、それをそのまま信ずることから出発しなければならないからだと考えられます。また、信ずることに帰結します。

 「信」は、自発ないしは地涌の発露です。鳩摩羅什(団)はそれを見抜いていたからこそ、法華経遺嘱の「嘱累品」を地涌の菩薩の登場が終わる神力品の後にを持ってきたのではないのでしょうか。竺法護らは法華経の最後尾にもってきています。
 (「嘱」は頼む、「累」は関わり合い、「塁」は砦を意味します)

 「地涌」とは「自発」です。「自発」から「喜び」が生まれます。強制や無理強いからは生まれません。「喜び」はすなわち「歓喜」です。外から「自発」の促しがあったとしても、それは「誘発」からの自発です。

「信」は、「無疑曰信」(疑い無きを信という)とあるように、何の混じり気もない「清浄」を意味します。
 「清浄」について、御義口伝に興味深い展開があります。

 御義口伝を大聖人の真説とすることに異論があることは知っています。佐賀の執海氏だったですか、それを言ったのは。日興上人の記述とするにしても、その直筆が伝えられていない、などとしています。池田先生の「御義口伝講義」にもあります。
 では、内容から見てどうなのか。他の御書に照らし合わせて、異なるところがあるのか。いや、むしろ深いとの印象があります。あの難しい当体義抄や、長文の三世諸仏総勘文教相廃立より体系的で深い。との感想です。難しく見えるのは、きっと境涯で読む書だからではないでしょうか。

 御義口伝は、大きく三段に分けられます。
 最初は、法華経廿八品各品の何個の大事と、法華経の経文そのものの大聖人の読み方が展開されます。二段目は、「廿八品に一文充の大事 合せて廿八箇条の大事」と、伝教大師、つまり最澄の法華経解読を傍らに示しながら、ここでも一段深い大聖人の読まれ方を展開されます。
 そして、三段目は、「廿八品悉南無妙法蓮華経の事」と、廿八品の各品がすべて「南無妙法蓮華経」の説明であることを展開されています。そこに「清浄」の言葉が目立って多いことに気付きます。

 「如是我聞の四字を能く能く心得れば一経無量の義は知られ易きなり十界互具三千具足の妙と聞くなり此の所聞は妙法蓮華と聞く故に妙法の法界互具にして三千清浄なり」(序品、P794)
 「既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり妙法の方便蓮華の方便なれば秘妙なり・清浄なり」(方便品、同)
 「妙法の大白牛車に妙法の十界三千の衆生乗じたり蓮華の大白牛車なれば十界三千の衆生も蓮華にして清浄なり南無妙法蓮華経の法体此くの如し」(譬喩品、P795)
 「蓮華の信解なるが故に十界三千の清浄の信解なり此の信解の体とは南無妙法蓮華経是なり云云」(信解品、同)
 などなどです。

 人間精神にとって、「清浄」は「信」で置き換えるよりないようです。「以信代慧」です。
 「何でも信心」とステレオタイプ的に「信」を強調するのではありません。
 「心は是れ身の主なり」(道場神守護事P979)
 と仰せのように、「形而上」の命題を扱う信仰は、この「信」を外しては何も語れません。「根本浄識」も、実は、この「清浄」のことを言っているのではないか、と思えるほどです。

 「清浄」という点からいえば、唱題の後に得られるものは清浄です。利他の行為で得られるのも、さわやかな清浄です。妙法蓮華経の「蓮華」も、「因果」の意味とともにあるのは「清浄」です。

 「根本浄識」から立ち上がった、地涌、自発の凡夫こそが悪世末法の主体者であると――。


 

これは、面白い。

 投稿者:大敗北  投稿日:2016年 5月31日(火)20時45分21秒
  批判されるには、それなりの理由があり。

憲法を変える前に、嘘つき安倍を変えよう。
 

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