来年4月の予定だった10%への消費増税を2年半先送りし、実施は19年10月とする。

 安倍首相が、政府・与党幹部に増税延期の方針を伝えた。もともと15年10月と決まっていたのを17年4月に延ばしたのに続き、2度目の先送りである。

 なぜ19年10月なのか。

 首相の自民党総裁としての任期は18年秋まで。首相在任中は増税を避けたい。そして19年春~夏に統一地方選と参院選がある。国民に負担増を求める政策は選挙で不利になりかねない。だから選挙後にしよう――。

 そんな見方が、与党内でもささやかれている。

 ■「一体改革」はどこへ

 私たち今を生きる世代は、社会保障財源の相当部分を国債発行という将来世代へのつけ回しに頼っている。その構造が、1千兆円を超えて国の借金が増え続ける財政難を招いている。だから、税収が景気に左右されにくい消費税を増税し、借金返済に充てる分も含めすべて社会保障に回す。これが自民、公明、民主(当時)3党による「税と社会保障の一体改革」だ。

 国民に負担を求める増税を、選挙や政局から切り離しつつ、3党が責任をもって実施する。それが一体改革の意味だった。選挙に絡めて増税を2度も延期しようとする首相の判断は、一体改革の精神をないがしろにすると言われても仕方がない。

 首相は1度目の増税延期を表明した14年11月の記者会見で、次のように語っていた。

 「財政再建の旗を降ろすことは決してない。国際社会で我が国への信頼を確保し、社会保障を次世代に引き渡していく安倍内閣の立場は一切揺らがない」

 「(増税を)再び延期することはないと断言する」

 この国民との約束はどこへ行ったのか。

 ■「リーマン」とは異なる

 首相が繰り返す通り、リーマン・ショック級や東日本大震災並みの経済混乱に見舞われた時は、増税の延期は当然だ。

 足元の景気は確かにさえない。四半期ごとの実質経済成長率は、年率換算でプラスマイナス1%台の一進一退が続く。一方、リーマン直後の成長率はマイナス15%に達した。大震災時の7%を超えるマイナス成長と比べても明らかに異なる。

 それでも消費増税を延期したい首相が、伊勢志摩サミットで持ち出したのが「世界経済が通常の景気循環を超えて危機に陥る大きなリスクに直面している」というストーリーだ。

 アベノミクスは順調だ、だが新興国を中心に海外経済が不安だから増税できない、そう言いたいのだろう。これに対し、独英両国などから異論が出たのは、客観的な経済データを見れば当然のことだ。

 一方、野党は増税延期について「アベノミクスが失敗した証拠だ」と首相に退陣を求める。だがアベノミクスの成否を論じる前に、それが日本経済への処方箋(せん)として誤っていないか、改めて考える必要がある。

 一国の経済の実力を示す指標に「潜在成長率」がある。日本経済のそれはゼロパーセント台にすぎないと政府も認める。

 潜在成長率を高めるには、どんな施策に力を注ぐべきか。

 まず保育や介護など社会保障分野だ。税制と予算による再分配を通じて、支えが必要な人が給付を受けられるようにする。保育士や介護職員の待遇を改善し、サービス提供力を高めていく。負担と給付を通じた充実が、おカネを循環させて雇用を生むことにつながる。

 温暖化対策や省エネ、人工知能開発など、有望な分野への投資を促す規制改革も大切だ。

 ■アベノミクス修正を

 これらの施策は短期間では成果が出にくいから、金融緩和や財政で下支えする。その際に副作用への目配りを怠らない。それが経済運営の王道だろう。

 だがアベノミクスは「第1の矢」の異次元金融緩和で物価上昇への「期待」を高め、それをてこに消費や投資を促そうとしてきた。金融緩和を後押しする「第2の矢」である財政では、大型補正予算の編成など「機動的な運営」を強調する。

 首相はサミットを締めくくる記者会見で「アベノミクスのエンジンをもう一度、最大限ふかしていく」と強調した。

 しかし金融緩和の手段として日本銀行が多額の国債を買い続ける現状は、政府の財政規律をゆるめる危うさがつきまとう。補正予算も公共事業積み増しや消費喚起策が中心では、一時的に景気を支えても財政悪化を招き、将来への不安につながる。

 首相がいまなすべきは金融緩和や財政出動を再び「ふかす」ことではない。アベノミクスの限界と弊害を直視し、軌道修正すること。そして、一体改革という公約を守り、国民の将来不安を減らしていくことだ。

 選挙を前に、国民に痛みを求める政策から逃げることは、一国を率いる政治家としての責任から逃げることに等しい。