カテゴリー「06 菅沼 康光」の61件の投稿

2015年11月16日 (月)

エイト社員ブログ 「中山さんを想う」             

家族や友人・エイトの社員等々多くの人々の祈りも届かず、
笑顔を絶やさず誰からも信頼され慕われていた
総務部長の中山さんが逝ってしまい、帰らぬ人となってしまった。

暫くは信じられない気持と虚しい思いに浸っていましたが、
エイト社員の人達の追悼文を読んでいる内に、
中山さんは確かにこの世から姿を消してしまったが
その足跡からその魂は多くの人達の心の中で永遠に生き
続けてゆくものと実感を以って得る事が出来ました。

最後に中山さんと親しくお話をする機会が持てたのは
亡くなる2ヶ月弱のまだ暑い盛りの頃でした。
苦しく辛い闘病生活の中にあって、
けしてその素振りを見せずにいつもの明るい笑顔で接して呉れました。
今思うと、これも中山さんの気配りの表れであったのでしょう。

この暑さを乗り越えれば体力も回復し病を
克服できるのではないかとお話をしていました。
北海道の事やバトミントンの事、
そして私が山口に勤務している折の一番印象に
残っているのは魚が美味しかったとお話した際、
北海道も魚の美味しさは負けない筈よ、と力説しておられた、

だけど下関の「ふぐ」には負けるかもね、
私まだ「ふぐ」食べた事ないのよと
おっしゃっておいでであった。
それでは今度寒くなったら「ふぐ」で一杯やろうと
意気投合したのであったが叶わぬ夢と
なってしまったのは痛恨の極みであります。

命日の10月10日は奇しくも私の誕生日であります。
若い優秀な中山さんが逝って後期高齢者の私が残っている、
此れも何かの因縁でありましょう、
こうなった以上は中山さんの分まで長生きしてみようと
思っている次第であります。
中山さん本当に色々ありがとうございました、
衷心より感謝申し上げます。どうぞ安らかにお眠り下さい。

合掌

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参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2015年8月23日 (日)

エイト社員ブログ 「夏山」

梅雨明けと共に夏山を目指したのが
この数年、恒例となっていたが今年は趣が違った。

いつもパティーを組んで居た仲間に加齢と共に脚力の差が生じ
3千米級の山を共に歩くには難しくなってきた事である。
そこで今年は各自フリーにする事にし、
腰痛で体調不良の方は秋山に備えリハビリに励む。
元気な人は裏銀座から槍が岳への縦走に挑んだ。
私は単独山行を家族から禁止されているので
旅行会社の1泊2日のツアーに参加しての山行きとなった。

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初日は花の楽園として知られる近江の名峰伊吹山(1377米)である。
山頂直下にあるスカイテラス駐車場(1260米)までバスで行ったので、
山頂との標高差は僅かであり
老若男女を問わず楽に歩ける登山道が幾つも設置されていた。
登りは西登山道をとり、下りは東登山道をとった。
どちらも人人で賑っていたが花に満ち溢れ数多くの高山植物の花に出会い、
琵琶湖や濃尾平野の眺望を楽しみ空中散歩に興じる
鳥人や一等三角点等にも触れ清涼感溢れる夏山歩きを堪能させて貰った。

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2日目は、今から40年ほど昔乗鞍スカイラインが開通された頃
「ハイヒールで登れる3千米峰」との
キャッチフレーズで名を馳せた乗鞍岳に登って来た。
早朝、飛騨高山の宿を発ち懐かしのスカイラインを一気に駆け上がり
標高2702米の畳平バスターミナルに到着。
途中車窓から北アの槍、穂高や笠が岳等々の峰々が目に入って
来た時には熱いものを覚えた。
バスから降りると肌寒さを感じた、
聞くと20度に満たないと言う。
準備を済ませ2班に分かれ山岳ガイドに
従い山頂の剣が峰(3026米)に向かって歩き始める。
なだらかな歩き易い道を肩の小屋まで歩く。
途中、残雪や鮮やかな色をした湖水、
数々の花々で疲れを感じさせない、有難いものだ。

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肩の小屋でWC休憩を兼ねて一服、
愈々此の先は溶岩混じりの急勾配の岩稜となりジグザグと高度を上げてゆく、
多くの登山客と摺れ違いながら一息、二息と息を整えながら山頂に到達。
天空の涼風と3千米の眺望を楽しんだ後は一気に下山したのでした。
温泉で汗を流し、疲れを癒し家路への旅と相成った今年の夏山でした。

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今回は東京を朝立ちJRで名古屋・バスに乗り換え関ヶ原を通り
滋賀と岐阜の県境伊吹山に登り再び名古屋市内に戻り北上して
飛騨高山に泊り翌日岐阜と長野の県境乗鞍に登って
温泉に入り松本からJRで東京に戻る長距離移動の山旅でした。
この様に安全、安心に登山が出来るのも山を整備して呉れている人々のお陰であり
旅を企画して呉れるツアー会社、案内役の添乗員、ガイドの皆様のお陰と
深く感謝した今回の山旅でいた。

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2015年5月22日 (金)

エイト社員ブログ 「シャクナゲの花」       

山を歩いていると色々な花に出会うのが楽しい。

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山肌が新緑に彩られるこの時期は花の女王と言われる
シャクナゲが殊の外美しく感じる。
このシャクナゲが我家の庭に今年は見事な花を咲かせて呉れた。
知人の庭に在ったものを、不要になったと言うので
十年近く前に譲り受けたのである。
ところが庭が狭く地に移植出来ず、仕方なく鉢植えにした。
それが為か、其れとも日照不足からか5~6年の間は花を付けなかった。
矢張り鉢植えでは無理なのか、陽当たりも問題だし諦めて
処分を考えなくてはいけないのかと妻と話をしていたら
不思議な事に「切られたら大変だ」とでも思ったのか
翌年、花を咲かせて呉れたのである。
それからはほぼ隔年毎に花を咲かせるようになった。
数ある春の花の中にあって、ひと際目立ち他を圧して
咲き誇る姿はまさに女王の名に相応しく思える。
この様にままならぬ環境の中、思い切り根を張れず養分補給も
不十分であろう鉢植えに在って季節が巡って来ると
健気に花を咲かせて我々家族に潤いや安らぎを与えて
呉れる此のシャクナゲに感謝する次第です。
感謝の印として今年は時期が来たらもう少し大きい鉢に
移してやろうかと考えている次第です。

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参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2015年3月20日 (金)

エイト社員ブログ「講習会に参加して」

此の度会社のご厚意により、
東京都(正式には公益財団法人東京都防災・建築まちづくりセンター)が
主催する「特殊建物等定期調査報告実務講習会」に参加させて頂きました。

主な内容としては
①定期調査報告制度について
②敷地及び地盤・建築物の外部・屋上及び屋根の調査要領
③建築物の内部・避難施設等・その他の調査要領
④調査実務上の要点
⑤報告書の作成
について≒3時間の中で説明されました。

短時間でこれだけの説明をする訳ですから、
内容的にはひどく端折って進められました。
書式の改正点、間違いやすい個所や注意点等々
正に実務に必要な事項が各担当の講師から説明されていました。
実務的な事はさておき開会式で理事長が話された事や
各担当者が説明の合間に建物管理に対する心構えみたいな事が
語られていましたので建物管理を生業とする会社の社員の一人として
改めて心に留めて置きたく以下の如くまとめてみました。

国民が生活する上で、
最近では「安全・安心」がキーワードになっているのではないでしょうか。
「食の安全・安心」は一歩間違えれば会社の存亡に関わる事件として
発展しかねない。
建物に関しても同様で、火災や震災時には多くの尊い命が失われている。
今年になってからでも強風に煽られ建物に取り付けてあった看板が路上に落下、
通行人を直撃し被害者は今も意識不明の重体になっている事故が発生している。

住宅や一般建物は国や自冶体が定める建築基準法やその他の関係法令により
「安全・安心」に利用できる様に設計され、設計に基づいて施工され、
厳密な検査を経て完成して使用に供されるのが一般的である。
しかし其れだけでは「安心・安全」が確保されているとは限りません。
住宅や一般建物は完成時の姿の儘いつまでも使用されているとは言い難く、
ライフスタイルの変化、業務形態の変化、或いは経年劣化等により
日々形態や機能が変化しているのが通常だと思われます。

此処の様な理由から国や自冶体はある一定の基準を設け、
此れを特殊建築物と称し「特殊建築物等定期検査報告」の制度を法令化して
一定の期間ごとに「調査報告書」の提出を義務化させているのであります。
以上の事を鑑み「住宅や一般建物の安全・安心」の確保には
特殊建築物に限らず一般建築物に於いても日常又は定期的に行う点検や
維持管理が非常に重要な作業である事をよくご理解して頂きたい。
この事は結果として「建物の資産価値の維持・向上と寿命を延ばす」事にも
繋がると思いますので今日ご参加の皆様には是非この制度を御理解して
運用して頂きたい。

要約するとざっとこんな内容でありました。
今回はちょっと堅い話になってしまいましたが
この講習会に参加したお陰で「食」や「建物」だけでなく
世の中あらゆるものに「安全・安心」が求められている事に改めて気付きました。
普段身の回りについても常に「安全・安心」を心掛けて
生活をしてゆかなければならないと痛感した次第です。
講習会を主催して下さった関係者、貴重なお話をして下さった講師の先生方、
参加の機会を頂いた会社に感謝致します。

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年12月16日 (火)

エイト社員ブログ「集まり散じて絵画展」

建築科の入試にはクロッキーの実技があり、入学してからも単位があった。
そんな関係からか同好会的なサークルが出来、自然とその輪の中に入って
4年間を過ごした。
卒業すると仲間の進路もそれぞれで各方面に散って行った。
それから40数年が経ちボチボチ定年を迎える人が出て来た頃
かつての仲間に声を掛ける人が現われ年に1~2回のスケッチ会、
その後の合評会なる飲み会が行われるようになった。
数年が経つと折角だから作品展をしようと言う事になり今年で9回目を迎えた。

私はぬれ落ち葉予防にと仲間に加わったが
参加したりしなかったりと仲間の後尾の方についていた。
ところが高齢化と共に参加者が減少した事もあって
今年の幹事役を引き受ける羽目になってしまったのが
昨年の作品展の打上の際であった。

幹事と言っても毎年やってる事を踏襲するだけだから
簡単だとの言葉を信じて引き受けた。
ところが実際その場に立つとさっぱり分からない。
今迄の「付け」が一気に来たようだ。
仕方なく、この会に精通している友人の知恵を借りることにした。

あれこれと必要な事を聞き出し、
予算と共に簡単なネットワーク行程表に描き上げた。
これは出来るだけビジュアルに表現し物忘れの防止と日程把握に努めた。
なんたって忘れっぽくなった事と月日の経つのを早く感じるからだ。
一年なんて全く早いものだ。
春のスケッチ会、秋の絵画展開催が風のごとく去り
何とか段取り幹事役を済ませる事が出来た。

お陰さまで疎遠になって居た仲間との親交も深める事も出来た。
参加して呉れた仲間、支えて呉れた仲間や画廊の人には本当にお世話になり
感謝でいっぱいです。
また、小さな絵画展ながら参観に訪れて呉れた多くの人達に感謝です。
蛇足ですが出展作品が画廊の案内欄に収録されていましたので
アドレスを下記に添えました。
ご興味のある方はインターネットに下記アドレスを貼り付け検索すると
「第9回稲美会展―銀座アートスペース」が表示されますので
此れを観て頂ければ幸いです。
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http://artspace.jansem.info/exhibit2014/z141105-toubikai.html

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年10月29日 (水)

エイト社員ブログ「夏山の教訓」

今年の夏も北アルプスを歩き健康であることに感謝した。
しかし、意外な結果が待っていた。
昨年、室堂から入り五色ヶ原、スゴ乗越、薬師岳と縦走した体験から
それなりの体力維持に努めて些か自信を持っていつもの仲間と北アへと出掛けた。

一日目は順調に歩けた。
扇沢登山口(1350m)から入りよく整備された柏原真道を登って行った。
谷からの心地好い冷風を感じる頃になると
針の木雪渓の素晴らしい眺望が疲れを癒して呉れ自然と力が湧いて来た。
予定通り登山客で賑う種池山荘(2460m)に到着。
休憩を兼ね昼食、腹拵えをしたら再び出発。
岩稜となった尾根道を今日の最高峰爺が岳(2669.8m)へと登り、
今晩の宿冷池山荘(2387m)へと下って行った。
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問題は2日目にやってきた。
夜明けと共に起床、身支度を整え朝食までの時間、冷気漂う外に出て
刻々と色彩が変化する山岳風景やら此れから登る稜線を眺めていた。
食事後出発。急な登りの樹林帯を抜けるとハイ松と岩の稜線に出た。
標高2500mを過ぎた頃急に体力の消耗と脱力感を覚えた。
極度のペースダウンだ。
先行する仲間に先に行って貰い呼吸を整えながら前に進み、
漸く第一のピーク布引山(2683m)に到着。
此処の眺望は格段と素晴らしく360度見渡せた。
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暫く休むと元気が出て来たので再び登り始める。
今日の最高峰鹿島槍(2889m)は目前に雄々しくも悠然と聳え立っている。
雪渓を渉って吹き上げてくる風は寒いくらいだ。
先行する仲間の姿は豆粒ほどに小さく見え隠れする。
随分と離れてしまったなアーと思いながら青息吐息、
休み休みどうにか前進、山頂に着いたのは遅れる事30分以上であった。

一息ついたところで仲間と協議。
此処から先は難所と言われる八峰のキレット(2518m)への急降下、
翌日はアップダウンの激しい五竜岳(2814.1m)の急登がある。
此れ以上の同じ行動は仲間の足を引っ張るだけではなく、危険が伴うと判断。
一人下山、登って来た道を引き返す事にして仲間と別行動をとる事にした。
初めての経験である。
山頂から下山にかかるとウソの様に呼吸が楽になったので
眺望とスケッチを楽しみながらゆっくりとマイペースで無事下山した。
下山後は早速仲間に携帯電話で連絡その旨を報告、
まだ十分に間に合ったJRの特急に乗りほろ苦い思いを抱いて
その日の内に帰宅したのであった。

机上の計算では可能であっても実際やってみると随分と違う事は
今まで何回となく経験しているから別段驚くには当たらないが、
自分の体力の衰えは計算し難く
実際に負荷を掛けてみないと分からないものだと痛感した。

若い時は背伸びして力以上と思われる負荷を掛け挑戦する事は
困難や苦しさが伴うが必ずや自分を成長させて呉れるものと
確信を持っていたが後期高齢者にもなるとそうはゆかない。
条件によっては急激な体力の消耗が襲ってくる(今回は如何も高度障害と思う)。
一歩間違えれば遭難の引き金になるのではないかとの教訓を得た。
予実差が出た時如何に対処するかを計画の中に織りこむ事の大切さを
再認識させて呉れた山に感謝。

又色々と気遣い、
知恵を出し安全登山に協力して呉れた仲間に感謝感謝でありました。

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(左)立山三山と連峰
(中)劒岳
(右)布引山を挟んで左爺ケ岳・右奥槍・穂高

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(左)登って来た双耳峰を振り返る
(右)蓮華岳・針ノ木岳をバックに種池山荘

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年9月 8日 (月)

エイト社員ブログ「線香花火」

新聞の見出しに「国産の線香花火復活」の活字が
躍って見えたので嬉しくなった。

花火と言ったら江戸の昔から
何といっても華やかさや一服の清涼剤としても「打上げ花火や仕掛け花火」
が夏の風物詩としての主役で庶民の関心の的であったと思う。
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ところが想い出の中の花火は幼い頃父母や兄妹と楽しみ競い合った
線香花火が目に浮かぶから不思議である。
子供が幼い頃は親子でよく楽しんだが親離れをしてからは花火とは
無縁の生活となっていた。
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そういえば子供が少なくなったのか、庭先で花火など出来る環境では
無くなって来たのか一家団欒家庭で楽しむ線香花火なんぞ
もう何年も見掛けなくなっていたのに気付いた。

記事を読むと家庭用花火は中国産花火が盛んになるに従い
線香花火の国内産はいったん途絶えたと言う。
しかし、中国産は300余年続いた日本伝統の線香花火とは似て非なる物。
国産花火の火花は4段階に変化する、
其々「牡丹」⇒[松葉]⇒[柳]⇒「ちり菊」と呼ばれ
キメ細かな変化が持ち味であるのに中国産は牡丹で落ちてしまったり、
変化がはっきりしないようだ。
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そんな実情に危機感を持った花火問屋の親分(会長)が
問屋仲間や花火業者、元職人等に実情と復活を訴えた。その結果漸く
以前と変わらぬ4段階に変化する「大江戸牡丹」が出来上がったそうだ。
2000年秋に3000本売り出すことに成功、以来毎年2倍、3倍と伸ばし
今夏は100万本を売り切ったというのだ。
庶民の琴線に触れたのだろう、
実に14年間で300倍余となる驚異的な数値である。
300余年の伝統の火が消えゆく状況に危機感を覚え私財をも犠牲にしながら
仲間の力を結集して復活に漕ぎつけた会長さんの強い意志と情熱・心意気に
敬意を表すと共に心より感謝したいと思います。

この4段階の変化を見届けた時の嬉しさと誇らしげな満足感、
片や途中で玉が落ち失敗した時の悔しさ悲しさが幼い頃の思い出として
心の隅っこに今でも張り付いています。
4段階の火玉と線光の競演は丸で小宇宙の様に幼い心の想像の世界を広げ
情操教育には欠く事の出来ない遊びであったと思うし
又真に魅力的な奥深い花火であると思う。
こんな素晴らしい花火を開発して呉れた花火師に感謝いたします。

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年7月 7日 (月)

エイト社員ブログ「『超高齢社会』に備えて」

新聞やニュースで最近気になる問題として
「我が国の高齢化が急速に進み、今迄どの国も経験したした事も無い
高齢社会を迎える」という事であります。

終戦直後から昭和20年代頃は「人生僅かに50年」と学生時代教わっていたが
焦土と化した国土を復興しGNPで欧米の先進国の仲間入りを果たす頃は
「人生65年時代」となり
年金や社会福祉制度を此れに合わせて創られて来たのも束の間、
最早「人生90年時代」がすぐそこまで来ているようだ。

なにを以って高齢社会と呼ぶのか調べてみたら、
人口に占める割合で老年(65歳以上)人口が
7%を超えると高齢化社会(1970年以降そうである)、
14%以上で高齢社会、21%以上になると超高齢社会と呼ぶのだそうだ。
我が国の現状はどうかというと、
2005年10月1日の統計で20.4%2015年には26%に達し
2050年には39.6%と予想され、それに伴う社会制度の改革や
個人の意識改革が急務となって来ているようだ。

とくに我が国が問題なのは欧米に比べて寝たきり高齢者が多い事で、
なんと米国の5倍、欧州の8倍と言われているのには驚きである。
古来長寿はお目出度いとされ、60歳の還暦、70歳の古希、77歳の喜寿等々
節目ごとに家族・親族一同に会し長寿のお祝いをする習慣があった。
そんな慶事も健康であって意味があるのに寝たきりでは
何の長寿かと疑問に感じる部分がある。

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幸せな高齢社会を実現させるのであるならば介護施設の充実も必要だが、
より大切なのは高齢による身体の機能的衰えを可能な限り小さくして、
健康で元気に長生きする事であろう。
などと考えながら高齢化社会について調べていたら
ロコモとかサルコペニア、ADL、IADL、QOL、アンチエイジング等々
の横文字が矢鱈目に飛び込んできた。

此れは何を意味するのかと考えると、
欧米と比較して急速に進んだ高齢化の為、それに対する研究や社会制度が
欧米と比べて十分に対応しきれていなかった事が浮き彫りになっている
ように思えた。
しからばどうするかと自問してみると
社会制度等の公助が揃うまではもう暫くは時間がかかりそうなので
自助努力が最も肝腎であるように思える。

人間誰しも歳を重ねてある一定の年齢に達すると
急激に筋量、筋力が低下し(サルコペニア)これが引き金となって
骨や関節、軟骨、椎間板と言った運動器に障害が起き
認知症を含め日常生活に支障をきたす様になって来るものらしい。
(ロコモティブシンドローム)

老化ともいえる此の状態は完全には予防できないものの、
出来るだけ遅らせるとか、なだらかな低下にするのは可能な様だ。
色々分かった事は端的に言えば第一に筋量と筋肉の低下を予防する事が大切で、
それには「必要な適度な運動とキッチリした食事の摂取」にあるようだ。
その内容については耳学問より専門家の指導に依るのがよいと思う。

此の「運動と食事」の自己管理に最も大切なのは
何のために生きるかという強い目的意識が存在しなければならない
のではないでしょうか。
健康で元気に生きる目的、その目的とは正に生き甲斐なのではなかろうか。
しかし生き甲斐とは人其々千差万別だろうが趣味やスポーツ、
社会活動(ボランティア等)、家族等があげられるが
「仕事=働く事」が上位に挙げられていたのには興味深く感じた。

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福沢諭吉心訓の一つに
(師が作成されたと言う7則からなる教訓:作者不明の偽作と言われているが)
「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事である。
世の中で一番さびしい事はする仕事のない事である。」
と言うのがある。
矢張り仕事と言うのは誰にとっても生きる支えになっているのではないかと
改めて確信がもてた次第です。

そう言う意味では間も無く喜寿を迎えようとしている現在、
こうして弊社にお世話になって居ること自体大変有難く心より感謝いたします。
誠にありがとうございます。
これからは培ってきた知識や経験が少しでも社会のお役に立てるよう精進し、
「運動と食事」に気配りをして健康に支障をきたし
周囲にご迷惑をお掛けしない様に生きてゆきたいと思っています。
以上の様な事を考る事が出来たのも弊社の「社員ブログ」の欄があるお陰です。
無ければ何の問題意識も持たずに
スルリと通り過ぎてしまった事かもしれません。
この様な機会を頂いた事に感謝申し上げます。

参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年5月22日 (木)

エイト社員ブログ「新入社員を迎えて」

桜が咲き始めると寒かった冬から解放された様に空気が一変し、
周囲が何となく華やいで来るのは今も昔も変わらないようだ。
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弊社は今年も新規学卒者を採用する事が出来、先日その入社式が行われた。
若くて才能のある人達が新たに加わると言う事は、
あたかも草木が萌え出ずる春を迎え命の成長が約束されるが如く
大変嬉しく喜ばしい事と感謝申し上げます。

私にとってはもう半世紀以上も昔の事ですが
自分の時と思いを重ね合わせて些か緊張し、清々しい気持で
参列させて頂きました。

新入社員を取り巻く環境は時代背景と共に
随分と違って来ていますが人生の大切な節目である事には変わりなく
生涯忘れることのできない意義深い一日であると思います。
新入社員の皆様は会社説明会、選考会、内定式を経て
入社式を迎えた事と思います。

この間弊社の社員として、又社会人としての必要最低限の礼儀や価値観、
いわゆる社員としてのベクトル合わせの意味を含め
知覧研修、推薦図書の購読、日経新聞等の読後感想の発表、
アルバイトと称する慣らし運転等をこなしながら
学生生活最後の貴重な時間を過ごされて来たものと敬意を表します。

入社式では司会者の挨拶後冒頭に
入社初日の仕事「名刺交換キャンペーン」の成績発表が読み上げられ、
成績順に「社員辞令」が社長から直接7名の新入社員に授与されました。
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次いで社長から順次 各役員が祝辞と共に
経験に裏打ちされた貴重なご意見が述べられた。
これ等のお言葉には新入社員にとっては
何一つ無駄になるものはありません。
どうか記憶の片隅にでも置き、
折に触れ復誦なさってみては如何なものでしょうか。

最後に新入社員からのご挨拶があった訳ですが
特に印象に残った言葉として「上位成績者の一位を目指す」との
強い目的意識が述べられた事と、
「中位下の者達からは今日の成績結果には非常に不満で悔しい」との
主旨の言葉を異口同音に述べられていた事であった。

この目的意識と悔しがると言う向上心は
自分自身忘れかけていた事でもあり新鮮に感じ大切な事を気付かせて
呉れたものと感謝いたします。

最後の総括で社長が触れていた様に社会人となったこれからは
毎日が真剣勝負で結果が問われる厳しい状況が待ち受けている。
「名刺交換キャンペーン」の成績がこのままづーと続くのではない。
「勝って驕らず負けて挫けず」の言葉があります、
一日いちにちを大切に目先の事にとらわれず頑張って頂きたいと思います。

時あたかも青葉若葉の季節、五月病など何処吹く風と受け流し
芽を出した竹の子が若竹となって伸びるが如く
どうぞしなやかにかつ強靭な心身を備えた人間として成長してゆく事を
願いながら見守ってゆきたいと思っています。
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参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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2014年4月11日 (金)

エイト社員ブログ「転勤の想い出&OB会 その2」

OB会翌日は広島支店在勤中に手懸けた建物の現在の姿を視察しようか
と思っていたが今回案内役を買って出て呉れたIT君が
最近山口市で「太陽光発電所建設」の現場を担当したと言うので
こちらを見学させて頂くことにした。
3・11の原発事故以来
自然エネルギーの活用が喫緊の課題として社会問題化している。
「一見は百文に如かず」とにかく良い機会だからと思ったからであります。

朝食を宿で済ませ車で山口に向かった。
広島清風新都ICから広島自動車に入り広島北JCTから中国自動車道
山口南ICでHWを降り山口市郊外の江崎にある
砂利採石製造・採取場内へと入って行きました。

それでは「太陽光発電所建設」の概要を下記に示します。
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*事業者:砂利、砂・真砂土・製造採取及び販売業、
 一般土木事業・運送業・産廃収集運搬処分業、
 解体工事業を営む地元の会社。
*敷地面積:12,000㎡(採石場を含めると36,000㎡)
*発電設備容量:1,000kw相当
*主たる機器仕様
 ◎太陽電池:種類=多結晶シリコン太陽電池(太陽電池モジュール)
        :ソーラーパネル=992㎜×1650mm 240枚
        :パネル最大出力=240w/枚
 ◎パワーコンデショネー:パネルで発電した直流電力を
    交流電力に変換する装置。
        :容量=500kw/1台×2台、
        :外形寸法=W1900㎜×H2025㎜×D700㎜
 ◎パワーセルター:コンテナハウス(パワコンの収納場所)
        :外形寸法と仕様=W6058㎜×H2591㎜×D2438㎜
        :鋳装製(亜鉛めっき)、床・壁・屋根全て断熱仕様
 ◎エアコン装備:熱の影響による発電効率の低下(防止40℃以上)防止。
             28℃自動設定
 ◎キューピクル:昼パワコン、エアコン等に自家発電力を供給
 ◎計測監視システム:自動計測監視装置により発電データーを
  インターネット回線にて遠隔監視する。
                                           以上

設置現場を視察し、
IT君の説明を受けて感じた事は従来の電力に対する考えが一変した。
今までは電力の供給は国策事業で10電力会社中心に一部大企業が取り組み
一般庶民は関係なく必要に応じて供給されるものと思っていたのであるが
これからは消費者1人ひとりがもっと関心を持たなければならない時代に
入って来たのではないかと思えた。

なぜなら、
この様に生活の場近くで中小企業が発電事業に取り組んでいる実態を見ると
これからの電力事業は多くの民間企業が参入し
劇的に多様化し変化してゆくのではないかと感じた。
原子力発電に変わる代替電源と言った問題だけではなく、
地球温暖化の原因と言われるCO2の排出削減や資源国の政情不安や
為替変動のリスク低減といった色々の側面から自然エネルギー
とりわけ太陽光発電、風力発電、地熱発電、バイオマス発電といった
再生可能な自然エネルギーが期待されその実用化が
急務の課題となっているのではないでしょうか。
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これ等の発電の普及促進の為の法整備に拍車が掛かり、
企業や自治体の遊休地、休耕田、マンション、ビル、工場の活用等が
益々盛んになるのではないかと思えた現場視察でありました。
この様にエネルギー問題を身近に考える機会を与えて呉れたOB会、
とりわけ始終ご案内を頂いたIT君には大感謝です、
心より厚くお礼申し上げます。

山口県は山陽町厚狭字石束に居を構え
5年間女房、子供、義母と住んだ馴染みの土地。
この間前述の厚狭小学校建設を皮切りに
長門湯本、宇部、小野田、下関、菊川町と
随分と仕事をさせて頂きお世話になった土地です。
次に訪れる機会があったら是非かっての現場を覗いてみたい
と思いながらIT君に感謝と別れを告げて
新山口駅(旧小郡駅)から新幹線にと乗ったのでありました。


参与 菅沼 康光(元 株式会社安藤建設 取締役)

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