「ぴかっと光った瞬間、服と皮ふがびりびりになって10メートルほど飛んで倒れた。体がとても熱くて川に飛び込んだら、私のような人でいっぱいだった」
1992年、広島と長崎に1カ月滞在し、被爆者たちの話を聞いた。足を失い、手が曲がったままの人たち、がんと被爆の後遺症に悩まされてきた人たちが、涙ながらにあの日のことを証言した。「日本は聖なる戦争をしており、必ず勝つのだと思っていた。1945年8月6日、広島に原爆が落とされ、全てが変わった」
そのとき泊まっていた所が「原爆ドーム」の近くだった。日本は寒々しいこの鉄骨の建物を原爆の惨禍を伝える記念物としている。1日数人の被爆者にインタビューを行い、爆心地の近所で眠ったせいか、悪夢を見た。被爆者たちは涙を流しながらも、米国を悪く言うことはなかった。被爆者が集まった場でその理由を尋ねると、気まずい雰囲気が漂った。しばらくためらった末、誰かが「日本が先に挑発したのだから、仕方がない」と口にした。「人類が二度とこうしたことを経験してはならないと思う」という声もあった。
先週、広島の原爆ドームをバックにオバマ大統領が安倍晋三首相と握手した。米軍の爆撃機が人類初の原爆を広島に投下してから71年にして、米国の大統領が犠牲者の慰霊碑に花を捧げた。彼は「10万人以上の日本人、数千人の朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために来た」と演説したが、そこから150メートルほど離れた朝鮮人の慰霊碑は訪れなかった。
広島を歩くと「平和」という言葉をあちこちで目にする。「平和記念公園」「平和記念資料館」「平和記念ポスト」…。広島は国際平和都市に生まれ変わるという目標の下、欧米の知識人や芸術家、ジャーナリストを数多く招き、かつての惨状を見せた。「ヒロシマ・センチメンタリズム・キャンペーン」だ。むごい有り様を見れば、胸が張り裂ける思いがするのは当然だ。だが、日本について原爆で被害を受けた最初の国というイメージが強くなればなるほど、第2次世界大戦の加害国という歴史はあいまいになる。
米国はオバマ大統領の広島訪問に対し、就任間もないころに打ち出した「核なき世界」構想の締めくくりだと説明した。謝罪ではないと明言した。だが、オバマ大統領の訪問は日本の被害国としてのイメージを浮き彫りにするだけだ。自らが行った戦争について、日本が誠意ある謝罪をしていないという事実は薄れた。未来に向かって進むためには、過去の出来事に絡んだ問題を解決せねばならない。だが、歴史が依然として国際政治的な現実となっている北東アジアでは別の問題だ。オバマ大統領の構想と安倍首相の計算が交わった部分に、そこについての配慮はない。日本は数十年かけてついに米国の大統領を広島に来させたが、私たちはその間、何をしていただろうか。