新朝鮮通信使 日韓駆ける両輪の涼風
ソウル都心にある朝鮮王朝の王宮「景福宮(キョンボックン)」を今月11日に出発した日韓両国の市民約50人が、対馬海峡を渡り、ゴールの東京都庁を目指して懸命にペダルをこいでいる。
かつての朝鮮王朝が日本に送った外交使節・朝鮮通信使の道を自転車でたどるイベント「両輪で走る新朝鮮通信使」だ。都庁到着は来月1日に予定されている。
政治レベルの日韓関係は良好とは言えないが、市民交流は活発だ。参加した早稲田大法学部4年の早野孝洋さん(22)は「世界に目を向けるいい契機になる」と話している。
日本と韓国の関係は長い歴史の中で浮き沈みを繰り返してきた。
朝鮮通信使は室町時代に始まっている。しかし、16世紀末に豊臣秀吉が行った2度にわたる朝鮮出兵で両国の関係はいったん途絶えた。その後、江戸幕府を開いた徳川家康が、戦後処理のため朝鮮に働きかけた結果、通信使が再開された。
江戸時代に12回を数えた通信使には多くの知識人が名を連ねた。鎖国していた日本では外国知識人との交流の機会は貴重だった。宿泊先には多くの人々が詰めかけたという。
日韓は今年、国交正常化から50年を迎えた。正常化当時は両国の国力差は大きく、市民交流は細々としたものでしかなかった。
しかし、時代は大きく変わった。韓国の民主化や経済成長を経て、両国の関係は水平的なものになった。民間レベルの交流は幅が広がり、深みも出てきている。
残念ながら民間交流は政治対立を解決する特効薬にはならない。それでも、東アジアに生きる者同士が国境を越えて知り合う意味は小さくない。互いを知ることは、一部の極端な意見に流されない冷静さを育むことにもつながる。
今回のイベントに参加した人の多くは自転車愛好家だという。相手国への事前知識を持たない人もいただろう。長い道中では、時に考え方の違いに驚くこともあったはずだ。それは自然なことだ。むしろ、自分との違いを相手の個性として受け入れるきっかけにした方がいい。
朝鮮通信使の関連資料を、日韓が協力して国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録しようという運動も進められている。
世界遺産を巡っては最近、日本と周辺国のあつれきを生むニュースばかりが目立つ。もしも通信使の登録が実現すれば、後世に残すべき人類共通の遺産という世界遺産本来の前向きなものになるはずだ。
朝鮮通信使の歴史は、負の遺産を乗り越えて友好関係を築こうとする先人の努力に支えられてきた。その精神を今日に引き継ぎたい。