新聞週間 多様性を支える公器に
きょうから新聞週間が始まる。報道機関として、新聞はどんな使命を担い、どうその責任を果たしていくのか。改めて考えてみたい。
新聞の最大の役割は、信頼できるニュースや意見を読者に届けることだ。毎日新聞の編集綱領は「真実、公正な報道、評論によって国民の知る権利に応え、社会の公器としての使命を果たす」とうたう。今後もその原点を大切にしたい。
真実、公正な報道は、全ての新聞に課せられた責務だろう。
そういった中、安全保障関連法や、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画、原発の再稼働など、国民の間で政権や政策への評価、意見が大きく割れる国の重要テーマが増えている。
新聞の報道ぶりや論調も180度反対になることが珍しくない。
国民に多様な意見が存在することは、民主主義社会として当然だろう。ただし、たとえば安全保障関連法をめぐっては、賛否の意見が両極端に分かれすぎ、「接点」を見いだすのが困難だった。
国民の多様な意見をくみ取り、どう橋渡し役を務めるのか。今の時代の新聞に求められている大切な役割の一つではないだろうか。
さまざまな情報が飛び交うネット社会だ。過激な言葉を使ったり、白か黒かの極端な議論に陥ったりしがちだ。だが、異論に対する寛容さを忘れてはならない。
新聞を取り巻く環境は決して生やさしくない。自民党の若手勉強会で6月、安全保障関連法を批判する報道に関し、出席議員が「懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番」、作家の百田(ひゃくた)尚樹氏が「沖縄にある二つの新聞はつぶさないといけない」と発言したのは記憶に新しい。
毎日新聞が今春、主要自治体に問い合わせたところ、「憲法」「平和・戦争」「原発」「特定秘密保護法」をテーマとしたイベントについて、後援を断った件数がこの5年間で倍増していたという。
政権の姿勢と対抗するようなテーマを避ける傾向だとすれば問題の根は深い。
そんな不寛容な空気が市民社会をも覆いつつあるのではないか。国民の表現の自由を守るために、警鐘を鳴らし続けたい。
先の通常国会で改正公職選挙法が成立し、選挙年齢が「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられた。主権者教育への関心が特に高校で高まっている。一部の学校では既に、新聞を教材にした授業が始まり、世論調査や社説も活用されている。
社会のあり方を学び、議論するための公共財として、新聞は役割を果たしていきたい。